11.夢の記憶
「今、白石先生達は外出中ですが……」
「それは返って好都合だ。開けなさい」
橘は、研究室の扉を開けることを躊躇ったが、モニターに映る面々が理事会に出席するような上役であることに気付き、大人しくドアを開けることにした。
「第四研究室はどこかね」
メインコンピューターへのハッキングがバレたのかと思えばそうではなかった。どうやら目的は、クローンの亜樹のことらしい。目前にいる女性がクローンであることに気付かないまま、第四研究室に入って行く。
「神崎教授が言っておられたのは、この部屋かね?」
「ええ、ですが……」
第四研究室の内部を見た神崎教授は、言葉を濁した。そこには、亜樹の生まれた形跡が、まるで何一つ残されていなかったのである。
「どうやら、ここでクローンが造られているという噂はデマらしい。神崎教授は、何か思い違いをされておられるようだ」
「そんな筈は!」
神崎保は、研究室の中を次々と見て回った。しかし、クローンが造られているような形跡はどこにも残されていなかった。
「橘君は、知っているのだろう! クローンをどこにやった」
橘は、神崎保に「知りません」と一言返して口を噤んだ。
それより、どうしてここに何かがあると思われたんでしょうか?」
「それは君に……いや、何でもない」
「神崎教授には、いつも色々なものをいただきまして、ありがとうございます」
橘が、神崎保にした感謝の言葉が本心ではないことは明らかだった。神崎保は、まだ幼かった橘に盗聴器を仕込んだ当人であるのだから。
神崎保は、こほんと咳払いをし、亜樹を見た。
「彼女は誰だ?」
「申し遅れました。先日、こちらの研究室に配属となった、白石亜樹と申します。いつも兄達がお世話になっております」
「亜樹? 亜樹というのか! 君だな! クローンは」
神崎保は亜樹に詰め寄り、肩を掴んだ。
「いい加減にして下さい」
亜樹の代わりに、カリムは言った。
「クローンが、こんな流暢に喋るわけないでしょう。神崎教授」
呆れながら、理事長は神崎保を宥める。
「それは、そうですが、それは、言う通りですが……息子が」
「息子?」
「いえ、何でもありません」
神崎保は、クローンの情報を息子の神崎亨から得られたものだと言う事を隠しておきたいようだった。
「神崎教授、記録によると、白石亜樹さんは二日前こちらに配属されたようです。亜樹さんはクローンではあり得ません」
ハンディコンピューターを手に、神崎保の助手が伝えた。
「ううむ……仕方ない。一端、引き上げよう」
「今度は白石先生がいる時に来て下さい」
橘がそう言うと、「一体どんなトリックを使ったのか」と往生際が悪く、ぶつぶつ呟いていた。そして、理事会のメンバーが部屋を去ると、橘とカリムと亜樹は「やったあ」とハイタッチした。
「ところで、亜樹さんは白石先生達の妹さんですか?」
「ええ、そうよ。でも、何故、今ここにいるのか分からないの」
「お姉さんは、ついさっきまで寝てたからなぁ」
「……私、寝てたのかしら?」
亜樹は自分がクローンである自覚はないらしく、「悪い夢を見たの」と小さく震えた。セミロングの髪をかき上げて、一つ一つ思い出すように語り始めた。
「小さい私は……幾何学大学へ行った兄さん達を追いかけて、おやつを食べながら歩いていたの。――そうしたら」
「お姉さんが見た、夢の話?」
「ええ、でも不思議ね。すごく鮮明に覚えてるわ。私、エア・カーに引かれたんだと思うの。呼吸が出来なくなって、傷口を押さえても、流れ出る血が掌を染めて――」
亜樹の顔が一瞬、青ざめて見えた。二人はごくんと唾を飲んだ。
「でも、私はここにいて、不思議ね」
困ったように笑った。
「――夢で、良かったですね」
橘は、複雑な心境だったが、本当はカリムにも分かっていた。その夢は、亜樹が実際に死亡する直前に体験した、現実にあった出来事なのだと。
☆
「遠野さん、患者さんの服が二着足りないんだけど、知らないかしら?」
「さ、さあ、私は知りませんけど」
遠野瑞穂は、婦長の言葉にぎくりとした。まさか勝手に部外者に貸し出したとは言えない。
「婦長、私が残業して探しておきますから」
「そお? じゃあ、お願いね」
幾何学大学病院の医局は、通常、二交代制であるが七時以降は残業となっている。
(あの二人、何やってんのよ!)
瑞穂は心の中で文句を言って、特別病棟のある通路を覗き込む。が、一向に二人が帰ってくる気配はない。
瑞穂としては、出来れば七時以降の当番が来る前に、事を済ませておきたいところだ。
(スペア・キーはあるんだけど……)
病院内でも、特別病棟の中は極秘とされていて、鍵を預かる身になっても、中の様子を伺った事はない。
何があるか分からない、避けるべき場所なのだということは、瑞穂にも分かっている。
(十樹君が、無事に帰ってくるって事は危険はないのかな?)
