カナンは鎹
「この状況でも臆さないなんて、凄いな。僕の名前はアルス。君の名前を聞いてもいいかな?」
「空上綾人様と呼ぶことを許す」
不遜な態度を受けアルスは微笑む。だが、それを許さない者が二名。使える主を侮辱された感覚にホッポウとジーナが動く。
「不遜な態度は好きになれませんね」
海巫女が舞う。手の平を空中で遊ばせると潮の匂いが周囲に満ちる。
ホッポウが大剣を提げ、綾人との距離を詰める。だが二人の攻撃は綾人に届かない。
「俺様、到着だぜ! ティターニ! ブットル! 彼奴らだぜ」
「ルード。危ないから下がっていてくれ、ティターニ、俺は女をやる、黒鎧は任せた」
「全く。遅いからなにをしているかと思えば、何をやっているのよ、このバカは!」
言葉尻と共にティターニの短剣がホッポウの大剣を防ぐと、重厚な金属同士がぶつかる音が周囲に反響する。
そのまま拮抗はせず、短剣を器用に操り大剣の起動を変える。
大剣は標的から外れ赤土の地面へと深く刺さる。表情は窺えないがホッポウは自身の一撃をいなしたエルフに少しばかり驚く。
だがそれはティターニも同様であった。たった一撃を防いだだけで、短剣を持つ腕が痺れ上手く操れなかったからだ。
綾人を囲うように地面から水が噴出すると、潮の匂いがブットルの鼻を掠める。
噴出した水は綾人を襲うがブットルの魔法が阻止、指先に描いた魔法陣で噴出した水を一瞬で凍らす。
氷の壁とかしたそれを綾人の拳が砕く。
「海水、なのか?」
本来は魔法で操作し、砕く所まで対応するはずだったが、それが上手くいかずにブットルが難色を示 す。純粋な水であれば操作できたがそれができなかった。
ブットル同様ジーナも難しい顔となっていた。
ジーナの繰り出す水は海水である。
塩分を含んでいる分、通常の水よりは氷にくいのだが、蛙族の魔法は事もなく遂げたからだ。
「綾人、どうして戦っているの? これから大事な一戦があるのよ」
「俺だって知らねぇよ! 言っとくけど喧嘩をふっかけてきたのはアイツらだからな、俺は普通に歩いてただけなのによ!」
「嘘言いなさい、大方そのしょうもないバカ顔を怒りに染めていたから無駄に喧嘩を売ってしまったのよ。バカを支えるこっちの身にもなって頂戴」
「いや、お前って味方なんだよな? どうしてこの状況で俺をディスるんだよ。そういう所だぞダメエルフ」
「仲が良いのは分かるが今は止めてくれ。状況確認をしたい所だが向こうさんは随分とやる気みたいだな」
「そうみたいね。というよりも、待って、あの三人——随分と大物ね、それに凄い組み合わせだわ」
ティターニの声は驚きで固められている。
ブットルもその気持ちはよく分かる。なぜ世界に名を轟かす三名がこの場所におり、ましてや綾人とやり合っていたのだろうか?
