堕天
王国の領土に戻ってこれたが、空はあいも変わらずに淀んだ七色となっていた。建物もおかしい。街の景観と廃城が混在していた。民家を貫くように血に塗れた壁画が聳えている。
領土内の石畳には血塗られた石畳が混在。店先には余波で吹き飛んだ血塗られた武器防具、王城またしかりであり、目に見える範囲は崩壊がちりばめられていた。
「なんだこの場所は?」
「皆無事か⁉︎」
崩壊が著しい一角。瓦礫の山を押し除けるように寛二と翔が現れる。
「私たちは大丈夫!」
「もうほんとに分けわかんない」
「やばいというのだけは分かる!」
同じように美桜が声を上げる。側には真琴、アスカ、そして眠る真緒と気を失っているレイ姫。
「タイミングはバッチリだ斗真。よくやった」
「はい!」
「皆さん無事なようですね」
「さすが斗真」
マグタス、斗真、次にはハンクォーと樹が現れる。
皆で固まるように集まりだす。この危機的状況で起死回生と呼ぶにはふさわしい一手であった。
勇者の一撃は全てを覆すに相応しい。脱出不可能な転移結界を破るのは勇者でなくてはできない。それは敵も然りであり、当然に魔を滅ぼす光である。
だがその一振りは転移結界の半壊という状況で止まっている。これは明らかに敵の仕業。
口には出さないが皆の顔には不安が広がっている。このままでは本当に全滅だ。口にするわけで無い。だがそう予想をしてしまう、それほどに敵の力が強大であるからだ。
「逆転の一撃にはなりませんか――」
ハンクォーの苦渋に満ちた声。
皆の視線は目前に向いていた。大きな灰色の盾である。数万人いた魔人族が幾重にも折り重なった盾。それはさながら人でできた山。
「はははっ! 凄いな! 魔人族がいなきゃ死んでたよ! さすが勇者だ」
山を押し除けて現れるのは明確な敵である。
勇者の一撃を防ぐ為に、何万人もの魔人族を使い、オフィールや嵐に防御させてもまだ威力は止まずに、守りに守られた彗ですら適度な傷を負っていた。
横に並ぶ嵐は愉快を絵に描いたような表情である。背後には、駒と成り果てたオフィール、レット、ソネット、数百名程度の魔人族がいる。
「攻撃するってことはやられる覚悟があるってことだよね?」
衣服につく汚れを払い小馬鹿にするような口調で問うてきた。
誰も何も言えない。当然だなとマグタスは勇者一行を見据える。もう引けないところまで来た。ならば腹を括るしかない。大人として最後まで足掻く。
「戦闘じゅ――」
「そのデカい声は本当に耳障りだな。さっさと死んでくれよ。オフィール」
構える間も無くマグタスは膝を付く。地面には自らの血が広がっていた。口からも溢れた血。心臓には大穴が空いていた。
誰が攻撃したのか、それすらも分からない。おそらく彗が名前を呼んだオフィールではあるのだろう。その実力の違いに皆の背筋が凍りつく。
「団長!」
いの一番に動いたのは美桜である。倒れるマグタスの心臓部に両手を翳し、最大級の回復魔法を施していく。
「ハンクォーさん!」
全員がマグタスを見る最中で真琴の声が上がる。
戦いは既に終わっていた。マグタスが倒れる数秒前。皆がマグタスの声に反応した時である。別方向からの攻撃に対応したハンクォー。
迫る相手はオフィールがレキオと呼んだ魔人族の男。黄金の鎧と剣を持つ男は、さながら勇者。迫る一撃にいち早くハンクォーが対応。黄金の剣と細剣がぶつかる――ことはなかった。マグタスが倒れると同時にハンクォーの首筋に赤の鮮血が生まれる。
レキオの一撃は上方から下方への一閃であり、ハンクォーは細剣を受ける為に真横に降る。だがレキオの剣とぶつかり合うことはなかった。
互いに空振りに終わる。レキオ、ハンクォーともに振った剣は相手に当たることなく、まるで通り抜けるかの如く。なんの障害物もなく振られていた。実質はお互いに無傷である。にも関わらず。ハンクォーの首筋はまるで刃を横に振ったような、ともすればハンクォーの一撃である真横の一閃に酷似していた。
