60.何もかも覚えておく
司は、処刑者と会ってから初めてその素顔を見たような気がした。
「本当は消したくないです。処刑を諦める事はできませんか?」
その子供のような顔に、司は本音を明かす。
雪を傷つけたのは、確かに許しがたい事だが、だからと言ってその罪が償えないなんて事は無いように思えたのだった。自分が、今まで何人も人を消滅させてしまったのに比べれば、まだこの人の罪は軽いように思える。
「私は生まれてからずっと、生贄を殺す事だけを考えて生きてきました。今、冷静に考えると、それも自分がそう作られた存在だったからかもしれません。何故、おかしく思わなかったのかと笑うかもしれませんが、私には、名前すらないのです。自分が『処刑者』であるとそれだけを思って生きてきました。他の者達も同じです。ここで見逃したら、また『生贄』を狙いますよ」
処刑者が、楽しげに低い声で笑う。
「あなたが私を消す事が出来るなら、そうして下さい。『生贄の書』と同じ場所へ行きたい」
男の願いを聞いて、司は涙に曇る視界で深く頷いた。
処刑者の負を集めて作られたかのような美貌も、楽しげに笑っているとますます雪に似通って見える。
「さあ、早く私を消して、あの『生贄』を降ろさないと……可哀想ですよ」
くくっ、と処刑者は喉の奥で笑い、雪に似た黒い澄み切った目を意地悪く輝かせる。
「あなたは居なかった!」
司は、再度深く頷いて転がった男の胸にナイフを振り下ろし、宣言する。
司の手に肉を刺し貫いた鈍い衝撃が伝わった。
――少しずつ、手足から処刑者が宙に溶け始める。
司は、決して忘れる事がないように、処刑者のぞっとするような冷たい美貌を見つめる。
処刑者は、自分の消えていく手を眺めて、雪と同じように無邪気に微笑んだ。
「元生贄の力は、生贄の奇跡の力を打ち消すのか……。人々が覚えていないのは、もう犠牲や奇跡を昔ほど必要としなくなったせいかも知れませんね。自分が消えていくのを眺めるのは、意外と楽しいものです。案外、私がマゾヒストの気があったのかもしれません。くくくっ」
心から楽しそうに笑う処刑者を完全に消えてしまうまで、司は涙を流しながら見送った。
何もかも覚えておく、と司は声を上げて泣いた。
――処刑者のリーダーが消えると、他の処刑者達も一斉に消えていった。
間宮の肩に刺さっていた古びた槍も消え、雪が張り付けにされていた木の十字も最初から無かったかのように忽然と消える。




