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火の女神と化け物


 雨風の激しさと比例するように、ヒルコの産声が鳴り響く。

 海国は突如現れた魔物の咆哮と、人々の悲鳴に溢れている。だがこの色街の外れの一角ではその音はさほど気にはならない。


 空上綾人とアクア・スカイラ以外は誰もおらず、二人はただ睨み合っていた。


 ややあってから、ようやくアクアが動き出した。折角良い気持ちになっていたのに台無しである。酷く緩慢な動きで明炎王刀に手を掛ける。


「とりあえずよ。確認しとくは、お前が飛鷹や、蛸爺、猫婆、それと皆を、殺したんだよな?」


 空上綾人もまた緩慢な動作でゆっくりと近づいていく。

 武器は己の拳のみ、睨む瞳は龍となっている。


「なんだ、お前は——」


 アクアは足を止めてしまう。

 ただの邪魔者であった小者が、言いようのない呪いを纏い、形容しがたい容姿となったからだ。

 禍々しいと言ってしまえばそれまでだが、それ以外に言葉が見つからない。


 本能が告げた。こいつは今、この場で斬り殺すべきだと。


 抜刀の速さは驚異である。

 才能の塊であるアクアは、真紅に染まる刀身を外気に晒すと周囲に業炎が舞い踊る。


 罪人を焼く地獄の猛火にも似た、猛々しい炎が周囲を取り囲み、次いで綾人に襲いかかる。

 綾人が炎に包まれると同時にアクアは二の手を放つ。


炎虎(リーラーグ)


 明炎王刀の刀身は熱を上げ、火を起こし、炎となり、炎はやがて大きな虎へと姿を変えた。

 炎より生まれた炎虎は、触れれば骨すらも溶かす熱をもっており、アクアが名を呼ぶと、大きな咆哮と共に標的へと向かい出す。


 大きな炎の渦が天高く昇る。

 決着は一瞬であった。

 常軌を逸した炎は、どんな者でも一溜まりもない。骨すら残さずに消し炭になるだろう。

 

 ——とアクアは思った—— が、ゾワリと不快感が全身を襲い、直ぐに後方へと大きく跳躍する。


 (ごう)! ——と大地が軋む轟音が、ヒルコの産声の合間に響く。


 先ほどまでアクアがいた場所は地面が陥没していた。

 大きな陥没の中心地には炎を纏う綾人がおり、綾人は「逃げんなよ」と呟いた。


 アクアには、綾人の姿が、悪魔が大地に腕を突き刺しているように見えた。


 炎の直撃を受け、炎虎の攻撃をまるで気にした様子も見えない、普通ならば簡単に命を刈り取る技である。だが空上綾人は火傷も外傷もなく、ただ炎を纏っていただけであった。

 

 それは、異常である。


 ヒルコは再会を急かすように産声が大きくなり始めた。



 ——体が軽い。


 空上綾人は敵を睨む。

 きっと飛鷹が、蛸爺が、猫婆が、皆が、力を貸してくれているんだな——とガラにもない感傷的な気持ちが、叫ぶことのない慟哭を強くする。


 睨む相手は自分ではなく、先ほどから聞こえる奇妙な叫び——ヒルコの産声——に気を取られてばかりいる。


 ——ざけんな‼︎ こっちを見ろ! 俺を見ろ! 皆を見ろ‼︎ 渦巻く感情は言葉では表現できずに肥大していき、黒く濁った塊へと変貌していく。




紅天女(アファーレィーガ)


 赤刀から熱波が立ち上る。

 炎の波が一度大きく渦巻くと、美しい女が明炎王刀より現れた。


 炎の体に炎の羽衣、炎の顔は工芸品のように美しく、炎の髪はジリと燃えながら腰付近でゆらゆらと動く、背中には大きな炎翼。


 美しい紅天女はアクアの背後に回り腕を回し、敵である綾人に最大の威嚇を発する。


 炎に焼かれる悪魔はそれがどうしたと言わんばかりに歩みを再開する。

 天女が緋色の翼をはためかせ空を飛ぶ、翼が広がると息を吸うのも憚られる程の熱波が広がる。

 

 綾人とアクアの周囲は火の海と呼んでも過言ではない。

 炎翼から無数の羽が噴出し綾人を襲う。


 羽は小刀に似た鋭である。

 翼から噴出すると同時に素早く綾人の体に穴を開け、穴からは炎が広がり肉を焦がす。


 それが無数である、もう勝負は決まったものである。

 