その正体も確かめられぬままハンクォーの心臓にレキオの剣が突き刺さる。
勇者一行を支えてきた両名は地面へと倒れた。レキオは次に攻撃をすることなくただ佇んでいた。
「坂下さんは良い回復役だ。君は少し大人しくしててよ。嵐!」
「ははは! はははっは! 坂下さん捕まえた」
「いや! 離して! 早く回復しなきゃ団長とハンクォーさんが!」
勇者一行の心臓部でもある美桜はすぐさまハンクォーに回復魔法を施すがそれを嵐が遮る。
またしても現れた黄金髑髏。その巨体に似合わない速さで美桜は捕らえられてしまう。
「美桜!」仲間たちが叫ぶ。分身が捕縛が炎が細槍が戦斧が黄金髑髏に攻撃を仕掛ける。
全長が二十メートルほどもある巨大な黄金髑髏である、高さでいえば五階建てのビル程度であり、掲げられる美桜は上空で身動きができない。
勇者一行の回復の担い手は美桜が一身に担っている。このままではマグタスとハンクォーが死ぬのは時間の問題である。二人のためにも、何よりも美桜の安全の為にも仲間たちは猛る。
「雑魚共が調子のんなよ」
だが力の差は歴然である。
オフィールの魔法が、レットの剛腕が、ソネットの影がレキオの剣がそれらを止める。
まず先に地に眠ったのは樹である。彼の真っ直ぐな性格はそのまま行動に現れる。炎の翼を背から生やし、獄炎を纏い黄金髑髏に突進するが黄金に阻まれる。
「どっけぇぇぇ!!」
樹が叫ぶがレキオの表情が変わらない。物言わぬ死者に言葉をぶつけてもそれは何にもならない。
拳に炎が宿る。触れただけでも相手を焼き殺す炎だが、黄金の戦士はハンクォーと対峙した時のように真っ直ぐ剣を振り下ろす。
そして結果は同じであった。
拳は剣と交わることはない。先と同じように剣にあたらずに拳が通り抜けてしまう。振り下ろされた剣も樹を斬りつけることはなく振り下ろされた。
樹はレキオを踏み台にしようと黄金の鎧を掴んだ瞬間である。背中から腰にかけて深く斬られていた。
——え? いつの間にか背中を切られた樹は体勢を崩し地面へと落下していく。正面から向き合ったはずのレキオの一撃。それは両者空振りに終わったのだが、樹が背中を斬られるという結果に終わる。
訳が分からずに再び美桜を助けにいこうとするが、痛みで炎の制御ができず、自身の炎で身を焼かれ地面を這う。
その姿を「芋虫みたいになってるぞ! アハハハハハ!」と彗が揶揄した。
「樹ちゃん!」
次に倒れたのはアスカ。
彼女は百体以上の分身を生み出し皆のフォローに回っていた。本体は樹が炎に焼かれ倒れた直後に水魔法を展開し消火活動を行う。
数秒後に気付き周囲を見ると、分身が全て消えていた。相手は一騎当千を優に超える魔人族の面々。戦闘能力がそこまで高くないアスカでは当然の結果だ――だがそうではなかった。
「そんな!」喉を引きつけた声が出た。相手はオフィールでもなければ、レットでもない、ソネットでもなく、レキオでもない。そこかしこに召喚された魔人族の面々であった。歴戦の戦士ではない魔人族に次々と分身達が負けていく。樹の消火活動の最中に何かの衝撃を受けアスカは倒れてしまう。誰からの攻撃かも分からない。意識はあるものの体が痺れ、思考は正常に回らない。動けない自分、役に立たない自分にただただ悔しさを噛み締めた。
「イクシオン!」
翔が最大級のスキルを使用する。仲間二人が倒れた状態では出し惜しみなどしている場合ではない。
細槍から一直線に伸びる白い光。斗真や樹ほどの威力はないが、相手にダメージを与えるには十分である。
そと思っているのは本人だけであった。イクシオンより伸びた一条の光。本来なら美桜を開放し他の魔人族に向かうはずだったが強靭な肉体によって阻まれる。
