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三枚目


 海国での全ての戦いが終わった。

 終わったと同時に、綾人はそのまま倒れてしまう。綾人だけではないルード、ティターニ、ブットル、そして凛とサギナも、疲労と緊張の糸が切れたのかそのままへたり込んでしまう。




 次に綾人が目覚めた時は、清々しいほどの快晴が広がっていた。

 大きな建物の床で、多くの人と雑魚寝をしていた。

 建物の屋根は無い、一連の騒動で破壊されたのだろう。だが屋根がないことで、目が覚める青を拝むことができた。

 

 働かない頭のまま立ち上がると、上下水色の簡易的な衣服を身につけていることに気づく。近くには見覚えのある自分の黒ブーツ。誰かの仕業かと思い隣を見るが全く知らない海人族であったので、まぁ、いいか。とブーツを履き歩き出す。


 建物の外には大きな水桶があり、多くの者がその水を飲んだり、顔や体を洗っていた。綾人も例にもれず口をゆすぎ顔と体を洗う。


「兄ちゃん、傷凄いね。大丈夫かい?」


 陽気な声に振り向くと、身体中にトゲがある海人族に話しかけられる。

 傷? という単語にしかめっ面で返答したが、自分の体を見て、あぁ、なるほどと納得した。


 大小様々な傷が肉体に刻み込まれていた。

 この世界に転移して以来、戦いの場に身を置いていたのだと実感する綾人。胸元の大きな縦傷に触れるが痛くはない。これが普通となってしまった。他にも、見た目は酷い傷が何箇所もある。


 トゲの海人族に愛想笑いを送り、手ぬぐいを勝手に拝借。顔、体を拭くとサンキューと返す傍若無人ぶりは、綾人がこの世界に来ても変わっていない点だろう。




 あの戦いから三日が経過していたことを通りを歩く者達の会話で知った。

 

 「なるほど。三日も寝てたのかよ俺。どうりで体が軽いはずだよ」


 周囲を見ると、海国は果たして国と呼べるのか? という惨状である。視界に入る全ての建物はどれもこれも倒壊しているからだ。一目見れば悲惨との言葉が当てはまる。


「おう! 兄ちゃん。美味い魚が焼きあがったぜ。こんな時だ、金はいらねぇ、食ってきな!」


 下町を感じさせる口調に振り向くと。五、六名の海人族が集まり火をおこし、魚を焼いていた。タイミングよく腹の虫もなりだすので、その提案には当然に抗えず。


「いただきゃす!」


 遠慮なく近づき、焼き魚を手に取る。見た目は秋刀魚に似ている。表面の僅かな焦げが、より良い香りを放ち鼻腔と喉を刺激する。


 一口かじると旨味が口いっぱいに広がる。程よい塩味と魚油、さらには身もホクホク。美味さの前では遠慮など逆に無粋だ。


「良い食いっぷりだね兄ちゃん。ほらもっと食え!」


「あざっす!」


 次々と出される魚に舌鼓をうち、どんどんと胃の中へ放り込んでいく。


「兄ちゃんは観光か何かで海国にきたのか? 残念だったな。いま海国はこのざまよ!」


 一人の海人族が綾人に話しかける。

 言い終えると他の海人族も「ちげぇねぇ!」と言って大笑いを始める。自らの国が壊れたにも関わらず、皆明るい。ヤケになっているようには見えず、現実をしっかりと受け入れている。


 それでも笑うという所が、海人族は根っからの明るい性格なのだろう。


「兄ちゃんもあれか? 色求めてきたのか? 色街はとくにボロボロだからな! もうどうしようもねぇぜ」


「色街か——」


海人族の言葉を聞き、ポツリと呟く。その言葉の意味は色街で全てが始まったな。という思いだ。焼き魚の礼を言い、色街を求め歩き出す。


 よく晴れた海国は潮風が心地よく、どうにも感傷的な気持ちになる。

 時間を要せず辿り着けたのは、他よりもひときわ破壊の跡が著しいからだろう。


 色街の入り口に立つ。この国に着いて早々にトラブルに巻き込まれて、飛鷹と出会い、そして——ぞわりと黒い感情が広がり出す。


 もし、あの時、あの場に俺がいたら飛鷹は——いくら思ったところで結果は変わらない。ただじっと立っていると、潮風が全身の熱を下げてくれた。大きく深呼吸し綾人は歩き出した。目指す場所は海国の外れにある大きな建物。




