筋違い
「ってことは昔からある記憶と。今ある書き換えられた記憶がごっちゃになってる。ってことか? じゃあ飛鷹はクラスメイトで、今は天使の使徒で、それで記憶の書き換えが解けたってことは、飛鷹は——」
「そういう可能性もある。おそらく綾人に術をかけた飛鷹という人物は術が解けた後でも自分を忘れないように色々と配慮をしたのだろうな。魔法ってのは複雑だ」
一流の魔法使いたるブットルの指先に水色の淡い光が灯り、消えていく。
それが魔法の儚さを物語っているようだ。
「さて、これからどう動こうかしら?」
仕切り直しとばかりにティターニが問うが綾人は下を向き押し黙っている。
目線は己の拳。何を守るのか、何が敵なのかを思考しているようだ。
「状況はあまり良くないから、決断は急がないとね——」
ティターニのどこか気遣うような言葉であったが、言葉尻は外から聞こえる喧騒にのまれた。
宿の室内にも響く、騒がしい声にルードが「なんだ、なんだ」と窓を開け様子を伺う。
「海国に謀反を起こした連中が現れたそうだ!」
「この国で戦火を巻き起こすバカがいたのか?」
「議会前に行けばそいつらが見られるってよ!」
「よし! 皆行こうぜ!」
浮ついた声の数々である。
それは今の四人にとっては直ぐに当たりがつく。綾人は宿を駆け出し、人山が動く方角に走り出す。
天使の使徒として過ごした記憶は綾人にとっては本物である。
言葉で表すならば仲間である。その仲間が——綾人の胸中は言いようのない不安と寂寥感と悔しさで、ごちゃ混ぜとなっている。
ルードが綾人の後を直ぐに追う。ティターニとブットルは下手をしたら海国自体を敵に回すという考えが浮かびながらも、綾人を追う。
人山の流れは海国の中央にある議会前に向かっていた。綾人は人垣を掻き分けながら先へ先へと進んでいく。
議会前に到着した後も周囲の人だかりは相当なものであり、あいだを抜い、時には掻き分けながらも前へと進んでいく。
「この者達は海国に害をなしたものである!」
喧騒に包まれる場の中で、よく通る女の声が耳に届いた。
それは議会前の門前からであり、綾人が門前まえにたどり着くと同時にまた張りのある女の声が周囲に響く。
「————!」
女がなにか言っているのは耳に届いているが、内容は頭に入ってこない。
門前より中に踏み込もうとすると、会議場を守護する憲兵に立ち入りを禁止される。
「————‼︎」
女がまた何か言っている。その声は綾人には届いているが内容は頭には入らない。
ある一点から視線が離せない。
女は会議場に集まる民に向けて何かを問うている。
この海国の未来についてのようである、赤い、鮫のような瞳が印象的な女。
黒い軍服の上に羽織る、白く大きな羽織は真っ赤に染まっている。女の血ではない。返り血である。
顔や髪にも返り血が付着しており、女を真紅に染めていた。掲げる刀も血のように赤い。
アクア・スカイラが再度声高らかに叫ぶ。
その手には海人族の老いた蛸人と、猫族の老婆の生首が持たれている。それは天使の使徒として綾人の世話をしてくれた二名の首である。
「謀反者は残らず処罰しました。この海国もいつ他国に襲われるのか分かりません。未来の五剣帝になるのはこの中にいるあなた達です! 共に敵からこの国を守りましょう。憲兵への募集お待ちしております」
アクアはその言葉を残すと生首を地面に捨て振り向く。会議場の扉が開くと同時に中に入り姿を消した。
入れ替わりのように多くの憲兵が白い服を着た死体を担ぎながら現れ、蛸爺と猫婆の首が転がる場所に死体を集め出す。
そして、その中に——。
「ひ、ひだっ——」
綾人の言葉は誰にも届かず地に落ちた。
大量にある死体の一角に馴染みのある顔、六堂飛鷹がいた。
黒く濁った目はなにも写しておらず、綾人が叫んでも返答は無い。当然である。
六堂飛鷹は死んでいるのだから。
海国は嵐を予感させる天候の悪さにより、雨が降り出した。
「ひ、だか——」
その言葉を最後に綾人の思考は停止し、ただただ馴染みの者達の姿を傍観していた。
どれくらいの時間が経ったのか、綾人には分からない。
