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本当の気持ち


 世界が暗転した。

 それはほんの一瞬であった。瞬き一つの間に世界は闇に包まれた。誰もが気づかぬ程度である。誰もが分からぬ程度ではあったがそれが世界を変えた。



 ——————。



「ここは? 森の中?」


 それは魔物と壮絶な戦いを繰り広げていた騎士団員が呟いた言葉。

 破壊の限りを尽くされた中庭の一画ではく。目につく全てが緑であった。左右に首を振ると、同じように首を傾げ左右を見渡す騎士団の姿。

 深い森の中を思わせる場所に騎士団はいた。

 木々はどこまでも伸び、空に届かんばかりである。緑は大きく。中には人の背よりも大きな葉や蔦。さながら緑の迷宮に迷い込んだかの錯覚に陥って行く。


「おい! 前だ、前を向け!」


 緑に目を奪われ、あちこちと視線を彷徨わせていた時に慌てるような声。前を見ると魔物が迫っていた。咄嗟に剣を掲げ魔物の牙に鋼を当てる。

 どうやら騎士団だけではなく、先ほど戦っていた魔物もこの森の中へと移動したようである。

 移動? 騎士団員はそこで自らの思考に疑問をもった。これは移動というよりも転移したような感覚に近い。では一体誰が?


「っこの!! あっちに行ってろ!」


 魔物と対峙している今は、考えるよりも体を動かさなければいけない。騎士団員が思考を切り替え迫る魔物へと剣を振るう。




「ちょっとちょっと! 梅ちゃん先生! これなにどこ?」

「いやいやいや、私も分からないよ!? ガウちゃん分かる?」


 問われた獣王は首を振る。騎士団員だけではなく小梅やアスカ、多くの地底人も森の中にいる。

 

「アスカ。よかった! 無事?」


「うん! 真琴も、みんなも無事みたいだね! 無事なのはいいけど、ここどこ?」

 

「ってか小梅先生。よかった会えて!」


「園羽さん~! みんなも無事でよかった~」


 合流する勇者一行。斗真、樹、寛二、翔、真琴も当然に訳がわからずといった雰囲気である。アスカ以外の面々とようやく会えた小梅は深い感動で涙腺が緩む。


「先生。今は泣くのはやめたほうがいい。先生が跨っている獣も警戒を解いていない」


 勇者は聖剣を掴んだまま周囲を窺う。

 森の緑に隠れるようにいる魔物の数はまだまだ多い。それに対峙していた悪魔もどこかに消えたのか気になる。斗真の言葉に皆が肯く。一行は多くの者が同じようにこの場所にいると予想し散り散りになった仲間を探すために森の中を移動する。





「あっ!?」


 真緒の手を握るカナンの声。深い森を見渡すその瞳が揺れている。

 握る手に思わず力が入り、真緒の顔が少しだけ痛みを堪えていた。


「ここ、は――」


「団長?」


 マグタスの様子がおかしいことにハンクォーは戸惑いを見せる。

 二人は民間人の誘導の指揮を取った後に戦場へ戻る。その最中で真緒とカナンの警護に当たっていた。


「坂下さんは走って行きましたが、大丈夫でしょうか?」


 マグタスからの返答は無い。彼は徐に胸元から手記を出しパラパラとページをめくる。

 驚愕を絵に描いたような顔で周囲を見渡したあとただ一言呟いた。


「――無限牢獄」




「どなっているんだ?」


 アルスは周囲を見渡している。見に映るのは全てが緑である。木々が高く、深い森の中である。

 

「王子!!」


「シルヴァ! 状況は!?」


 白竜騎士シルヴァが白竜白夜と共にアルスの前まで現れる。

 

