誤った再戦
「少し離れていろ」
サギナの言葉に凛は弱々しく頷き、フラフラと歩き倒れてしまうが、直ぐにティターニ、ルードが駆けつけ凛を抱える。
「凛! この野郎! いい女になりやがって俺様を惚れさせる気か⁉︎」
「凛。ごめんなさい。あなたの気持ちを蔑ろにする所だったわ。自分自身が情けないわ」
凛は微笑を送る。凄いでしょ? 私頑張ったんだから。と伝えている。使用した魔法を見れば、どれほど凄いかが分かる。ティターニとルードも同じような微笑で答えた。
「サギナ」
ブットルは僅かに戸惑う。互いに命を賭けて戦ったから分かる。サギナからは殺し合いを楽しむ雰囲気は一欠片も感じなかった。
「さて、婿よ。私は怒っているぞ」
二槍を器用に操るサギナの声は嵐の中でよく響く。
「婿が呪いに負けたから怒っているわけではないぞ。妻である私や凛、仲間である水王に暴蘭の女王、ルードが止めればよいだけだからな。それに男は一度壁を乗り越える生きものだから、これは必要事項だ」
サギナの漆黒の瞳が化け物を見据える。
「私に違う名前を教えたのも——まぁいいさ。茶目っ気があると思えば可愛いものだ。空上綾人。まぁ、少しショックだったがな」
敵意を向けられた化け物は、叫びながらサギナに向かっていく。
「許せないのは凛の努力を無下にし、あまつさえ手をかけようとしたことだ。これは怒らずにはいられまい! 加えて共に旅をした仲間に手を出したことも、怒りポイントは高いぞ!」
肉薄したサギナと化け物、黒い右鉤と二槍が衝突を起こす。
ティターニの大技を、ブットルの極級魔法を受け止めた鉤爪である。サギナの細槍など、普通であれば紙切れのように裂かれて終わりである。
——あくまで普通であれば。
ぶつかりあった瞬間にサギナの体が大きく沈むが倒れるまでには至らない。獣ほどの低い姿勢に押し込まれるがあと一歩で止まり一撃を受け止める。ギリギリと緊張感が高まる。
サギナは跳ね除けようとするが化け物の一撃は想像以上に重く、思うようにいかない。化け物もまた鉤爪を押し込めないことに苛立たしげな奇声を上げる。
「ははっ! 重い一撃だ! 力比べで勝てないのは久方ぶりだ!」
サギナは二槍を操り鉤爪から逃れ、距離をあける。
「あの女、正気?」
「あぁ。サギナはあの槍で俺の魔法を受け止めるデタラメな女だからな」
サギナにはティターニとブットルの声など聞こえていない。——楽しい。やはり婿との殺し合いはどんな喜びにも勝る。
サギナは笑う。
美しい鼻梁の下から鮮血が流れ舌で舐めとる。化け物の一撃を正面から受け止め止めた余波は隈なく体にダメージを与えていた。
「婿よ! 再戦は自我を取り戻した後にしよう!」
勝手な約束をするサギナは体が軋むのを無視し、化け物に立ち向かう。
「起きろフルカス! 復習の時だぞ。さぁ、臆病風に吹かれず魅せてくれ、テイバイ!」
長槍と短槍から、黒い靄が発生する。実に不快な色合いであり、ズルズルと姿を現す姿もまた異形であった。
短槍から出る黒い靄は灰色に変わり全長三メートルほどの球体が形成されていく。球体の中央には大きな一つ目が浮かび上がる。一つ目は多眼孔であり、七色の光を放っている。化け物を捉えると気が狂ったように七色が動き出す。
長槍からも同じく吐き出されていた黒い靄が変化すると黒紫の塊となる。大蛇に近いがそれよりも太く、目はなく大きく開いた口には舌も牙も無い。開かれた口も黒一色でありどうにも不安を駆り立てる容姿であった。
「受け取れ婿よ!」
異形と共にサギナは化け物に迫る。ティターニとブットルが避けた近距離戦闘がサギナの最も得意なスタイルである。
短槍が一直線に化け物の頭部——凛によって広げられたヒビへと迫る。そして短槍の穂先と共に一つ目の異形も動く。フルカスは音もなく、それこそ靄のようにサギナの背後から姿を現すと、一本の触手を化け物へと向けた。
化け物は真横に首を振り穂先を避け、伸びる触手は牙で受け止める。
フルカスの多眼孔がぐるぐると動くと、大量の触手が現れ化け物へと襲い掛かる。負けた相手への復習の為か、フルカスは終始震えが止まらない様子であり、気持ち悪さに拍車をかけていく。だが触手の攻撃では超々硬質の鱗は砕けず、結果傷を負わせる事ができない。
化け物の追撃の一手が迫る。代わり映えしない右鉤爪の一振りをサギナは身を翻し躱す。先のように真正面からは受ける事はない。余波はまだ体に残っている。
だがフルカスは違った。一撃をわざと食らうように移動したのだ。結果的にサギナが難なく回避できたのはフルカスのお陰でもある。異形の球体の中央に深々と化け物の爪が突き刺さる。