攻撃を受けたのはレットである。損傷は筋肉の鎧を僅かに砕く程度であった。真正面から受けたレットはそのまま押し切るように拳で相殺。そのまま翔へと駆ける。
「アルカバン!」
仲間の危機である。それもいままでとは比べものにならない。
そんな時こそ、守りを、皆を守る盾が必要である。寛二の考えは正しい。正しいが力量でみればその選択は間違っている。
大盾は顕現させ皆を守ろうとするが、強大な力によって破壊される。それはオフィールの魔法であり、レットの拳であり、レキオの剣である。
翔は回避することもできずに、レットの一撃で後方に吹き飛ばされてしまう。
仲間を守りきれなかった寛二はオフィールの一撃によって地に沈む。
「み、みんな」
あまりにも早い。戦闘とも呼べない一方的な結末に真琴の足は震え動けなくなる。美桜を助けるために発動した捕縛はいつの間にか消えていた。
消した覚えはないのにである。仲間が次々とやられていった為の動揺で自らのスキルすらもおぼつかなくなったのか? そうではない、真琴のスキルは分解され使用が出来なくなっていたのだ。
「園羽は髪を伸ばすように。ご主人様からの命令だ」
まるで、物でも見るかのような目であった。
いつの間にか彗が近くまできていた。反撃のチャンスである。真琴は震える自信を叱咤しスキルを――。
「キャッ――!」
使おうとしたのだが、体を屈めて身を守ってしまう。その様は正に女の子である。その姿を彗は嘲笑う。
原因は彗が振り上げた拳である。殴られると思った為に少女のような声を出し、身を屈めてしまったのだ。それは女性らしさから距離を置く真琴が嫌う行為であった。
「お! 勇者様は頑張るね。圧倒的な窮地にも負けずってか。でもこれだけの戦力差でよく戦おうと思うな。まぁ。あいつがヤベェ奴なのはなんとなく予想していたけどよ」
彗の言葉は独り言にしては大きかった。
真琴が視線を上げると勇者が一人で敵の戦力と戦っていた。大技の反動で体は思うように動かないはずなのに、それでも皆を守るように――否、本当にそうなのだろうか?
斗真は仲間の近くにいる魔人族よりもこの場にいる最も厄介な相手、オフィールに剣を向けていた。
何故仲間の側にいる危険よりも遠い相手との戦闘を選んだのか? 見ている真琴には到底理解ができなかった。それでもなんとか手助けしようとスキルを発動するが、顔を蹴られた。
「おい。ご主人様の許可なく勝手に行動すんな」
酷く冷淡な声。真琴は全身から恐怖を感じた。動けない。
腕を掲げたまま動けぬ姿を見て彗は満面の笑みで頷いたあと「おしおき」と称して真琴の腹部を蹴り上げる彗。
真琴は胃液を吐きながらそのまま後方へと倒れていく。
「まぁ、お楽しみは後に取っとくか。ほら丁度」
倒れた真琴に彗はそのままのしかかる。短い髪を乱暴に掴み顔を上げさせる。真琴は痛みで目が霞むがしっかりと捉えた。斗真が魔女オフィールに負ける瞬間を。
勇者の聖剣が魔法にのまれていく。斗真は死が迫った戦いに咽ぶように歓喜しながら地面へと倒れていく。
全滅である。このまま何かの奇跡が起きて逆転などはありえない。完膚なきまでの敗北であった。
「よくやったオフィール。さ、これで勇者パーティーは全滅だね。みんな俺の忠実な部下にしてやるよ」
彗は腕を掲げる真琴の行動を反抗とみなし顔面を殴る。一度ではなく何度も、真琴は痛みで動けない、ただただ殴られていく。
「一度やってみたかったんだよね! 女を全力で殴ることを! 結構楽しいね。どうせみんな死ぬんだから、その前にご主人様を楽しませろよ! 次は七海だな、小さい体で動き回ってさホントうざったらしかったんだよね!」
殴られる真琴を誰も止められない。止めることができない。勇者一行は地にひれ伏している。