「ここから抜け出すのは少々厄介かと。空の果てまで飛んでみましたがあの高い塀は雲を突き抜けてなお伸びています。破壊しようにもできず」


「そうか。ここがどこなのか? もしかしたら僕たちが求めていた無限牢獄の可能性もある。とにかく気になることが多すぎる。皆と早く合流しよう」


「御意!」


 光の王子もまた困惑を覚えつつ行動を開始した。





「ここはどこだ~!! あはははは! 意味不明すぎてワクワクするぞ~!」

「踊れ踊れ~」

「この葉っぱを茶につけると美味くなったりして!」

「ギャハハハハハハ!!」


 深い森へとやってきたのは悪魔もまた然りであった。

 だがそれでも深刻になる様子はいない。トラブルを楽しむかのようにギャアギャアと盛り上がる一向。


「ママ? ここはどこなの?」


「ハハッハハハ! 俺らどっかに飛ばれちまった。アハハハハ!」


「ここはどこかしら? 悪魔である私が知らないなんて、悪魔が絡んでそうでだけど。そんなことより茶会の続きをしましょ! お茶請けはまだいっぱい必要なんだから」


 アモンの返答を受けて笑う嵐、彗はため息を吐き出す。この状況はあまり良く無い。そう感じているからだ。ましてや悪魔が判断できない状況ならばなおさら不安はつのる。

 そんな心配事を意に介さずに悪魔アモンは他の悪魔らとお茶請けに舌鼓をうつ。

 悪魔であるから当然にただのお茶請けではない。殺された騎士団員や地底人の肉であり、血であり、骨であり、臓物がお茶請けとなっている。優雅な時をおくるようにクッキーに見立てた肉をくらい、ティーカップの中に血を注ぎそも美味しそうに啜っている。

 茶会の近くでは断末魔を叫ぶ騎士や地底人の姿。それもまた一興と笑い出す悪魔達。

 彗はまたしてもため息を吐き出す。





「綾人君!?」

「綾人! どこにいるの? 返事をしなさい」

「王子!」

「婿が消えた?」


 そしてこの一行も同じであった。

 深い森の片隅で叫ぶ声は美桜、ティターニ、凛、サギナ。王城内の一室から森の中に移動したにも関わらず彼女らが声を上げたのは空上綾人の名前。

 サギナが言うように綾人の姿が消えている。そして悪魔ベルゼの姿も無い。二槍を構えるが敵の姿はどこにもなくただただ緑の群れが目に飛び込んでくるだけであった。


「おい、おいおい。おい! 戻ってきちまったのかよ? 無限牢獄に!?」


 そしてルードは小さな体を右へ左へと動かし辺りを見渡す。そこは確かに無限牢獄である。深い森の中にいる。上を見上げれば雲を突き破る高い塀。

 遠くのほうでは合戦の声が聞こえる。どうやら飛ばされてきたのは自分達でけではないようだ。


「ルード! 綾人の姿が――ルード?」


「ティターニ、それに皆。ここは無限牢獄だ。アルスパイセンが言っていた悪魔を滅する何かがある場所だ――」


 ティターニの問いにルードは心ここにあらずの返答であった。時間を開けてからルードはようやく応えた。

 何故このタイミングで無限牢獄に転移したのか?

 今までの話を纏めるならば、綾人達異世界人が元の世界に戻ることができる場所。それが無限牢獄。だがこれはベルゼの言葉である故、真実味が大きく欠けている。

 それならば、光の王子アルス、祓魔士カナンが言うように悪魔を滅ぼす何かがあるはずだが、ルードにはそこが気になった。悪魔を根絶やしにする何かがある場所に、どうして悪魔であるベルゼが導くように転移させたのか。


