遠い過去 2
ヴィーザは独りになると、何時の間にかぼぅっとなっていた。
何も映さない瞳、止まった思考、そして動かない感情。
だが、力強いノックの音でヴィーザは我に返った。
「はい?」
慌てて腰掛けていた椅子から立ち上がり、窓の外を見ると夜の闇が広がっていた。
(確かまだ、陽の高い内に自室に入ったはずだけど……)
そう思いながらも「どうぞ」と扉の外の訪問者へ入室を促す。
「私だ」
そう言って入ってきたのは幼馴染のラドゥだった。
「ラドゥ。どうしたんだい?」
そう言って微笑むヴィーザの顔に陰がさすのが判った。
「どうしたって…。いや、シェルティアの事を聞いて…」
あの奇襲を受けてから2日が経っていた。
ラドゥは丁度王都を離れていて、悲報を受けて駆けつけるも今ようやく親友の所へ来る事が出来たのだった。
「大変な時に来るのが遅くなった。すまない…」
しかし、詫びるラドゥにヴィーザは小さく頭を振った。
目の前で起きた惨劇。何も出来なかった自分。
本当なら彼女でなく自分が砕けていたはず…。
そんな渦巻く思いを知られる事を怖れるように、ヴィーザはラドゥから視線を外し、黙っている。
「なんと言っていいか…」
ラドゥはヴィーザの心中を考えると、続く言葉が出てこなかった。
普段から饒舌ではないが、こんな時にも上手く話せない自分が歯がゆい。
「マスターや他の皆から言われたよ」
だがヴィーザはそんな苦しげな表情のラドゥを見るのを逆に辛そうにしながら、静かに背を向けた。
「自分を責めるなって……」
そう話す声に怒りや悲しみの感情は表れていない。
「シェルティアの取った行動は正しい。それに守る者が私でなくても同じような事が起きただろうって」
しかし後を向き、表情は判らないがラドゥはヴィーザが握った拳が、微かに震えているのに気がついた。
こんな時でも思いっきり感情を表せないのか?
ラドゥはヴィーザの「青紫」の瞳を今更ながら恨めしく思った。
親友の才能に喜びこそすれ、悲しむ事があるとは…。
「ヴィーザ。苦しいだろう?」
今だけでも「怒り」「悲しみ」を曝け出せと、ラドゥは自分の感情と戦うヴィーザに詰め寄る。
「…でも私は彼女を失った悲しみに耐えなければならないんだよ。またそうでなければいけないんだ」
自分に背中を見せたままそう言った友に、ラドゥは掛ける言葉を失ってしまった。
例の事もあり、流石にショックから立ち直る時間が必要だと師達から判断されたヴィーザは、皆がとっくに受け終わった最終試験を、後日たった一人で受けていた。
襲撃の悲劇を聞いていた他の学生達は半数は興味半分、半数は心配そうにヴィーザの試験を見守っていた。
そして次々と出される課題を、苦もなくクリアして行くヴィーザに感嘆の声が辺りに居る魔族から沸きあがる。
(アレだけのことがあったら、僕はこうやって平静を保って試験なんか受けられないな)
(やっぱりヴィーザは凄いよね。…青紫の瞳を持ってるだけあるわ)
などと、淡々と難易度が高い呪文を唱えるヴィーザに、同級の生徒が感想を囁きあっていた。
試験も大詰めとなり、マスターたちが呪文を唱え、ヴィーザの最大魔力による魔法に対する防御壁を辺りに築き上げた。
今までの教えの中から培った魔法を披露する意味もあり、雷や氷、風や炎など、自分が一番得意とする攻撃魔法を師へと見せる。
ヴィーザが得意とするのは炎系だが、それと風を組み合わせかなり大きな魔法になる予定だった。
勿論見物している学生達はもとより、建物などにも被害が及ばないよう最大級の魔法壁が張巡らされてる。
「ヴィーザ、いつでもOKよ」
マスター・アウインの声にヴィーザは頷き、指定の場所で眼を閉じると呪文を唱え始めた。
(この試験が終ると、私は……)
ふ、と詠唱中にこれからの事を思うと同時に、ヴィーザの心からドロリと暗い影が滲みだしてきた。
それは厳しい訓練によって抑えつけられ、制御されているはずのヴィーザの負の心だった。
(シェルティアを失って、これからものうのうと生きていくのか?)
ヴィーザはその内なる声を聞いた瞬間、それまで感じたことのない感情を覚えた。
敵への憎しみ、自分の無力さ、失ったものの大きさ…。
今までの反動か、そういったない交ぜになったモノの中でも、怒りが一番大きく膨らんでいく。
もっと悲しみを表して彼女の死を悼みたかったっ!
