そうして始まる
頭部が消失した堕天士の血は赤であった。肉体は美桜のままであるから当然である。
ぐらりと体が揺れるが漆黒の翼が大きく広げられているので倒れることはない。翼に張り付けられた怨嗟を吐く人面が「う〜う〜」と声にならない声を上げ主人を憂う。
死んだのか? 呆気ないと言えばそれまでだが、レットの一撃は必中であるから死んで当然ともいえる。
彗がジリと足を半歩踏み出した瞬間であった。
――クスクスクスクス。
本能をくすぐる声が脳に届いた。
やはり死んではいない。威勢の割には呆気なく死ぬ様が合っていないと感じた彗の考えは正しい。だが、頭部を失っても生きているなどあり得ない。
殺しても死なない。などというデタラメは悪魔か世界の断りから外れた存在である。堕天士の笑い声が響き続ける中で、潰れた頭部が再生されていく。
帯状の布が幾重に縦横に重なりそれが解け消えると、美桜の美しい顔を乗っ取った堕天士が現れた。
「あはん。残念でした〜にしても乙女の顔を殴るなんて男として失格。お仕置き決定だね! みんな〜暴れちゃって~!」
堕天士を殺すことは不可能であることが判明された。悪魔と同じ殺しても死なないという存在に彗はモテる技と駒を全て使用し反撃を開始した。
羽のように空を舞う堕天士。
再び手の平にある黒く発光する何かに息を吹きかけると彗の駒達は水晶へと変えられていく。
桃色の脳髄は少しでも多くの食事をしようと触手を操り食べ物を運ぶ。
漆黒の六翼に張り付いた人面が永遠と呪いの声を上げ、敵の動きをとことんまで封じていく。
堕天士は足を突き出した、すると足が伸び、枝分かれし変色し、それが獅子と蛇へと姿を変える。
獅子や蛇に食われる肉、臓物が飛び、人面の怨嗟は音量をどんどん上げる。桃色の触手が怨嗟に合わせるかのように触手をうねらせ、虫同士が殺し合い、水晶が砕ける音が時折響き、壮絶たる交響曲が奏でられる。
ここに、阿鼻叫喚や断末魔が加わらないのは、対峙する相手が死んでいるだけである。
「ハハハ! ハハッハハハ! すごい! アハハハ!!」
嵐は地面に転がりながら永遠と笑っている。後方にいるとはいえ余波は当然に襲っており、身体中の至る所から黒い水晶が生えている。本来ならば水晶にのまれ虫となってもおかしくないのだが嵐は特殊なやり方で回避していた。
それは百鬼夜行である。手足が無く呻くことしかできない魔人族。彼らを盾のように使い防ぎ、体から生えた黒い水晶は這う魔人族へと移すことによって今も生存している。
移すといってもやり方は乱暴であり、口に含ませ付与士の力で水晶ごと譲渡しているのだ、移された者は虫になるという工程を飛ばし水晶となり砕けて消える。
「くそっ! ヤバい! ヤバいぞ!」
一方の彗は逃げ回っている。道半ばにいる魔人族全てを盾にし、時折生える黒い水晶は分解して対応。
ソネットは影を操り、獅子と蛇の進行を止めているが、身体中から生える水晶をみればもう長くないことが分かる。
それはレット、レキオも同じであり、二人は触手と堕天士を相手にしている。触手を斬りつけ、時には拳の一撃で破壊。
空いた隙に堕天士へと攻撃を仕掛けるが同じである。体を真っ二つに斬っても、肉片すら残らず全身を殴っても直ぐに再生してしまう。レットの体も黒い水晶が多く明らかに動きが鈍い。
どう見てもジリ貧である。このままでは負ける。その状況をわかっているはずだが彗は逃げの一手ばかりをとる。
圧倒的な絶望をひっくり返した堕天士は「ふわぁ」と可愛らしいあくびがでた。
それはもう飽きたから終わりにしようという意味合いであった。
「さて、美桜がうるさいからもう終わりにしようか⁉︎ バイバイ、君のことは全く好きになれなかったね」
狙われたのは当然彗である。
たっぷりの茶目っ気と共に堕天士が移動を開始。黒い翼が動くたびに人面の呪いは高低の響きを強くする。
追い詰められた彗は怒号を飛ばし、魔人族に命令を下すがもう全員が黒い水晶の餌食となっている。
「こんなはずじゃ! 俺の物語はこっから始めるのに!」
「あはん。そんな良い顔しないで、殺すのが惜しくなっちゃう」
彗の絶望に染まる顔がよほどお気に入りらしく、堕天士は何度も身悶えする。じっくりじっくり恐怖を与えるのを好む傾向がある。