「やめて~!!」
悲痛な叫びであった。
黄金髑髏に拘束されている美桜の必死な叫び。彗は僅かに真琴を殴るのをやめた。だがそれは美桜の叫びを聞いたからでない。標的を変えたからに過ぎない。彗は真琴から離れ真緒へと近づいていく。この状況でも眠る真緒は相当な深い縛りがあるのがみて取れる。
「残念だったね。委員長。考えは悪く無かったけど甘いよ。やるかやられるかなんだから。俺らを殺す作戦を立てないとさ」
真緒の髪を乱暴に掴み。無理やりに引っ張り顔を上げさせる。寝ているが顔は痛みで歪んでいる。
「なんかの縛りで起きれないのか? だったら都合がいいや。寝ている間に色々と楽しませてもらうからさ。魔人族と人間だとどういう赤ちゃんができるんだろう? ほんと楽しみ!」
彗が真緒の顔を覗き込む。そのまま真緒の唇を奪おうとした時であった――。
「三木頭君!!」
「なに? 坂下さんのほうが先にしたいの? 俺はどっちでもいいけど」
美桜の声音は硬い。彗はそれを面白がるように揶揄しケラケラと笑う。彗の笑い声は異常であった。少なくとも美桜にはそう感じた。
小さく弱い者を嬲り、貶め、這い上がろうとする余力を残しつつ、でも結局は絶望を与える。そんな風にこれから彼は多くの人を傷付けていくだろう。美桜はそう直感した。
美桜だけではない。うっすらと意識がある他の皆もそう感じた。現に彗は勇者一行にさらなる暴力を進めた。
しつようにじっくりと痛みを与え、美桜が叫ぶ様を楽しんでいる。回復魔法を皆に施しても分解され消えていく。
人形と化した魔人族を操り、また皆を傷つけていく。
これでは本当に誰かが死んでしまう。そんなことは許されない。回復役の自分がいながら誰も救えずに死んでいくなど絶対にあってはダメだ。
ならば、この状況を打破するしかない。
——美桜は覚悟を決め、自身に最大級の呪いをかける。
「堕天」
小さな呟きであった。
これまでの堕天とは違う。今までは姿を変えることで力の片鱗を堕天士から借りていただけである。
このジョブは非常に希少である。誰でもなれるわけではない。
前提が博愛でなければならない。全てを愛する故に全てを憎むことができる。
世界の怨念を怨嗟を呪いをその身に一心に受け止める。それが力へと変わる。絶望であればあるほど強くなれる。苦しければ苦しいほど高く羽ばたける。
本当の堕天をしてしまえば元には戻れない。痛みを抱いて力尽きるまで絶望を世界に降り注ぐ。それだけ危険なジョブである。
美桜がこのジョブを選んだのは、何もできない自分を変える為、あの時——怖くて動けなかった自分を変える為、みんなを助けられる存在になりたかった為、そして臆することなく立ち向かえる彼のように――。
「みんなを守る!」
美桜の長い黒髪が白色へと変わっていく。瞳は黒から赤へ、全てを染める原色の赤色である。
背中からは漆黒に左右に三、計六つの翼をはためかせる。服装は黒に染まり情緒を煽るようなものへと変化。両手を広げ黄金髑髏の手を破壊。
自由なった堕天士は翼を大いに広げ、空中に浮いたまま体を伸ばす。
「ん~。久々の自由~。この体とは相性が凄くいいのよね~」
美桜の声だが美桜ではない。口調が違う。行動も違う。己の指を体に這わせ誰彼構わず誘惑するポーズを美桜がとるはずがない。
指先を噛み、血を滴らせ顔に塗る所作は常人から見れば奇行だが、どこか美しく色気が含まれていた。
美桜の体を乗っ取った堕天士は翼を動かし後方へと移動。
オンオンと鳴く黄金髑髏が片手でもう一度捕まえようとするのを回避し一笑。
黄金髑髏を操る嵐はそれを挑発と捉えムキになり始める。
「いやんいやん。こわいわ~。私にイジワルする悪い子はみんなお仕置きなんだから」
全く恐がる様子はない。堕天士はしなを作り黄金髑髏に投げキッスを送った。




