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2.光虫

 翌朝、カリムは家のドアを激しく叩く音で眼を覚ました。

 カリムはベッドに入ったまま、置時計を見ると朝六時だった。人の家を訪ねてくるには、まだ早い時間だ。


 カリムはベッドから起きると、既に両親は、その訪問者の為にドアを開けていた。


「おはようございます。お宅のカリム君に用があって……」


 訪問者は、リルの母親だった。


 カリムは、玄関脇にある階段から、リルの母親の姿を見て言った。


「どうかしましたか? リルの荷物なら家にありますけど……」


 まだ起きたばかりで不機嫌な顔でそう言うと、リルの母親はカリムに詰め寄った。


「リルをどこにやったの?」

「え……?」

「リルがいないの! カリム君は何か知っているんでしょう? それとも、この家にいるの?」


 リルの母親は、ドタドタとカリムの家に上がりこんで、家中を捜し回っている。


「リルとは、昨日別れた時以来、会っていません」

「そんな筈ないでしょう! 貴方達がリルをどこかに隠しているんじゃないの!?」

「知りません」


 両親が、カリムに怒鳴りつけるリルの母親を宥めながら「一緒に捜しましょう」と背に手を当てて家を出て行った。


「リル……まさか」


 一人で「神隠しの森」へ行ったのでは――

 不安になったカリムは、ゼンの家に向かって駆け出した。


                 ☆


「ゼン! ゼン!」


 家の扉を叩くと、すぐにゼンが出て来た。朝食の最中だったらしく、パンを口に加えている。


「ふわああ、今何時だと思ってるんだ。ウチの母ちゃん、「こんな時間に!」って怒ってるぞ」

「リルが来てないか!?」

「はあ?」


 カリムが事情を説明すると、ゼンは顔を青くした。「何があったんだい」とゼンの母親が出て来た。


「いや、何でもないよ母ちゃん、オレ、ちょっと出掛けてくるから!」


 ゼンは慌ててパンを口に押し込んで、玄関で靴を履き家を出た。


「ゼン、『神隠しの森』に行くぞ!」

「まさか……リル一人でそこまで行ったのか!?」

「分からない……でも、他に考えようがないんだ」


 あのリルが、一人で『神隠しの森』に辿り着くことが出来るかどうかは分からない。

 けれど、行方不明になっている現状を考えると、それ以外にリルが行きそうな場所はない。カリムは「畜生」と小さく言うと、全力で走り出した。


「カリム! ちょっと待てよー!」


                 ☆


 その頃、リルはある扉の前にいた。

 夜は月明かりで、朝は太陽の光で、カリムの地図を頼りに一人で『神隠しの森』へ来ていた。


「やったあ、ちゃんと着いた!」


 リルは、素直に感動を口にすると、一人で万歳をする。


「カリムもゼンも、きっと驚くだろうなー、私ってすごい!」


 噂の扉は巨木と共にあった。巨木に埋め込まれているかの様に見えるその扉は、微かに光っていた。


「ここに何年立ってるんだろうねぇ」


 リルが巨木を見上げると、さわさわと風が吹いて、葉がはらはらと舞い落ちる。まるで巨木が生きているかのようだ。


 リルは思った。きっと、この扉の中は空洞になっていて、大きな秘密基地があるに違いない。

 わくわくしながらも、覚悟を決めたように、ごくりと唾を飲んでリルは扉を開けた。


                 ☆


「はあ、はあ、ちょっと待てよカリム!」


 ゼンは全力で走るカリムの腕を掴んだ。二人共、全身汗まみれだ。


「はあ、はあ、何だよゼン」

「『神隠しの森』へ行くんだろ?」

「ああ」

「道が違う、そっちじゃない」

「道が違うって…………え?」


 カリムは、『神隠しの森』への地図を、リルに渡したままになっていることに気付いた。


――それにしても、何で。


「何で道を知ってるんだ、ゼン」


 その問いに、はあ、はあ、と未だ息を切らせながらゼンは言う。


「森には何度も行ったことがある……そっちじゃねぇ」

「何度も?」


 確信めいたゼンの言葉に、カリムは不思議に思う。滅多に人が近寄らない場所なのに、どうして何度も足を運ぶのか。


「何で――」

「父ちゃんは、オレの誕生日の日に森で行方不明になったきりなんだ」

「え!?」

「森の中に入ったことねーけどな」


 ゼンはオレについて来いと言わんばかりに、カリムの前を歩き出す。


「道、知ってるなら走れよ……ゼン!」

「分かってるよ。でも急いでもリルが先に行ってることは確かなんだろ? どーにもなんねーんだよ。こういう時は」


 ゼンは、全て分かっているかのように言う。

 カリムは、ゼンの家が母子家庭であることは知っていたが、そう言った事情があるとは思ってもみなかった。


 一体、ゼンはどんな想いで『神隠しの森』へ足を運んでいたのか――

 それを思うと、胸が痛くなった。


――リル、リルは無事でいるだろうか?