 ――何かがある。


 ルードはそう睨んでいる。それを聞いたティターニ、サギナはなるほどと相槌をうつ。


「相棒はまだ生きてるはずだ。ベルゼは相棒がお気に入りだからな。そうそう殺さないと思うぜ」


 狼狽する美桜と凛を落ち着かせるようとしたが、あまり効果はないようである。

 それもそうだろう。目の前で心臓を抜き取られた姿を見れば誰しも不安になるのは当然だ。ましてや今、綾人の姿がどこにも無い。それがより一層の不安を煽る。


「右往左往しても仕方がないわ。先ずはこれからどうするかを考えましょう」


 務めて冷静を装うティターニだが翡翠の瞳は明らかな動揺が見て取れた。


「綾人君」と無事であることに祈りを捧げる美桜の肩を凛がそっと抱く。


 明確な行動指標ができない。焦る気持ちばかりが膨れるがどうにも適切な判断をできる者はいそうにない。





 それぞれが不安、焦燥を感じる中で一人鼻歌を歌いながら森の中を歩く者がいた。

 遠足の前日のように、はたまた恋人同士の初デートのように、とにかくワクワクが隠し切れずに前面に現れている。


 悪魔ベルゼである。


 上機嫌を表すかのように時折ステップを踏みながら移動。

 そして悪魔に引きづられるように綾人の姿があった。全身が血まみれであり、胸部の開いた穴はそのままである。指一つ動かず、既に意識がない。

 

「心臓を抜き取られても生きているなんてやっぱり僕が見込んだ男は違うね! せっかくだから、最後は僕の役に立って死のうね!?」


 当然に返事は無い。ベルゼが言うには生きているらしいがとてもそうは見えない。なにかの機能が働き辛うじて生きている状況なのだろう。


「それにしてもここまで色々とあったね? 覚えているかい僕らの運命的な出会いを。そうそう。それからあの時とかさ――」


 返事は当然無いがそれでもベルゼは綾人に話しかけ続けた。

 旅の思い出を一つ一つ紡いでいくように。それこそ長年連れ添った親友に語るように、はたまた恋人同士の思い出を語るように。豪快に、ともすれば恥じらいをもつ姿は綾人が見れば憤怒でその身を焼くほどであろうが、ベルゼにとってはもはや綾人が生きているか死んでいるかなどは些細なことのように見える。その姿は最も悪魔然といえるのかもしれない。


「さぁ! 着いたよ綾人。懐かしい場所だろう?」


 そこは変わらずの森の中である、見渡す限りの緑と木々。変化があるとすればベルゼが立つ場所。

 白い石があった。なんの変哲もない白い石。全体の大きさはおおよそ一メートル程。

 

「どうだい。この石に触れて君の冒険が始まったんだよ。僕はその時から君を見ていたんだ。僕、というか? 僕たち(・・・)かな?」


 ベルゼの言葉はもう綾人には向いていない。慈しむように白い石の表面を撫で空に視線を送りぐるりと見渡す。

 そこにはあいも変わらず高い塀が並んでおり、この場所がやはり無限牢獄であると語っている。


「さぁ。いま解放(・・)してあげますよ~」


 ベルゼの表情を見る者はいないが、悪い笑みであることは間違いがない。

 白い石の上に綾人を投げるとねちゃりと粘着質な音が発生。白い石の表面にベッタリと血液が付着。綾人は人形のようにだらりとしたまま石の上に横たわる。

 その表情にはやはり正気がない。それを見てうんうんと肯くベルゼは実に満足そうである。


「さて! 供物も捧げたし。これでようやく――ん?」


 清々しい笑顔で両手を広げた。これでよううやく――何かをやろうとしていたのは分かる。綾人を供物と呼んだ辺りでそうなのだろうと理解ができた。

 その何かをやろうとした瞬間にベルゼは首を傾げた。

 

「ゲコッ!」


 この場所にベルゼ以外の声が初めて響いたからだ。


「なんだこれ? 蛙?」


 ベルゼは心底不思議そうに綾人の顔を見る。

 

「ゲコッ」とベルゼに返答をする存在は蛙であった。人差し指の第一関節ほどの小さな蛙。

 それは綾人の口内から現れた。ピョロリとまるで玩具のように。蛙はぴょんぴょんと可愛らしく飛び綾人の心臓まで移動。


「なんだい君は?」とベルゼが問うても「ゲコッ」と返事をするだけであった。


 やがて穴の開いた心臓部までいくとその蛙の姿は水となって消えていく。


「ははっ! この蛙。綾人の傷を治そうっていうのかい? でも残念。それは僕がさせにゃ――はりゃ――?」

 

