続く誤解
「先行して街の様子を見てくるわ」
「それが良い。俺とティターニは五剣帝や憲兵に顔を知られているからな。俺も先回って様子を見てこよう」
「おう。頼んだ」
ティターニの言葉にブットルも賛同し、綾人の言葉と同時に二人は姿を消す。
「相棒?」
「ん? どした?」
「無茶はしても良いけど程々にな、俺も二人に見習って街の様子を空から見てくるぜ!」
ルードも飛び立ち綾人は一人歩く。
おそらく気を利かせての一人なのだろう。スンと鼻を鳴らしながら綾人は歩く目的地は惨殺のあった場所、それかヒルコがいる研究所。
目的は一の剣、アクア・スカイラ。必ず探しだして仇を討つと綾人の胸中に復讐の炎が渦巻く。
その行為は当然海国全てとやり合う事になるだろう。下手をすれば、否、下手をしなくても死ぬ可能性は十分にあり得る。
だが、それでも皆の、飛鷹の仇を討つことが今の自分が最も欲しているもの、これも悪魔ベルゼの差し金だろうか? いや、今はどうでもいい。ぶっ潰す。それだけの感情が綾人の足を早めていく。
脳内で色々と思いが巡っており、頭に血が上っているのが自覚できた。
冷静になろうとするがやはり無理であり、考えれば考えるほど、皆の、飛鷹の顔が脳内を過ぎり身を固くする。この激情は止められるはずがない。
そんな中で——「ちょっと、いいかな」——と腕を掴まれる。
「あぁ、んだよ!」
綾人の性格を考えれば、ここまで邪険な態度は取らないが、今は急いでおり、ましてや覚えのない人物であった為に語気は荒くなった。
目前の青年は絵に描いたような困った表情をしていた。人の腕を掴んでおいてその不明瞭な態度に苛立ちは加速していく。
「えっと、その——」
「おい、用があんなら早くしろよ! こっちは急いでんだよ!」
「あ、う、うん。僕はアルスっていうんだけど——」
アルスと空上綾人はよくない形で出会してしまう。
「その、少し君の話を聞かせてくれないかな?」
「はぁ⁉︎」
様子を伺うようなアルスの物言いに綾人の機嫌は殊更に悪くなる。自分を落ち着けようと一呼吸するが、頭の中では復習と悪魔への増悪で埋まっている、今の綾人は冷静とは遠い所にいた。
「っつか、いつまで掴んでんだよ。話すことなんて何もねぇよ!」
またも語気が荒くなり、掴まれていた腕を振り払う。人畜無害なアルスの笑顔も癪にさわる。
関係無いと分かっているがつい八つ当たりしてしまう。明確な舌打ちと同時にわざと肩をぶつけ進む。
肩をぶつけられたアルスはよろけながらも足元にいるカナンを庇うように踏ん張ると、その様子に仲間の危機と感じた人物が綾人の前に立ち塞がる。
「あぁ! んだよ次から次によ、でけぇの、どけよ!」
アルスが突き飛ばされた事に危機と感じた黒騎士ホッポウが、綾人の前に立ち進路を塞ぐ。
誰よりも仲間思いである彼らしいが、その行為は火に油を注ぐ。
「どけよ‼︎」
綾人の怒号が周囲に響く。
高身長のホッポウと綾人では大人と子供のようにも見えるが一切怯む事なく怒号した。
天にも届き、曇天を割るほどの覇気がある。
綾人の瞳が戦闘を望むように龍の瞳へと変わっていく。
「ホッポウ⁉︎ ダメだ!」
唐突にアルスが叫んだ。綾人の大声を直に受けたホッポウは一瞬だけ怯んでしまう。慄いた自身を恥じたのか、それとも向けられた怒号に腹を立てたのか、大きな手の平が前に突き出された。
指先までも黒鋼に包まれている五指を広げる、ヌッと閉じると空間がひしゃげた。
見え方としてはシワ一つ無い白紙をくしゃくしゃにするかのように空間が歪んでいる状態。
手の平を握るホッポウの指先に僅かな血が滴る。巻き込まれたら一溜りも無い。
ホッポウは急いだ様子で五指を広げ空間の歪みを解除する。
アルスの叫びで正気を取り戻したのだ、どうして攻撃を、空間を歪ませ殺すような行為をしたのか、それは仲間をないがしろにされた事や、怒号に腹を立てたわけではない。
ホッポウは、ただただ恐怖したのだ。
目の前の人族の少年の目が、黒色から金色に変わった瞬間に、殺されると思っての自己防衛であった。