戦闘狂は思わぬ大物との出会いに、喜びを隠そうともせず口角を上げる。
綾人は興奮しており、今にも飛びかかりそうな勢いがある。
苦労が絶えないとブットルはため息を吐く。
アルス、ジーナ、ホッポウは一手目を終えてた後、直ぐに距離をとっていた。
カナンを背負うアルスは柔和な笑みをする。ジーナとホッポウが左右に立つ。ジーナは怪訝な顔のまま一度ため息を吐きアルスを見た。
「味方がいたのか。それも相当に手練れのようですね。どうします王子?」
「争いを望まないよ、けど——」
ジーナの声に応えたアルスは背に担ぐカナンを見る。
「カナンが恐怖したのには何か理由があるはずだ、それは突き止めたほうが良いと思ってる。だからあの少年と話をしたい、もし抵抗するのなら仲間の人達も一緒に拘束する」
アルスの言葉にホッポウが頷きジーナが返答をする。
「——御意。ん? 王子、もしかしてあの蛙族の者とエルフは、水王と暴蘭の——」
改めて標的に向き直った時、ジーナがアルスに何かを伝えようとしたが——。
「やいやいやいお前ら! 一体全体どこの奴らだこんちきしょう!」
黒い幼竜の紋切り型な口上が始まった。
「こちとら正義の名のもとに悪を討つってぇのに、それを邪魔するたぁ、ふてぇ野郎達だ、この皇帝邪竜様が沙汰を下す。てめぇらは死刑だ! 我が手下の三名がてめぇ達を処罰してやらぁ! やってしまいなさいダメな手下共よ——」
「邪魔だ黒豆、退いてろ」
ルードを押し退ける綾人はズイと前に出る。
「てめぇら何の用があって俺に喧嘩売ってんのか知らねぇけどよ、こっちは急いでんだよ! やるならマジでやってやるからよ! 殺されてぇ奴から前にでろや!」
綾人がこれでもかと凄むと周囲の空気が変わる。
それは緊張と恐怖であった。それほどの威圧感を放っている。だが、この場にいるのは歴戦の戦士達。
戦士達は綾人の凄んだ迫力に恐怖したのではない、その桁違いな——。
「な、なんだコレは、これは、呪いなのか? 綾人は何かを隠し持っているのか? ——これではまるで——」
ブットルは後ずさりしていた自分に気付いた。
これまで様々な死地を潜り抜けた男は綾人の姿に恐怖し、自らの命を賭してまで力になると決めた相手に恐怖している自分に驚愕した。
ブットルの言葉をティターニが遮る。
その先の言葉を言ってはダメと手の平をブットルに向ける。何度も綾人の変貌した姿を見てきたティターニですら、頬に汗が流れている。
仲間ですらこの反応である。
対峙する者達はより恐怖と驚愕が広がる。
「——ッ! ありえない。なんだ。あの人間は? あんな呪いは初めて見る、あれでは、あれではまるで——」
「まるで——悪魔だ」
ジーナは緊張のあまり喉の渇きを覚え語尾が震える。
アルスは短い言葉で綾人の姿を表した。
「なんだか知らねぇが、黒豆を掴んでる右手がアチィな!」
綾人の右腕、ルードを押しのけた手は龍の鉤爪から変化していた。
黒い鱗は消えている、龍の腕ではない、黒く、歪な、安直な言葉で表すならば禍々しい腕となっている。
五指を開閉する綾人は、自身の腕の熱に首を傾げながらも足を前に出す。
——ドスン! と腹底に響く地鳴りがした。否、実際に地鳴りはしていない。綾人以外がそう感じているだけだ、緊張や恐怖感がそう感じさせている、それほど重々しい空気のためだ。
綾人の姿が変わることはしばしばあった、今までは龍の瞳、龍の鉤爪、龍の脚であったが今は違う。
それこそ悪魔が服を着たような出で立ちだ。
ベルゼが綾人の中に仕掛けた悪魔の種が芽吹き、龍の血と混ざり今の綾人が立っているのは誰も知らない。
「へへっ、いい感じじゃねぇか相棒」
不敵な笑みと共にルードは愛らしい羽を動かし上空へと移動した。
「厄災が歩いている、これは拙いぞ、王子!」
ジーナが息をのむようにアルスに問いかける。
「あぁ、最悪はカナンを連れて二人は逃げてくれ、その時間は僕が稼ぐ」
十の剣 金錬神
そう呟くといつも柔和なアルスの目の色が変わる。
最大奥義、最大火力をもって目の前の悪魔に意識を向ける。
綾人が無遠慮にアルスに近づく。
アルスは一振りの剣を構えている。剣は黄金色に輝く。一手を繰り出そうと覚悟を決め黄金の剣を振りかぶろうとした時に——カナンはただならぬ気配に目を覚ます。
直ぐにアルスの背を飛び出し、走る。
「ダメ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」