 その瞬間にベルゼの天地が逆になる。自分の首が切り落とされたと理解したのは直ぐであった。


「その男を死なせるわけにはいかないんでな。ようやく会えたな。あんたが悪魔ベルゼか? いつかはあんたが何かをやらかすだろうと思って手は打たせてもらったよ」

 

 平素として淡々な男であるが静かな怒りが込められていた。

 水王ブットルが茂みより姿を現し、決して焦る様子はなく徐々に距離を近づけていく。


「にしてもルードや綾人が言う通り本当にこの島では魔法が使えないんだな。魔法使いの俺には厄介な場所だ」


 煩わしそうに悪魔へと語るブットル。魔法使いである彼にとってこの島は相性が最悪である。だがそれでもブットルは警戒しながら敵へと近づく。


「まぁ、魔法が使えないだけで貴様を殺して仲間を救う方法はいくらでもあるけどな。魔法の残滓が少しだけ使えれば十分だ」


 水神流・無刀の太刀 細雪(さざめゆき)


 ブットルは杖を剣さながらに持つ。師であるサクゴウが最も得意とした技。納刀の素振りで腰元に杖を動かし抜刀の構えをとった瞬間にブットルの姿は消えた。


「――は、ひゃ?」


 首の次に体が細切れになったベルゼは間抜けた声を出す。

 一瞥を見やったあとブットルが背を向けると大きな水柱が発生。空を突き抜ける塀に並ぶように上がった水柱は役目を終え消えていく。

 ブットルはそれを見ることなく綾人へと移動し、杖の先端を綾人の口元へと持っていく。


「綾人、すまないな。お前の体に魔法を仕掛けていたんだ。悪魔の存在を知る限りどんな手を使ってくるか分からないからな。手を打っておいて良かった。だがこれで保険は終わりだ。もう死なないでくれよ(・・・・・・・・)


 杖の先端。水色の石から水滴が生まれ、それが綾人の口内へと進入していく。

 癒しの水であろう。綾人はまだ息をしていないが徐々に胸部の開いた穴が塞がっていく。ベルゼが心臓を抜き取っても生きていた理由はブットルの保険であった。

 

「労しい。本当に労しい姿だよ蛙くん。綾人の旅を支えてくれてありがとう。ツンデレな彼に代わって僕がお礼を言おう!!」

 

 わざとらしい抑揚の効いた喋り方。げんなりするようにブットルが視線を移動する。

 細切れとなったベルゼの体は消えており。ブットルの働きに労いをかけるように拍手をしながら現れるのは、当然に体が元通りとなった悪魔ベルゼである。


「悪魔が死なないというのは分かっていたさ。だがそんな簡単に復活されると面倒ではあるな」


「随分余裕な態度だ蛙君! 君はいま死なない悪魔と対峙しているとは思えない! 良いよ~! 君にはプラス三十点を上げよう!!」


 ベルゼは二人を見守るように離れた位置から登場した。

 ブットルは体を悪魔に向ける。視界の端に見える綾人は今だに息をしていない。ブットルの回復をもってしてもなんとか命を繋ぎ止めている状態である。

 

「君がいま何を考えているか当ててやろう蛙君。とりあえず綾人の回復が先だがここでは魔法が使えない。だから時間をかけて治すしかない。でもそれには僕が邪魔である。で、あるならば―–」


 ズイとベルゼは一歩足を前に出す。それは演出であり、追い詰めているのは常にこちら側であるという事を誇示する様である。


「協力者をこの場所まで呼び、数で当たるのが一番。でもバラバラになった皆をどうこの場所に呼べば良いのか? それは合図を送ればよいだけ。あの水柱がそうだとベルゼ君は見事に当てて見せる。と、ベルゼはベルゼはしたり顔で言ってみたりする」