いくら恐怖に負けたとはいえ、相手を軽率に殺すことなど心優しいホッポウではありえない事だ。
「ホッポウ!」
アルスの再度の叫びだ。
「先に手を出したのはそっちだかんな!」
声は真横から、ホッポウは咄嗟に振り向こうとしたが、もう遅く、黒い鱗を纏う拳がホッポウの腹部に数秒後に直撃する所であった。
アルスもホッポウもこれには驚いた。
空間の歪みを回避したのだろう、その際に頬に浅い傷は生まれ、それがホッポウの指先を湿らせていた。いつ回避し、いつ反撃に転じたのかをアルスとホッポウは理解ができずにいた。
綾人からすれば、単純に攻撃してきそうな雰囲気があったから避けた。といっても良い。
だが、実際は龍の目が攻撃を読んでいたともいえる。そして足はブーツと一体化し龍脚となった為の超スピードだ。
「おらぁぁぁぁぁ!」気合と共に、ホッポウのドテっ腹に渾身の拳を叩き込もうとしたが、それは阻まれてしまう。
泥に腕を突っ込んだような——ぬっちょり——とした不快な感触が龍と化した拳にまとわりつく。
ホッポウの腹部に拳が当たる事はなく吸い込まれていき、肘までのめり込んでしまう。
「ジーナ。待ってくれ。僕は彼と話を——」
「王子、その人族は話をしても通じない程に興奮している。一度気を失わせたほうが良い。そもそも今の姿を人族と呼べるのかも怪しい」
周辺の警戒をしていたジーナは異変に気付き、魔法かスキルかが発動しホッポウを守ったのだろう。
辺りにはより潮の匂いが満ちる。
「んだよ、三対一かよ、ったく——めんどくせぇな!」
龍の咆哮が轟く。
ホッポウが一度身を引くと黒鎧の表面が波紋のように揺れ、綾人の拳が離れていく。その際にはチャポンという水音がした。
「でけぇ図体して逃げんなよ」
低く怒りが込められた声。距離をとり態勢を立て直す——時間を綾人は与えない。
綾人は距離を詰めホッポウに拳を振るう——大振りの拳に黒鎧の肩口が破壊される。
そのまま攻めようとするが濃密な潮の匂いが鼻を掠める、綾人の直感が上を向けと告げている。そこには海が広がっていた。
は? と疑問に思う間も無く本能が逃げろと訴えている。
上空に広がる海から津波が発生し綾人に襲いかかる。
大質量の水が綾人の体を飲み込む前に龍脚で回避。瞬時に離れ津波を避ける。津波は仲間であるホッポウやアルスを巻き込まずに綾人だけを追っている。
「うざっ! あいつかよ!」
綾人が向かうのは海巫女ジーナ。
離れた場所で攻撃を仕掛けるジーナにトップスピードで間合いを詰める。
——早い! ジーナはそう思った。思ったと同時に拳が目の前に迫っていた。だがまたしても綾人の攻撃は届かなかった。
「うっざぁっ!」
雨で濡れた赤土から木の枝が急激に伸び、綾人の体と拳に巻きついたのだ。
三の剣 木蓮
仲間の傷を負わせまいとアルスが力を振るう。
木の枝はどんどんと伸び綾人の体に絡みつく、必死に毟るが止む事なく伸び続け、絡み続けてくる。綾人は体の自由を奪われてよりイライラが募っていると黒騎士が再び現れる。
ホッポウが両手を前に突き出すと、綾人を攻撃した時の同様に空間が歪む。歪んだ空間に黒騎士が手を入れゆっくりと引き抜くと大剣が握られていた。
それは綾人の背よりも大きい超巨大な黒剣。ホッポウは大剣を綾人に突きつけ、抵抗はするなと無言の警告をする。
身動きが封じられ、目前には強大な剣。周囲には潮の匂いが立ち込める。
攻防は一瞬で決着が着く、アルス、ホッポウ、ジーナはこれで詰んだと思ったが——それを黙って受けるほどこの男は素直ではない。
「くっそうざいんですけどぉ!」
怒りが頂点に達した。こうなると全てをねじ伏せるのがこの空上綾人である。
強引に木の枝を引きちぎる、腕や足の筋が切れようとも構わずに振り払う。自由になった右腕を全力で振りかざし突き付けられた大剣を吹き飛ばす。
潮の匂いが濃くなるのが攻撃の合図と分かっている故に大声を出す。
龍の咆哮にジーナ、アルス、ホッポウが僅かに慄き距離を取る。
