母と子
——いてぇ。
腕と首を切り落とされたが、どうしてか生きている自分自身が不思議である。でも生きているならそれで良いと切り替える。
——こいつの口から飛鷹を、皆を殺したとはっきりと聞きだす。
度重なる炎で体を焼かれる。
——あちぃ。
それでも死なない自分が不思議である。
斬られても焼かれても死なない自分。
どこかおかしくなったのだろうか? だが——今はどうでもいい。
飛鷹が受けた痛みはこんなもんじゃねぇぞ。また、一歩足を前に出す。
「どうして生きている? お前は何者なんだ⁉」
「あぁ? んなことどうでもいいんだよ‼︎ 俺の質問に答えろよクソ女!」
対峙する二人はようやく言葉を交わした。
火の女神と化け物たる少年である。
周囲が滅んでいる場所にポツリと存在し向かい合う。
アクアはあくまでも斬り殺す手段に徹し明炎王炎の刃を閃かせ、綾人の首に刃をはしらせる。
刃は首半分で止まり切断を許さなかった。
切れ味が落ちた訳ではない。
アクアの腕が落ちた訳でもない。
綾人の体が異常であるだけだ。
首半分を切断したというのに血が出ていない。
いよいよ、真に化け物染みた男になっていた。
赤刀の第二手は化け物の左手によって阻止される。
赤々と熱を発する刃を綾人は右手で掴む。アクアが引き戻そうとするが、がっしりと掴まれた手からは抜けそうもない。
明炎王刀は本来、刃先に触れた時点で着火し、対象物を燃やすのだが綾人の右手は燃える事がない。肉を焼く焦げ臭さのみが鼻腔を掠めるのみである。
「さっきからよ、ごちゃごちゃうるせんだよ!」
綾人の攻撃はまたも右拳である。
普段のアクアならば簡単に避けられるだろうが、今は違う。
超大技による体力の低下。得物を掴まれた焦り、何よりも得体の知れない恐怖に体が強張った。
「るらぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
一撃がアクアの顔面を捉えた。
いつものように型も構えもない、ただただ全力の拳。だが、アクアの戦意は十分に削いでく。
拳が顔面に当たる瞬間に一の剣は後方へと跳躍し威力を相殺した。相殺したが一撃はそれ以上であった。
右拳の一撃で吹き飛ばされ地面へと転がっていく。
声にならない声が喉より発せられた。美姫たる顔はその一撃で台無しとなり、立ち上がり反撃しようにも、四肢を支えられず何度も崩れ落ちる。
たったの一撃でここまで追いつめられるなど、ありえない。
「おい、飛鷹を殺したのはお前なんだよな」
恫喝ではない平坦な声が真上より落ちる。
見上げると化け物が、否、悪魔か? ともかくも人では無い何かが立っていた。
先ほどから飛鷹、飛鷹とうるさい男である。アクアには今、恐怖は無く増悪だけ、子に親が会うという行為を邪魔する綾人はただの悪の塊。故に悪態となる。
「私の邪魔をするな! さっさと消えろ!」
「こっちの質問に答えろよ!」
アクアが纏う炎の衣を掴み強引に引き上げる。手の平が焼ける音と匂いが静かな空間で滑稽に響く。両者は互いに睨み合い、己の意思を曲げる気配は無い。
「飛鷹を! 皆を! お前が殺したのかよ! なんで殺した! あいつらがお前になにしたって言うんだよ!」
「先ほどからうるさい男だ。飛鷹? あぁ、あの小娘か——」
アクアはようやく合点がいく。
この男は小娘の隣にいてコーガと揉めていた男であったことを、思い出したあと一笑してしまう。
必死になる理由が色恋かと思うとどうにも呆れ、笑ってしまった。ならばと口角を上げる。
「小娘は私が殺しましたよ。白い服を着た集団のことを言っているのだろう? 全員私が殺しましたよ」
アクアは声を荒げるわけでもなく、淡々と告げた。
「この国を救いたい、悪魔を討ちたいでしたか? 阿呆にも程がある」
赤刀が上方へと振られると綾人の手首が切り落とされる。拘束が解け直ぐに刀を構える。
綾人は手首を見る。骨が生まれ、肉がつき、直ぐに元に戻っていく。
「化け物が」
明炎王刀より炎が生まれ、周囲は再び炎に包まれる。
アクアの一閃は綾人の心臓を貫く、貫くと同時に雷に打たれたような強すぎる衝撃が頭部に落ちた。
「さっきから、うぜぇんだよ」
綾人の拳が頭上に落ちた為である。
アクアは衝撃に耐え切れず膝をついた。綾人は心臓に突き刺さる赤刀を抜き取り地面に投げる。
「最後の言葉が化け物かよ、お前の方が滑稽だよ」
アクアは睨み返す。睨み返すだけで反撃はできない、何故なら立てる力が無いからである。
世界にも名を轟かす五剣帝・一の剣アクア・スカイラが、少年に敗れた瞬間であった。
見上げるアクアと見下す綾人という構図のまま僅かに時が止まった。
勝者はグッと拳を握り、ゆっくりと腕を上げる。
——こんな所で、こんな奴に、こんな——こんな所で終われ無い!