ただ、雨により全身が冷えているところから、かなりの時間そうしていたはずだ。。周囲の野次馬は白い服を着た屍体の山に、揶揄したあと興味なさげとばかりに去っていく。
議会前は今、大きな幕で全体を覆われているので中が把握できない。門前に積み上げられた屍体は幕の中で処理されているのだろうか。中で何か動いている気配だけはしていた。
綾人が来る白い服が雨と土の跳ね返りにより汚れている。
膝を付くその姿は自身も屍体の一角のように見えるが、彼らには死があり自分には生があるので違いは明確だ。
「ひだか、蛸爺、猫婆、皆——」
綾人の口内で何度目かの呟きが溢れる。だが繰り返してもどうにもならない。。
六堂飛鷹の顔が何度も脳内をよぎる。その度に心臓を乱雑に掴まれたような苦しさが襲う。体が重く、立ち上がることができない。
この感情——激情とも呼んでよい感情や心の懊悩は、記憶を書き換えられ、六堂飛鷹との関係を強引に深くしたものだからなのかは謎である。
だが、例え記憶を書き換えられたからといって、今、現時点で、綾人は苦しく、救えなかった仲間たち、六堂飛鷹の死に全身が震えている。
「綾人」
ティターニの声である。
「天使の使徒は、海国に脅威を及ぼす罪人と認知されてしまったようだわ」
銀鈴のような冷たさのある声だ。
ティターニは努めて冷静を振る舞っている。
天使の使徒であるならば、末娘のマリアンヌと関係がある人物達である事が想定され、マリアンヌに関わらなければこの人達は、今、この場所で、謂れなき罪人として殺されていなかったかも知れない。
そう考えるとティターニの握る拳が震え出す。
「あいつらは、何にも悪くねぇよ」
綾人はティターニに言うわけでもなく、自身に言うまでもなく、そう言葉が出た。
それは本心でそう思っていたからだ。
この感情は、この気持ちは嘘ではない。今悲しいと感じているならば、記憶の書き換えという事実などどうでもいいよ、綾人はそう思っている。
「そう」
返すティターニの言葉に熱は無い。
「皆、良い奴だったんだよ。それは間違いねぇよ。罪人なんかじゃねぇよ」
「そう」
雨は激しさを増す。
「どうするんだ?」
力なく立ち上がった綾人にブットルが声をかける。
「わかんねぇ、けど——」
「相棒!」
綾人が会議場に足を進めるのをルードが止めた。
「相棒、あの幕の中にいる奴全員に喧嘩を吹っかける気か? 一緒に過ごした奴らが良い奴だって相棒が言うなら俺様は信じるぜ。けど今は分が悪いぞ、無実を照明する確証がないのに乗り込んでもどうにもならないぜ」
ルードの発言は的を得ている——天使の使徒は罪人である——軍事を司る最高責任者のアクアが声高らかに宣言したのだ。
これは海国の決定であり、民は当然のようにアクアの言葉を鵜呑みにする。
ここで、その言葉が嘘だと囃し立てても状況は変化しない、それこそ明確な証拠があれば話は別だがそんなものは現時点では無い。
逆にアクアを非難することが筋違いとみなされ犯罪者として弾圧される可能性が高い。
「——分かってるよ」
もちろん綾人は重々承知している。気持ちや思いだけでは何も変えられないということを。分かっている上で歩を進めたのは別の理由である。
「今は喧嘩をふっかけたりしねぇよ。今は、あいつらの、皆の遺体をちゃんと供養してやりてぇんだ。だから、死体を盗む。盗んでちゃんとした場所で供養する。その為の喧嘩だったら何遍でもやってやるよ」
濡れた瞳は雨か涙かは判別がつかない。
綾人はティターニ、ブットル、ルードに向き合う。
「だから今から乗り込む。手伝わなくていいぞ。それこそ今から罪人になるってんだからよ」
返答は無かった。綾人は一人でどうにかしなければならないと意を決し会議場に向かおうとした時——。
「うざっ」と耳に届く。それはティターニの言葉である。
「はっ⁉︎」
綾人はティターニの返答が理解できず、もう一度「は?」と言った。
「あぁ、激うざだな」
続けてルードの声である。
「まぁ、俺は激とまではいかないが、まぁ、ゲロうざだな」
最後にブットルがしめた。
「はっ?」
