この状況だからこそ
熾天使とは神に選ばれた最も尊い天使である。
誰それと熾天使になれるものでは無い。神を愛し、神の命を実直にこなし、自らも手本となる存在でなければ熾天使という存在になることはできない。
それは戦闘能の面でも然りである。悪を滅ぼすことに長けていなければ熾天使という最高位の称号を得られることなどできないのだ。
「人の子が熾天使を倒すなどあってはならない。自然の摂理に反している。神への冒瀆と言ってよい」
「はっ!? なんかさーせん。神さんとか信じてないんで、俺的にはマジファックって感じなのでどうでもいい感じです〜!!」
圧力を増していくミカイルにたいして、綾人は煽るように中指を立て軽薄な笑みで応える。
綾人は神など信じない、もし神が存在するならば綾人が救えなかった人々の命をどうして救ってくれなかったのかと声を荒げ、神の胸ぐらを掴んで恫喝するだろう。龍の瞳は怒りを増幅させ神に仕える天使を睨む。
その態度を受けミカイルがサッと右手を上げると、後方に控える幾万の天使らが空に向けて歌を奏でた。
歌声は上質ではない、単調なソプラノである。綾人の言動に天使らの怒りが歌となって表れ、それが空を白に染めていく。
神への侮辱を許すまいと天使が声を上げた結果、大気を震わせ空を怒りという感情で濁していく。
「なんだ! 頭が!?」
「あの歌を聞くな!」
「やめろ! やめてくれ!!」
「うわぁぁぁぁぁ〜!!」
それを受けた人間たちは苦悶の表情を浮かべ叫び出す。天使の歌声は人間の魂を揺さぶっていた。
心臓に爪を突き立てられるような痛み、瞬時に襲ってくる吐き気を抑える。もしも嗚咽しようものなら内臓全部が口から飛び出てしまいそうになるからだ。天使らの旋律は人の子の脳を焼き、内臓を掻き混ぜていく。
「これは——俺の魔法が——」
「い、痛い! 助けっ——」
「わ、私の人としての部分が狂おうとしている」
「みんな、回復を——」
「この、ティターニ・Lの膝を汚すなんて、どう、落とし前をつけようかしら」
前線に立つ、ブットル、凛、サギナ、美桜、ティターニも他の者と同じように苦しみを露わにする。
人である以上この苦しみからは逃れることができない。であるならば人という枠からはみ出た者であれば天使の歌声は当然に届かない。
「これ平気なの俺らだけじゃん! みんな待ってろ、直ぐに止めてきてやるよ! 行くぞ、ルード!!」
「おうよ! 相棒!!」
そう、人という枠組みから外れた空上綾人には天使の歌声では痛みを与えることなどできない。それはルードも同じである。
二人は人ではなく、龍という枠組みで動いているからだ。
「あの人の子は危険だ、ミカイル下がるんだ、ここは私が前に出る」
前進する綾人を危惧したのは熾天使ガイエル。自らが前に出てミカイルを後方に下がらせ迫る綾人と対峙する。
「んだごらぁ!! ヒゲオヤジ! 天使で髭面ってだけでキャラがブレブレじゃねぇか!!」
綾人の疾走は止まらない。繰り出すのはいつもの拳である。ルードは牙と爪のみを皇帝邪竜と化し、歌声を奏続ける天使の集団に迫る。
「こんなことはありえない。人が熾天使を滅するなどあってはならない!」
「うるせんだよ!!」
ガイエルは自身が滅ぶことに異を唱えながら綾人に心臓を貫かれ消えていく。
またしても拳の一撃で勝負がつく、否、それは勝負と呼び様もないほどにあっさりとした決着であった。
「なんだこの光景は——ラフィール。私は夢でも見ているのでしょうか?」
「ミカイル。ここは一旦引きましょう。一度天界へとお戻りください。あの者たちの足止めは私がおこないます」
最高位の天使はいま、地獄のような光景を目の当たりにしている。
神を守る剣であり、盾である天使に敗北は許されない。だが目の前では敗北が繰り広げられている。
一人の人間と——それは人と龍が混じり合った異質な存在。一匹の小柄な竜により天使の集団が破られていくからだ。
拳を振るうと一度で数十、あるいは数百という天使が滅せられていく。その者は人であるにも関わらず鋭い牙があり、羽を食いちぎるなどの野蛮な戦い方で天使らを滅ぼしていく。
「今よ! 綾人に続きましょう!!」
「流石は婿だ!」
「相変わらず無茶苦茶な男だ!」
「でもそれでこそ王子だから!」
天使の数が減り、歌声の効力が弱まるとティターニらは体の自由を取り戻し綾人へと加勢に向かう。
仲間達が動く中でただ一人思案する者がいた、それは美桜である。彼女は周囲を窺い深刻な顔となったあと、急ぎ綾人の元まで駆けていく。
—————————— !!