冷静さを取り戻さずに居れば、後を追えたのにっ!
何故だ?何故?抑えなければならないんだっ!?
瞳がこの色でさえなければっ!
ほんの僅かな心の揺れの隙をついて、それら黒い感情が中から溢れようとしていた。
(ダメだっ!詠唱に集中しないと!)
必死にそれらを無視し、平静を保つよう自分の心と戦うが、しかし一度這い出てきた感情は消えるどころか、脆くなった心の中を侵食し、広がっていく。
そして同時に開放してはいけないモノも、心の闇と一緒に増幅されてしまう。
理性と言う雁字搦めの鎖を喰いちぎり、人格と言う名の楔を引き抜こうと足掻いている。
それはヴィーザの種族としての本能とも言うべき存在…。
最初に異変に気づいたのはアウインだった。
呪文を唱えるヴィーザの額に脂汗が滲んでいる。
今までこんな事は無かった。
「ヴィーザ?……ちょっと、中止よ!詠唱をやめなさいっ!」
しかし必死に自分の感情と戦うヴィーザには制止する声が聞こえないのか、そのまま唱え続ける。
危険を感じたアウインは急いで駆け寄り、強制的にとめようとするがほぼ完成しつつある、とてつもない魔力の渦がヴィーザの周りを囲ってしまい、近づくこともできなかった。
そしてヴィーザが最後の一句を詠みあげた瞬間、凄まじい爆発と爆風が辺りを襲った!
マスターたちの幾重にも施した魔法壁をつきぬけ、攻撃魔法が見物していた学生達にも降りかかる。
最強のはずだった防御魔法はいとも簡単に破られ、破壊された瓦礫が辺りに飛び散り、予想しなかった事態に、学生やマスターたちの悲鳴があちこちから沸きあがった。
アウインも吹き飛ばされるが、防御魔法プラス本来の魔法抵抗力の高さが幸いし、ダメージからすぐに回復し起き上る事が出来た。
だが、他のマスターたちは攻撃を受け、身動きもままならない状態だった。
何処からか血の臭いが漂い、痛みにうめく声が聞こえてくる。
周りの惨状に唖然としながらも、アウインはヴィーザの安否を確かめようと彼が立っていた場所を目を眇めて見やる。
これだけの規模での暴発だと、放った本人も無傷でいる可能性は低かった。
最悪の場合、己の放った魔法を最大出力でまともに受け、消滅える恐れもある。
しかし、土煙が収まりつつある中にヴィーザはしっかりと立っていた。
「ヴィーザっ!無事だったのね」
アウインは愛弟子の無事に安堵するが、ヴィーザは感情の無い眼でアウインを見ていた。
しかもその眼は下級魔族のように本能と欲望に飢えた紅。
負の感情に支配され、陰惨な鋭い光を放つその眼を見るとアウインは思わず、ヒィ!と悲鳴を上げ、蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けなくなってしまった。
ゆらりと歩き出したヴィーザは、本能の赴くまま獲物を求めるように視線だけを巡らせ、手近に居たマスターへと狙いをつけた。
ようやく衝撃から回復したそのマスターは、接近してくるヴィーザを見て尋常でない様子に逃げようとするが時すでに遅く、あっさりと魅了されてしまった。
ヴィーザはそのまま動けなくなった獲物の首筋に牙を突き立て、目を細めるようにして血を啜る。
殺さぬ程度に搾り取ると、気を失った犠牲者を放り投げるようにし、新たな狩の対象を探して周りを見渡した。
口の端に吐いた血の雫に気づいたのか、服の袖で無造作に拭い取りながら、辺りに充満する鉄の甘美な香りに、うっそりと楽しげに笑みを浮かべた。
そこに何時もの穏やかで理知的なヴィーザの姿は微塵も無かった。
鋭い牙を隠すこともなく、血に飢え、人に恐れられる吸血鬼そのままだった。
残忍な笑みをもらすヴィーザをなす術もなく見ていたアウインだったが、次の獲物に狙いをつけ、近づいていったのを見ると漸く我に返り、ヴィーザを捕獲しようと呪縛呪文を唱える。
だが吸血行為で魔力がいつも以上に高まったヴィーザには効く筈も無く、次なる犠牲者を出してしまった。
魅惑の効かない同じ吸血鬼族のマスターが体当たりでヴィーザを捉えようとするが、今や無尽蔵に近くなった桁外れの魔力を使っての攻撃魔法を矢継ぎ早に放たれ、防御するのに手一杯で近寄ることさえ出来なかった。
そしてこの場を逃れた学生から異常事態を聞いてやってきた親衛隊によってヴィーザが眠らされるまで、彼の暴走は止まることを知らなかった。
~ To be continued ~