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嵐がやむとき


 唐突な声にサギナが振り向くと、そこには杖に胡座をかくホビットの老人がいた。

 優しげな雰囲気はあるが、そこはかとない畏怖を相手に与えるような怖い瞳であった。


「ふむ。魔物が一ヶ所に集まり出したから何事かと思ったが、辺りを見ても、よく分からん状況じゃの」


 現れたのは大賢者ヨーダンである。


 アルスからの(めい)で空を埋める程の魔物を相手にしていた大賢者は、魔物の移動に合わせこの場に現れた。その言葉通りで、空にも夥しい数の魔物が現れ出す。地上ではティターニ、ブットル、凛が抑えている魔物はいよいよ無尽蔵に沸き始める。


「ふむ。魔物を寄せているのはあのデカブツかの? なんともまぁ、珍妙な生き物だわい」


「大賢者ヨーダン!」


 サギナが当然のようにヨーダンの名を口にした。ティターニやブットルも知っていたのだ。強者を好むサギナが知らぬはずはない。だが名を呼んだ意味は二つ。


 一つはどうして大賢者がここにいるのか? もう一つは危ない。という意味であった。


 ノーマの存在である。突如現れたヨーダンに槍と化した舌先が襲いかかる。迫る攻撃に対して、ヨーダンは呑気にも頬を掻く。


「問題ない。海巫女が対応してくれる」


 嵐の中でどうしてか——ちゃぽん。と水面に一滴の滴が落ちる音が耳に届く。途端に潮の香りが鼻腔を掠めた。


 ————————。


 真白い大海獣が地面より現れる。大きな、大きすぎる鯨に似た大海獣は身を捻るだけで、圧倒的な質量であり、目前で動く純白の絶望に黒い女はただただ圧倒される。


 大海獣が口を開ける。暗く黒い口内は夜かと見間違うほど大きく、それはノーマを簡単に咥え、嵐が吹き荒れる空へと上っていく。その光景に、サギナは顔を強張らせ笑い出す。


「はははははははっ! 素晴らしい! 世界はまだ見ぬ強者で溢れている。これだから戦いは止められない!」

 

 サギナの瞳が捉えているのは大海獣ではなく、それを操る海巫女ジーナである。


 皆より離れた場所、倒壊した建物の上でジーナは舞っていた。アオサイに似た民族衣装を翻す姿は何とも幻想的である。


 ぐおん——という大きな音は、鳴き声なのか嵐なのかは分からない。見上げると大海獣の顎が閉じられノーマの体が真っ二つとなっていた。大海獣は大きな鼻息を吐き出し、空に群がる魔物めがけ嵐を泳ぐ。


「海巫女の力とは末恐ろしいの——じゃが、体を半分にされても死なんのか——」


「なんと面妖な」


 ヨーダンの言葉にサギナが上を向く。

 空から落ちるノーマは断末魔を上げるが死んではない。上半身からは足が生え、下半身からは胴体が生える。 そうして二人のノーマが出来上がった。


 キキキキキッ——と声が聞こえれば、サギナが切り落とした生首からも手足が生え、都合三体のノーマの出来上がりである。


「ふうむ。頑張りすぎると腰に響いてしばらく動けんが、そうも言ってられんか——」

 

 迫るノーマに一瞥を送るヨーダンは杖から降り、口元を僅かに動かす。生首からは舌先の攻撃、空から襲う上下の体からも攻撃の一手が繰り出される。にも関わらず非常に呑気な行動である。サギナが危険と判断し二槍で受けようとした時だった。


「いやはや。久々にやると、疲れるな、本気というものは——」


ヨーダンは杖の先端を地面に二度当てると————耳をつんざくような大きな鐘の音が鳴り響く。


 一度、二度、三度と鳴る鐘は、不安を掻き立てるように大きくなる。

 鐘の音に合わせ、空と大地から仁王像と思しき石像が這い出てきた。大地を裂き、天を割り現れた仁王像の顔は憤怒であり、その口が開くと眩いばかりの光が海国を包む。


 その瞬間のみ嵐は止む。まるで空間ごと別次元に転移した錯覚に陥っていく。白光する背景からは朧げな、何かが現れる。目を凝らすと空を覆い尽くす仏の姿であった。


 創作魔法超極級:阿弥陀如来(あみだにょらい)絶空(ぜっくう)


 誰もが、それを見た。魔物も何も関係ない。白光する亜空間へと飛ばされた誰もが空に現れた仏——阿弥陀如来を見る。


 阿弥陀如来の手が天地にかざされると仁王像が虚空を掴む。勿論そこには何も無い。無である。だが何かがあり、現に極彩色の輝きが阿弥陀如来の背から伸びていく。蝶の鱗粉に当てられたように、誰しもが幻覚の中に囚われた感覚に陥っていく。