睨むアクアだが、勝負は間もなく終わる。だがアクアの執念が奇跡を起こした。
「ヒルコ! 来い! お前の母を守るのだ!」
アクアが最後の力を振り絞ると、気味の悪い叫びが焼け野原と化した周囲に轟く。
ドスンドスンと地を揺るがす足音も聞こえる。叫びの後にはぐちゃぐちゃとした、咀嚼音が耳に届く。アクアと綾人は同じ方向を向く。
そこには生まれたばかりのヒルコがいた。
二足歩行の巨人であった。
水色の体はやや溶けており、肉から滴る汁が地に落ちる、落ちた汁は耳障りな音と共に酸化しヘドロを作る。
匂いも酷く水屍体を集めたようなようである。
関節部分には細かな虹色の鱗が光っていた。
楕円形の顔には目と鼻が無い。代わりに口が複数存在しており、口内には複数人の死体があった。
乱杭歯である歯は一つ一つが小さな短剣のように鋭く、上下に動かすたびに——ぐちゃりと骨が砕かれる音や肉の咀嚼音が周囲にわたる。
楽しむように死体を噛み締めており、中には瀕死の状態の者もいた。
助けてくれ——と叫ぶ前に咀嚼され胃の中へと消えていく。その行為と風貌はまさに化け物と呼ぶに相応しかった。
「あぁ、あぁ〜! ヒルコ! 母の窮地に駆けつけたのですね!」
アクアは無理やりに体を動かし手を伸ばす。
ヒルコは応じるように四足歩行となり、アクアの目線まで頭を下げる。
複数ある口を開けると紫色の長い舌でアクアの求めに応じようとするが——。
「てめぇ、なに人のこと無視してんだよ!」
綾人はヒルコに目もくれずにアクアを蹴り上げようとするが、ヒルコの超音波染みた叫びがそれを阻止。
「黙ってろよ! クソが!」
綾人にとってはヒルコの復活などどうでもよい。
優先すべきは六堂飛鷹の、天使の使徒の敵討ち。それを邪魔するようなら容赦はしない。
「邪魔すんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ‼︎」
「ヒルコ、その男を殺して母を守りなさい! さぁ、早く!」
綾人とアクアは同時に叫んだ。
母の命令を聞く子供のようにヒルコは攻撃を仕掛ける。紫色の舌を槍のように細く、鋭利に尖らせ標的を狙う。
「いてぇじゃなぇかコラァ! ——ッ!」
腹を貫通した舌を掴み、強引に引き寄せ殴ろうとするが——動かない。
——だったらこっちから殴りにいくだけだと、瞬時にヒルコの元まで駆け、大きく拳を振りかぶる。拳はヒルコの気味の悪い顔面に直撃。
大概の敵を黙らせてきた渾身の一撃だが、ヒルコは動じた様子見なく、多数ある口の口角を上げた。
その様子がまた気持ちが悪い。ヒルコは今、玩具が増えたと喜んでいる様である。
「あぁ‼︎ キモいなてめぇ!」
綾人の一撃を受けても平然とした姿であり、今までの敵とは少し毛色が違う。
黒の塊となった拳が再度ヒルコを襲う。一撃、二撃、三撃と連打を浴びせてもヒルコの様子は変わらない。
赤子が母親を叩くが如く、対してダメージを負っていない。
綾人の顔が焦れていく。全力での攻撃が全く意味をなしていないからだ、アクアを一撃で沈めた拳はヒルコには届かない。
ヌルと腹部に刺さったままの舌が動く。腹部から抜かれた舌はゆらゆらと舞った後に、槍の乱舞となり綾人の体に複数の穴を開ける。