「ひでぇもんだ」


 たどり着いた光景に辟易しながらも、辺りを見渡す。建物は多分に漏れず倒壊していた。


 ここは綾人が天使の使徒の一員として過ごした場所だ。皆優しく。良い人達であった。思い返される皆の顔。特に良くしてくれた蛸爺、猫婆、それと——。


「飛鷹——」


救えなかったクラスメイトの名が溢れた。


 六堂飛鷹は綾人の記憶を完全に書き換え、天使の使徒の一員とできたが、彼はせず、記憶の一部として綾人に魔法を施した。その行為一つで飛鷹の性格が読み取れる。彼はどこまでも優しい人間だ。彼と言っても何故か少女になっていたが——そう思うと、綾人は少し笑ってしまう。


 ——なんで女になってんだお前? 俺が助けた時は男だったろうが。


 飛鷹が少女になったのは悪魔アスモデアの仕業だが、その事をしるのは、この海国には誰もいない。


「守れなくて、ごめんな」


 移動した場所で改めて呟く。

 そこは海を一望できる墓前である。鉛のような重い心を引き釣りながら瞑目していると、心地よい風が吹く。苦しみや痛みを和らげるような、優しい風であった。


 綾人はふと違和感に気付く、潮の匂いが混じっていない。

 海が近い為、潮の匂いが濃くなりそうだが、身を包む風は心地良く、暖かい。悲しむ綾人の心に癒しを与えているようである。まるで——。


「王子⁉︎」


 肩を叩かれ振り向くと野々花凛が立っていた。凛は少し不思議な顔になり小首を傾げていた。


「王子、泣いてるの?」 


「へっ⁉︎ あれ」


 自分自信ですら気付かず、涙が溢れていた。一笑し乱暴に目元を拭う。


「泣いてねぇし。俺泣いたことないから」


「いや、めっちゃ泣いてたじゃん」


「汗、汗、今日暑いもん」


「適温だよ」


 凛に背を向け再び目元を拭う。大きく深呼吸をした後で背中越しに凛に伝えた。


「いや、マジで泣いてねぇから。泣いてたら、皆に怒られちまう」


「——そっか」 


 凛は踏み込まずにただ相槌をうつ。それからしばらくの間があり、ようやく綾人は凛に向き直る。


「王子。その顔は、なんでここにいるのかって顔だね?」


「さすが魔法使いよく分かったな」


「ルードとティターニ。それにブットルから聞いたんだ。クラスメイトの、六堂君のお墓。なんだよね?」


 凛が視線を転じた先には無骨な十字の木で作られた墓たち。その先頭が飛鷹の墓であった「あぁ」と返す綾人の声は、僅かに陰りがある。


「お参りしようと思ってさ」


 見ると凛の手には花が握られていた。凛の優しさが見え綾人の心は僅かに前を向く。飛鷹の墓がどれかはもちろん凛には分からない。だが、それで良かった。二人は多くある墓に手を合わせ黙祷する。


「六堂君とは全然話したことなかったな。いつもゲームしてたイメージ」


「そっか。学校の時は俺も少ししか話したことなかったな」


「王子そもそも学校来てないじゃん。話す機会ないでしょ」


「たしかに!」


 二人は笑い合う。僅かだが心は晴れる。だが本当に僅かである。


「私がもっと早く修行を終えてれば助けられたのかな? ——なんて思い上がりだけど、でも、やっぱり。クラスメイトが亡くなっちゃうのは、結構こたえるね」


 綾人は返事をせず唇を噛む。


 ——凛が責任を感じることじゃない。


 その言葉が伝えられない。その感情の前に己の咎が表れてしまうからだ。

 飛鷹を救えなかったのは全部俺の責任だ。やはりこの考えが拭えず、拳を固く握りこんでしまう。


 あの時、俺は——おれは——。


「王子」


 凛の手が綾人の手を包んでいた。


「あんまり、自分を責めないで」


 強張った拳が凛の細い指によって開かれていく。手の平に血が滲んでいた。爪が食い込み肉をえぐっていたが、その痛みにすら気付かずに強く、己を責めていた。開かれた五指を見て綾人も押し黙る。