 極彩色の光が体に纏わり、己と己以外の境目が曖昧になり、自分自身の存在が世界と溶け合い、混ざり、それが繰り返され、個という物体が消えていく。亜空間に残されたのは何も無い。


 世界との繋がりを絶たれた空は、ただただ白い光で満ちていた。















「ありえない」















 瞬きをしたあと、サギナはそう呟く。額に強く当たる雨、耳を裂くような風の音、五感が徐々に明瞭に戻ると、己が嵐の只中にいることが思い出される。


 先ほどまで亜空間に連れて行かれ、阿弥陀如来の光と共に個という存在が消えていた——までは覚えている。


 あれは幻覚かなにかなのか?——周囲を見渡すと大量の魔物が消えていた。夥しい数であったはずだ、ティターニ、ブットル、凛が力を合わせ何とか押さえ込んでいたが、それでも溢れるほどであった。


 ——それが跡形もなく消えている。それに消えたのは魔物だけでは無い。ノーマもまた消えていた。生首も、上下に分かれた気味の悪い体も当然無い。


 一体どこへ消えたのか、先ほどの亜空間と溶け合い“個”としての存在は消えてしまったのだろうか? サギナは考えるが、当然のように答えはでない。サギナだけではなく、遠くでは、ブットル、ティターニ、凛も同じように唖然としたまま立っていた。


「いててててててぇ。やはり歳だわ、腰に響きよる。しばらくは立つのも厳しいわ」


 地面に突き刺した杖に寄りかかるヨーダンは、何度も腰を叩く。サギナは先ほどの魔法を問いただそうとするが、どうしてか躊躇われた。仏がそれを許さぬように感じたからだ。


「終わったのか?」


 代わりに口から出たのはそんな言葉だった。


 魔物とノーマが消えた。これで全ての脅威は取払われたはずだ。この街に巣食った悪魔も、世界に復讐を誓ったアクアも。古代生物兵器ヒルコ、そしてその体を乗っ取った魔人族ノーマも消えた。これで戦いは終わっ——。


「油断すんな! クソベルゼが、これで終わらすはずねぇぞ!」


 誰しもが緩んでいた。そこに声高らかに叫んだのは綾人。

 皆が思い知る相手は特段デタラメな悪魔である。本人は嫌がらせを楽しむように一手、二手と繰り出してくる。ベルゼを知る男は決して油断しない。今まで何度も味わった屈辱を思い返す。


「周りを見ろ! あいつは油断した時に仕掛けてくんぞ!」


 今回も例にもれずベルゼの悪さが発揮されていたが、それは失敗に終わる。

 

「あそこにいるよ!」


 可憐な少女の声が皆の耳に届く。それは祓魔師のカナンである。傍らには黒騎士ホッポウがカナンの身を守るように立っていた。


 カナンがもう一度あそこと言い指差す場所は、どこともない空であり、丁度皆の死角の位置。全員がその場所を注視した。暗褐色の空を睨む一同は、嵐を煩わしく感じながらも目を凝らす。


 ぐにょりと空間が曲がり歪み出した場所から、野太い腕が這い出ている。灰色に水色のまだらとなった腕がバタバタと動くと、次いで上半身が現れる。



 ——キキキキッ。



 何度も聞いた笑声と猿顔が再び海国に降り立つ。

 ノーマは笑い声を上げているが激怒していた。せっかく戦闘できる体なのに、やられ放題となっているからだ。ここからは俺の時間だ! そう思わせる叫びを上げ皆に襲いかかる。


 手始めにサギナとヨーダンに野太い腕の一撃が襲う。二人は防御をする間もなく吹き飛ばされる。次にはティターニ、ブットル、凛が標的となり、三人は守りを固める前に吹き飛ばされてしまう。次には海巫女にもその巨体が迫る。

 

 ノーマは暴力を尽くし敵対者に反撃を行う。垣間見えた残虐性には息をのむという言葉が当てはまる。吹き荒れる嵐のような攻めに誰しも後手に回る。


「いたたた、こりゃ。正真正銘の化け物だわい、普通にはやれんようじゃ。王子、カナン、あとは頼んだぞ。皆離れろ。化け物退治は任せようぞ」


 杖に腰を下ろすと、ヨーダンはスルスルと空に昇り避難を始める。


「十の剣 黄金虎(こんじきとら)


