第3話「車輌止め」
どうやら、俺は死んでしまったらしい。
そしてこれまた厄介なことに、
「──教えて貰おうか学生君。どうして君がここにいるのかな」
丸机と囲んで配置されたパイプ椅子くらいしかないコンクリート質の殺風景な部屋で、俺は拘束を受けていた。誰にだって? 善良な一般民に対してそんなことを仕出かす連中が数いて堪るか。他ならぬ交通宗教『メトロス』に決まってるじゃないか。
現に今俺を取り囲んでいるのは、今朝の勧誘ポニーテール、それに教徒と思われし複数人だろう。……グラスがぶっこしてる所為で暗視機能が使えん。気配による人数感知なんて大層なことは、残念だが普段からやったことがないのだから出来もしない。よって曖昧な推定人数だ。
さて、どうやら俺は死んだらしいというのはどういうことか。
言っておくが、現世の残酷さや無情さに、無意識下で此処ではないドコカを望む社会傾向を反映した転生モノの如く、現実逃避をしているのでは決してない。
ぶっちゃけつい数分前にポニーテールが俺に言っていた事で、「君、死んだことになってるよ」だってさ。俺は最大限の当て擦りとして受け取りたかったね。だが此処に来るまでのことを加味すると、理解はし難いがどうも誠であると考える自分がいるのも確かなんだ。だってそう受け取るのが一番筋が通っていやがるのだからな。
幸なことか不幸なことか、判断を早急に求める必要はないようだ。こいつらは俺をどうするかを決め兼ねていて、俺の説明を欲している。舞台はまだ動かない。貧相な状況把握だがそれくらいは見て取れた。
俺だってそうだ。何が起こったのかを整理したい。理解したい。一体どうなっちまったのかを知りたい。必要に応じて知識の共有を図ってくれると言われたのだ。皮肉だが有難いじゃないか。
この場においては瞬間的であるが利害は一致している。
順を追って説明したところで、交通宗教なんざが素直に応じてくれるのかだって?
ああ、応じるだろうさ。取引にな。
かと言って信頼を寄せているのは大間違いだ。ただ、自身の感覚器官で得た事実情報は疑いようがないだけだ。
──そうだろう?
此処は。
元私鉄連合が揃いに揃って立ち入りを禁ずる地、旧帝都区域の中。──より正確には、幻と謳われた帝団交通の所属駅、旧浅草なんだろう?
『──本日も、関首統合鉄道をご利用頂きましてありがとうございます。この列車は、急行新浅草行きです。次は終点、新浅草、新浅草です。お乗り換えの──』
いやはや、三十分待つのが嫌だというしょうもない理由で駆け乗ったのは良いが、急ぎ過ぎた行為であったな。
「……暑い」
水分放出に伴う気化熱以外の方向に、人間の身体冷却機能は進化しないものなのかね。この季節独特の曖昧暖房はやめて欲しいと願ったのは今日程は無いかもしれない。火照った身体に絡み付く生温かい風を逃すべく、学ランの前を開け、ぐっしょりと濡れたワイシャツをパタパタと煽る。
タタンタタン、タタラタン。
レールの繋ぎ目を鉄輪が跳ねる音が、準優等列車内に響く。台車の圧縮空気バネが共に織り成す揺籠のような振動に、俺は身を預けていた。
新浅草方面の路線に日中から乗る人はそういない。より高次の安全性を求める社会で、旧帝都立ち入り禁止区域ギリギリを通る路線は好まれないもんな。先の停車駅で、乗車中車輌に至っては俺以外全員が降りたぞ。他もほぼ降りてたな。目的が無ければ、俺だって少しばかりは抵抗がある位だ。
だが、軌道路線であることには変わりは無いんだ。緩やかに絞られた瞼の内に、遥か前方から向かってきては遥か遠くへ走り去っていく見慣れない情景を投射するのも、悪くない。
複々線内側の緩行線駅を、列車は一ミリも躊躇うこと無しに力行で急行線を突っ走る。細目で見た駅版を確認しつつ、自動ドア上部に貼られている「関首統合鉄道路線ネットワーク」を目で精査する。初めて買った使い捨て切符と見比べ、どうやらあと二駅で目的駅の新浅草らしい。
丁度終着駅接近を報せるアナウンスが、約一名除いて無人の車内に流れた。
『ご乗車ありがとうございました。まもなく、終点新浅草です。常磐緩行快速線、つくばエクスプレス線、京成本支線はお乗り換えです。本日も、関首統合鉄道をご利用頂きま』
バチッ!