 どんな者でも、体に穴を無数に開けられ、その直後に傷口を焼かれれば一溜りもないだろう。

 羽は標的へと飛んでは燃え、飛んでは燃える為、綾人の姿は炎にのまれている。即死でもおかしくない状況であるが紅天女の攻撃は止むことがなかった。


 永遠と羽を飛ばし続けている。単純にその行動が体はまだいると告げている。


 火の海にいるアクアだが冷や汗が流れた。

 自分は何かとんでもないものと対峙しているのでは? そう思った矢先にヒルコの産声が一段と大きくなる。


 アクアは標的ではなく、産声の方角へと視線を送る。

 今はこんな事をしている場合ではない、訳も解らぬ輩と対峙するよりも早くヒルコと——。


「余所見とか、マジでなめてんな!」


 耳に張り付いた言葉は、怒気の塊であった。

真横から死の圧力。


 アクアは咄嗟に身を引くが逃れる事は難しそうだ。

 主人の窮地に紅天女が空より急降下しアクアを守る。


 死の圧力は綾人の右拳。


 炎で生み出された天女である、触れるもの全てを溶解させるのは明白だが、衝突した拳と炎の結果は炎が吹き飛ぶという形に変わる。


 悪魔の右拳は紅天女の右半身を大きくえぐる。

 四散した炎にアクアは驚愕する。

 高々度の炎に包まれても、平素と変わらぬ悪魔のような姿。

 拳で炎を殴り飛ばすというデタラメさ、さらには——。


「まっず——」


 紅天女の炎の残滓を口に含み咀嚼をするという、余計なデタラメさ。

 炎を飲み込み、嚥下できないのは吐き出す姿は、もはや人と呼べぬ化け物である。

 己の体を食われた怒りからか、天女は気狂のように叫ぶ。


「うるせぇよ! 体食われたぐらいでギャーギャー騒ぐなや! 殺すぞ!」


 綾人の恫喝は的外れにも思うが、それでも紅天女は臆しアクアの背中へと身を隠す。


「化け物め」


 我が子に会う邪魔者たる綾人に、アクアは侮蔑も込めた悪態を吐く。

 小細工は通用しない、ならば刀で斬り伏せるのが手堅い方法である。アクアは瞬時に紅天女の頬に手を這わせ、唇を合わせる。

 肉の焼かれる匂いが直ぐさま立ち込めるが、次には消えている。

 

 アクア自身が炎を纏う紅天女になっていた。

 背中にはこの世全てを憎む獄炎の翼。炎の衣はゆらゆらと揺れアクアの女性らしい体を隠す。明炎王刀はより赤色を強くし、触れるもの全てを焼く。


 その姿は炎を纏う天女というよりも、炎を纏う美しい死神である。

 こうして悪魔と化した少年と、炎を纏う死神の戦いが始まった。


 アクアは獄炎の翼をはためかせ、超スピードで敵へと向かう。

 勢いのまま上方より下方に赤い刀が振られる。

 その太刀筋は並みの人間ならば反応できずに、真っ二つになる威力である。


 綾人は咄嗟に腕を掲げるが肘から先の両腕が切断され地面に落ち、胸から腹部にかけて大きな刀傷を受ける。


 返す刀で首を切断。その手際は神の一太刀と名を証明する鮮やかさであった。

 綾人の首は空を舞うと同時に、獄炎が焼く。

 炎翼からは無限とも思える羽が飛び出し、首の無い体に無数に突き刺さると同時に燃え、消し炭になる。


 空上綾人は微塵の存在も残さずに燃えカスとなって消えた。

 圧倒的な実力である。


 綾人がこの異世界で対峙した者達とは違い、美しくも儚い強さであった。

 数々の修羅場をくぐり抜けた綾人といえど、アクアの前では無力に等しかった。


 アクア・スカイラは己の過去と試練と運命に抗い、刃を向け生きてきた女である。

 その思いが、強さに変わっているのと考えれば実力は計り知れない。この力こそが海国最強と言われる所以である。

 

 もう勝負は決した為、刀と炎の乱舞が止む。

 納刀の際のほんの刹那——。


「オイ」 


 化け物の声に、ゾワリと神経が逆立ち、咄嗟に獄炎を空に立ち昇らせる。


 向ける明炎王刀の切っ先には誰もいない。

 確かに声が聞こえた。だが目の前には誰もいない。見えるのは恐怖の為か、震える切っ先のみ。

 完全に存在を燃やしたはずである。それが生きているなどありえない。

 