ヒルコは飽きがきたとばかりに玩具の破壊を始める。
舌槍での攻撃を止めると、大きな腕を天高く上げそのまま振り下ろし綾人へと叩きつける。
何度も、何度も、それにも飽きたのか今度は複数の口から舌を伸ばす。計九つの舌は先ほどのように槍と化し綾人を貫き、そのまま天高く持ち上げる。
手足、喉、体を貫かれた綾人は磔にされ、身動きが取れず龍の咆哮で威嚇するがヒルコには通じない。
「あはっ! あはははは! 凄い! 素晴らしい! さすが古代生物兵器の化け物だ! 人が神に争う為に作られた最終兵器! これさえあれば私の理想は叶えられる! ヒルコよ! 母の元に来なさい!」
綾人の有様を見たアクアは声高らかに笑う。
その様子は、楽しくて楽しくて仕方ないようである。
それもそうであり、長年の夢であるヒルコの復活を成し遂げ、理想を、一国を、世界を一人で潰す事が叶えられるのだから。
アクアが手を差し伸べるとヒルコは首を曲げ、母を見る。目がないヒルコの口元がニタリと笑う。その姿にアクアも笑う。
以心伝心した我が子に命令を下す。
——磔にした男を殺せ!
ヒルコが気味の悪い返事をした。犬が鳴くような「オン」とも聞こえれば虫の羽音にも聞こえる。
母の言葉に子が動く——綾人に突き刺したままの舌を一本抜く——。
「——えっ?」
それはアクアの声である。
どうしてか右目に熱を感じた、次いで痛み、そっと手を当てれば、ねちょりとした感覚が指先に伝わる。
磔にされたものはまだ死んでおらず、じたばたともがいている。
「ヒル、コ?」
それは血である。
アクア自身の血。
ヒルコの舌先は、綾人の心臓ではなくアクアの右目へと向かったのである。
「うそ」
理解できない母を呆れるように、ヒルコは気味の悪い笑いで答える。
舌の上にはアクアの赤い瞳が転がっている。ゆっくりと味わうようにヒルコが咀嚼。味わい尽くしたあとには穂先が再び動く、今度はアクアの腹部を貫く。
重症のアクアは子の攻撃で一歩も動けぬ体となる。
「どうして、お前は、私の言う事を、聞くよう、に。研究者達に——そうするように、調整していたのに——」
アクアがヒルコに自信満々で命令を下す理由が解明される。
だが、きっと研究者達は、それをよしとせず反抗したのだろう。無理やりに閉じ込め強制した結果が返ってきた。
「母の、言うことを——!」
慌てた様子を不気味な声であざ笑うヒルコは、ゆっくりと能面たる顔をアクアへと近づけていく。
鼻先三寸で母と子が向き合う。
ヒルコの顔はアクアの全身と同じ大きさである。
全ての口が口角を上げゲラゲラと笑い母へと絶望を捧げる。這い出た舌は穴となった右目に向かい、血を吸いだしている。
アクアは一歩も動けない。
絶望に染まっている。やがて死ぬ。それだけが理解できた。
今まで自分は何をやっていたのだろうか?
何の為に生きてきたのだろうか?
化け物を作り、その化け物に殺されるなど——どんな喜劇なのだろうか?
ヒルコは血を吸う行為に飽きたのか大口を開け、食事の準備を始めた。
その緩慢な動作を、どこか他人毎のように、アクアは眺めていた。




