サンタクロースの孤独
予報では、夜半には雪と言っていた。
その夜高嶋は車の中で着替え、白い羊毛のような付け髭を顔に貼った。ひかりがすでに床に入っていることは、奈緒美からの電話で知っていた。エンジン音を聞かれないようにわざわざ遠くに停めた車から歩いて、高嶋はこっそりと自宅のドアを開けた。その姿を見てにやりと笑った奈緒美に、静かに、と合図をして、灯りの消えているひかりの部屋に向かった。
「メリークリスマス、ひかりちゃん」
ひかりは、ベッドのなかで目を開いた。ぱちぱちと、二度まばたきをした。
「ミッフィちゃんが好きだったね。気に入ってもらえるかな」
手渡されたウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、ひかりは声一つたてなかった。目をまんまるに見開いて、ただ呆然と、サンタの格好をした高嶋を見つめていた。
「ママの言うことを聞いて、いい子にしているんだよ。そうしたら、来年もきっと来るからね」
高嶋はそう言ってひかりの頭を撫でて、部屋を出ていった。玄関を出て、白い息を吐きながら車に戻ろうと歩きだしたとき、奈緒美を呼ぶひかりの興奮した声が、初めて聞こえてきた。
それももう、五年前の話だ。
「ひかりは、サンタに会いたがっていないか」
苗字の変わってしまった奈緒美に、高嶋は尋ねる。
「もう、十二歳よ。それに、三村がいるわ」
今の夫の名前を、奈緒美は口にする。
「あの子も苦しんだのよ。やっと、今の状況に慣れたの。混乱させたくないわ」
ショッピングモールの一角の、ガラス張りの植物園で、二人は半年ぶりに顔を合わせているのだった。奈緒美の視線の先には椰子の木やシュロやソテツが並んでいて、その幹や枝に、電飾の網目がベールのようにまとわりついているのだった。今は昼間で、それはただのプラスチック球とコードの寄せ集めにしか見えなかった。青々とした梢とガラスの天井の間を、聞きなれたクリスマスソングが漂っていた。
「俺が会いに行くんじゃない、サンタが行くんだ」
「もう、十二歳よ」
それでこの話は終わりだと言うように、奈緒美は煙草を取り出し、くわえ、火を点けた。
「何か、新しいものを見つければいいのよ」
どこかうつろな感じで、奈緒美はそう言った。
新しい恋人、新しい家庭か。
だが、ひかりはいるのだ。高嶋の記憶の中にいるし、今も現実に存在している。どちらも消せない。他のもので、埋め合わせることもできない。
「仕事は、うまく行ってるの?ちゃんと食べていけてるの」
「自分の食い扶持くらいはな」
文筆一本で食べていきたい。その夢を棄てていれば、奈緒美と別れることもなかっただろう。だが、それは譲れない部分だ。別れてもなお譲らなかったから、芽が出たのだ。ともかくも、業界に食い入ることができたのだ。
「それに、バイトもしてる」
にやりと笑ってみせた。ちょっと悲愴な感じになったかもしれない。
「そう」
やはりうつろな声で、奈緒美は短く言った。その目は、高嶋を見ていなかった。輝きださない電飾の線を、ぼんやりと追っていた。
二四日の午後。
バイトは、二時間の講習からはじまった。それらしい身振り、表情の作り方、声の出し方。思っていたよりもずっと本格的な指導だった。二十人からの男達がもみ合うようにして着替え、バンで運ばれ、街のあちこちで一人ずつ下ろされていった。
「この円高でしょう、中小企業でしたからね、とても耐えられませんでした」
「銀行も厳しくなっていますしね」
「とにかく、なんとかして今の時期をのりきらないと」
蒸せるような車内で、男達がそんな言葉をかわす。みんな高嶋と変わらない歳の、中年男たちだ。
「高嶋さん、ここで」
車が停まり、ドアが開けられる。郊外の大型ショッピングモールの、薄暗い駐車場だ。バックヤードを歩いた。売り場に出る手前の壁に、姿見があった。
胸まで垂れたひげを撫でる。高嶋はやせぎすだが、「あんこ」のたっぷり入った服を着ているので、ほどよく太って見える。待っていた若い女の店員から、雲のようにひろがる、風船の束を受け取った。
「じゃあ、お願いします。サンタさん」
そう言って女が、ドアを開けた。
「ホー、ホー、ホー」
教えられたとおりの陽気な声で、高嶋は叫んだ。赤や黄色や緑の、色とりどりの風船を持って。
灰色の空から冷たい風が吹き降ろしたけれど。
高嶋は全身で笑ってみせた。