「慰めにはならないと思うけどさ」


 凛は伺うような視線に綾人は目を開く。

 オホンとわざとらしい咳真似をする凛は意を決したように綾人に抱きつく。


「ちょ! え! なななななに!」


「暴れないで!」


 動揺しジタバタとするが直ぐに凛の声で止まる。それは力強い声であったからだ。


「私を救えたじゃん」


「え⁉︎」


「私は王子に救われたんだよ。王子があの時助けてくれなかったら、私は今頃——」


 ——あぁ。とため息にも似た声が、綾人から漏れる。


 確かにそうである。亜人帝国で綾人が現れなければ凛は確実に死んでいた。それは間違えようのない事実である。


「私は救われた。だからこうして生きている。それを忘れないで。王子は頑張ったんだよ。だからそんなに責めないで——」


 凛の温もりが、蔓延っている咎に光が当たる。


「まぁ、登場の仕方はちょっと間抜けだったけどね」


「やかましいわ!」


 二人は高校生らしいやりとりで盛り上がっていく。


 また風が吹く、不思議な風であった。この風もまた潮の香りがなく。温もりが広がっていく。どこか別次元からきたような風が一度止むと、途端に潮の匂いが鼻につく。


「ねぇ、王子? 今の風って六堂君からじゃない、しっかりしろ! みたいな感じだったりして」


 凛の言葉に綾人は海を見渡す。透けるような碧と、どこまでも深い蒼。不思議な風はもう吹いてはいない。凛の言う通り、皆ならば、そう言いそうだと綾人は思った。


 ——こら綾人! 何をしんみりしとるんじゃ、この阿保タレ! 仲間が待っとるのだろう。さっさと行け。


 ——ほんと、素直じゃない蛸爺だね。綾人。辛気臭い顔はあんたには似合わんよ。あんたはただ真っ直ぐ前向いとりゃいい。この猫婆が言うんだから、間違いないよ。


 ——綾人君! いつまで暗い顔してんのさ⁉︎ そんなの君らしくないよ。それと、いつまでも弱いままの僕じゃないよ、君に守ってもらわなくても、僕は大丈夫だから!


「王子?」 


 綾人は驚き周囲を見渡す。だが声の主達は当然いない。

 驚愕している綾人の様子に凛が困ったような声を出す。


 蛸爺の、猫婆の、そして飛鷹の声が綾人の耳に届くことなど有り得ない。だが皆の声は、先ほどの不思議な風と共に届いた。それを幻聴の一言で片付けるのかは——。


「そうだな」


 綾人の顔を見れば分かる。短い返答に凛は小首を傾げる。言葉は凛に向けられているようで、違う。


「よっし! 俺もう行くわ!」


「ん? そうだね、行こ!」 


 凛は要領を得ないという顔をしていたが、難しいことはいいやとばかりに返事をする。その様子がおかしく、綾人は少しだけ笑った。五十名の墓に花を送り綾人と凛はその場を去った。


 不思議な風も、続く声も、もう耳には届かなかった。だがそれで良いと、綾人の顔が物語っていた。

 仲間達と合流するべく二人は坂道を下りていく。三日前は増悪を滾らせていた坂道だが今は違う。気持ちも軽く、隣を見れば花のような笑顔が返ってくる。


「あ! そうだ、王子! これ精霊族からのプレゼントだよ。受け取って」


「おぉ! マジ! やっぱ分かってるわ精霊族の皆さんは! 俺と言ったらスカジャンなんだよな!」


 凛は立ち止まり背に担ぐリュックをガサゴソと漁ったあとに、スカジャンを取り出した。


「なんか凄い素材とか使われているみたいだよ。これで王子ますます強くなっちゃうじゃん!」


「いや、凛。照れるな〜そんな本当のこと言うなし」


「謙遜ゼロ〜」 

 

 鼻の下を伸ばしながらもスカジャンを広げる。黒と白のスカジャンの背には精霊の刺繍が施されていた。何ともにくい演出に綾人はニヤニヤが止まらない。


「あと、ズボンと靴とかもあるよ。あとで着替えたら? エアリアってば「一番良い装備を与えなくては!」って凄い張り切っちゃってさ、これもそう、もう本当に口うるさいママみたい」


