女性の涙は見抜けない
「そうですか。行っちゃうんですね……」
「はい。マテラさんにはスゲー迷惑ばっか掛けてしまって。本当にすいませんした」
「そんな頭を上げてください。受付嬢として当然の事をしたまでです」
ギルドに戻った綾人はお世話になったマテラに別れを告げる。二人はギルド右側にある食事スペースに座わり話し合う。テーブルを挟んで向き合うマテラは、変わらずの真面目で可愛らしい笑顔だ。だが時折下を向き、合間に悲しい表情を見せる。
一方の綾人は少しそわそわしている。原因は綾人が眠っている時に現れた人物。祖父である空上ジンのせいだ。
【可愛らしいボインの受付嬢ちゃんは脈がある】
思春期真っ最中の綾人にこの言葉は毒でしかない。先程から意識すればするほど、マテラの顔をまともに見れなくなっている。
「そうだ! これ、良かったら受け取って下さい」
マテラはそう言うと両手を首の後ろにやり、金属の留め具を外す。胸元から現れたのは紫色の小さな石が飾られている細身のネックレス。
「これ私のお祖母ちゃんの形見なんですけど、綾人さんに差し上げます。身に付けていると勇気が湧いてくるお守りらしいので、って本当かどうかは分からないですけど」
照れ笑いをしながら、綾人の両手を取り。そっとネックレスを渡すマテラ。マテラが手を握っている喜びよりも、そんな大事な物を受け取れないと焦る綾人。
「いやいやマテラさん! お祖母ちゃんの形見だなんて、受け取れないですよ! 俺みたいな奴が持っていいもんじゃないすから!」
マテラの手にネックレスを収め、優しく返す綾人。
「いえ! 綾人さんは見ていて心配なので、お祖母ちゃんに守ってもらってください」
再度マテラが綾人の手を握り、ネックレスを押し付ける。
「そんな、気持ちだけで十分ですって。ありがとうございます」
そんな返し返されのやりとりが続く。端から見たらイチャコラしてるように見える。そんな二人をルードは生暖かい目で見守る。
「でも持ってて欲しいんです」
「そんな大事な物受け取れないですって」
終わらないネックレスの渡し合い。何度目かのやりとりのせいか、雑に扱われ始めるネックレス。二人ともお祖母ちゃんの気持ちも考えてほしいものだ。
「俺、絶対ネックレス壊しちゃいますよ」
綾人にネックレスを返された後、う~ん。と可愛く悩み顔をするマテラ、何かを考えたあと立ち上がり。
「分かりました!」
と言う。さも名案ですといった調子で、掌のネックレスを見せてくる。どの仕草一つ取っても、真面目なマテラらしさに綾人は思わず苦笑してしまう。
「ではネックレスはお貸しするので、旅が終わったら返して下さい!」
純粋無垢な笑顔を綾人に向ける。
「全ての旅が終わったらちゃんと返して下さい、それで無事な顔を私に見せてください。それまでネックレスをお預けします」
マテラが一歩近づく。綾人の首後ろに手を伸ばしネックレスを付け始める。
「マ、テラ…さん」
椅子に座る綾人の目の前には、無限の幸福である二つのビッグバンが揺れている。鼻先に触れるか触れないかの、非常にもどかしいポジショニングをする二つのビッグバン。
だが綾人は見てるだけで心が癒された。ルードと拳を合わせた時よりも癒された。そのたわわに実った二つの――
「よし! これでバッチリですね。似合ってますよ綾人さん」
「もう少しビッグバンを……えっ! あっ、すいません。その(二重の意味で)ありがとうございます」
なし崩し的にネックレスを受けとる綾人――マテラさんって案外頑固なのかな? ――と心の中で思いつつ頭を下げお礼を言う。
「ネックレスは形ある物なので壊れちゃっても気にしないで下さい。でも綾人さんは一人しかいません。だから無茶しないで下さいね。全て終わったら、私に会いに来てください。あっ! 違っ……その、い、今のはネックレスを返すついでに、私に会いに来てと意味で、えっと、えっと……私は心配性なので……あ、綾人さんが来るのを、ずっと。待ってますね」
もじもじとしながら思いを告げるマテラ。そのいじらしい姿は、とても、とても、とても。庇護欲が掻き立てられる。綾人は顔を真っ赤にしながら頷き。