突如合成音声の振幅を五倍は大きくした電気クラップ音が、八連箱内の空気を震わせた。追っかけるように、スピーカー不良を示す甲高いハウリングが耳を襲う。生理的に身体が嫌悪を示しているのであろう、つい両手で耳を塞いだね。
スピーカーの不調らしい。滅多に経験しない珍しい事ではあったが、接続がたまたま悪かっただけで、どうせすぐ復帰するだろう。
しかし、幾ら待ち侘びても、安心を促す愛しき無機質音声が流れてくることは無かった。そればかりか、終着駅まで残り約1000mを、求めてない加速に伴うピストンの排出音が埋め尽くす。
その間合は聞き取りが困難な域を越えて尚、次第に連続性を増していく。
速度がおかしい。
そう思考が追い付いた時には、構内制限三五の三倍以上はある速さで新浅草に突っ込んでいた。
行動の余地を与えずに、合理素材の塊は島式直線ホームをものの八秒でパスすると、速度向上を維持したまま、元旧帝都へ繋がる橋梁で現関鉄車輌置き場の鉄橋に滑り込む。
冷汗が噴き出してきた。ATSは何もたついていやがる。さっさと仕事をこなせ。『馬合』の非常識対応訓練でも作動しない事態は経験したことが無い。
だが予測することは出来ちまう。
「おいおい、嘘だろ」
組み上げられた鉄骨の檻を抜けた先は車止めでした、ってな。俺の乏しい語彙力から推察するに、脳裏に浮かんだワンフレーズは昔読んだ小説のものか。的を得てはいるが、鉄道軍新設並に笑えない冗談だった。
勿論、俺とて加速を続ける列車に只々乗っかっていただけじゃない。誰か同じ編成に乗っている人を捜すだとか、非常停止ボタンを押す若くはドアコックを引っ張るだとか。或いは乗務員室に行くだとか、器物破壊による現行犯不可避の強制停止だとか、まあ兎に角考え付く可能な限りを試してはみたさ。
「くそったれ!」
圧倒的に足りない。時間が。
車輌の両端上部にある二箇所のボタンや二ドア四ユニット全八つもあるドアコックを、一つ一つ強引にカバーを引っ剥がして、単位輌分確かめることすら許されなかった。方針転換して全身全霊のアタックを窓やドアにかます試みも、安全に安全を重ねた関鉄車輌自慢の耐久性に弾かれる。
……まるで、俺の心が停滞するのを待っていたみたいじゃないか。
「──マジかッ!!」
遠くでガコン! と鈍い音が聞こえたと思った時には、後数ミリで危うく熱い接吻を床に捧げかけた。慌てて起き上がろうとするより早く、波打つ列車が跳ね上がる。宙に浮く。まるで透明なピアノ線に釣り上げられるように。そして見えちまった。無数のヒビが入った偏光窓ガラスの遥か斜め下に、進行方向逆を向いた先頭車輌と辛うじて原型を留めている車止めを。もがくように手足を数回ぶん回すが、空を切るだけで何も変わらない。変えられない。後はこの惑星の引力に従うのは考えるまでも無かった。
落下する。前の前の車輌より前が既に解結され河川に叩きつけられていることが、俺がこれから数瞬後にどうなることかを物語っていた。
こんな時、何を思うのが最適なのだろう。
ああ、水面が迫って来る。箱の中で俺は肉団子にでもなるのか? 思考が霧散して纏まらない。走馬灯すら出てこねえ。
何か罰でも当たったのだろうか。世間に名を轟かす事を仕出かした覚えは無いが、他人の目からはそうは見えなかったかもしれん。それとも運の所為にせず、真剣に過去の選択肢を選んだら、結果は違ったのだろうか?
まあ遅い。『馬合』で鍛えられた術で、どれだけ頭を高速回転させて、時間感覚をピコ単位まで引き延ばせたとしても、時間は有限だ。今日の区分求積と似た様なもんだろ。すんごく細かくしたところで、積み重ねたらそりゃ元と同じ道理だ。
そろそろ到達する頃だろう。
俺は固く眼を閉じた。両腕を大いに使い頭を囲って、脚を畳む。考え得る最大の堅さで。正しいかどうかは知ったこっちゃない。
俺はせめてもの抵抗を身に纏い、衝撃に挑んだ。
だ。のだが。
「おいボウズ! 死にたくなけりゃ歯ぁ食い縛れッ」
いよいよ覚悟を決めてかけていた時、唐突に、記憶の何処にも存在しない遠くの声が、早口でそのようなことを告げた。
「!?」
途端、学ラン越しの背中を速連砲で無作為に撃ち抜く並の衝撃が走る。高熱の気体が露出する肌を焼きながらなぞり、俺ごと突き破る形で箱から叩き出した。痛え。発動機の個別分散ボイラーがとうとう耐え兼ねて爆発四散したらしい。
認識出来たのはそこまで。
液体に叩き付けられるのを感じた。
熱せられた身体が急速に冷やされ、肺から酸素が押し出される。のめり込んでいく。咄嗟に上だと感じる向きへとひたすら手足を動かすが、下向きのベクトルがこれを相殺どころか完封し、俺を下へ下へと追いやった。