「一つ聞かせろ。てめぇが飛鷹を、皆を殺したのかよ⁉︎」


 腕と首を落とし、加えて全身を焼失させた化け物は、堂々と真後ろに立っていた。

 化け物が拳を振るう動作をした。それだけでアクアは戦慄する。


 あり得ない未来が見えた。

 たったの一撃で自分が地に伏している姿が想像できたからだ。おかしい。こんな予想は間違っている。

 

 否定をしようにも己の直感がそう告げていた。

 右拳は単純な大振りであった。型も何も無い。不格好だが全力の右拳である。一撃を喰らえば、只では済まない。


 危機的状況だがアクアは焦らない。

 命のやりとりなど、実力者であればよくあることだ。

 むしろ命を削らなければ、一の剣には辿り着けないまである。


 綾人の体が無事なのも奇怪な術の類であると己を納得させ、反撃にでる。

 右拳の威力は計り知れない、だが速度はそれほどでもない


 刀で受け止め、一撃を受け流す。綾人の右腕は明炎王刀に触れただけで焼けだし、周囲に肉の焦げる匂いを充満させる。


 一の剣の別名は神の一太刀。

 実に鮮やかであり、無駄がなく、美しいまでである。

 

 反撃された綾人の首がまた吹き飛ぶ。

 それだけに終わらず、アクアは刀身を突き刺し紅蓮の業火で綾人の体を燃やす。


 再び完全に殺したのだが、直ぐ様気配を感じた。

 斬って落とした筈の首は繋がり、燃やした体がみるみると再生していく。

「化け物が!」アクアは嘆息し再度明炎王炎を閃かせる。


 くだらん術だがいつか終わりが来るだろう。

 それまでに何回も殺せば良いだけだ。アクアの繰り出す炎と斬撃は一向に終わる気配がなく綾人を何度も殺していく。



 ―――



 ——おかしい。殺した回数が三桁に達した際にアクアの懸念が膨れ上がる。


 何度殺しても化け物は復活する。術は解ける気配が無い。 

 アクアの心情に比例するように、炎の温度が高くなる

 戦闘に反応してかヒルコの産声が激しさを増す。

 一刻も早く会いたいのだが、化け物がそれを許さない、何度殺しても死なない様、に焦れるアクアの苛立ちは極限に達する。


「いい加減に死ね」


 アクアの背より生える紅蓮の翼が、数を増やしていく。

 一翼、二翼、三翼と次々に増え、計十二翼の炎を従え、人智を超える炎に一帯が焼かれていく。

 色街の一角が再度炎の海と化した。

 

「我が一撃は森羅万象なり」


 火の女神と見紛うほどに、アクアの姿は神々しくなっていた。

 紅蓮の十二翼ははためき、緋色に染まる髪は神秘的に染まり。赤を固めた瞳は何よりも怒りに満ちている。


 十二翼が動き、空へと舞う女神は赤刀を振り下ろす。


天獄王神炎冥太陽光ハーロ・インザ・アーカーシャ

 

 明炎王刀より生まれた白い炎が地上に落ちる。

 一振りである。たったの一振りで周囲が滅んだ。

 それは、極小の太陽が地に落ちたという表現が適切とも言える。


 生物が存在してはならない。

 超高高度の熱が全てを溶解させ新たな地獄が誕生する。


 —————————。音はない。ただ滅んだだけである。


 何も存在しない地表に火の女神が降り立つ。


 周囲には何も無い。

殺しても死なない男も流石に死んだ筈である。死んだ直後に生き返っても直ぐに皮膚は溶け、肉も溶け、瞬時に内蔵も溶かし、骨すらも溶かしきるのだから流石に生きてはいられない。

 

 邪魔者は消えた。

 これでようやく我が子に逢える。

再度、遠方に見える研究所に向かい出す。

 超最大級の大技を使用した為に体が重い。一歩足を出す度に激痛が走る。それでも我が子に会えればこれまでの苦労など——。


「どこ行くんだよ」


 その声に理解が及ばない。

 

「俺の質問に答えろよ? 飛鷹や皆を殺したのはお前なのかよ⁉︎」


 化け物は飄々とした態度で言葉を放つ。


「どうして生きている? お前は何者なんだ⁉︎」


 火の女神アクアに、恐怖という感情が初めて張り付いた。


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