そんな彼女であるから、ゆっくり、じっくりと彗の体に水晶を生み出す。死が迫るということはなによりも恐ろしい。いっそ一思いにやってくれたほうがよい。にも関わらず堕天士はそれを許してくれない。心臓に吐息を吹きかける奇妙な感覚に襲われる。ゆっくりと彗の体が黒に変わっていた。虫に食われる、虫になる、最後は砕けて消えるその絶望が絶叫という形で現れる。堕天士は満足そうに肯き、あたかも楽曲を楽しむかのようであった。
「さて、もう十分楽しんだし、そろそろ終わりにしよっか。ずっと遊んでたいけど残念。じゃあ、死んで頂戴――」
「おまえがな」
「――え⁉︎」
堕天士の死刑警告を受けた直後であった。
彗はピタリと叫び声を止めた。そして言葉通りの、物事が上手くいったといった様でほくそ笑み、せせら笑うように返答した。
態度の急変に堕天士は僅かに動揺をみせた。時間にして一秒未満である。
一秒も満たない時間で、大きな剣が堕天士の体を貫いていた。
上空から一直線に落ちた剣。
はっきりと可視化できているわけではない。茜色と琥珀色を増せ合わせた色合いが剣の形となり堕天士を貫いている。
剣は壮大を思わせる。万物を、光を集めたように輝き、撫子の花を思わせるように見る者を純な心へと導いていく。
剣の名は神殺し
「よくやったオフィール! 降りて来い!」
彗は堕天士の上、遥か上空に声を届けた。
七色の不気味な空にはその二つ名と溶け合うように、虹色の魔女オフィールが悠然と空中に佇んでいた。
ハンクォーが恐怖した十字架の杖を堕天士へと向けた姿である。人形と化した魔女は命令にただ従う。
「――うそ、再生されない⁉︎」
堕天士は吐血しながら身悶えする。頭部を砕かれても平然としていた人物とは思えぬ動揺した姿。
四肢を震わせ胴体を貫いている神殺しに触れると、一際大きく悲鳴を上げた。
「美桜!」
「坂下!」
勇者一行が言葉を投げるも痛々しい悲鳴で掻き消されてしまうほどだ。それを聞く彗は満足そうに頷き堕天士へと近づいていく。
「いや、上手くいったよ! オフィールには予め神殺しを発動させておいて正解だったね。この女はいつか悪魔と戦うことも想定して殺しても死なない奴専用の術を編み出していただよ、恐れいるよね。君の姿を見た時に僕は直感したよ。おそらくそれは、この世界のルールから外れたような存在だってね。だから頭が吹っ飛んでも死なない。いや、傷という概念が無いんだろうな。オフィールこいつを地面に降ろせ」
彗の側まで移動したオフィールは神殺しを操り、堕天士を地に縫い付ける。
悲鳴を上げ続ける堕天士は髪を振り乱し痛みを表すが、彗はそれを楽しそうに眺めたあと、純白に染まる髪を乱暴に掴み顔を上げさせる。
「おまえ、殺してやる――」
「それ! 以上! その! 顔で! 汚い! 言葉を! 吐くな! 周りをよく見てみろ。ご自慢の気色の悪いのが無いだろうが」
堕天士が睨み、暴言を吐きかけた瞬間に彗の拳によって防がれる。一度ではなく何度もである。
グッタリと俯いた瞬間にまた髪を乱暴に持ち上げ、堕天士に周囲を眺めさせる。そこには虫も、桃色の触手も、獅子、蛇と量産し続けたモノ達が何一つ残されていなかった。
「気付くの遅っ! 頭沸いてんのか? ほら? 俺の体だけじゃないぜ、あの気味の悪い黒い水晶もどこにもないだろ」
彗は仕立ての良いシャツの襟元に手をかけ、強引に下へとズラし肌を見せる。言うように先ほどまで厄災かのような夥しい数の黒い水晶は綺麗さっぱり無い。それは彗だけではない。
相対する全て、レット、ソネット、レキオ、当然にオフィールにも見当たらない。
「そんな――どうして⁉︎」
なんとか動く首を回す。視界の端には背中から生えた漆黒の翼も消えていた。
「どうして? って神殺しだからだよ! 神を、理を、森羅万象を殺すんだよ。お前程度の能力なんてゼロにできて当然だろうが!」
答えにはなっていない。だが現実に起きてしまっている。
世界の関節を外せる存在が彗の手駒である。その事実が突き付けられた。
「オフィール!! さっさと死んでいった奴らも生き返せ!」
それは非人道的な命令だ。
死して尚も体を戦闘の道具として使われる存在。冒涜を汚す者も道具である為になんの躊躇いもなく遂行され、当然のように生き返るが、それは物言わぬ人形のままである。
「ハハハハハッ! よかった。丁度ストックが亡くなったから、あのままだと俺も虫になって死んでたよ。ハハ!」
