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化け物と悪魔


 ベルゼが去ったあと、化け物は地面に倒れた。傷の治りは遅く、自らの爪で突き立てた傷の深さは相当であった。


 僅かに、ほんの僅かに時が流れたあと、嵐の中で唐突にその声は響いた。


「オイオイオイオイ! なんだこりゃ! どうなってんだ! 最高のご馳走がズタボロだぞ! カカカッ! 面白いが笑えない状況だ」


 アクアと綾人の戦いで滅んだ場所に別の者が現れた。

 誰も反応ができない。綾人は倒れており、アクアは動く事なく蹲っている。ヒルコは小刻みな痙攣を起こし時に動かなくなり、余命の短さを表す行動をしている。


 そんな三者の間に声高らかな男の声が響く。


 芸術のような美丈夫たる男である。

 上品なダークスーツを着用し、白いワイシャツに差し色の緋色のネクタイ。高級感が漂う黒の革靴を履いている。金色の髪を後ろに撫でる男は——悪魔アスモデアであった。


 水も滴る良い男とは彼の為にあるような言葉である。それほどまでに色気があり、見る者を魅了する雰囲気に満ちていた。


 嵐の中、アスモデアはすんと鼻を鳴らし、大きく息を吸い込む。


「良い! 生命力は微弱だが濃密な死の匂いが満ちている。ここに俺が求めていたものがある!」


 カカカッ! と大声で笑うアスモデアに反応するものは誰もいない。ふむ——と顎先に手を当てる悪魔は周囲を見渡す。


「舌先三寸悪魔の匂いがするな、あいつはまた何かやっていたのか?」


 アスモデアの言うあいつとは、ベルゼを指しているのだろう。悪魔は煩わしい顔付きとなり唾を吐き捨てる。


「濃密な死の匂いが霞んでしまうな。気分が悪い——」


「旦那! 早いとこ食事を済ませてくれよ! 早いとこ海国をズラかろうぜ! 街に溢れてる魔物も俺らとは別口だ、嫌な予感しかしねぇや」


 現れたのはアスモデアだけではなかった。周囲を警戒しながら歩くのは魔人族の男。いつもの——キキキ——という笑い声はださずにいる所に海国の状況が見て取れる。


「黙れノーマ——ほう、これがヒルコか」


 アスモデアノーマに冷たく言葉を飛ばす。悪魔の瞳にはヒルコしか見えていない。


「弱ってはいるが、馳走だぞ。どれ、いただこうか——ん?」


 悪魔は口内から溢れた涎を拭き取り歩き出す。その顔は少年のように無邪気である。

 だがヒルコへと向かう途中に僅かな違和感を覚え足を止める。違和感の発生場所に視線を向けると、黒い塊があった。


「なんとも、得体の知れないものだ。このアスモデアを唸らせるとは——興味があるな」


 ヒルコのみに向いていた意識が地に倒れていた黒い塊——空上綾人だった者へと向かう。その間にも、ノーマは急かすように言葉を荒げていた。


「旦那! 早く逃げようぜってば! 俺はいま生身の体なんだよ! スペアじゃないんだよ! 今死んじまったらそのままお陀仏になっちまう! 早く!」


「うるさい男だ! 逃げたければ何処へなりともいくがいいさ!」


「そりゃねぇぜ旦那! 俺はあんたに仕えるよう偉いさん方に言われてるんだよ! 旦那を放っておいたら俺が奴らに殺されちまうぜ!」


「ふん。俺にとっては、貴様ら魔人族の事情などどうでもいいだよノーマ。俺は上手いものが食えれば良いんだ、そもそも悪魔と手を組んでも良いことなの無いぞ、可哀想だな魔人族というのは」


「だ、旦那〜」


 ノーマは何とも情けない声をだしたがアスモデアは一笑し、視線を綾人に戻す。


「実に興味深い。こいつ何だ? 世界の理か外れているぞ……良い! 実に良い! ヒルコなど取るに足らぬわ!」


 強まる嵐の中でアスモデアの笑い声が響いた。


「どれ、よく顔を見せてみろ、ただでさえ黒いのに煤や泥で解らんぞ」


 悪魔は綾人の腕を掴み軽々と上げた。その行為だけでもアスモデアの腕力が異常だと分かる。

 綾人は力なく手足をダラリとしている。見ようによっては死んでいるようにも見える。


「生きてはいるのか? なら死ぬ前にさっさと喰らってやろう」


 悪魔は綾人の顔を覗き込んだあと、これでもかと大口を開ける。人間の容姿では考えられないほどだ。


 綾人の口からは、白い流動性が溢れ出す。

 これは、あの時と同じである、悪魔が若い少年を喰らった時と同じ光景である。それを見てノーマは独りごちる。


「なんだよ、体のスペアが手に入るのは嬉しいが、黒い塊の体なんて気味が悪いな」


 悪魔と魔人族にとってはいつもの作業である。

 アスモデアが魂を喰らい、その体をノーマが使う。

 いつものことである。

 なのだが、今回は違った。

 