「……はい、必ず帰ってきます」
と告げる。見つめ合う二人。
長く見つめ合う二人。
本来マテラ・ルトという人物はとても真面目な人物だ。仕事に真面目。考え方も真面目。恋にも真面目。
故に結婚を前提としたお付き合いでなければ、男と付き合うことはしない。マテラはとても愛嬌があり可愛らしい。必然的にモテる。
街を歩けば声を掛けられる。マテラと今まで付き合った男は告白が成功すると、拳を空に突きつけ吼える程だ。
それはマテラを自分の物にした、という絶対的強者の咆哮。だが今までマテラと付き合った男は、誰一人として牙城を崩すことは出来なかった。
「そういう事は結婚してからです」
そう。誰一人としてその柔らかな唇を奪う事も出来なければ、たわわに実った二つのビッグバンを揉む事も出来なかった。
18歳のマテラだが、その鉄壁のガードを崩す事のできる強者はいなかった。堅すぎる牙城に心が折れ、手も握ることもできずに去っていく男達。
【あの牙城は崩せない】
マテラ自身は知らないが。密かに結成されているマテラファン倶楽部の認識はその一言に尽きる。
【結婚するまで異性とは手も握らない】
真面目であり勤勉なマテラ。この思想が崩れることは無いと、マテラ自身もそう思っていた。
だが意識していなかったが、異性の手を握ってしまった。これが引き金になったのかマテラはある行動に出る。
この自分のとった行動が謎で仕方がなかった。だが止めなかった。もしかしたらもう二度と会えないかもという危機感がそうさせたのかもしれない。
理由は分からない。真実は全て謎に包まれている。行かないでと縋るつもりは毛ほども無い。ただただ純粋に――
また会いたいなと思った。
綾人を見詰めるマテラはそっと目を閉じ少しだけ唇をつきだす。体は小刻みに震えている。
もう一方の童貞という、守りたくもない牙城を守っている綾人はマテラの姿にゴクリと生唾を飲み込む
――こ、ここここここここれは、この流は……チューなのか? チッスなのか? えっ、いいのマテラさん? こんな場所でいいの? マテラさんここ職場だよね? いいの?
立ち上がりそっとマテラの肩を掴む綾人。一瞬体を跳ねさせ目を開けるマテラ。 再度見つめ合う二人。潤んだ瞳のマテラがスッと顎を上げ目を瞑る。
――いいいいいい、いんすねマテラさんいんすよね、よし! やるぞ! やったるぞ、俺の初チッスはマテラさんに捧げっぞ! いいよね? いいよね?
綾人の頭の中で一人の人物が親指を立て、満面の笑顔を向けてくる。
――出てけクソ爺~!! 味しめてちょいちょい出てくようになってんじゃねぇぞ!
必死に祖父である空上ジンを追い出し、いざ覚悟を決める!
――これ以上待たせたらマテラさんに失礼だ。よし、やるぞ、やるぞ! 綾人行きま~す!
ぷるるんと揺れるマテラの唇に自分の唇が重なっ――
「そこのバカとビッチは何をしているのかしら?」
る前に清潔で品のある声に邪魔される。
くわっ! っと、鬼の形相で声の方向を睨む綾人だったが。
「ティ、」
「こんな公衆の面前で、何をやっているのかを聞いているのだけれど。バカだから耳までバカになったのかしら?」
綾人を汚物か何かのような目で見るのはもう会うことも無いと思っていた人物。
「ティターニ?」
「ちょっと、気安く名前を呼ばないで頂戴。貴方のバカが私にうつったらどうするの?」
「いやっ、てかその荷物……」
「まぁバカには何を言ってもバカだと言うのが分かっているから、どうしようもないわね。バカに問題を突き付けてもバカは解けないものね。しょうがないわねバカなんだもの。それに問題はそっちのビッチにもありそうだしね」
ティターニがジト目でマテラを見据えると「ひっ」と小さく呻くマテラ。
「貴女はギルドの職員よね? それがギルドの内で猥褻行為を行うなんて、常軌を逸しているとしか思えないわ。全くそのだらしない駄肉二つで一体どれだけの男をタブらかしてきたのやら。正にビッチの称号に相応しいわね」
大きなバックパックを担ぎながら、普段の倍は回る弁舌で攻撃し続けるティターニ。
「そんな……私、処女なのに」