 さらにもう一歩わざと大股で不安を煽るように近づくベルゼ。ブットルは油断なく杖を構える。


「そして死なない悪魔にたいしても焦る様子は無い。それは既に何らかの策が用意されている。違うかい? おそらく悪魔全滅の為に世界中を飛び回っているあの爽やか少年が連れている、悪魔を滅するとかいう偉そうな肩書のチビっ子からだとベルゼ君はさらに予想。どうだい?」


 向けられた言葉にブットルはややあってから応えた。


「――さぁ。どうだかな?」


「あらぁ~。coolぶっちゃって。そういうの嫌いじゃないぞ。cool!、cool!!、cool!!! まぁチビっ子が用意した策なんてたかが知れてるけどね。言っとくけどその力は僕には通じない(・・・・)からね?」


「そうかい。なら試してみようか?」


「お好きにどうぞ!!」


 全てを言い当てられたが表情には出さない。それがブットルという男である。深いため息のあと杖が黄金色に輝き始める。

 綾人一行は海国で悪魔を滅する祝福をカナンより授かった。黄金と水色が混じり合う。それはブットルが技を繰り出す証拠である。魔を滅する光にも関わらずベルゼは余裕な態度を崩さない。どうにも釈然としないが今は祝福の光に頼るしか無い。


「あぁ。そういえば。もう一つ聞いておくことがあるんだ」


「――なんだ?」


 迷った末にブットルは応えた。そのまま技を発動させてもよかったが、あまりの余裕の態度に何か策があると思い、あえてのってみた。


「蛙君。きみさぁ――()はよくないよね」


 しみじみとしたベルゼの声にブットルは初めて表情を崩す。


「嘘?」


「そう、嘘だよ。う~そ。嘘は僕の専売特許なのに、とらないでほしいな~」


 ベルゼの言葉の真意が分からずブットルは黙る。

 何が嘘なのか見当もつかない。いやそもそもこれ自体も奴の策なのかも知れない。

 舌が回る悪魔である。相手のペースに乗ってはいけないことは分かっている。


「あれ? もしかして、無自覚で嘘をついたのかな? だとしたら相当に厄介だ。自分で自分の嘘を見分けられないなんて、本当に大丈夫かい?」


 相手のペースにのってはいけない。それは分かっている。だがどうしてか「嘘」という自分からは最も遠くにある言葉にブットルは僅かに隙を見せてしまう。それを見計ってか悪魔の声音が弾む。

「気付いてないなら教えてあげよう!」次の言葉を持ち詫びている自分がいた事に動揺し悪魔の口を遮ろうとした瞬間であった―― 。


死なないでくれよ(・・・・・・・・)。なんて嘘よくいえたものだね。んん? おっ! いいね。その何を言っているんだこの悪魔は!? みたいな表情は実に良いよ!」


 ブットルは正にベルゼが言い表した表情となっていた。強張った顔には不可解が貼り付けられている。

 口を開きかけて止めたブットルは聡い故に気付く。これは悪魔の誘導であると。他の悪魔から舌先三寸と呼ばれている悪魔は悠々と語り出した。


「おや? 理由を聞かないのかい? どうして君が綾人に向けていった言葉が嘘だという理由をさ。聞きたいだろ? 僕には分かるよ。僕はね、君が心の奥で本当は何を思っているのかが分かる悪魔なんだ」


 悪魔の誘いに乗るべきかどうか。

 チラと目線を向けた先には意識が戻らない綾人。傷の状況もまだ完全ではない。ここで悪魔が仕掛けてくるよりは話を聞きつつはぐらかし。綾人の回復に専念する思考に切り替わる。


