第1話「交通宗教メトロス」
いつも通り、朝の通勤・通学ラッシュの時間だ。
背中を押される感覚と共に、重圧感があるようでどこか軽やかな汽笛が、街中に滞りなく隅々まで響き渡った。──7時43分。超特急はつぎり新浅草行、関空塔駅通過。車輛毎に設置された排煙塔から、最適化された純白の煙がもくもくと線形を描いていては消えていく。未だ浅い太陽に照らされた『関首統合鉄道』と描かれた七角形のロゴマークが、何とも輝かしい。
最新の超高圧多段制御の蒸気発動機は凄いなぁと、ぼやけた頭で思いながらズレかかってた体内時計を修正した俺は、眠い眼を擦り重い足を動かして大衆の波に乗りつつ呑まれつつ登校する。
俺の通う高等学校は、津波対策として高台に建設されている。丁度その関鉄の支路線が、この高台付近の低地を縫うように通っているので、最寄り駅からは約20分はひたすらヒルクライムのお時間だ。一応駅から学校前まで走ってくれる関鉄提供のバスがあるが──、この時間帯だ。大抵どの便も混んでいて落ち着かないという理由で徒歩の人も少なくない。俺もその一人である。
しかし、俺のそれは混んでいるのが嫌だからではない。
学校までの道のりの大体三分の二にあたる場所にちょっとした公園がある。斜面で平地を確保する為に、ここら辺の建造物は階段状に建てられることが多く、その中の一つである公園だ。周囲には丁度この段よりも高層な建物が無いという良条件の下にある。そんな訳もあって、ここからちょっとした壮大な景色を見ることが出来る。知る人ぞ知る “お手軽絶景スポット” というわけだ。
朝の時間帯、高低差がある地形と大気の温度差が霧を生み低地を覆わせる──ように高地から見える。この灰色をゆったり眺め、まるで自身の身も心も霧に溶けてしまえそうな心地良い浸透感に浸るのが習慣であり、今朝も余裕を持って見慣れたそこへと向かうのだ。
暖かくはなってきたが、朝はひんやりと肌寒い。そうなると必然に身体が温みを求め、本日のお供をこの時間帯だけ現役復帰する缶入りコーンスープに脳内決定させる。
注文し、自販機から吐き出された品を拾う。そこら中から自分へと突き刺してくる風が寒くて痛いのに、持っている右手だけはじんわりと温かい。
園内に入ると、飼い犬と一緒に散歩中だったり、通勤途中のサラリーマンらしき人だったりが座っていたベンチがあったが、まだ空席のものは複数あった。今日はどれに座ろうかな、なんてことを考え決めていたその時──。
「やあ、──君。地下鉄道って知ってる?」
──突如背後から声を掛けられた。
いつも通りであった朝は、急遽幕を閉じそうだ。──と思うが、ちょっとしたイベントなだけであって、どうせ直ぐにいつも通り元のレールに戻るのだろう。
しかしまったくもって、この声の主の言ったことが些か素っ頓狂に聞こえたのは俺の気のせいか。言葉からしてよくある「危ない宗教の勧誘的なアレ」なんだろうか。……仕方ない、この安らぎの時間が失われるのは嫌だが、これに関わるのは面倒くさいことになりそうでもっと嫌だ。さっさと振り切って学校に行ってしまおうではないか。
少しの間で思考してから振り向くと、そこには少女が佇んでいた。俺の肩くらいの身長で、茶色がかった小豆鼠と呼ばれる色のポニーテールで、美少女の部類に入るんじゃないだろうかと私的に思える位のなかなかの容姿であった。
「気合いは十分!」と此方にまで伝わってくる位にエプロン──のようなデザインの服の裾をぴんっと引っ張っている。言った事に反して鉄道要素はまるでゼロな恰好の彼女の髪を、春のそよ風がさらさらと揺らし丁度良い具合に鼻を掠める。女性と近くを擦れ違った時とかに鼻につく、独特のいい甘い匂いだ。……おい、何やってんだ、現役高等学校二年生。幾ら俺の通う高校が男子校で異姓と関わる機会が少ないからって、たったこれだけでこんな年下であろうちっちゃい系体形に見とれてどーする。ロリコンかよ。
久し振りの異姓との交流に内心悶々とする俺のことなんてお構いなしに、ポニーテールは勝手に話を進める。
「君、鉄道は好き?」
さっきといい今といい、何を言い出すのかと思えば。
「……ええ、まぁ多少は」
「ねえねえっ! 鉄道が好きならさ、その真を追究してみたいと思ったことってない? 僕は沢山思うよっ! 例えばそう、昔は幾つもあった鉄道企業が何で今は関鉄一つしかないのかなーとか。嘗ての大震災からもうすぐ10年経つってのに、どうして旧帝都区域を私鉄連合はずっと立ち入り禁止にしてるのかなーとか。それから──、理論でも実質でも可能なのに、どうして鉄道は地上だけに縛られているのかなーとか!」
