龍眼
レットの一撃でルルフの銅鎧が砕ける。
「なっ! この!」
真正面に立つレットに銛の穂先を向けるが、その場所にはもうレットの姿は無い。ルルフの真横に移動し終えたレットは拳を放つ。
ルルフの顔が苦痛に歪むと同時横腹がヘコむと、腹肉が波を打たせながら派手に吹き飛ばされる。
二メートル程飛んだルルフは地面に突っ伏したまま立ち上がれず倒れ込む。
「ルルフさん!」
「くそっ! 行くぞ!」
「「「おう!」」」
声を上げたのはルルフの部下五名。ルルフを助けるためにレットに攻撃を仕掛けるが。
「つまらん」
レットはそれだけ言い。全身青色の亜人の首を手刀で切断。横合いから仕掛けた全身黒色の猫人は。横腹を派手に蹴られ体をくの字に折り曲げる。
迫る上半身人間、下半身鹿の首を掴んでへし折り。背後から奇襲をかけた背丈が小さい者には、わざと攻撃をさせた後、背後に回り背中にある蜻蛉のような羽を毟りながら、胸部に拳を突き刺し穴を開ける。魚人は手足を裂かれた後にゆっくり踏み潰される。
「絶対的な差とは時として悲劇ではなく喜劇になるものだ。そう思わんか綾人」
目の前の殺戮に綾人が叫び走り出す。何度目かの全力の拳だが最早レットは避けもしない。
鼻っ面にくらうが微動だにもせず、煩わしとばかりに裏拳を繰り出す。避けきれずに顔面に叩き込まれた綾人は豪快に飛び、意識を失いかける。
「むっ。いかんな強く殴りすぎたか」
「っヅ……」
顎が外れまともに喋る事すらも儘ならなくなる。
「相棒! くそっ!」
ルードがレットに飛び掛かる、やめろ! と叫びたいが、霞む意識と外れた顎のせいで上手く言葉を紡げない。
レットの顔にルードが飛び付き爪を立てるが。
「うるさい虫だ」
頭部を鷲掴みにされ地面に何度も叩き付けられる。あまりの痛みに声が上げられないルード。口からは血が飛び散る。
「やっ、よろッ!」
漸く声を出す綾人だが、立ち上がれずに地面に肘を付いたまま声を出す。
物理的な距離があり届かないと分かっているが手を伸ばす。その様をレットは嘲笑うように見た後。
「なら返そう」
と短く告げるとぞんざいにルードを蹴り上げる。なすがまま綾人の元に返ってきたルードはボロボロだが辛うじて呼吸をしている。小さな竜を腕のなかに抱くと。
「ただ返すだけでは芸がないな」
いつの間にか近くに立つレットが、人差し指をルードに突き刺す。小さな体が一瞬跳ね上がり、次には力なく手足がだらりとなった。
「あっ……」
綾人のか細い声にレットが至福の笑みを向ける。
「………」
ルードを抱きしめ顔をうずめる綾人を見るレット。彼の中で綾人は心が折れた玩具になり下がった。
「幕引きはこんなものか。さて……ん? まだ虫が大勢いるなブットルは何っ――」
辺りを見渡し激を飛ばそうとしたレットの言葉が唐突に詰まる。正確には言葉が出てこなかった。
それは何故か。
圧倒的な恐怖を感じた為、死神の鎌が首元に添えられている、そんな死の戦慄を感じたからだ。
首を動かすと綾人がいない事に気付く。視線を彷徨わせると、無惨に殺された冒険者やルルフの近くに立っていた。
「くそだせぇな……」
「何」
綾人の小さな呟きを聞き返すレット。ルードを地面に優しく置き。ルルフや冒険者達を見る綾人はもう一度、
「くそだせぇな……俺は」
と言い力無く俯く。綾人の戯れ言に付き合おうとしたレットだったが、その姿に別の言葉が出る。
「!? 何故、傷が治っている」
綾人は口元の血を拭う。これは綾人の血ではなくルードの血。
ルードのいた世界では龍の傷は全てを癒やす。その言葉が綾人にルードの血を飲むという行為をさせた。
「ごめんな。俺が弱いばっかりに……」
「なぜ傷が治ったと聞いている!」
先程の死の既視感と綾人の傷の治りがレットを苛立たせた。絶対強者の足取りで綾人に近付くレット。
「自分がダサすぎて何も言えねぇよ……こんなにムカつくのは初めてだ」
「私を無視するとは何たッが――」
レットが綾人に掴みかかろうとしたが、顎が外れる程の衝撃を頬にくらう。衝撃に負け顔の角度がまがる。
吹き飛ばされながらも一回、二回、と地面にバウンドした後、態勢を整えるレット。顔を上げるとまたもや綾人がいない。
「なっ!」
「こんなに自分自身にムカつくのは始めてだわ。八つ当たりだけどお前……殺すわ」
すぐ後ろから声振り返ると綾人が立っていた。ただ明らかに先程までとは別人のように見える。
「貴様!」
「ちくしょう。貰った両目が熱いな、お前も怒ってんのかルード?」