嵐が後方より現れ彗と合流すると、オフィール、レット、ソネット、レキオ、そして大軍となった魔人族の面々が彗の後ろへと並ぶ。
「これで、俺の最強部隊の完成だ。お前らもその一員になれるんだ、嬉しいだろ!?」
言葉は勇者一行に向けられた。問われたが何も言えずただ恐怖にのまれていた。
もう無理だ。さすがにここからの逆転は無理である。奇跡が起きても変わらない。この状況を打破できるのは天使か悪魔か神か、彗を先頭とする集団はそれほどまでの圧倒的な威圧感を放っていた。
「切り札は最後まで取っておくもんなんだよ」
地に伏せる堕天士の頭を蹴りつけると弱者と化した少女が呻く、それが面白いのかもう数発蹴りつけたあと、またも乱暴に髪を掴み表を上げさせると突如柔和な笑みと優しい声音を送る。
「いま元に戻してあげるね。オフィール。こいつを坂下さんから引き剥がすぞ」
オフィールが杖を天に向けると、神殺しが幻想的な色合いをより深めていく。
彗は手の平で堕天士の頭を押さえつけ分解の力を発動していく。
「――フッー!! んんっ!! ―――――!!」
それは声にならない声であった。くぐもった叫びには痛みという痛みが全て詰め込まれていた。
「美桜!」
「美桜!!」
アスカは動かぬ体を無理やりに動かし美桜の元まで歩く、途中で転び立ち上がることもできないほど弱っていた、歩けぬならばと這って移動する。
それに続くのは真琴。彼女もまた痛々しい体を引きづりながら歩く。一歩足を前に出す度に走る激痛を無視して美桜へと向かう。
二人では美桜を救えない。それは本人達が重々に分かっている。それでもと名を叫び一秒でも早く駆けつけるために動かぬ体を動かす。
「坂下さん!」
「坂下! クソが! 斗真!!」
「くそっ! 動け俺の体! 頼む」
「ぬぅぅぅぅぉおおおお!」
勇者が聖剣を支えにし何とか立つ。
続くように樹、翔、寛二も立ち上がり、なんとか体を起こしそれぞれの武器に体重を預け美桜へと足を向ける。
皆も当然に分かっている。今の体では何もできないと。だが自らの命を捧げてまで助けようとした仲間をこのまま見捨てるなどできるはずがなかった。
悲鳴は徐々に小さくなる。比例するように堕天した反動である白髪が黒髪へと、情緒溢れる露出が多い服装も潔白な法衣へと変化していく。
それは堕天士から美桜へと戻っていくことを主張するものでもあった。
絶叫が止むと同時に堕天士は消え、美桜へと戻る。
力なく四肢をだらりと下げる姿は何とか命を取り留めているといった姿である。
彗が右手を上げると、オフィールは神殺しを消す。絶対的な力の輝きは消え、元の気味の悪い空間へとまた戻っていく。
「よし。これで完了だ。気分はどうかな、坂下さん? 目覚めのキスでもしてやろうか? ほら、お友達も心配してるよ」
ケタケタと笑う彗。優しげな声色だが言動が合っていない。
堕天士の時と同じである。長い黒髪を乱暴に掴み無理やりに顔を上げられている。地面に縫い付けられているように美桜の体はピクリとも動かせない。
「はぁ~楽しかった。さて、そろそろ終わりに――」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」
彗が美桜の体をまさぐりだした瞬間に怒号が飛ぶ。
それは大剣を構え不格好に走るマグタスであった。否、マグタスだけではないハンクォーも細剣を構え走っている。向かうのはもちろん囚われの姫と化した美桜。つまりは軍団と化した敵の中心である。
勝てるわけがない。二人では勝てるわけはない。大剣をようやく持っている、ようやく走っている二人である。その姿はあまりにも不格好。
「ハハッハハハ! 必死かよ!」
弱者となった二人に手を下すまでも無い。彗の命令を忠実に遂行する人形はすぐに二人を組み伏せる。
「こいつらが頑張ってるのに、俺がやらねぇでどうするんだ!! 行くぞハンクォー!!」
「はい!! 美桜さん、今いきます」
手負いにも関わらず、それこそ命をすり減らし力を奮っているその姿は鬼気迫る勢いだ。
人形を押し除けるが別の人形に組み伏せられ、刃物によって手足に地面に固定される。それでも動こうとする、口を塞がれ、僅かな反撃も与えられていないが目だけは死んでいない。