 カリムは、以降、黙ってゼンの後について行った。


                ☆


 二人は、不安な想いを抱いたまま『神隠しの森』へ着いた。

 森の前には「立ち入り禁止」の看板が何枚も立てかけてあり、この森を知らない旅人も立ち入れないような雰囲気だ。


「ここまでは、オレも何度も来た事があるんだ。最初はただ、この森で行方不明になった父ちゃんを捜すためだった。けど、森の中に入るには覚悟が足りなくて、入れなかったんだ」


――だから、丁度いい機会だとゼンは言った。


「あ、光虫だ」


 森の中を歩いていると、光虫が飛んできて、ふわりとカリムの腕に止まった。光虫は、眩しい程に輝いていた。


 光虫とは実体をもたない発光体で、稀にカリム達の村へもやってくる。滅多に見る事の出来ない光虫を、二人はしげしげと見つめた。それは青白く輝いていた。


「珍しいなぁ……この森に住んでるんだ」

「昔、オレん家にいもいた時期があったぜ。結構、ライト代わりになって便利だったな」


「立ち入り禁止」の看板を蹴飛ばして、ゼンが言う。


「捕まえようか」


 そう言って、カリムが両手で発光体を掴もうとすると、するりと手をすり抜けてしまった。


「無駄だ。中身なんて何もない。ただ光ってるだけのもんだから」

「そうか……捕まえてリルにも見せたかったなぁ」


『神隠しの森』は、森の外から見ると鬱蒼とした森だったが、中に入って見ると明るく、木々はきらきら輝いていて、噂のように人が消えてしまう森だとはとても思えない。


 そして、「立ち入り禁止」と書かれている看板とは裏腹に、森の中心へと向かう道がしっかりと造ってあった。見たところ、危険な動物や植物もない。到って平和な森だった。


 ここなら、リルがいても安全なんじゃないか――そう思った時、樹齢、何年か分からないほどの大きな巨木が目の前に現れた。

 その巨木には扉が、木の幹に埋め込まれているかのような、大きな扉があった。見ると、風でキィ、と古びた音を立て、わずかに扉が開いている。


「カリム……リルは、あの中にいるんじゃねーか?」

「そうだな。きっと中で遊んでいる内に眠くなって寝ちゃったんだ」


 そう言った時、カリムの肩に止まっていた光虫がふわりと飛んで、扉の中へ入って行った。その姿を見送った瞬間、リルの声がした。


「カリム! ゼン! 入っちゃ駄目!」

「何だ? リル、どうしたんだよ」

「リル……」


 見ると、リルは眼に涙を一杯溜めて、扉の中に入らないでと訴えている。

「何があったんだ? リル」

「カリム、ゼン、リルはもう二人と一緒にいられないの! こっちの世界で生きなきゃいけないの!」

「こっちの世界?」


 二人が同時に言った。

 その言葉に、こくん、とリルが頷く。


「リル、こっちの世界ってどういうことだ? 良く分かるように……」


 カリムは興奮して話すリルに訊いた。


「リルはっ、リルはそっちに行くと、ただの光になっちゃうの! だから、もう二人と一緒にいられないのっ!」

「光? 光って光虫のことかよ。マジで!?」


 カリムは、リルが何か悪い冗談を言っているのだと思った。人間が光になるなんて、そんなことある筈ないじゃないか。


「リル、この森から出ると、光の力も弱くなって、その内消えちゃうんだって、こっちの世界にいる人が教えてくれたの」

「リル! 冗談ばかり言うんじゃない!」

「カリム、さっきリルのこと捕まえようとしてたでしょ? 捕まえてリルに見せるって言ってた……」

「……!」


 そうしてリルは、また扉から出て光虫になり、二人の周りをくるりと回って扉へ戻り、再び実体となった。

 それを見て、もう二人はリルの言葉を疑わなかった。

 

