遠い過去 4
「ラドゥ、本当にこの指輪を私がいただいても良いのかい?」
老師の部屋を後にしたヴィーザとラドゥは人狼族の集落出口まで並んで歩いていた。
先ほど貰ったばかりの指輪だが、考えてみると大変なものを貰ってしまったと、今更ながら青ざめたヴィーザがラドゥに不安そうに尋ねる。
「ふっ、老師が決めた事だ。別に構わないと思うぞ。それにその指輪が無くても老師は族長には違いないし、その指輪が君の一生を左右すると知ったら一族も反対しないだろう」
「けど、一応証だし、無ければ問題になるんじゃ?」
まだ納得できない様子のヴィーザが眉を寄せる。
「まぁ、族長である証が必要なら、また作ればいいとか老師は考えていそうだしな。あの方なら、その辺に落ちているカラスの羽でも代用しそうだ」
物に囚われない老師らしい、とラドゥは笑っている。
先ほど渡された指輪は、よくよく考えてみると人狼族族長の証でもあった。
だが老師は悩みに押しつぶされそうなヴィーザの精神的な安定剤となりそうだと、自分が嵌めていた指輪を選んだだけだった。
「本当に私の事を心配して、思っていてくださるんだな。今日、これを頂かなかったら、どこか山奥にでも一人で住もうかと思っていた…」
そう言うと、ラドゥを見てもう一度ヴィーザは嬉しそうに微笑んだ。
後日、ヴィーザはアウインの所へと行き、城への出仕を申し出た。
ただ決まっていた魔法攻撃の近衛部隊ではなく、城の裏方に当たる部署を希望していた。
他の魔族と係わり合いが最小限で済み、仕事内容といえば所謂出世とは無縁の地味な書記雑務のみである。
折角の才能が生かされず、勿体無すぎる!せめて魔法関係の部署を、と大反対をされるも、ヴィーザは頑なに首を横に振り続けた。
それでも、城勤めをしているうちにあの事件の心の傷が癒え、自分の能力を生かしたいと、考えが変わるかも知れないと、アウインはあえてヴィーザの希望する部署へ配属されるようにした。
ほぼ魔法とは無縁なその仕事場に於いて、魔術系エリート候補だったヴィーザの存在は異質だったかもしれない。
しかし今まで必要以上に感情の殆どを抑えてきたヴィーザにとって、素のままの喜怒哀楽が行き交うここは勉強になった。
あのまま近衛に行っても、同じ魔法を使うもの同士で今までと同様に感情を抑えてしまっていただろう。
それに出世という言葉に程遠いこの場所は、感情の表し方の下手なヴィーザにあれこれと世話を焼いて、教えてくれる気のいい魔族ばかりだった。
そして人並みに怒りや悲しみを隠さずに表現できるようになった頃、ヴィーザを気にかけていた魔王に呼び出される。
人間をこよなく愛するこの王は、アウインからヴィーザが近衛への配属を辞退し、下位の者達が働く場所へ行ったことを知る。
しかし、その才能を惜しく思っていたのはアウインだけではなかった。
魔力の暴走を憂い、他の魔族との関わりを持ちたがらないヴィーザに、側近として国内の情勢を己へと報告する役目を申し付ける事にしたらしい。
殆ど旅に出ることになるこの職は、ヴィーザにとっても良い事だろという魔王の判断だった。
それに際し、己の目の届かない不正や悪い噂の真相を確かめ、時には魔王権限を以って直接断罪可能な「警位」を与えるという。
常に冷静で、感情に左右されない判断を下す、優れた魔術使いであるヴィーザに打って付けだろうという事が、役職を与える理由として付け加えられた。
だが、内示も無い突然の話に驚き、また魔王直属の「親衛隊」とほぼ同等の強制力のある権限を与えられる事に、ヴィーザは自分には身に余ること、と固辞した。
ヴィーザの硬い決心に魔王は「警位」の辞退を認めるが、諦めきれないのか側近としての魔法研究の任をヴィーザに新たに申し付けた。
どうしても手元へと置いておきたいらしい。
文句の付けようの無い優秀な成績と、高度な魔法理論、及び技術を修めたヴィーザへの配属に異論を申し出るものは居なかった。
むしろ「警位」より相応しいという声が出たほどだった。
流石に王直々の昇進登用に、二度の辞退は自分を気にかけてくれる心優しい魔王への不敬にあたると、ヴィーザは静かに頭を垂れて拝した。
ようやく馴染んだ職場を離れ、与えられた研究室に篭るようになると、ヴィーザは自分なりの精神鍛錬の道を探し始めた。
老師の指輪があるとはいえ、何かもう一つ心の支えになる物が欲しい……。
ラドゥに相談しようか…。
そう考えながら中庭を研究室の窓から眺めていると、学友だったハーディの姿が遠くに見えた。
先に言っていたように、武力隊の一員となった彼は部隊長に剣の稽古をつけてもらっているらしかった。
(…………)
その様子を見ながらヴィーザの頭の中に、ふっ…と『剣士』という言葉が浮かんできた。
(剣士…?剣を持って戦う?)