続くように勇者一行も走り出す。惨めでもなんでも、最後の最後まで抵抗することを教わった、ならばそれを実践するだけだ。
だが斗真の聖剣は振り下ろされることなく地に落ちた。
樹の炎は発動することもなかった。
翔の細槍、寛二の戦斧が敵に向かうが、誰も傷付く者はいなかった。
アスカは分身を出現させる前に拘束され、真琴は仲間達を援護する前に膝をつく。
「みん、な――もう、やめて――」
仲間達が傷を負う姿を癒せず美桜は涙を流す。
痛みよりも悔しさがまさっている。全てを投げ捨ててみんなを助けようと思ったのに、それができない自分。
美桜はこれ以上仲間達を傷付けまいともう一度叫んだ。
「みんな! もうやめて!!」
絶叫を聞いた彗の広角はこれでもかと上がる。
「分かったよ。坂下さん。きみがそこまで言うならもう止めるよ」
彗の命令一つで攻撃の手は止まる。一瞬の静寂が流れる。
「う~ん。美少女の涙ってのも。悪くないね。さて坂下さん。このままだと君の仲間達はみんな死んじゃうね? そこで僕からとても良い提案をしてあげるよ」
美桜の頬を伝う涙を彗は指先ですくい、それを口内に運び味わうように舐めとる。
みんなを救えるという提案に美桜の視線が僅かに動く。視界の端に映る三木頭彗はこの場のだれよりも悪魔のような存在に見えた。
「きみが僕の奴隷になるんだ。君から遜って、お願いして、僕の奴隷にせてください。ってお願いをするんだ。どう素敵な提案でしょ? 君は皆を救えてハッピー。僕は坂下さんを手に入れてハッピー。これってかなりWin-Winでしょ?」
彗の提案を聞いた美桜は無表情である。誰かが叫んだ。だが叫ぶ前に顔を地面に強く押さえつけられる。
あまりにも子供じみた提案である。奴隷などていの良い言葉である。三木頭彗という男のこれまでの性格を考えれば決して了承してはいけない。
「みんなを、助けて、くれるの――」
「もちろん! 自分より先ず仲間。それでこそ坂下さんだね。大丈夫。そこは約束するよ、クラスメイトのよしみとしてね」
美桜の前まで顔を持っていく彗は満面の笑みである。向けられた笑みには困惑しか生まれない、視線だけを動かし仲間達を見る。
声が上げられないが目で訴えている。それぞれの目には意思があり、意味がある。全員の意見が一致している。
何を考えているのかは分かる。共に旅をして、同じ飯を食い。苦楽を共にした仲間である。それを感じ取った美桜は少しだけ笑う。
「さぁ、どうするの坂下さん。優しい僕はあえて君に選ばせてるんだよ。早く返事をするんだ」
彗は焦れた様子で美桜の胸ぐらを掴み強引に体を起こさせる。
力を使い果たした体は借り物のような感覚である。四肢には全く力が入らずだらりと下げられる。それでも僅かに体を動かす美桜。
「ほら、さっさと言え。あなたの、ご主人様の奴隷にさせてくださいませってさ!」
「――三木頭く、ん」
焦れたように彗は美桜の体を揺らす。それでもこない返事に怒りを募らせ胸部に手を当て指を食い込ませると、彗の顔は酷く歪む。
「上を、見て」
「はぁ⁉︎」
胸部から手を離し、不愉快を固めたような声を出した後、煩しそうに上を向くと
ポフッ――と音がした。
靴である。美桜が履いていた靴が空中にあり、彗が上を向いた瞬間に着地した。
それは見事なまでに、靴底が綺麗に顔面に着地した状態である。
「はぁ⁉︎」
靴を退かす彗が睨むが美桜は既に仲間達へと視線を向けていた。
仲間達は声を上げられないが、それでも目が物語ってた。
――よくやったと!!
それを受けて美桜は再度仲間達に微笑みを送る。
――きっと彼なら、綾人君ならこういう時、こうするんだろうな。
美桜の中で思い出された空上綾人という存在。彼の背中を追っていたような気がする。
彼のように誰かを助ける存在になりたかった。彼ならばきっと——思い浮かんだ男の姿に美桜は状況を忘れ微笑んだ。
「がっかりだよ坂下さん。どうやら徹底的な教育が必要なようだね」
――助けにいけなくてごめんね。綾人君みたいに私も誰かを守れたかな?
彗が腕を上げる。それは手痛い一撃に、命が奪われる一撃になるだろう。美桜はそっと目を閉じかけた。
——閉じかけた時、視界全てが青になる。次いで氷結と化した。
本当に一瞬の出来事であった。そんな氷の世界でただ一言の声がめいめいに響く。
「テンプレすぎて笑えねぇぞ」




