てめっのケツはてめぇで拭く
街全体に響いた声にミストルティンの人々は大いに困惑した。
綾人という冒険者を東地区の山岳に向かわせる。そうすればこの街は、自分達は助かる。それと同時に山のような死体の前で泣く人々は、綾人という冒険者のせいで、自分達の家族が殺されたと推測する。
ギルド前の場は誰も何も喋れずにいる、どうすればいいのか?
綾人という冒険者はどこにいるのか?
死にたくはない。人山一つ一つの意思がはっきりと一つの意見に向かって、動きだしていく。
ティターニはギルドの職員を順繰りに見やる。
放心状態の者。
あわてふためく者。
死体の山を見て嘔吐する者。
舌打ちを一つした後に一人の職員と目が合う。彼女の赤黒い肌は恐怖の為か震えている。だが赤い目は街全体に響いた声に抗うように強く眦を上げている。
受付嬢の一人。マテラ・ルトとティターニは、お互いの意見が一致していることを確かめるように小さく頷き合う。
ティターニは綾人に一瞥をくれた後にルードを見据える。ティターニの視線に気付いたルードは、綾人から視線を切りティターニを見る。
見つめ合う幼竜とエルフ。
ティターニの目が何かの行動を起こす事を理解するルード。
ルードはこの状況下で自身の非力さを痛感している、故にその行動を全力で支援する。ティターニの意をくみ取りマテラ同様、小さな頭を縦に振る。
その三人のやり取りは僅かな時間であった。ほんの数十秒。だが恐怖に縛られている人山の意思は、その数十秒すら置き去りにして行く。
「冒険者の綾人って奴はどいつだ?」
誰とも分からないが声が上がる。恐らく言った本人ですら気付いていないだろう。だがその言葉を聞いた人山の群は確実に一つの答えに向かって動き出す。
「そうだ。綾人っていう冒険者はどこにいるんだ! ギルドの職員!」
「冒険者一人が出ていけば助かるんだろ!」
「出てこい!」
「人殺し!」
「何ボケッとしてんだギルドの職員だったら冒険者を見つけるのは簡単だろ!!」
「やだ死にたくないよ!」
「俺等でその冒険者を探して山岳地帯に送り込もう!」
「そうだ!そうだ!」
「よし!冒険者綾人を探せ!そいつ一人が犠牲になれば俺等全員が助かるぞ!」
自分達が今やろうとしている事は絶対に正しく、間違ってなどいない。
自分の考えが大勢の他者と共感していき、一つの大きな思想となる。時にそれはどんな武力すらも飲み込む怪物へと進化する。
ミストルティンの街は【冒険者綾人を山岳地帯に送り込む】という思想で一つになっていく。
想像よりも早く街の住人達が動いた事に、ティターニは顔を顰める。人山の思想を別の方向に向かせるために、大きく息を吸い込み何十年か振りの大声を出そうとする。
が……
「冒険者の綾人ってのは俺だ!」
余りにも単純な大声に場が静まり声の主を探す人山。
「俺が綾人だ」
もう一度声を上げた綾人は、山のように積まれた死体の前まで歩き出す。
人山の視線は、年若い一人の冒険者に釘付けになった。
――このバカ。
声には出さないが予想外の行動に出た綾人を、ティターニは睨み付ける。
大量の死体の前に立つ綾人は合掌をする。この世界には無い弔い方法に困惑していた住人達だが、一人の亜人が綾人に近寄り胸ぐらを掴みだす。
「お、お前が、俺の娘を殺したのか」
全身を茶色い毛が包む亜人熊族は、大量の死体の一角を指差す。そこには農作業着を着ているが、茶色い毛が全身を包む同じ様な熊族の死体があった。
全身を切り刻まれた傷痕は目を背けたくなる残酷さだ。
「俺は殺してねぇけど。原因は俺にあるかも知れねぇ――」
熊族は綾人の言葉を最後まで聞かずに、目一杯振り上げた拳を顔面目掛けて叩き込む。かわす事はせずに真っ正直から拳を受ける綾人。
微動だにしない綾人に熊族は、抑えが聞かなくなり我を忘れて何度も綾人を殴り出す。
「あああああぁぁぁぁ! 娘は空から降ってきたんだ! そしたら死んでたんだ! 娘だけじゃないこの大勢の死体は急に空から! お前が!お前がぁぁぁぁ!」
何を言いたいのか熊族自身でも分からない。それにこの冒険者を殴っても娘は戻ってこない。
そんな事は分かっている。だが殴らずにはいられない、誰かにぶつけないと自分自身が壊れてしまいそうだから。
ギルド前の場は虚しい咆哮と鈍い音が何度も上がる。熊族はもう力が入らない腕を強引に振り上げるが、誰かに腕を掴まれる
泣きながら綾人を殴り続けた拳を止めたのはティターニ。
「落ちつなさい」
この場に置いては嫌味にすら感じる、どこもでも品が良く清潔な声。熊族は糸の切れた人形のように地面にへたり込む。
ティターニはその行動に目を伏せた後、当初の予定通りに大声を出す。
「この街に大量の魔物が攻め込むのは確実と言っていいわ。今は対策を考えましょう。大丈夫この街には私がいるわ! この暴欄の女王か皆を守ってみせる。だから皆も力を貸して。あのふざけた声はこの街をミストルティンをバカにした。殺された者達の報いは全てあのバカげた声の主に向けるべきよ!」
下を向いていた者達がティターニの声を聞き顔を上げる。