綾人が混乱のあまり間抜けな声を出す。それぞれの顔にはうんざりが貼りついている。
「え? いまさら? ねぇ? いまさらなの? うざっ! この男、本当にうざっ! それとキモっ!」
ティターニが珍しく声を荒げる。
「ティターニ、言い過ぎだぞ、激ゲロうざキモ野郎が可哀想だろ」
「いや、ルード。パワーアップしているぞ。全部の悪口を繋げると相当どうしようもない感じだぞ、でもまぁ、そうだな」
それぞれが大きな溜息を吐く。
綾人にしてみれば意味が分からない返答である。
今から罪人になりにいくのに敢えて巻き込まれる者などいない、綾人なりに今できる精一杯の気を利かせたつもりが返答は先ほどのような言葉。
ティターニとルードはまだ悪態が止まらないのでブットルが間に入る。すっと、指先を空に掲げると大きな水の膜が貼られ、雨を凌ぐ。
「綾人。まぁ、俺はティターニやルードほど付き合いは長くないが、ティターニの言いたいことは分かるな。今更じゃないか?」
「いや⁉︎ な、なにがだよ、なにが今更なんだよ!」
ブットルの優しげな雰囲気に綾人は難色を示す、なんだが気恥ずかしいさにぶっきらぼうな口調で応えた。
「ただ一言、やる。と言えばいいんだよ。そうしたら俺たちは綾人のやることを手伝うだけだ」
ブットルが振り返るとルードのジト目が綾人を見ている。
ティターニはめんどくさそうな顔をしながらも両肩を上げ、その言葉に賛同を示す。
「いや、で、でも、それだと、皆を巻き込んじゃうだろ⁉︎」
「だから、それが今更だとティターニとルードは言ってるんだ」
綾人の反発にブットルは距離を一歩詰め寄り正面に立つ。
「俺は二人ほど綾人との時間は長くない。だから今更というよりこれがそうか。という感覚だ。要は綾人は何度もティターニやルードを巻き込んでいるんだよ。先の1日戦争や、三人が出会ったミストルティンの街でもだ」
綾人は反論ができない。思い返すと自分の行動に二人は大いに巻き込まれている。巻き込まれながらも色々なことを経ても綾人の側にはルード、ティターニ、そして今はブットルも立っている。それが全ての答えである。
今更、巻き込む、という感覚が筋違だ。
一連托生といえば聞こえは良いがこの関係はそんな綺麗なものではない。
綾人、ティターニ、ルードの関係を繋ぐ糸はひどく汚い、擦り切れてもいる、綻びもある。第三者が見れば直ぐに切れてしまう汚い糸だ。
だが、その糸は決して切れない糸である。
なにがこようが、どんな敵がこようが切れない。天災であってもこの糸は切れないだろう。そういう関係性である、そしてその糸に今は、ブットルが加えられている。
「頼ってくれ、綾人。俺を、俺達を。俺の命は二度もお前に救われたんだ。この恩は俺の全てをもって返させてくれ」
「ブッ——ケロ助」
「いや、なんで言い直した。一瞬名前言いかけただろに」
「わざとだよ、わざと!」
背を向ける綾人はどうしてか悪態をついた。綾人の態度にブットルが首を傾げていると説明が入る。
「ブットル。相棒は今、嬉し恥しで悪態をついてるから、これは相棒なりのツンデレだから気にすんな副音声をつけるなら、ありがとう。嬉しくて泣きそうだ。になる」
「本当に周りくどい男よね。キモくてうざくてバカでって、ちょっと待って。綾人、あなた。人として何も良い所が無いじゃない? そういうところよ。全く」
「ブットル。これはティターニなりの励ましだから本気でそう言ってる訳じゃないぞ。副音声をつけるなら、しっかりしなさい。あなたは私たちを束ねる技量があるはずよ。ってな具合だ」
「ちょっとルード、止めて頂戴。私は心から思ったことしか口にしない主義なのよ。ブットル、勘違いしないようにね」
綾人はまだ三人に背を向け、大きな深呼吸をしている、振り向くタイミングを見失ったのだろう。ティターニとルードは気にせずやんよやんよと言っている。
この少し騒々しい雰囲気に身を置く自分が今は心地よいとブットルは感じている。
「これでようやく、俺も仲間入りか——」
呟く者の胸中はじわじわと温かさが広がる。呟いた言葉は雨音と共に消えていった。
飛鷹……ごめん。




