第4話「バレルピストル」
何だ。何を言っているんだこいつらは。今度こそ訳が解らない。俺を介抱しにきてくれたんじゃないのか。解る奴がいたら三十文字以内で説明してくれ。今すぐに。
二人は唇で弧を描く駅員スマイルを維持しながら、統制のとれた紺色スーツを際立たせるゆったりとした動作で緊急セットを展開する。
「……おい一つ訊かせろ」
声帯器官が仕事放棄をして無言を発する俺より先に、恩人が言葉を投げた。
「なんでしょう」駅員らはセットの展開を中断し、律儀にそれを受け取った。「刻々と遅延が嵩んでしまいますので、どうか手短にお願い致します」
「今日の対象者はボウズ含めて五人の筈だが、他が見当たらねえ。どこやった?」
聞き捨てならない内容を俺の耳はしっかりと拾い上げた。五人? 五人って一体どういうことだ。俺の他に四人、巻き込まれた人間がいたとでも言うのか?!
俺は回答を要求するべく、精一杯の睨みを送ってやった。返答次第じゃ『馬合』の尋問会に飛び入りでぶち込んでやりたいね。確か次回の余枠はまだあった筈だ。
駅員の片方──先の会話の内容からして多分佐久間とやら──は手を顎に当てて、御構い無しに考える素振りを見せた。本当に模索したのかって位短い一拍の後、
「大変残念ながら、照合の結果、貴方のお探しの方々は、統合鉄道ネットワークライブラリに登録されておりません。申し訳ごさいません、もう一度名前をお確かめ下さい」
人間分度器を連想させるくらいぴったり斜め四五度のお辞儀をすると、佐久間駅員は薄っぺらい風船ゴムが張り付いたような微笑をしてみせた。会話終了と判断したのか、駅員らは一時停止を止め、展開を再開する。
そもそもこいつらは何を組んでいるんだ? 『馬合』教習の一環で、緊急セットの迅速な展開パターンと相応する器具については一通り頭の中に入ってはいる。だがこいつらのそれは、その何れにも該当しない。いくら記憶を精査してもノーデータ。何のこっちゃ。
「……そうか。とっくのとうに処分されていやがったか」
ぼそりと呟く低い声がそう聞こえた。
本当に待ってくれ。俺を無き者にして話を進めるでない。貴方方にはある共通認識をこちとら所持してはいないんだ。推察しろと言われても情報が足りなさ過ぎる。第一、同じ駅職に就く者同士じゃないのか。どうして互いに対立してるんだ?
「要件が以上のようでしたら──」
現状ばかりに気を取られて、危うく恩人の耳打ちと微かな動作を捉え逃すところだった。
「……右上のボタンだ、ボウズ」
手の中に水滴が所々付着した物体が落下してきた。いや、これは……。
「俺一人じゃちとキツイ。兎に角押し続けろッ」
「──只今より回復処理を実行します」
理解を乞う暇は無かった。恩人が右腰辺りから何かを掴み出す動作と共に繰り出した肘打ちが、俺の身体をくの字に折って飛ばした。次の瞬きで、一コマ前に俺の胴が存在していた空間座標を鋭利な二対の金属光が抉る。
痛覚が思考を鮮明にしていくにつれ、恩人への抗議申請を強制却下した俺の頭上空白地帯が大規模な情報爆発を起こした。ハテナ花が所構わず咲き乱れ、ビッグバン直後の如く膨大な加速度で脳内に拡散していく。
駅員は今何をしかけた?
俺は今何をやられかけた?
まさか。
俺を? 何故?
あり得ない。
何の為に『馬合』があると思ってる。
そんなことはあってはいけない。
つまりは、辺りに赤くて生暖かいドロドロとした液体をぶち撒けていたかもしれないif未来に、俺は手一杯引き攣らせた顔を上げる。
惚ける隙を与えさせずに、視界外からもう片方の駅員が両手で双曲線を描き、スタンプ型物体で胸越しに俺を地面に縫い止めた。瞼を閉じれず晒していた眼球を動かすと、三日月を描く微笑みと目が合う。狂気に染まっている訳はでなく、己の行為に一切の疑問を抱かずむしろ当然であると言外に表情が語っている。一時の脱力感を与えちまう程さ。
「直ぐに済みますので、どうか抵抗なさらないようにお願い申し上げます」
圧し殺してどうにか逃げに徹しようと試みたが、全く通じず完封される。心臓がバクバクと鼓動を荒らす。くそっ。せめて次のこいつの動作が解れば、気の用意くらいは出来るってのに。
ふと、合成プラスティック材質の箱状感触、今朝のガラケーとやらとよく酷似した──いや別種のガラケーなのだろう──を握り締めていたことを思い出した。
ああそうだ!