 ———————‼︎


 嵐の中で化け物の咆哮が響き渡る。

 敵意を剥き出しにしたソレにアスモデアは興奮した。

 どんどんと純度を増す生命力。初めてみる魂の輝き。

 ご馳走以外の何ものでもなかった。興奮せずにはいられない。一気に食食べてはつまらない、ゆっくりと味わうように丁寧に白い流動性を啜っていく。


 アスモデアは今、食事に夢中であり、他が見えていない。何も見えていない故に己の肩に牙が突き立てられている事態に気付いていなかった。


 綾人は再び邪竜となっていた。怒り、増悪、憎しみ、恨み、辛み、全ての負の感情を力に変える。


 一番大きな感情が己への咎であった。

 結局自分は誰も何も救えない人間だという自己嫌悪が楔となり、身も心も邪竜に変化することへの手助けとなっている、


 ただひたすらに、一心不乱に、無我夢中で綾人は悪魔の体を喰らいだす。

 ゆっくりと啜るアスモデアに対し、綾人の咀嚼が上回る。アスモデアが食われていることに気づいたのは、左胸を食われた辺りであった。


「なんだ、お前も腹が減っていたのか⁉︎ にしても悪魔たる俺に負傷を与えるとはやるな! お前は、世の理から外れているからできる所行というところか! それでも悪魔の肉を喰らうなど正気の沙汰と思えんぞ! カカカカ! 良い! 実に良い! 俺は理不尽が好きだ、大好きだ! お前のような存在に食われて死ぬのも面白いかもしれない!」


 ——どれ、俺が死ぬ直前まで、お前の魂の輝きを見せてくれ!


 アスモデアは白い流動性を吸うのを止め、邪竜の首筋に歯を立てる。

 全身を硬質な鱗だが、アスモデアの歯は簡単に鱗を砕きその下にある桃色の肉を喰らいだす。


「美味い! こんなに美味い肉が最後の晩餐なら、死ぬのも悪くない‼︎」


 アスモデアの目は血走り狂ったように叫んだ。誰をも魅了する美丈夫ではない、ただ貪欲に己の欲と向き合う悪魔の姿であった。


 互いの興奮と比例するように嵐も強くなっていく。

 喰らいあう両者はどちらも狂っていた。



「やべぇ! こいつはやべぇぞ! 早く! 早く逃げなきゃ、逃げな——」


 そんな光景を見ていたノーマは腰を抜かし、その場でへたりこむ。化け物と悪魔の喰らい合いは恐ろしい言葉のみ表現できた。

 

 巻き込まれないように逃げた方が良いのは分かる。分かるのだが、足が動かない。立てない。おぞましい筈の悪魔と化け物なのだが、どうにも目が離せない。


 目を瞑りたくなる凄惨な光景なのだが、どこか憧憬の眼差しが送ってしまう。


 ノーマの能力は先頭に特化していない。死にかけの体を乗っ取るという力である。情報収集、密偵などに長けている。


 故に戦闘に、己の身一つで敵と戦いに憧れていた。理由は単純にカッコいいからである。

 だが憧れはいつしか侮蔑に変わった。戦闘能力に特化した者たちは次々に死んでいったからである。若く人生の楽しみも知らず死んだ戦闘職の者達。


 中にはノーマを腰抜け呼ばわりしていたものもいたが、その者達ももれなく死んでいった。

 

 ——こんなことなら戦闘なんてするべきではない

  

 ノーマの憧れはいつしか消え失せた。それからは己の能力を徹底的にいかした、小賢しく、狡猾に生き延び、魔人族では悪くない地位に上り詰めた。


 それがノーマという男である。


 ———キキキッ。


 ふとした瞬間に癖である笑い方になっていた。


 ——俺も最後はあんな風に、誰かと殺し合いを。


 憧れは彼の心のなかで死んではいなかった。

 故に動けずにいた。故にもう一人の、舌がよく回る悪魔ベルゼに目を付けられる。ノーマは唐突に姿を消した。


 心根の隙間に弁舌で入り込む。おそらく「きみも強くなってみないか?」と問われたのかもしれない。この状況で、間近で憧れを見入った男にとっては甘い蜜である。憧れを抱きながらそれほど深く考えずに頷いた。


 ノーマはベルゼの魔手に絡め取られ消えていく。海国を引っ掻き回した男の最後はあまりにも呆気ないものであった。



 

ーーー

 



「はは! はははっ! ——」


 ノーマが消えて間もなく悪魔と化け物の食い合いも終わりを迎える。化け物の牙が悪魔の顎を砕き、喉を潰した。


 終始笑い声を上げていたアスモデアは食い合う口と声を失う。そこからは一瞬で勝負がついた。化け物はがむしゃらに悪魔を喰らう。


 やがて立てなくなった悪魔を押し倒し、頭部を、腕を、腹部を咀嚼し始めた。悪魔はそれから動かなくなる。化け物はそれでも構わずに肉を食らっていた。


 悪魔の肉はよほど美味いのだろうか。化け物は貪欲に、一心不乱に貪り食っていた為に、乱入者への気付きが遅れてしまう。


 化け物は何かを察し急遽後方へと跳躍する。離れたと同時に風を切る矢が一条、化け物のいた場所に突き刺さる。


 続けての矢の攻撃は足元を掠めた。だが硬質の鱗はそれを弾き飛ばす。

 矢の攻撃では鱗は割れない。手負いの獣のようにふらふらと立ち上がり強襲者に威嚇を放つ。


「まるで獣ね。バカ」


 現れたのは共に視線をくぐり抜けてきた相棒である。

 いつもの調子であるティターニに、化け物は鋭い眼差しを向けた。


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