三の剣・木蓮の発動が止み、拘束が解かれた綾人は僅かな疲労を見せながらも獰猛な笑みを貼り付ける。
その雰囲気はまさに異貌。龍と化した瞳が標的を捉えると「仕切り直し」だと啖呵を切り出し、僅かな緊張が対峙する三名に走る。強者たるアルス、ホッポウ、ジーナは捉える者から標的へと思考を変え相手を睨む。
「いいじゃん! いいじゃん! その感じ、きらいじゃないぜ!」
敵意を向けられ綾人は高揚する。荒々しい笑み、その雰囲気もまた異常である——と三名は感じた。
空いた距離を先に詰めたのは綾人。
戦い自体を楽しむかのような行為は常軌を逸しており、どこかやけくそのような、八つ当たりのようにも感じられる。
「二の剣 水狐」
アルスが細剣を振るうと周囲に水が発生し、狐の形へと変化する。
水狐と綾人が接触する、突進する水の固まりに拳を当てても損傷は無い、綾人はそう予想をしたが敢えて拳を振り切る。
予想通りにダメージは無い。
水狐は主人の意志に従い、綾人の全身を包み拘束を試みる。
水中に放り込まれた虚脱感が綾人を襲う、このままいけば全身を包まれ戦闘は終わるとアルス達は予想を立てるが、綾人はまだ笑っている。
「——————————‼︎」
綾人は口を開け大声を水狐に向けた。
ただの大声ではない。龍の咆哮と化したソレは相応の威力となっている。
自身の体内へと引きずり込もうとしていた水狐は龍の怒号受けた瞬間に、耐えられないとばかりに、四散してしまう。
瞬時にホッポウとアルスが距離を詰め綾人の動きを封じようと一手を繰り出す。
ホッポウは無骨な大剣を綾人に振り下ろす。アルスは細剣ではなくレイピアの突きを繰り出す。
「四の剣 風猫」
次いでジーナの援護が綾人の足に潮渦が発生。渦は足を絡み移動を禁じる。
非常に統率の取れた連携である、お互いがお互いの能力を知り、それを最大限に生かした連携だ——これにはさすがの綾人も——。
風猫を繰り出そうとした一瞬間、綾人の口元が見えた。獰猛な笑みは消えておらずアルスは薄ら寒い感覚に襲われる。
ホッポウの大剣が垂直に振るわれる、殺すことが目的でないので剣腹である。
綾人は自分から頭をぶつけにいく。大剣と人間の頭である、当然勝つのは大剣だがこの男の場合は違う。
「痛くねぇぞ! コラぁ!」
頭突きで大剣を跳ね除ける。ホッポウはその衝撃で足元がよろけて得物が手から離れる。ぬかるんだ赤土に大剣が深く突き刺さる。
次に綾人は向かうレイピアに体を向け、迫る先端に大口を向ける。その行為にアルスは理解が及ばないが、次の行為でより理解不能に陥る。
レイピアの先端にガギリと噛み、勢いを止め、そのまま強引に顔を背けるとアルスの手からレイピアを離させる。
上下の歯は鋭い牙となっている。次には体の向きを変えホッポウの腕を掴み、強引に引き寄せる。
「んがぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
黒鎧に包まれた巨体を引き寄せ、体をひねり、強引に振り回す。雑なジャイアントスイングでホッポウの体をアルスにぶつけ、次の手を行おうとしたジーナにホッポウを投げつける。
「うそ」
空を飛ぶ巨体にジーナの間の抜けた声が地に落ちる。
轟を発生させながらホッポウが地面に落ちる、なんとか回避したジーナの顔は困惑している。
「で、出鱈目だね」
アルスは立ち上がりながらも、嬉しそうに呟いた。
「怪我したくなかったら、さっさと——」
さっさと退け! そう伝えようとしたが、アルスの表情を見て言葉が止まる。
話を聞くべき相手から、捉えるべき相手へ、そして今は仲間に危害を加える明確な敵を見る目となっていたからだ。
光の王子の顔からは柔和な笑みが消えている。
標的を捉える瞳には歴戦で培われた迫力があり、綾人は思わず息をのむ。
「ホッポウ、ジーナ。本気でいこう」
アルスの声に戦士二人は頷き、標的へと対峙する。
戦いに身を置く三名の圧力は並みの者ならば意識を失ってもおかしくはない。だが 綾人は不敵に微笑み敵を挑発した。




