再会
右鉤爪で蛙の腹部を破り、高高度な氷壁を砕き、そのまま泥沼に腕を突っ込み魔法の発生を打ち消してしまう。
魔法に触れるだけなら、古代武器でならば可能だが、打ち消すまではできない。それを腕の一振りで成し遂げるのは有り得ない。
化け物は本能で攻めどきと理解し、ティターニに迫り再度右腕を掲げる。
死の恐怖などティターニには日常であり動揺は無い。
瞬時に二振りの短剣を構え、スキルをフル活用しその一撃へと対応していく。これまで何度となく戦いを勝ち抜いてきたスキルは、勝利を捧げるべく化け物へと向かうが——。
「でたらめ過ぎるわ!」
——ティターニの最大火力。スキル 羅刹と神威の合わせ技を化け物は片手で受け止める。
超高高度x線レーザービームと化した一撃を受ければ、人など跡形もなく消し飛ぶのだが、それを片手で受け止めるのはまさにでたらめである。
不味い——。
ティターニに明確な死が迫る——だがもちろんそれを許す水王ではない。
「狂水竜の顎」
空には直径二十メートル程の大きな魔法陣が現れる。ブットル最大魔法である。
魔法陣より這い出るは竜。
野太い胴体にはかぎりなく透明に近い水色の鱗が所狭しと並び、美しさを際立たせる。
鋭い牙がある大口を開け天へと叫ぶ姿は神々しく、ティターニと化け物は水竜の叫びにより僅かに体を緊張させた。
亜人帝国での戦いでは扱いに難があり、また様々な要因が重なり十全にその力を発揮できなかったが今は違う。
あの戦争を経て、ブットルは己の成長を感じている。
自分の為に力を使うのでは無い。この力は恩人を、仲間を、大事な人を守る為に使う。杖を握る手に力が入る。
——師匠、力を貸してください。
水竜への命令はシンプルであった。
「いけ」
ジツと黒鱗を纏う化け物を見ていた水竜が動き出す。その速さは圧倒的であり、一秒未満で化け物へと襲いかかる。開かれた大顎には太く鋭い牙。
化け物はティターニに向けていた体を水竜へと向ける。意思が無い化け物だが、アレを止めろと本能が訴えていた。直後にティターニは距離をとりブットルを見た。
「とんでもない魔法だわ」
規格外の魔法にティターニが顔を顰めた。それは、様々な意味合いがあるが一番は——。
「これでも押し切れないか!」
ブットルが焦りの声を出した。ティターニは声にこそ出さないが同じ気持ちである。
おそらく世界最高峰の一旦と呼んでもよい魔法だが、それでも押し切れないからだ。
本来なら水竜にのみこまれた者は数秒で消えていくが——化け物は水竜を受け止めていた。
ブットルが操る水竜は亜人帝国の時よりも数段威力を向上させているが、大顎に手を回しがっしりと受け止め、やや後ずさりするのみである。
水竜の圧力には暴蘭の女王も舌を巻いている。それでも化け物には届かない。普段の無表情たるブットルが鬼の形相である。それがどれほどの負荷なのかが見て取れる。
「私も、無理をする必要がありそうね」
ティターニは呼吸を整える。
化け物から視線を外さずに地面に手を置き、か細い呼吸を繰り返すと直ぐにティターニの足元に緑色の魔法陣が現れる。
現れた魔法陣が一度回転すると、別の魔法陣が発生する。魔法陣同士が繋がるとさらに現れる。繋がりながらも増えていき、やがて何もない一面を覆い出す。
次には緑が芽吹くと、若草は急成長し、続き多彩な花々が現れる、嵐に負けじと成長を続け、直ぐに消失した一帯に色が生まれた。続いてティターニの周囲に木々が生まれ、蘭が花を咲かせる。
ただの蘭ではない。暴蘭である。
水竜の大顎を受けとめている化け物の足元にも当然に緑があり、それらも急成長し黒鱗が犇めく体へと絡み始め、若草、蔦、蔓、それらに付属する花々が一つの蘭に形を変えようと動き出す。
メキリと聞こえてはならない音。化け物の片腕がひしゃげ、曲がらない方向へと曲がっていた。次にはもう片腕にも巻きつく草花。
蘭を咲かせるためにせっせと働く草花を化け物はなぎ払うが、無尽蔵に現れ体へと巻きつき自由を奪い取っていく。
「とんでもないな」
視線を化け物に向けたままブットルが呟いた。
羅刹と神威だけでも、規格外ではあるが暴蘭の花を咲かせるために、必要な工程の森羅万象、絶対女王を顔色一つ変えずに使用するのはありえないことである。