ティターニらが動けたということは、他の面々の体も自由となったということ。騎士団と地底人が大歓声を上げながら天使へと向かっていく。
「ここが正念場ってやつだね!」
「いくよ皆!!」
「応!!」
勇者一行も然りである。アスカが叫ぶと司令塔である真緒が皆に発破をかけ、仲間たちはそれに応える。
「きみは凄いな、綾人君、僕もできることをやるだけだね!!」
何かを吹っ切ったようにアルスは叫び、天使らへと斬り込んでいく。
圧倒的な窮地をひっくり返す男が見せた奇跡に誰もが叫び剣を振るう。人間と天使の決戦は一人のデタラメな男によって終わりを迎えようとしていた。
「あっ! テメェ、逃げんのかよ!!」
綾人が叫ぶと皆がその方角を見た。天より半透明な白光状の柱が出現していた。大きく太い柱である。
それは天使を地上から天界へと送り出す柱であった。光る柱の中には多くの天使と最高位の天使ミカイルがいた。彼女はラフィールの助言通りこの場を引くことを選んだ。
英断であると言って良い。
これ以上戦うのは得策ではない。一度天界へと戻り綾人を滅するための準備をしに戻っていく。
それでも滅びゆく天使や、自身を逃すために囮となったラフィールを思うと胸が締め付けられていく。そこに来て綾人の追い討ちをかけるような叫びに、顔が強張っていく。
「んだよ! 上等な面できんじゃねぇか!! 降りて来いクソ天使! ぶっ殺してやるよ!!」
綾人の怒号に応えるように人間側の熱量も上がっていく。天使らを逃すまいと光る柱の元へと走っていく。
あの柱を壊せば、あるいは柱に入れば天使らを追うことができる。そこで決着をつければもうこの戦いは終わるのだから。
人間達は柱を目指すが、池上に残っている天使がそれを食い止める。
泥沼のような戦いが繰り広げられていく。怒号が響き渡り、剣や魔法が飛び荒れ狂うように殺戮が広がっていく。押しつ押されつしていくが、勢いは人間側にあった。
「押し込め〜!!」と誰かが叫んだ。
だがその声がきっかけとなり——激しく荒々しい声が戦闘の空間に隙間なく響く。
人間が一気に押し始める。天使側はもう数が少なく止めれそうにない。
人間側の先頭を走るのは空上綾人。空から伸びる光る柱へと迫り、自身もその光の中に入ろうとする。
勝手に人を裁くと言い、勝手に祝福という名の死を振りまき、窮地になったから帰るなどこの男が許すはずがない。否、綾人でもなくてもどんな者でも許さないだろう。
光る柱がとこに繋がっているのか分かるはずがない。当然にその中に飛び込むのは戸惑いがある者もいる。その先は人が呼吸ができぬ場所かもしれない。死が待ち受けているかもしれない。
だが綾人には関係ない。どこまでも追いかけてケジメをつけさせる。それだけである。
やることは至ってシンプル。この世界に来た当初から変わっていない。
それは仲間達も同じである。綾人が光の柱の中に飛び込むならば、自分達も付いていくだけである。そこに躊躇は無い。
だから綾人も飛び込める。暗闇をジャンプするように、走る勢いのまま飛び込もう——とした時だった。
「ちょっと待って!! ストップ!! 綾人君待って!!」
その行為を止める者がいた。
「うぉ!! どうした美桜!! 今行かないと奴らを逃しちまうぞ!! 行かせてくれ!!」
止めたのは美桜である。賢明に走り綾人に追いつき、体当たりをして柱への侵入を阻止した。
まさか止められと思わずに綾人は盛大に転んでしまい、二人はもつれ合うように地面へと倒れていく。
綾人は焦りながらも起き上がり直ぐに柱へと駆けようとする。
「逃さねぇぞゴラァ!!」
この瞬間にも、ミカイルがどんどんと天へと近づいていっているからだ。
「綾人君、待って!!」
美桜はもう一度綾人を止める。足にしがみつき必死の形相である。
「美桜! 早くしねぇとアイツらが逃げ——」
「——なんだかおかしいよ今の状況!!」
「へぇ!?」
美桜の叫びが、真剣な表情が綾人の熱を僅かに下げていく。
「おかしいって、なにが!?」
荒い呼吸をむさぼるように綾人は言葉を紡いでいく。ここでようやく自分が相当に熱くなっていたことに気付いた。
見つめ合う二人、美桜が綾人を止めた行為は本来なら水をさす行為であるが、一度冷静さを取り戻す意味では正しいといえた。
「順調すぎない?」
美桜が告げた。綾人は一瞬——何が順調なんだよ——と声を荒げそうになるが、冷静さを取り戻したいま、美桜の言葉の意味を考えていく。
「綾人君の旅ってさ、今まで色々あったんだよね?」
それは四散していた欠片を集めるような言葉であった。
「どうして色々あったの?」
美桜が言いたい事を綾人は僅かに理解していく。
二人は見つめ合い言葉を交わしていく。
「俺のたびは色々あった——」
「うん」
「先ず、この異世界にきて——」
「うん」
「そんでこの無限牢獄に飛ばされて——」
「うん。それで?」
「ルードと出会って、ここから抜け出してティターニと出会って——」
綾人は言葉を紡いでいく。ブットルと出会い、凛を救い、サギナと出会い、飛鷹と出会い、美桜と再開して——己の旅を振り返るように呟く。
美桜は邪魔することなく相の手で聞き出していく。
「今のこの状況は綾人君の旅と似ている。違う? 私にはそう思える。まるでこっちに来いって誘ってるみたい。こっちっていうのは」
「あの——天使らが上に向かってる。白い柱」
美桜が指差すソレに綾人が応える。
「そして、こんな回りくどいやり方で、まるで綾人君だけに嫌がらせするような行為をするのは一人しかいないんじゃないかな?」
美桜の眼差しを受けて綾人はようやく熱が完全に冷めている事に気付く。
どうして気付かなかったのか、この状況こそ奴が最も好む状況じゃないかと——自らに舌打ちをうつ。
綾人は柱ではなく、空を見たあとに呟く。
「——ベルゼ」
その言葉と共に、硬く拳を握っていた自分に気が付いたのは数秒後であった。