きつく閉じていた瞼を強引にこじ開け、眼窩に濁流が流れ込んでくる。目が開けられない。いや、構わない。今は五体の接続が解れば他はどうでも良かった。
兎に角上へ。上だと思う方へ。
上へ。上へ。
上へ。
動く度に体内で二酸化炭素が生産され、対価に酸素が消えていくのが解った。堪らず開けた口を即刻満たした水分子は、酸素を分け与えるつもりはないらしい。味が最悪の一言で吐き出したいだけだった。
頭の中が白っぽくなってきやがった。重い。四肢の感覚が鈍くなる。多分これで気が折れたら、俺は延々と底に沈んでいくのだろう。
──ああくそっ。
──息が、もたないッ。
動かせるだけ全部をがむしゃらに動かした。上を掴み取ろうとして、粘性の流動体を掻き混ぜることにしかならなった。
「!」
ふと何か引っかかって、手応えのあるモノを掴む。無我夢中でしがみ付いた。ソレは確かめる如く俺の腕に絡み付くと、途方も無い馬鹿力で俺を遡らせた。
まるで時間遡行旅行を擬似体験しているような感覚だった。全てに逆らって、ただ一人上っていく。その時の俺はどんなであっただろう。知る由も無いが、口をパクパクしたアホ面だったことは間違いない。
陸に引き摺り揚げられる。
咳込み、クソ不味い水を吐き出す。何度同じ動作を繰り返したか。漸く確保出来た気道を通して、冷たい空気が肺を満たす。バクバクと新鮮な酸素を急ピッチで全身へと供給する心臓の音が体内で響いた。
目を開けた。
「大丈夫か、ボウズ」
息も絶え絶えに、声の主を見上げる。
俺は、この人に助けられたのか。
恩人は中年位の男性で、軌道整備員の格好に近い作業服を着ていた。揮発性に長けているのか、俺を引き揚げてくれた手が何方かなのかは解らない。どうであれ関鉄の方だろう。
振り返る。河川があった。さっきまで俺が墜死?溺死?から免れた金輪際忘れやしないであろう場所だ。きょろきょろと辺りを見回して、俺は出す言葉を失った。
嘗てお遊びで上から車輌模型を一輌一輌落として、時には粉砕させて、時には地面に突き刺して、時にはドライアイスで溢れる蒸気や煙火を演出して、脱線ごっことか称したやつ、その1/1サイズがリアルさ増し増しで眼前に広がっていた。申し訳ないが、俺のボキャブラリーにはこれ以上の表現のしようが無いね。想像の範疇を飛び抜けた光景である余り、当の本人がいまいち実感に欠ける程だったさ。
まさに不幸中の僥倖だったのではないか。もしボイラーが炸裂しなかったら? もし偶々居合わせただけかもしれないこの恩人が居なかったら? 考えたくもないな。あのどれかを汚く彩る一員になりかけていた可能性を思うと、今更ながら寒気が止まらない。
何にせよ直ぐに土下座して、命の恩人に最大の礼を言いたかったが、身体は動いてくれない。ならば言葉だけでもと、
「ゴホッ、あの、助けてくれて、ありがとう、ございます」
一言ずつ紡いだ。
「おうよ。なあボウズ、早速で悪いんだが、走れるか? ちょいと安全なトコまで、──行かせてはくれねえみてえだな」
恩人につられて左を見ると、そこには二人の関鉄駅員が緊急セットを備えて立っていた。
俺は安堵した。
ホッと息を撫で下ろす。やっぱりなんだかんだで、最後はしっかりと使命を果たしてくれるのだと。そして、一時は本気で色々覚悟をしたが、それもこれで終わりなのだと。関鉄職員を疑う『馬合』に自分が所属であることをちょっぴり後悔したね。
しかし。
告げられた言葉は、クラクラながらも寛容さ全開の我が脳味噌の演算メモリを優に超えるもので、
「鉄元三五年四月一九日一六時三七分二五秒、対象は列車暴走事故に伴い生命活動を停止し死亡する。──そうでしたね、塚本五等」
「ええ。九時間四二分一〇秒前に更新された我らがダイヤでは、対象はその通りであると記されております。ですが現時刻は一六時四六分三九秒です」
「それはいけない。九分一四秒の遅延です。速やかに回復を行わなければ、我らがダイヤに示しが付きません」
「同感です。我々の手に掛かれば、たかだか九分強の回復は造作ではありません。ところで佐久間四等、乱れの補助をしたと思われる一般民一名はどう致しますか」
「当然、決まっています。我らがダイヤグラムを乱したのですから、その報いは例え誰であろうと受けなければなりません。加えて此処は川の向こう岸、つまり統合鉄道の定めたる立ち入り禁止区域です。本来なら発見次第厳重注意と強制送還ですが、再び行わないとは限らないと判断します。よって、同じく回復処分が望ましいでしょう」
茫然としていた。
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