 凛は己の服装を指差し、げんなりしたような顔をする。だが綾人は見逃さなかった。凛の頬が緩んでいたのを。


「あっ! あちゃ〜。アレ(・・)持ってきちゃった」


「あん?」


 リュックを背負い直そうとした凛が、素っ頓狂な声を上げ、もう一度リュックの中身を漁りだす。


コレ(・・)。さっき花を摘んでいたら落ちてたんだ。そのまま放置するのも気が引けてさ、思わずリュックの中に入れちゃったんだよね〜。戻してこようかな——って、王子?」


 綾人は右目を手の平で抑え、凛が差し出したソレ(・・)を見る。綾人はそっと左手を差し出すと、凛は明るい声でソレを手渡した。


 ——熱い。


「凄い綺麗だよね? 御供えのお花を摘んでる時に捨てられてたみたいでさ、とりあえず持ってきちゃったけど、元あった場所に返してこようかな——って王子? 大丈夫?」


 凛は綾人の顔を覗き込むように屈む。不安に包まれ名を呼んだ。だが、今の綾人には聞こえていない。凛が差し出した一枚のソレに引き込まれるように見ていた。


 凛がリュックから差し出したのは一枚の絵画である。端が汚れ、丸められていたためか、少しばかり紙自体に癖がついている。


 ——熱い。


 ギリと歯噛みする様子に凛はますます不安になり声を掛けるが届いていない。


 凛が差し出した絵画には天使が描かれている。海面に微笑みを送る天使。微笑みを受け、泳ぎ、又は跳ねる魚が描かれていた。


 絵画を集めろと、奴が言ったのをぼんやり思い出す。亜人帝国で絵画を渡された時から、心にしこりが残っていたが、それはいま解決された。


腰回りに手を伸ばすと、いつも付けている腰袋に指先が触れる。その中には亜人族、精霊族からの贈り物、絵画が収められている。ドクンと心音が高鳴る。


「王子? 大丈夫⁉︎」


 凛の困惑した顔に綾人はようやくは気付いた。心配した様子の凛は絵画のことは何も知らない。凛だけではない。このことは綾人しか知らない。


 凛が絵画を手にしたことは偶然なのだろうか? そんな筈は無い。


 これは緻密に計算された罠である。罠といえば聞こえはいいが単純な嫌がらせである。まるで蜘蛛の糸の如し、もがく程に絡まり動けなくなり、気づいた時に捕食者に襲われている。綾人の中でそんなイメージが出来上がる


 誰の仕業かなど明白である。


 そう考えると、奴は——いつでも凛に手を出すことができたのではないか?


「王子。顔、怖いよ」


 だが凛は無事である。そのことに安堵しつつも、当然のように怒りが湧いてくる。


「どこまでも俺をコケにしやがるぜ、あのクソ野郎」

 

不意に出た言葉に凛の顔は強張る。


「ベルゼ」


 その名を何度口にしただろうか。

 今回も奴との決闘は空振りに終わった。否、僅かだが覚えがあるが記憶が曖昧である。呪いに負けている時に、ベルゼの存在を感じたが、深くは思い出せない。


 綾人は無言のまま身動きせず立ち続けており、ハタと気付いた時は泣き出しそうな凛の顔を見て我に返る。


 ティターニから悪魔の存在を聞いている為、凛はベルゼの存在を知っている。仮にこの絵画の意味を凛が知った時、果たしてあの悪魔は凛へと何もせず諦観を決め込んでいるのだろうか? 万が一にもベルゼの魔手が向けられたら——。


「これ、捨てられてたんだろ? だったらパクろうぜ。日本に戻れたら売って金儲けしようぜ!」


「え? う、うん。売れるのかな? ってか、パクっちゃって大丈夫なのかな?」


「リサイクルだよ。捨てられた物を再利用するだけだから、むしろ優しさの行為でもある」


「う、うん。全然納得できかねるけど」


 綾人は努めて明るい態度で絵画を腰袋にしまい出す。先ほどの重苦しい雰囲気と打って変わっての態度に凛は困惑を覚える。


 その後は談笑しながら歩く二人。綾人はベルゼのことには触れずに、くだらない話で盛り上げる。

 だが、握られた拳が開くことはなかった。


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