ボタンだ。押さなければ。横目でガラケーを……って邪魔だ駅員ッ! 手の中で素早く物体を転がし確かめる。幸いなことにその数は少なく、「右上」を捜すのはそう難しくはなかった。
多少なりと交通宗教には感謝せねばなるまい。こうも記憶に新しくなければ、俺は未知の機器にさらなる混乱を招いただろうから。
ええい!
俺は押した。手汗と機器に付着する水分が混ざり合うくらい、縋るように強く。
ゲン担ぎに訊いてやった。
「……何故、こんなことを?」
もっと他に言うことはあっただろう。まあ、後門の狼さんにとなれば、常套句しか出て来なかった。
駅員は圧力と笑みを絶やさずに、
「我らがダイヤグラムの御意志のままにですよ、対象様。理由等無いのです。またそこには駅職員や『馬合』や一般民といった隔りは無く、我ら皆統合鉄道民にとしてダイヤグラムがお示しになるもの即ち導であり、全てなのです」
血の気がすっと引くのが解った。なんてこった。マトモな思考じゃねえ。狂ってやがる。運輸システムの一形態を超パノプティコンか何かと勘違いしてないか? 全然笑えない冗談だぜ。
「おや? 何処へ電話を掛けようと言うのです?」
俺は乾いた唇を舐めた。ボタンは押したままだ。ふん、トランシーバー類の通信器具何かなのか、ガラケーというのは。
取り上げにくるかと思い俺は身を固くする。ところが、駅員は俺の左手から視線を戻し、頬を緩ませ極上の笑み(今の俺にとっちゃ最悪の一言だが)を振り撒くと、名も仕様も解らない元緊急セットの一部であろうスタンプ型パッド装置を構え直した。
「遺言でしたら、私めが僭越ながら御親族にお伝えしましょう。何せ此処立ち入り禁止区域と生活域とでは、電波は遮断されてしまいますから」
嘘だろ?
そこまでは知らねえぞ。
だらだらと冷汗が染み出す。何か上手く辻褄を合わされて、この駅員らが両親に「仕方がない」と説明している姿が脳裏に過る。そんなの真っ平御免だね。
意味あったのか? 俺の足掻きにも満たない一連の行為には。
アテの無い御守り立ち位置へと最早シフトしかけている機器を俺は再び握り締める。
「無いようでしたら。──どうか動かないで下さい。直ぐに済みますので」
チャージを示す独特の電子音が断続的に降ってきた。蓄えを解放すると時間差でエネルギーの塊にでも撃ち抜かれるのだろう。
差し迫るその時。
駅員の姿が蜃気楼のように揺らいだ。
合わせて拘束が外れ、身体が反応するが早いか、心窩に横殴りの衝撃が突き抜けて痛えなこの野郎! 掌でガラケーが跳躍しそうになるが、指だけはボタンを離しはしなかった。
「──ここは我々情報局の領分です。鉄道営業法に従い、運輸管理局には即時撤収を要請します」
深緑で身を包んだ異色の駅員だった。
紺色駅員が降り下ろしていた両腕を絡め取るように蹴り上げ、俺から引っ剥がしたのだと後から解った。
だがそんなことまで気が回る余地が無かった俺は、動いた身体で起き上が、
「お客様は動かないべきです」
ろうとするが、腹上にそっと置かれたカンテラがそれを良しとしなかった。スイッチが入っていやがる。眩しい。いや問題はそこじゃない。まるでそいつに妨げられているかのように身体が上がらない。持ち手を引き上げようにも微動だにしない。逃げられない。
マジかよ。そこだけ空間を固めていると言われちゃ信じてやっても良いくらいだぜこりゃ。
紺色駅員はどれだけ飛ばされたのか。蹴りからかなりズレた時刻にふわりと着地してみせる音が聞こえる。
「これはこれは、情報局の方でありましたか。些かの暴力、一体何事かと思いましたよ。はてさて、運輸管理局の一端にどのようなご用件で?」
深緑色駅員は無機質合成のような抑揚無い声で、
「同私鉄内での内部衝突は避けられるべきであり、その為の線引きであった筈。規定をお忘れになられた訳では無いでしょう?」
「ええ勿論。駅職に就く皆が周知の事項です」
「私は現状への理由提示を求めます」
「私共は我らがダイヤグラムの意を遂行しているに過ぎません。例え衝突を引き起こし兼ねないとしても、代行者たる駅員は全てをダイヤグラムへと導く義務があるのです。故に、此方の対象様を即刻遅延から回復、」
思いもしなかったとこから焦燥を含んで絞り出すような声が聞こえてきた。
「佐久間四等、意見宜しいでしょうか」
「……どうしましたか、塚本五等。貴方の初発失敗が今もこうして遅延を増大させる一方なのは理解出来て……ほほう」
不意に佐久間駅員は滅多にお目に掛かれない色で煌めく蝶を追うように、明後日の方向へと黒目を向けて凝視したかと思うと、今度は塚本駅員──恩人がいる筈の方だ──へと首を回した。
つられて俺も見る。