今まで武器など一度も触ったことの無いヴィーザは、唐突に浮かんだ言葉に眉を寄せて訝った。
(何故?……だが待てよ。魔法以外に自分に戦える手段があるとすれば?)
更に考えを巡らせる。
(剣の腕を磨けば、有事の時に魔法に依存する割合が減るんじゃないか?)
(と言うことは、暴走してしまう危険性もグンと少なくなるな)
(けれど、……私に扱えるかな)
まったくの未知の領域にあれこれ思考しながら、ヴィーザは自分が得られるもう一つの心の支えが見つかった気がした。
目標が決まると研究の合間を縫って、時には平行しながら慣れない剣を手にし、魔法以外の自分が頼ることの出来る力を習得しようと技を磨く。
平穏な月日は瞬く間に過ぎ、ヴィーザやラドゥを目にかけていてくれた魔王の代の終焉が近くなる。
そして……。
自分たちが敬愛した魔王が前王となり、現王の時代の幕開けは、人間たちの暗黒時代の幕開けともなった。
皆の前に姿を現した現王が真っ先に発した言葉が、人間への全面保護撤廃だった。
その言葉は下級魔族には歓喜を以って迎えられ、上級魔族は粛々と人間に対する取り決めごとの変更を指示する。
だが、頭の中では理解しているが、前王とあまりに正反対な現王に、若いヴィーザやラドゥは戸惑いを隠せなかった。
「ラドゥ、修行の旅に出るって?」
ラドゥから連絡を受けたヴィーザは人狼族の集落へは入らず、太い柱で出来た出入り口に凭れ、ここから出て行こうとするラドゥを待っていた。
「ああ、未熟な自分を鍛えなおそうと思ってな…」
見ると簡単な身の回りのものだけを持って、今まさに出立しようとしていた。
「……老師の許可は頂いた」
片眉を軽く上げながら、自嘲気味にラドゥは笑みを浮かべる。
その姿を見て、ヴィーザも同じような笑みを口の端に乗せた。
「奇遇だね。私も族長の許可を頂戴したよ。まぁ、族長は例の事もあるし、私の出奔をあっさり認めてくれたけどね…」
そう言うと、ヴィーザは隠し持っていた荷物をラドゥの前に置いた。
最近では身に着けている剣も一緒だった。
「……」
「水臭いじゃないか、親友を置いて一人で旅にでるなんて。私も一緒に行くよ。君が嫌がろうともね」
そう言うと、ラドゥを見ながら大きく息を吐く。
ヴィーザの台詞に驚いて、何も言えなかったラドゥが、クク、と小さく肩を震わせて笑い出す。
「君の所の族長といい、うちの老師といい、不肖者ばかりで苦労するな」
「そうだね。…ま、私たち二人くらい居なくても、大丈夫だしね」
クスクスとラドゥに合わせてヴィーザも笑い出した。
「あの優しかった王はもう絶対にお戻りにならないけど、…今の魔王城が変わらない限り私たちがあそこに戻ることは無いだろうね」
現王の事は口に出さず、ヴィーザは城主が入れ替わった巨大な空中城を見上げた。
ラドゥも一緒に魔王城を見上げながら頷く。
「さ、日が暮れないうちに行くことにするか」
思い出を振り切るようにラドゥは視線を大地へと戻した。
「あてのない旅だけど、二人で居ればなんとかなるよ」
ヴィーザも懐かしさを心の中に大切にしまうようにして、前をまっすぐ向くとラドゥと二人、戻ることの無い旅路を歩き始めた。
~ Fin ~