綾人の問いかけに答えるものは誰もいない。だが両目は問いかけに答えるように形状を変えていく。
角膜と虹彩が金色に変わり瞳孔が黒い縦の線へと変化する。その目はまるで憤怒に燃える龍がレットを睨み付けるているかのようだ。
天上天下唯我独尊という誰も見たことの無いジョブを持つ綾人は、またしても誰も手にいれたことの無いスキル:【龍眼】を手に入れる。
龍の目にのみ込まれるレット。
「なっ……あっ」
筋肉が強張り自由に動かせない。喉が固まり声を出せない。何か圧倒的な力を前に動けない。
体は動かないが脳は動く、感じたのは弱者であった筈の綾人から感じる、途方もない恐怖。
――き、危険だ、この男は危険だ…今ここで殺しておかねばいずれ。
本能に従い綾人を殺すべくレットが動く。喉が裂ける程の咆哮を上げ、体に纏わりつく恐怖を取り払う。
更に筋肉を膨張させると、目に見えて分かるほどの怒りを空気に纏わせる。トップスピードで綾人に迫り、全身の力を拳にのせ破壊の一撃を叩き付ける。
レットは自身の肉体に絶対の自信があった。鍛え上げれば上げるほど強くなる己に美を感じていた。単純に筋肉をつければつけるほど、ステータスの数値が上がる特異体質に悦に浸っていた。
故にこの筋肉は裏切らないと、数々の闘争を共に戦い抜いたこの筋肉は決して裏切らない。
この全てを込めた一撃は、外れるわけがないと高を括っていた。
――――だが。
「!!」
まるで空中に漂う上質な絹を殴ったように、するりと躱され拳は地面にクレーターを作る。
絶対の一撃を当てる相手は悠然と目の前に立っている。今度は綾人が一撃を入れるために拳を構える。
「拳に込める明確な意思は、てめぇを殺す。それだけだ」
地面に踏み込み膝を曲げ腰を落とす。腰と胴体を捻り力の運動量を肩に流す。肩から肘へ肘から拳へ全身の力を一点に集める。
レットの腹部に当たる綾人の拳は所々に黒い鱗が現れる
型も何もない只の力任せの一撃だが、この一撃はきっと誰もが躱せない。
当たる瞬間に身を捻りダメージの軽減を図るレットだが、綾人の拳は前へ前へと進み鳩尾付近を捉え押し潰す。
押し潰すという言葉通りに、拳は振り抜かずにレットの体を足元の地面へと押し潰したのだ。
浅黒い筋肉の鎧は意味を為さず、拳がめり込んだ箇所は潰れた果実のように原形を崩した。
「なん、と」
仰向けに倒れるレットの口から血の固まりが溢れる。たったの一撃で地面に倒れた現状に、レットの思考は追い付かない。
「死ねよ」
龍の目がレットを見据える。握る拳は先程よりも鱗の箇所が増えている。ゆらりとレットに跨がりマウントをとる綾人。
そして拳の雨がレットの顔面に続けざまに降り注ぐ。
時間も忘れこの現状も忘れ。綾人はただただレットを殺す作業に入った。
「ふふッ、くっッ」
殴られながらもレットが笑う。この状況を見れば、遂にレットはおかしくなったかと誰しもが思う。
だがそれは違うレットは高揚していた。顔の原形は崩れ腹部が潰れた状況よりも、強者に出会えた事に胸が高鳴った。
しかもそれが、これから自分の玩具になる者であるという事が、さらに興奮に拍車をかける
拳の連打はインパクトの瞬間に手首を掴まれ止められる。振りほどこうとする綾人だが、それより早かったのはレットの動き。
両足を上げ綾人の首に巻き付けた後、反動を付け地面から上体を起こすレット。
手首と首を絞められたまま半回転する綾人、首の拘束が解かれたと同時に、掴まれていた両手首によって投げ飛ばされる。受け身もとれず地面に転がされる綾人は直ぐ様起き上がるが、
「体術は苦手のようだな」
後ろから声振り向く前に横っ面を殴られる。が、綾人はその場から微動だに動かない。殴られると分かった上であえて受けにいった。
頬を歪ませ睨む綾人。それを見つめるレット。
「もはや私の拳は効かぬか」
そう言うとレットは一度距離を取る。綾人は立ち上がり肩に手を当て首を回し、やられた箇所が問題なく動く事を確認する。
「その強さに敬意を払わねばならんな」
レットの独白は続く。
「悪魔を取り込むのは危険だが背に腹は変えられん」
レットの足元に黒い魔法陣が現れる。黒い魔法陣から粘着質な気味の悪い靄が色を付けて飛び出す。
その色は黒。魔法陣同様に何処までも黒い靄は、この広い盆地に徐々に広がっていく。
空が淀み。空気が濁る。魔物と戦う冒険者の動きが止まる。魔物は震えだし何処かに逃げ出す。
「さぁ殺し合いの続きを再開しよう」
レットの上擦った声はこの場に置いては酷く滑稽に聞こえた。