更にボーイッシュな類の声色の僕っ娘ときたか、などと思う暇もなく、その見た目からは想像も出来ないどデカいエネルギーを、矢継ぎ早に俺にぶつける。華奢な体から放たれるエネルギーに構えていなかった俺は、思考回路を一瞬停止に追い込まれその場に立ち尽くしてしまう。
人は見た目で判断してはいけないとはよく言ったものだが──なるほど、こういうのを指すんだろうな。
などと思考を上の空にしていると、事は俺を置き去りにして進行しているようで、
「──姫様。流石に何の説明も無いと、突然の出来事で驚愕し困惑して話についていけてないのではないでしょうか?」
外見だけでまさしく「駅員だ」と理解出来る奴が、寧ろお前に驚愕し困惑するわと突っ込みたい程気配無く現れた。今更コツコツと自らの存在を思い出して鳴る(ように聞こえる)革靴が、やけに静かに響く。
年は20代前半位の若く見える。ポニーテール同様、さっと彼の容姿に目を走らせる。しっかり首元まで締めたネクタイに、襟を正して皺一つないパリパリの深緑色スーツ、そして完璧な程まで磨かれた黒革靴──。うん駅員だ。いや確かに駅員なんだが、関鉄駅員の制服は全駅員統一された紺色だった筈。こんな制服は見たことが無い。つい最近にでも制服の移行が始まったのだろうか。
そんなことを考えている内に、いつの間にか「ここが定位置です」と言わんばかりにポニーテールから一歩引いたところで彼は直立している。「そのあんぐりと開けた口を早く閉じなさい、姫様に失礼ですよ」と、目深に被った駅帽の奥底から光る視線で言われたような気がして、俺ははっとして口元を隠した。そのままだとなんか不自然なのでコホンを小さく咳払いをしておく。
あ、やべ。途切れた今が話しかける絶好のチャンスだったのに、タイミングを見失っちまったかもしれない。
「わ、わかってるよそれくらい!今説明しようとしてたんじゃないか!──えっとね、鉄道好きの君なら“幻の地下鉄道”って知ってるかな?」
早く終わらせたいが故の俺の焦燥なんて、テレパシーの超能力者でもない相手様が感じ取れる訳はさらさら無く、ポニーテールらはこの会話を続ける。はあ我慢してもう一度最適な時期を見計うしかないか。
取り敢えずは繋げるべく、
「ええ、噂なら聞いたことがありますね。確か──、帝団交通。複数あったとされる所有路線の9割を地下で構成せし幻の鉄道。まさに地下世界の王者ですね。……まあ、あり得ない話です。だってここの鉄道は関首統合鉄道なんですからね」
言いながら俺は、顔を引きつらせながら笑みを作るという高度な様で曖昧の微妙な表情してみせた。
そりゃそうだ。古い鉄道路線が好きで、幾らか調べ耽ったことのある俺でやっとこの程度。一般人視点なら陽の光を拝めるか怪しいレベルでのマニアックな用語をさらっと引き出させる辺り、やはり長引かせるのは不味い気がする。
「──帝都大深交通経営団ね、正式名称。大震災の波に揉まれて消滅した所為か、そんじょそこらのネットや図書館程度じゃ絶対に出てこない知る人ぞ知る名称なんだよ」
ポニーテールは何故か誇らしげに胸を張り、
「見てみたくない? 幻と謳われる地下鉄道を。僕達『メトロス』と共に」
……んなこと知らん。第一人の話を聞いているのかこの子は。ていうか妄想に浸り過ぎだろ。鉄道=関鉄って周知の常識をポニーテールも知らない訳はないだろうに。まあ変わった発想だとは思うが。
大変面倒ではあったが、放っておいてこのポニーテールが鉄道公安に捕まったらと思うと、流石に後めたいな。
俺は意見してやった。
「ないものを探してもしょうがないと思いますよ」
そうだ。序でに言ってやろう。
「と言いますか、そこの方、関鉄の職員なんでしょう? 関係者ならこの子のことも兼ねて、早く業務に戻った方が良いのでは。こんなとこで油売ってると、また炎上して叩かれるんじゃないですか。──ああ、鉄道公安に御用になるのは嫌なので勿論私は何も見てませんし聞いてませんので」
「うっ……」とポニーテールはまさしくお預けを食った犬のように顔を顰め、次第に肩を落として遂には顔を俯けた。上げようとする様子はない。そっと突き放すだけで良かったのに、流石にこんな小さい子相手に言い過ぎたか?