「現在ミストルティンには百名以上の冒険者がいます。それに世界に7名しかいないSランク冒険者の一人。暴欄の女王ティターニ・Lさんがこの場にはいます。冒険者全員と暴欄の女王がいれば魔物の大群なんて敵じゃありません!」
その声に答えるように受付嬢のマテラが声を張り上げた。マテラの声に冒険者の一団が目に力を入れる。
「そ、そうだぜ! ティターニが居れば魔物の群れなんて目じゃねぇぜ!それにここの冒険者は上等の奴等ばかりだ、きっとやってくれるぜ!」
追随するようにルードが声を上げる。賛同の声に場がざわつき始める。ティターニは綾人に全ての敵意が向かないように。別の目的を人山に与える。
自分達の街は自分達で守る。という冒険者らしすぎる目的。本来は直ぐにでも行動に移すべきたったが、まさか渦中の人物でもある綾人自身から、目的のすり替えを潰されると思ってもいなかった。
――確率は半々って所かしら。全くこのバカは何時も斜め上しかいかないわね。
ティターニの思惑はある意味成功したと言える。Sランク冒険者の存在は余りにも大きい。
暴欄の女王がいればミストルティンを、我々をバカにしたあの声に従わなくて済むのではないか。
ティターニは上手くミストルティンに住む者達のプライドを刺激し流れを作り始める。
が……
またしてもティターニの描く予想図は渦中の人物に潰される。
「誰がんなこと頼んだよ! これは俺のけじめの問題だ! てめぇの尻はてめぇで拭く。それだけだろ! 誰かその東地区の山岳の場所教えてくれ?」
声を張り上げる綾人。
「なっ……」
ティターニは言葉に詰まる。まさか救おうと思っていた本人から拒絶されるとは。たまらず綾人に詰め寄る。
「本当にバカなのね。死にたいのかしら? 今は黙って私の――」
「てめっさっきから何偉そうに指図してんだよ。助けてくれなんて誰が頼んだ。これは俺の問題だろうが、おめぇに助けてもらう筋合いなんてねぇだんだよタコ!」
その言葉にティターニは目を見開き思考を停止してしまう。綾人はティターニに背を向け。金返せなくてごめんな。と告げた。
ティターニは動けない。喋れない。思考ができない。何故かは自分自身でも分からない。
「マテラさん東地区の山岳ってどう行けばいんすか?」
綾人の行動はマテラには理解できない。何故? 助かるかも知れないのに何故? 声をかけられたマテラは両肩を上げ必死に口を引き結ぶ。
いま彼を行かせたらもう二度と会えなくなる。なんだかそれは凄く嫌だ。子供のような理由だが、マテラを沈黙させるには十分な理由だった。
マテラの返答が無いことに綾人は苦笑する。
助け船を自ら蹴る。罪を一身に受ける綾人は街の住人からどう見えるのか。
「……死ね」
人山から唐突に声が上がる。誰に告げたのかはこの場では一目瞭然だ。
「死ね!」
続いては掌サイズの石が投げられる。誰に投げたかは答える間でもない。
「消えろ!」
「街から出ろ人殺し!」
「疫病神!」
「家族を返せ!お前が死ね!」
綾人が街の住人からどう見えるか答えは簡単だ、怒りの捌け口。多くの人は他人よりも自分が大切だ。
抗えない困難、苦難、欲にはできるだけ楽な立ち回りを選ぶ。それが生の性だ。
かつてこのデンバースには、全ての種族を一つにしようと。一つでも多くの罪を救おうとする一人の男がいた。男は人々から愛され。敬われ。この世界からも愛されていた。
男もまた人々を愛しこの世界を愛した。様々な種族に教えを説く男は神格化までされた。絶対の思想があった。
だが男は弟子に裏切られた。それもたった数枚の銀貨であっさりと裏切られた。裏切りが発端で男は処刑された。
一つの性により死ぬ男。
ミストルティンの住人達は、裏切りをした弟子に近い性を綾人に向ける。次々に罵声が飛び石やゴミが投げられる。それら全てを綾人は受ける。
悪意の大歓声がギルド前の場に轟く。綾人は何事も無いかのような顔で歩き出した。
ティターニとマテラは、最早その背中を見ることしかできない。
ルードの前を通りすぎる綾人は、ふざけた笑顔をルードに向ける。ルードは困惑しながらも同じ様な顔でそれに答える。
綾人は立ち止まらずに淡々と街の出入口に向かって歩く。
歩く途中で勢いよく飛んできた、こぶし大の石がこめかみに当たる。よろめくが立ち止まらずに歩く。
こめかみから血が流れるが拭うことはしない。止まらない罵声、次々と飛来する石や煉瓦。綾人はミストルティン街全体の悪意を全て背負い街を出た。
街を出た後に血を拭い汚れた服を叩くと、目の前に魔物が一匹姿を現す。黄色い卵形の魔物は小さな羽を動かしながら、大きな一つ目を、じっと綾人に向けている。
襲ってくる気配は無い。しばらく見つめ合っていると一つ目の魔物は背を向け移動をする。
途中何度か綾人の方を振り返る魔物は、まるで付いて来いと言っているようだ。
「………」
一つの目の魔物を睨みながら一言も喋らずに付いていく。握った拳から血が滲む。
東地区の山岳に着くまではその拳が開くことなかった。
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