                 ☆


 帰り道、ゼンは語った。


「家の母ちゃん……言ってた。人が亡くなると光虫が現れるんだってさ……家にいた光虫は、もしかしたら父ちゃんかもな」


 ゼンは力無く呟く。

 ゼンの父親は、きっと家族の二人と一緒にいたかったのだろうか。


 そして、光尽きるまで家にいた。


 そう納得した時、ゼンの眼から涙がこぼれ落ちた。

 その後、二人とカリムの肩に止まっているリルである光虫と、一言も言葉を交わさず帰路についた。

 リルは「最後にお母さんにありがとうって伝えに行く」と言って、一緒についてきたのであった。


 リルの家への分かれ道で、光虫はカリムから離れていった。

 カリムは自分の愚かさを呪いながら、下を向いて歩いた。


――オレが『神隠しの森』の話なんてしたから。


                ☆


「ただいま」

「カリム、どこへ行ってたの? リルちゃん、まだ見つからなくて、お夕飯つくってないのよ」

「夕飯はいらない。ちょっと部屋で寝る」


 時計を見ると、時刻はもう十一時だ。リルの件と『神隠しの森』へ行ったことで、カリムは酷く疲れていた。ベッドに横になると、天窓から見える夜空に流れ星が落ちた。


 流れ星に願いを込める。

 どうか、リルが元の姿に戻りますように。


                 ☆



 真夜中になっても、村に響く村人の声がする。


「リルーリルー」

「リルちゃーん、どこだー」


 大人達は、一晩中リルを捜していた。ゼンは何を訊かれても口を閉ざしていた。光虫は、リルの母親の肩で悲しそうにずっと光っていた。


                 ☆


 チチチ……ピュチチチ


 翌朝、カリムは鳥の声で眼が覚めた。

 泥のように重かった身体は、嘘のように軽くなっていた。

 カリムの起床を待っていたかのように、光虫がふわりと宙に浮いた。


「リル、おはよう」


 リルの光虫は、輝きを失ってはいなかった。いつまで、この輝きが続くか分からないが、リルは実体を失っても、形を変えて生きている。それだけが、カリムにとっては唯一の救いだった。


 カリムが階段を下りると、母親が朝食の用意をしていた。


「おはよう、カリム」

「おはよう」

「リルちゃん……結局見つからなくてね、川とか森とか、色々皆で捜したんだけど……」

「……そうなんだ」


 リルが『神隠しの森』へ行って、光虫になったことは、カリムとゼンしか知らない。大人達がそのことを知らないという事は、ゼンもまだ誰にも言ってないということだ。


「シャワー浴びてくる」

「カリム! リルちゃん見つけたら、すぐに教えて頂戴ね」

「分かってる」


 シャワーを浴び、朝食を済ませて自分の部屋に戻ると、光虫は大人しくベッドの上にいた。

「リル、ここにいたら、いつか消えちゃうんだ。『神隠しの森』へ帰ろう」


 光虫は小さく瞬いた。


「じゃ、母さん、オレもリルを捜しに行ってくるよ」

「気をつけてね。夕飯までには帰ってくるのよ」

 母親は心配そうにカリムを見送った。

   

                 ☆

 

 それから、カリムはゼンと合流して、再び『神隠しの森』へ向かった。昨夜は疲れ果ててしまい、余り会話をしなかった二人だったが、一晩寝たら二人はすっかり元気になっていた。


「カリム、よく考えたら、オレの父ちゃん消えてないかも知れないよな? 光虫になったって、扉の向こうで案外元気でいるかも知れない」

「それもそうだな」


 カリムはゼンの台詞を聞いて、何故だが安心した。リルも『神隠しの森』を出なければ、たとえ光虫の姿だとしても、輝きを保っていられる。それは、死んだということとは違うのだ。


                  ☆


『神隠しの森』に着くと、昨日と同じように森の上空では、何かがきらきら光っている。


「あれ、全部光虫なのかもしれないな」

「本当かよ、オレはウソだって思いたい……でも、あの中に父ちゃんはいるのかなぁ」


 ゼンは上空を見上げ呟いた。

 しばらく森を歩くと、昨日と変わらない扉が見えてきた。そして、扉に近づくと、リルである光虫が、扉の中へ入って行った。リルの姿が現れ、カリムとゼンに言う。


「カリム、ゼン、ありがとう。リル、お母さんにお別れを言ったし、元の姿に戻れるように、この世界の「偉い人」に頼んでみる」

「この世界の「偉い人」って、村長とかか?」


 ゼンがそう訊くと、リルが首を横に振った。

「この扉の中の「偉い人」を捜すの。きっと治せる「偉い人」は、いると思うから」

「リル……それじゃオレ達、リルと別れるのかよ」


 リルは、こくりと首を縦に振った。


「リル一人で行かせるもんか」

「お、おい、カリム」


 カリムが扉に歩みを進めると、ゼンが慌てて止めた。しかし、その勢いで木の幹に躓き、カリムもゼンも扉の中に入ってしまった。


「ゼン、何やってんだよ」

「それを言いたいのはこっちだ!」


 これでは、『神隠しの森』の真実を伝える者がいなくなってしまう。


 リルはそんな二人を見て、くすくすと笑って泣いた。


「カリムもゼンもバカなんだから……」


                 ☆


 その夜、村では三匹の光虫が現れた。

 三人の捜索は続けられたが、その姿を見たものは、まだ誰もいない。

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