「そこまで言うなら聞いてやろうか?」


「そこまで言うなら教えてやろうか!」


 全てを分かっているかのベルゼの物言いにブットルの目が細められる。


「人をイラつかせる才能はピカイチのようだ」


 無表情で常に淡々としたブットルでさえベルゼの素行には苛立ちを覚える。


「蛙君。君はこんな所にいるべきではない。そう思わないのかい?」


 問いにブットルは応えない。関係ないとばかりにベルゼが言葉を紡ぐ。


「そもそもだ。君はどうして魔法を使っていたんだい? 君は師匠と何を約束したんだい? 守る為だろう? 命の恩人を救うのは当然だが君はもう十分といっていいほど綾人を助けた。その恩は返しているはずだ。綾人は死にそうになった君を一度だけ助けた。君は死にそうになった綾人を何度も助けた。そうだろう? こんなもの数字で割り切れるものじゃないけど。でも実際はそういった結果が出ている。どうだい?」


「回数の問題じゃない。俺は綾人に――」


「うん。分かるよ! 回数の問題じゃない! それは間違いない。でもさ君が本当に守りたいものは綾人なのかい? 違うだろ? 君が本当に本当に守りたいのは故郷である亜人帝国にある。違うかい?」


 ブットルは応えない。それをいいことに悪魔の弁舌が続く。


「せっかく手に入れたのに、安定を! せっかく手に入れたのに、自分の本当の気持ちを! それらを全て投げ打って綾人に尽くした。もう十分じゃないか? あれだけ必死に、長い間虐げられてきた。それでも君は耐えた。それは守るべき存在があったから君は何度も立ち上がれた! 師匠との思い出! 友との絆! そして募る思いをようやく口にできた。それをまだ伝えていない。本当は直ぐにでも伝えたい。男は惚れた女の為ならなんでもできる――」


 その刹那にブットルの頭の中で共に過ごした道場が表れる。勇敢で壮大であった師匠の姿。幼い友の姿。そして惚れた女が描かれた。

 時が経って師匠がいなくなり、友は軍に留まり、惚れた女と同じ亜人帝国で過ごしている。もしかしたら二人は恋仲になるかもしれない。当然だろう。幼い頃から共に過ごした相手に心が動くことは当然にある。

 ブットルは全て分かって綾人との旅を選んだ。そう全ては納得したことだ。勝手に自分が惚れているだけだ。彼女が誰を好きになって、誰と恋をしても応援するつもりだ――。



 ――本当にそうかな?



 まるでブットルの思考を読むかのようにベルゼが問いただしてきた。考えていた時も悪魔は妙な熱演で語りかけてきていた。

 悪魔はふと雰囲気を大らかな物腰へと変える。


「惚れた女の幸せを願うことはもちろん大事だよ。でもその相手が自分だったらどんなに素敵だろうか? 自分以外の相手だったらそれは――」


 納得していたはずであった。納得していたのに体中に黒い感情が沸き起こる。それは払うことが出来ずにブットルの体を固くさせていく。


「これで分かったろ? 君の本当の望みは亜人帝国に留まりたかったんだよ。そして彼女と二人三脚で道場を盛り上げることが師匠への恩返しのはずだ! そうだろ? ゆくゆくは彼女と結婚し子が生まれれば道場の後継にもなる。それが最も良い形での師匠への恩返しだ。そして君の幼馴染も当然にそれを望んでいる」


 ぐらりと自身の足元が揺らぐのを感じた。――俺のとった行動は間違いだったのか? だがあの時、師匠からは――。


「君は何度も綾人を救った。受け恩は十分に返した。綾人だってそう思っているよ。そして心の声を正直に聞いてごらんよ。自分はここにいるべきではない。ティッパの横に立ち。幸せにして、ガリオと酒を酌み交わすことだ」


 ゴクリと自身の唾を飲み込む音が妙に煩く感じた。


「そう君の本当の仲間はティッパとガリオだ。綾人たちなんかじゃない。それは君も分かっているだろ?」


「お、俺は――」


 黒い感情にいまだ支配されている。それは自覚できた。だからだろう直ぐに否定ができなかった。


「自分の心に正直になれよ!」

 

 ベルゼの熱は本当に相手を思うからこそ熱くなっているようにブットルは感じた。

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