「!」
無事なようで良かった、と真っ先に安堵の念つくという俺のささやかな願いは残念ながら叶うことはなかった。
恩人は笑っていたのだ。駅員とはまた違う、下手したら獰猛さを読み取り兼ねないそれだった。
実際そうなのかもしれない。
俺の視覚が虚偽の伝達をしていなければ──、光学武装のものと思わしき無数の穴とレンズが不恰好に配置されている前面に、握りと引き金を強引に接着させたガラクタ銃的物体。もしや最初からそれを取り出していたのか。宛らバレルピストルとでも表現するべき、知識ある人間ならば誰しもその形状に生存本能が身を強張らせる装置を恩人は片手にしていた。
この状況に、この人物配列。
やめろ。
そう言わなければならない立場に就く身体が動かない。
賽は投げられていた。
ポタリと、解らない液体が落ちる音がする。河川の靡きより確かだった。
恩人がニヤリと笑う。
「見ての通りだ、運輸管理局さん」
「……ええ、状況終了です。塚本五等」
「了解しました」
直後だ。
紺色駅員二人は元緊急セットを素早く畳み始めた。
時が刻む為にエネルギーを必要するとしたならば、少なくともこの場にいる五人中三人分のを過剰に吸い取ってるんじゃないかと疑える早送りで、瞬く間に紺色駅員二人の手へそれぞれ二ケースの緊急セットが姿を戻していく。
「情報局の要請を受理します」
佐久間駅員がそれだけを言うと、二人は踵を返して元来た土手へと歩いて行った。
腰に力が入らなく『馬合』としてホント情けない俺のことは自分自身だから解るが、舞台を握る他二人までも構えを崩さず、不思議か見送る以外の動作をしてなかったと思う。
変位距離Xを無限大まで飛ばして十分に見えなくなった頃。
ぼんやりとそのまま遠くを見つめていた思考を、バレルピストル型装置の引き金が弾性力を使って通常位置に戻る金属音が、現実へと引き下ろした。
「ケガはねえか、ボウズ」
と同時に、深緑色駅員の姿にノイズのようなブレが見えたか否や、空気に融けるように消えてしまった。
「うわっ!」
声帯が漸く取り戻した第一の仕事がこれだった。
驚愕した俺は反射で後退りしようにも……あれ、起き上がれる。いつの間にか俺を最後まで封じていたカンテラも消失していた。
恩人はバレルピストル型装置を右腰のホルスターらしき入れ物にしまいながら、
「取り敢えずボウズには来てもらわなきゃならん。詳しいことは“下”で説明しちゃるが、……覚えておけ」
「えっ」
恩人は吐き捨てるように、
「これが、鉄道理想社会を謳う関首統合鉄道のやり方だ」
とまあこんな感じで、回想終了だ。
「なるほどね。それで、なされるがままだった君は、僕ら現場急行班に拉致られて此処にいると」
そういうことだ。
ふむ、と普段の俺ならば果たして話を切らずに最後まで聞けたかどうかいやぁ怪しい反鉄道的妄想話に分類されそうな体験談を、律儀にもしっかり聞いてくれたポニーテールは一区切り置くと、
「道楽さんの言ってることと大凡あってるね」
だよなあ。もし立場が逆転していたら、前述の通りで半信半疑どころか一釐信九割九分九釐疑かもしれぬ。
「だから、さっきから三度同じ事を報告してるんですがね。姫さん」
助言を入れてくれたのは、他ならぬ恩人さんだ。道楽さんと言うらしいが、苗字か名前なのかこれだけだといまいち判らんな。
それよりも、恩人さんとポニーテールの会話が噛み合ってるのは意外だな。交通宗教はどいつもこいつも狂人ばっかな筈だが、少なくともこいつらには鉄道営業法を守れるくらいの理性が残っているようだ。現に、所詮はボランティアに過ぎない『馬合』の俺には配慮をせずとも、流石にモノホン駅職は丁重に扱っている点がそう言えなくない。
ポニーテールはそのトレードマークを軽く揺らしながら微笑で肩を竦めてみせると、
「ほら、僕らって正確情報の取り扱いを主とする局じゃん? 一応、ね?」
ポニーテールが俺に歩み寄ってくる。何をする気だ。する前に吐きやがれ。
「別にこっちからは何も危害を加えるつもりはさらさら無いよ。でも拘束状態は続けさせてもらう。僕は礼儀として、君が最初っから望んでいる“説明”をするから、それを聞いた後の反応次第では解いてあげる。当然お約束の条件付きではあるけども日常への帰還もね」
続けられた言葉に、俺は目を見開くことになる。
「一先ず、てんぷれ?から始めようかな。──ようこそ、関首統合鉄道情報局。そして、我ら『メトロス』へっ!」
2017/06/23:第1話から第4話まで一括誤字訂正
2017/06/25:誤字修正
2017/09/15:後書き体裁統一
2017/11/13:文章修正
2018/02/05:文体を変更