 入れ替わるように光の王子アルスが空より現れる。握る剣は神々しく、輝きは周囲を照らす。

 アルスの姿を見たカナンは地に膝を付き、空に祈りを捧げる。


 刹那に地面からも黄金の光が溢れ出す。黄金が嵐を飲み込むと、大きな虎が地面から現れる。英姿

颯爽とした黄金に輝いた虎であった。


 黄金の虎が咆哮を上げると大地が軋む。標的であるノーマを睨む。


「はああああああああ!」


 アルスはノーマに向けて一撃を放つ。発生したのは光である。神々しい光が周囲に爆ぜる。それは魔に取り憑かれた者を断罪する光。


 光を浴びたノーマは己が消失していくのを感じた。清浄の光はノーマの穢れを落とし、魂を元ある場所へと導いて行く。カナンの力を借りたアルスの最終奥義は、魔を捉え決して逃さない——。


 だが、ノーマには執念がある、長い間戦いを渇望していた男が見せた意地である。確かな思いが悪魔とは違いこの男にはある。それ故に、まだ消えるわけにはいかなかった——キキキキキキキキキキキッ! ——いつもの笑いには余裕がなく荒々しい。それはまだ消えてなるものかという叫びである。


「そんな! 黄金虎の光を受けて浄化しないなんて⁉︎」


 アルスは初めての事に驚きを隠せず声を荒げる。ヨーダンの口振りからすれば、普通じゃない相手への絶対の一手であった。勿論驚いているのはアルスだけではない。この技を知るヨーダン、ジーナ、ホッポウも驚愕を表していた。


 ノーマがゆっくりと、己の体を引きずるように前に出る。


 ——さぁ、ここからだ、もっと戦おう! 戦闘の楽しさを俺に教えてくれ! 


 アルスは歯を食いしばり黄金虎の発動を強くするが、魔を討つ光という最終奥義の負担は大きく、顔を硬らせる。


 ——こいつは倒せないのか?  


  アルスはそう思った。思ってしまった。否、アルスだけではない。力を使い果たし様子を見ていたティターニ、ブットル、凛、それとヨーダン、ジーナ、ホッポウと誰しもが心の片隅に不安が芽吹いていた。


「大丈夫だよ。お兄ちゃんがやってくれるよ!」


 そこに、祓魔士の少女の、特段明るい声である。

 

「てめぇ! いい加減うぜぇんだよ! さっさと消えろや‼」


 この男には絶望など関係ない、目の前の敵は己の拳で叩き潰すのみである。光に包まれた神々しい空間で悪態を吐き、肩で風を切りながら堂々とノーマに近づいて行く。


 握る右拳が黒く変色し、嫌な気配に包まれる。あの力は、呪いは危険に過ぎるが——。


「綾人!」

「王子!」

「婿よ!」


 これ以上仲間が傷つく姿を、この男はよしとしない。


「大丈夫だよ。お兄ちゃん、カナンが、皆が側にいるから安心して」


 遠い場所にも関わらずカナンの声が耳元で聞こえ、綾人は不適に微笑む。


 ノーマの目前に立ち拳を握る。ノーマもまた拳を握る。

 次にはお互いが拳を振りかぶる。チラと見えた右拳は黒鱗がまばらに現れ始めていた。僅かに心が翳るが、それは苦楽を共にした相棒の言葉で吹き飛んでいく。


「やっちまえ〜! 相棒〜!」

 

 空より現れたルードの声に後押しされ、少しばかり皮肉めいた笑みが溢れる。


「言われなくても、やってやらぁ〜‼︎」


 いつものように大きく振りかぶる右拳がノーマに迫る。ノーマもまたデタラメな拳を綾人に向け、振り下ろす。


 ノーマの巨大な拳に綾人の拳が当たった瞬間。僅かに静寂が生まれる。

 互いに動かず、拳を当てたまま両者は睨み合う。やがて——


 ——キキッ——とノーマは短く笑う。それはどこか満ち足りた笑みであった。


 次の瞬間にノーマの体が崩れて行く。膝が折れ、腕が地面に落ちる。体は徐々に光にのまれ、塵一つ残さずに、ノーマという存在が消えていく。


 その光景を綾人はただただ見入っていた。

 

 アルスが黄金虎の発動を停止すると光が収まる、景色が白光から海国のものへと変化していく。

 戦いは終わった。だが誰も何も言えなかった。どうしてかこの戦いの裏には悲しさを感じたからだ。

 そんな空気を察して、いつものようにこの男が、いつもの調子で皆に声をかけた。


「なんか、腹減ったな」


 綾人の言葉のあとには光が差し込んでいく。戦いが終わると同時に嵐がやんだ。


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