綾人とアルスの間に立ったカナンが大きく叫んだ。
小さな体を強張らせながら、カナンはアルスに向き直る。
「カナン——そこを退くんだ」
「ダメ! ケンカダメ! 仲間どうしのケンカだめなの!」
「仲間? なにを言ってるんだ! いいから早く——」
「ダメ〜〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」
アルスは困惑する。怖がりながらも必死なカナン、普段は聞き分けの良い子供なのに、今は頑であり、ここまでの強情な態度を初めて見たからだ。
何度かのアルスとカナンのやりとりが続く、それを止めたのは。
「もういいよ」という綾人の一言。
拳を下げ、アルスに一瞥を送る態度は気怠げであり、戦闘の意志は無い。悪魔のような姿もすっかり消え去り少年の姿となっていた。
隣に立つブットル、ティターニもそうであり、アルスの横に並んだジーナやホッポウにも戦意は無い。
アルスは一呼吸を置く。
「分かった。もう争わないから、笑顔のカナンに戻っておくれ」
カナンに語りかけたアルスは綾人に向き直る。
「先ほどは申し訳ありませんでした。急な争いを引き起こしてしまって」
「別に、いい、けどよ」
素直に謝罪を行えるのがアルスである。
その態度に、存外悪い奴ではないのだろうと綾人は考える。頭を上げたアルスは、先ほどの綾人の姿を考える。
あれは、あの雰囲気は確実に敵である、だが今はそんな雰囲気は微塵も感じられない。
綾人のどこか飄々とした態度も非常に人らしく共感を覚える。
それにカナンが、祓魔師である少女は綾人を仲間と呼んだ。その時点でアルス等と同じ、悪魔を敵と考える人間であるのだろう。
——でも、あの姿と、あの雰囲気はまるで、悪魔——。
「な、なんだよ。ガキ」
「お兄ちゃんのお手伝いしてあげるね」
カナンは綾人に近づき手を握る。純な感情を向けられどう反応してよいのか迷う綾人は、何とも妙な笑顔で応じた。
「ひっ!」
気持ち悪かったのだろう。
カナンは一瞬怯み、手を離してしまう。些細なことで傷つく男である。また顔に出やすい男である。
悲しみが顔に出た直後、優しいカナンはしまったと再度手を握り直す。
「お嬢さんはいい子ね。綾人。あなた、自分で思ってる以上にその笑顔は気持ち悪いから今すぐ止めなさい」
ティターニはカナンに優しく微笑んだ後対峙していた者達を見据える。
「人族最強の矛と言われた光の王子アルス、それと大海獣を従える海巫女ジーナ、黒獅子と呼ばれる地底人ホッポウとお見受けするけどいかがかしら?」
ティターニの問いにアルスが肯く。
「そうです。あなたは暴蘭の女王とお見受けしますが? それにそちらは水王ブットル。凄い組み合わせですね」
「あら? 光の王子に名を覚えられているなんて光栄だわ。ねぇ? ブットル?」
ティターニのわざとらしい仕草にブットルがため息を吐く。
「謙遜はよしてください。あなたからは僕程度に負けないという感情が読み取れますが?」
「あら? そんな事思ってないけれど、そう言うなら試してみる? さっきの続き、ここでやってもよいのだけれど?」
「ケンカだめぇ〜!」
またしても危うげな、戦闘になりそうな気配をカナンが遮る。流石の戦闘狂も子供の叫びには敵わず戦意を削がれてく。
「おい、知り合いか知らねぇけど。俺はもう行くぞ、こっちは急いでんだからよ」
「あっ、待ってくれ——」
綾人はやりとりを無視して一人進もうとする。目的は明確であるからだ。
あの姿を問いただそうとアルスが動くが、それをカナンが止める。
「大丈夫だよ。アルス。直ぐに会えるから」
曖昧なまま空気が弛緩していく。
誰が何を言ってもこの場は纏まらないであろう。
先をいく綾人の背にティターニとブットルが続こうとした時——大きな叫び声が海国に響いた。
————————
それは、鳥の嘶きのようにも聞こえ、女の金切り声にも聞こえ、異界の者の叫びのようにも聞こえる。だが的確に表すならば、大きな産声のようにも聞こえた。
「——ヒルコ」
ティターニとブットルが同時に呟く。
アルス、ジーナ、ホッポウが驚愕な表情で周囲を見据える。だが何も無い。
綾人は上空を睨む。
古代兵器ヒルコが目覚めたのだろう。
研究所で聞いた時よりも不快が耳に張り付く、不安を借りたてる産声には母を求めているように聞こえる。であるならば母たる者は研究所に赴くであろう。
「ぶっ殺す」
目指す場所が明確になった綾人は再度呟いた。