しかし早く立ち去りたいが為に少々ながら公私を混合させてしまったのは不味かったな。俺が『馬合』の一員である以上、対駅員の治安維持は仕事だ。生憎今日は非番で腕章を持ち歩いていないのだが、駅員が察してくれて、上手く此方に乗っかってくれれば有難い。ついでで良いからこのポニーテールもどうにかしてくれ。
ふと横目でちらりと腕時計を見る。余裕を持っていた筈の時間はもうすぐ最終登校時刻を示そうとしていた。この公園からだと、今から全力疾走すればどうとでもなる十分な時間だが、それをするには少な過ぎる。……この子には申し訳ないが、本格的にお暇させてもらおう。
「申し訳ありませんが、私は今から学校に行かなければなりませんので、これ以上何もないのであればここで失礼させて頂きます。では──」
後ろ髪を引かれるが、もう会うことも無いんだし。これで十分だろう。そう思った。
だが走りだそうとした直後、ぞくっと俺の背筋を悪寒が撫でた。──何か、得体のしれない抗いがたいものが身体の底から湧き上がってくる感覚がする。何か不調かと思い、振り切ろうとしてみるも、まるでその場に縫い止められているみたいに動くことが出来ない。
最初の助言以来黙っていた駅員の張り付いたような笑顔があった。しかし、目は笑っていない。……ああ、解った。乗っかって貰おうなんて俺が甘かった。
今まで生きてきた中でこんなの向けられた記憶なんてもんは無いが、解る。これが殺気──に限りなく近い怒気なんだろうな。思い返せば、駅員として、大事なお客様をバカにするような発言をされたんだ。俺を許せないのは当然か。
右手で握るコーンスープ缶が噴き出した手汗でぬるぬるしてきて気持ち悪い。
“生きている”駅員の存在に喜んでいる暇を与えてくれる訳は無く、謝罪を入れ許しを請えと全身を覆う情報に危機した本能が、俺にそう促してくる。
感情に浸っている時間がなく、平和的解決には謝罪の道が一番好ましいのは明らかであった。
俺は言葉を慎重に選──、
「──ふんっ!!」
「かぁっ──ぁ……」
……ぶ必要はなくなった。
俺の言葉以来全く動く素振りを見せなかったポニーテールが制してくれた。のだろうが、今何をやらかしてくれたんだ?
情報の認識と理解が追い付かない。
思わず斜め下に目が行く。素人でも解りやすい気を放っていた駅員は、見事に突っ伏して微動だにしなくなっていた。コンクリートよりは全然柔らかいだろうが、勉強熱心な文化系の同級生ならまだしも、運動部の俺でも掘るには難がある程の固い土壌にめり込んでいるのを見ると、先程とは別の恐怖が襲って来た。
駅員への傷害。鉄道営業法違反。
最初は公園内にいた人達が気付いた時にはいなくなっていて通報される心配がないのが幸いだが、こんな現場なんぞ鉄道公安に見られでもしたら強制連行は間違いない。もしかしたら俺も共犯の疑いでやられるかもしれない。
なにやってくれてんだ。
対して隣のポニーテールはパンパンと手を叩いていて何処吹く風だ。明後日の方を向き続けるその顔を窺うことは出来ないのが気になる。が、それとこれとは話が別。関係者と言えども追及は免れないことがこいつは解ってないのか?
ポニーテールは俺には顔を見せずに肩を竦めながら、
「──朝の忙しい時間に引き留めちゃってごめんね!あ、この駅員っぽいのは気にしなくても大丈夫だよ。何だっけ、そう、こすぷれ?ってやつだから、うん。僕が後できっちりと始末しておくから行っていいよっ!」
絶対に違うよな。いやむしろその格好で駅員以外の役職があるものなら教えて欲しいものだ。と内心で突っ込めるだけの余裕は俺には無かったね。
「いいからいいからっ!」
言いながらくるりと振り向いたことで彼女の表情が伺える。落ち込んでいたであろうものを微塵も感じさせない笑み、に見える。
「あ……、はい。わかりました」
現状把握に気を取られ、気付いた時には素早い切替に圧倒されたまま、流しだされる形で強制終了されてしまった。
俺の中で何かが引っかかる。
いや何が引っかかるというんだ。当事者が問題無いって言ってるのだがら、ここで俺は立ち退けば良いだけだろう。
だというのに、歯車と歯車の間に突如出現した謎の止め木は、身体を固め動けなくさせた。
自身が陥る現状をどうにかならないものかと、思考し、模索し、黒目を彼方此方へ移動させる中で、不意に左腕に目が留まる。
その何かが弾け飛んだ。
「──ッ! ありがとうございます!それでは失礼させて頂きますッ!!」
「────?! え、あ、うん」
途端に凄まじい気迫を出しそしてバッサリと割り切った俺に、今度はポニーテールが戸惑いの露わにするが、今はそんなことを気にしてはいられない。──いや、いられなくなった。
所詮は学生である。人類が生み出した“時間”という一方通行な概念に逆らえる訳でもなく、只々縛られるだけの存在だ。
猶予がない。
眼前で起きた出来事の記憶は勿論、対して自分が思い感じたことまでも、それだけで雑念なり遥か彼方へ吹っ飛ばすことが出来る。出来てしまう。逃走という新たな一択を作ってしまう。その程度でしかなくなってしまうのだ。
──最終登校時刻まであと約120秒。煩悩は全て捨て去り、今は兎に角全力を振り絞り最速タイムを叩き出すことだけを考えるんだ。大丈夫、俺ならやれる。いや、やり遂げるんだ。さあ動け。 動かすんだ俺の足よッ──!
瞬く間に駆け抜けていく冷たい世界で、未開封のコーンスープ缶は右手の中でまだ仄かな温みを残していた。
2017/06/25:数値を修正
2017/09/15:語句修正
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2018/02/05:文体を変更