ニヤリと笑ったように見えた。異形に口はない。球体の中央に大きな一つ目があるだけだ。だが笑っているように見えた。途端にフルカスが弾けた。限界まで膨らんだ風船に、針を刺した様であり。弾けた結果、粘着質な紫色の血が方々に散る。
見事に血を浴びた化け物は奇声を上げ反撃するが、力が入らず地面に膝をつく。体を上手く動かせないことに戸惑いを表す。
「くくく。フルカスは私以上にしつこいからな、婿に一矢報いようとしていたみたいだぞ。どうだ、呪いの味は?」
呪いを浴びた化け物は明らかに動きが鈍くなる、サギナは楽しげに迫り長槍をグイと突き出す。
「さぁ、テイバイ。婿に魅せておくれ。お前の幻想を」
立ち上がろうとした化け物だが、またしても体をふらつかせた。何か乗り物に酔っているような足取りである。途端にあらぬ方向へ攻撃を繰り出す。傍目からは見えない何かと戦っているようだ。
「くくっ。テイバイは臆病だからな。己の幻想を現実にしてしまう困った子だ。と言っても聞こえていないか?」
——そうか。と一人納得したのはブットル。サギナとの戦いで彼はテイバイの姿を見ている。あの時、サギナに攻撃を仕掛けた時——複数の巨大な氷柱——それらが一瞬で砕けたのを思い出す。あれもテイバイとやらの幻想が現実になったのだと理解した。
「一度使うと、長い時間使えなくなるのが残念だがな」
千鳥足の化け物にサギナの声は届いていない——ギギ、ガガ——と不明瞭な苦悶を上げる、本能がこれは不味いと告げているのだろう。化け物は己の心臓へと鉤爪を突き立てる。
唐突の自傷行為だが一度死んで本能を正気に戻す為の行為である。死なないからこそできる強引な目覚めの手段。僅かな時間で死に、また生き返り敵へと攻撃をする。——だがそんな暇など与えない。相手は何もかもを力でひれ伏せる女である。
「ぬぅぅおおおおおおおおおおお!」
サギナの一撃は渾身と呼んで良い。低い姿勢で懐に潜り込み長槍は一直線に頭部へと向かう。
本来なら躱せない、躱せるはずがないのだが、相手は理から外れた化け物。ヒビを庇うように自ら首を突き出し長槍の穂先を喉元で受ける。
「これを防ぐか婿よ!」
————穂先がガリガリと鱗を削ると鮮血が飛び散る。サギナ全力の一撃はまさかの結果で防がれてしまう。
歯ぎしりをする間もなく、化け物の追撃がサギナを襲う。ひどくデタラメな一撃である。鉤爪でもなく、拳を握るでもなく、だらりと腑抜けた一撃がサギナの腹部へと直撃。それでもサギナを地に沈めるには十分な威力である。
サギナは吐血した。おそらく骨が何本か折れ、内臓も破壊されたはずだ。たったの一撃で、世界の強者と肩を並べる女が倒れていく。
この戦いはやはり勝ち目が無いが、だからといって諦める道理など一片もない。
地に倒れる前にサギナの口角は僅かに上がっていた。化け物にはその意味がわからない。止めを刺そうと追撃を繰り出すが——。
「言っただろう。フルカスは私よりもしつこいと」
その言葉と共にサギナは地に倒れる——! 直後に化け物の視界に灰色の塊が飛び込んできた。次いでバキリと硬質が砕ける音。灰色の塊は短槍フルカスであり、短槍は化け物の頭部に突き刺さっていたのだ。
ニヤリと笑う黒い女。
長槍は囮であり、本命は単槍。フルカスはいつの間にかサギナの手から離れており、それを風魔法で操るという連携技で化け物に一矢報いたのだ。風魔法を駆使し、短槍を操ったのは勿論。
「よくやった! 凛」
「サギナ!」
「心配いらん、直ぐに治るさ」
凛は危険を顧みずにサギナへと向かい、倒れるサギナを今度は凛が介抱した。
一撃を受けた化け物は一歩、二歩と後退していく。短槍を引き抜くと細かな鱗がパラパラと落ちる。ヒビだけでなく穴が開く、そこからは綾人の鼻と口が露わになる。頭部の黒鱗を四分の一を砕くことに成功した。
化け物は低く唸る。それこそ獣のように。元は華やかであった色街の一角は瓦礫や戦闘の後でその煌びやかな印象を微塵もない。夥しいほどの魔物はもう数えるほどしかいない。それらも命が惜しいのか逃げ出していく。化け物が後退した足を前にだす。それは近くにいるサギナと凛に攻撃を仕掛けるため。
「おらおらおらおらおら! 次は俺様達の番だ! 行くぞ、ブットル! ティターニ!」
それはさせまいとルードが飛び出す。ブットルが杖を構え魔法を展開する。ティターニは早業で弓を引き、今が勝機とばかりに畳み掛けを行う。