水王と暴蘭の女王の初めての合わせ技を受ける相手が空上綾人というのは、なんとも皮肉である。だが——。
「ブットル!」
「分かっているさ!」
二人の攻撃が化け物に向かう。
黒鱗に絡まる草花の数が増す。化け物は足掻き蹴散らそうとするが相手はそれだけではない。
————————
けたたましい鳴き声と共に水竜の大顎が化け物を噛み砕いた。それは言葉通りである。
化け物の半身は水竜により消失し、続けざまに草花が勢いをつけ黒鱗を拘束する。蘭へと姿が変わってないが、化け物の体はギリギリと軋み始めていく。
「止まったのかしら?」
「どうだろうな」
二人は乾いた喉を使いそれだけを会話する。場にはただ緊張感が漂う。油断なく構えている中、化け物は堂々と、その化け物たる兆しを発揮する。
失われた右半身が再生していく。
草花に絡まった手足を強引に動かし移動する。本来動くはずのない——暴蘭の女王が作った草花は絶対に千切れることはないのだが、絶対が覆る。
「なんて出鱈目な! 綾人であることは間違いないようね!」
「今はそんなことを言っている場合か!」
体が裂けても、食われても動くその姿は空上綾人の行動そのものであり、妙なことで綾人らしさを感じたティターニにブットルが声を荒げた。
もちろんティターニとて場違いな発言なのは自覚している、そう言っておかなければのまれてしまう為の発言である。
化け物はゆっくりだが強引に、強行に歩を進めていく。
ティターニは草花を増加させ、ブットルは水竜を操り足止めを行うが、それらは無意味に終わる。
化け物は事もあろうに水竜を喰らい、それに飽き足らず草花まで喰らい出したからである。唖然とする二人。当然である。魔法を、スキルを食らうなど、どんなことがあっても有り得ない。悪魔アスモデアの言う、理から外れた存在故にできたことなのだろう。
——不味い。
このまま消耗戦になれば負けるのは目に見えている。ティターニとブットルは焦るが今は足止めをするだけで精一杯である。魔法を、スキルを止めてしまえば、立ち所に殺られるが想定できるからだ。
——このままでは不味い。
二人の心情を表すように嵐が強くなっていく。雨風は一層に増し、まるで空間すべてが笑っているようである。死が百戦錬磨の二人へとゆっくりと近づいた時—— 。
「やいやいやいやい! 相棒やい! 何をバカな姿をしてやがるんだ!」
現れたのはルード。
嵐に負けまいと小さな羽を動かしながら、真っ直ぐにルードは化け物へと向かっていく。
「こんのバカチンが! おめぇはそんなんで食われるタマだったのかよ! このすっとこどっこい! 俺様は仲間を傷つける野郎に血を分けてやった覚えはねぇぞこの野郎!」
「ルード!」
その危険な行為にティターニとブットルが止めようとするが、魔法とスキルを、化け物の足止めをやめる訳にもいかずに声だけを荒げた。
「こんちくしょうが!」
ルードは体を強張らせ、勢いそのままに、小さな頭で化け物へと頭突きをした。
——ゴツン! と音はしなかったがそう聞こえたように感じた。ルードはもう一度頭突きをする、やはり音はない。
「負けてんじゃねぇぞ! この童貞野郎!」
さらにもう一度、頭突きをした。
「てめぇは俺様が見込んだ男だろうが! しょうもない力に、自分に負けてんじゃんねぇ!」
ルード自身体が小さいので、頭突きの威力などたかが知れている。
—————!
だが——化け物は低い唸り声を上げ足元をフラつかせた。
ブットルの最強魔法も、ティターニの最強スキルも、古代生物兵器ヒルコの、悪魔の攻撃にも耐えていた化け物が初めて見せた姿。
よろめく化け物はふらつき膝を付く。すぐさま水竜は体を化け物に巻き付け動きを封じる、草花も同じく拘束する。
水竜が食われることも、草花がちぎれることもなかった。ルードは腕を組み化け物を見下ろす。
——バキリと音がした。化け物の顔面にはヒビが入っていた。ルードが頭突きをした箇所からである。
ようやく化け物の動きが止まる、そして——。
「お、お前も、童貞、だろうが——」
うつむく化け物からはそんな声が聞こえた。
その声は間違いようがなく、空上綾人の声であった。
ニヤリと笑うルードはこう答えた。
「アホか! やりまくりだったわ」
不適に笑う幼竜に合わせ、化け物から乾いた笑いが聞こえ出した。