「ええい」
瑞穂は大人しく待っているのは性に合わないと、スペア・キーを持って特別病棟へと向かった。
☆
十樹と桂樹は森に辿り着いていた。
木漏れ日の射すベンチの上に、いつもと同じように寝ているはずのジム・カインの姿は、そこになかった。
「今日はいないみたいだな」
「父ちゃん、ここにいたのか? 十樹」
ゼンが十樹を見上げて訊く。
「十樹、オレはジム・カインの家を知ってる。こっちだ」
桂樹の後をついていくと、一件の家があった。その家を見てゼンが目を見開いた。
「何で、オレの家がここにあるんだよ!?」
「オレの家?」
ゼン曰く、本物のカーティス村にあるゼンの家が、そのままこの特別病棟に建てられているらしい。
「父ちゃん! 父ちゃん!」
ゼンは勢い余って、ジム・カインの住んでいる家の玄関の扉を開けた。扉の鍵はかかっておらず、ゼンの目前にジム・カインは現れた。
「一体、何の騒ぎだあ?」
「父ちゃん!」
ゼンは数年ぶりの再開に「やっと会えた」と言って、ジムの胸に飛び込んだ。
「な……何だ? どこの子だ?」
「――父ちゃん?」
ジムは突然飛びついてきたゼンに動揺しながら、ゆっくりと引き離した。そして、十樹と桂樹を見た。
「何だ何だ。にーちゃん達は双子だったのか……」
「そうです……ゼン、すまないが、こういうことなんだ」
「リルと同じって事かよ」
「ああ」
ジム・カインとリルは、十樹達が何を言っているのか分からない様子で、きょとんとしている。
「じゃあ、せめて、リルと一緒に父ちゃんもここから出してくれよ」
「それは出来ない。規則なんだ」
十樹は言った。
リルは昨日ここに放り込まれたばかりで、メインコンピューターにも登録されていない。
服も実験体の服のままだ。
「ここに来るのは、これで最後になるかもしれない。だからゼン、お父さんを置いてここから出よう」
「嫌だ!」
「ゼン……もうあまり時間もないんだ。カリムも待ってる」
「嫌だ! オレがここにいたら、思い出すかもしれないだろ?」
「それは、分からないが……」
「だったらオレは、それに賭けてみるよ」
☆
「十樹くーん! 桂樹くーん!」
ゼンをジム・カインの家に置いて、特別病棟を出ようとした帰り道、瑞穂が慌てて十樹と桂樹の元へ駆けて来た。
「瑞穂……どうしたんだ?」
ぜぇぜぇ、と息を切らしている瑞穂に、桂樹は訊く。
「ここの人達に訊いたら、こっちに向かったっていうから……早く帰らないとマズイことになるから」
「マズイ事って何だ?」
「夜七時になると、メインコンピューターが作動して、貴方達ここの患者として登録されてしまうのよ」
「あぁ、そんな話を聞いたことがあるな」
「知ってるなら、もっと早く服を返して頂戴。もう限界よ……あら? その子」
瑞穂は十樹の足元にいるリルを見て。
「昨日、神崎が連れて来た子だわ」
「やっぱりな」
「神崎は何と言っていた?」
「しばらく、ここで預かって欲しいって」
――預かってってことは、神崎はリルを一生ここに入れておく気はなかったってことか?
「ありがとう瑞穂、もう私達は帰るところだから」
「そう……良かったわ。婦長を誤魔化すの、大変なんだから。二人共! 忘れないでね、豪華ディナーよ、豪華ディナー♪」
「……」
豪華ディナーを思い浮かべて、楽しそうにしている先頭を歩く瑞穂を見て、十樹と桂樹はそれぞれ複雑な思いで帰路に着いた。
☆
「亨、白石君達の研究室に監査を入れたが、クローンの製造をしていた形跡はなかったぞ」
「そうですか」
携帯の端末を手に、神崎親子が話をしている。
「お前のおかげで随分な恥をかいた。軍事用クローンを製造する計画を一から見直さないといけない」
「僕が聞いていたときは、確かにクローンの製造をしていましたが……亜樹さんはいませんでしたか?」
「亜樹さんは、クローンではない。大学の記録にも、ちゃんと在籍記録があるのだからな」
「ふぅん」
神崎は少し考えるような仕草をして、父親に言った。
「多分、もうすぐ全てが明らかになりますよ。軍事用クローンの件も、僕の方で少し考えていることがあります。その日を首を長くして待っていてください」
「お前がそう言うなら……」
「では、これで」
神崎は携帯を切り、にやりと笑った。
全ては、神崎の掌の上にあるかのように