と力無く項垂れるマテラの言葉をしっかりと聞く綾人。見かねたルードが口を挟む
「ティターニ、一緒に来てくれんのか?」
ジト目で綾人を睨むティターニ。ふんとMAXのツンを放った後
「私は私の目的の為に貴方達と行動するわ、綾人といるとベルゼに会える可能性は高いだろうし。エルフ大虐殺の真相を知るのは我が民の本懐……その為に綾人を利用させてもらうわ」
ティターニらしいつっけんどんな言い方だ。だがその刺の言葉は綾人の耳には優しく聞こえた。
「存分に利用しろい! 俺だってお前を存分に利用するっての。でも……ありがとティターニ。まじで助かるよ」
綾人の言葉を聞きニヤリと笑うティターニ。非常に蠱惑的な笑みだが。悪戯的な悪意を感じる「ふふふっ」とらしくない声を出すティターニに綾人の背中に冷や汗が流れる。
「お礼を言われる筋合いは無いわよ、さっきも言ったように私は私の目的の為に行動するのだから。それよりも貴女」
ティターニが一歩マテラに近づく。
「は、はい。先程はすいませんでした。職場であ、あんな事しようとするなんてギルド職員失格です! 上司に話してこの仕事を辞め――」
「待って! それ以上こんな惨めな男の為に、自分を追い込む必要は無いわ。さっきは言い過ぎたわ……謝ろうと思って。ごめんなさい」
「いえそんな、私の方こそ……あぁ~何やってんだ私は!」
両手で頭を抑え呻くマテラを、そっと抱き締めるティターニ。
「テ、ィターニさん?」
「落ち着いて。さっきも言ったはずよ。こんなバカでゲスで惨めな男に貴女のような可愛らしい女性が苦しむ必要は無いわ。聞いて……」
チラリと綾人を見るティターニ。
「あの男は私を押し倒して上に股がるような男なの。それだけに止まらず胸まで揉んだ男なのよ。しかもそれだけじゃ飽きたらず、私を舐め回すような目で散々見てくるの。きっと脳内で私を好き勝手犯してるのね……あの目を思いだすだけで私は、うぅ。怖くて…」
「異議アリ! 彼女の涙は嘘です!」
ぐすんぐすんと大袈裟な音を立て、涙声でマテラに訴えるティターニ。反論する綾人だが女性同士の密談に勝てるはずもなく……
「その後に貴女と、その。キ、キスしようとしたのを見たから。冷静になった方がいんじゃないかと、思って……」
固まるマテラ。マテラの頭をよしよしと撫でるティターニ。興味なしとばかりに寝始めているルード。頭の中で声が響く綾人。
(貴方様準備はよろしいですか?)
何ともいえないタイミングで声を掛けるエアリア。
――あっ! ちょっ、ちょっと待ってくれ!
「マテラさん仮眠室貸してください! 転移魔法が発動するんで誰も部屋に入れないで下さい、お願いします! ルード! ティターニ行くぞ」
マテラの返事を待たずに、ルードとティターニの手を握りギルド奥へと走り綾人。その姿を目で追うしか出来ないマテラ。
「そうだ! これ必ず返しに来るので待ってて下さい!」
綾人は胸を張り首から下がるネックレスを主張する。
「は、はい! 待ってます」
笑顔で答えるマテラ。目尻にうっすら涙が溜まる。別れが悲しいのか、ティターニの言葉にショックを受けたのかそれを探るのは不粋だ。
「ちょっと、気安く触らないで」
「相棒~三十分だけ寝かせてくれ~」
「うるせぇうるせぇ! 人がいないとこでやらないと、巻き込むかもしれねぇから急げ!」
ドタバタと世話しなく仮眠室に入る二人と一匹。仮眠室の扉が閉まると同時に白光色が溢れだす。
光が収まった後、仮眠室の様子を見に行くマテラ。
コロコロと可愛らしく動くマテラの目には当然のように、綾人、ティターニ、ルードの姿は無かった。
「行ってらっしゃい」
寂しさを笑顔で押し込み、綾人達に別れの言葉を送る。気丈に振る舞い扉を締める。
もっと良い女になって振り向かせてやる!
そう決意し真っ直ぐに自身の戦場である仕事場へと向かう。
だがその後、同じギルド職員にキスの件でさんざんいじられまくったのは言うまでもない。
慣れるまで毎日顔を真っ赤にしていたマテラ。彼女の可愛らしい姿は、ミストルティンギルドの名物の一つにまでなったという。
ブクマありがとうございます。
一章終わりました。




