57.イケニエを捧げる
それから、タイヤがパンクした車を出て廃工場に向かうまで、襲ってくる男達は現れなかった。
司も友宏も間宮も司を守るように囲む護衛の者達も、無言で廃工場までの道のりを走った。
廃工場の初夏であるのに冷えた空気が、一同を包む。
道を知っている間宮が先頭になって、打ちっぱなしのコンクリートの壁が続く何もない廃工場の中を走っていた。割れた硝子が散らばっていて、踏みしめられると悲鳴のような高い音がした。
間宮や他の護衛とは違い、司と友宏は広い工場の中を走って息が切れ、時折足がもつれてくる。
だが、司は雪を助けたい一心で足を前に進めていた。
……やがて、幾つもの何もない部屋を過ぎた後、汚れた窓で中は見えない古ぼけた鉄製のドアの前で、間宮が足を止めた。
「ここです。大丈夫ですか?」
息を切らしている司を心配そうに窺ってくる。
「ごめ……大丈夫。ほ……んと、体きた……え……ないと」
司が安心させるように僅かに微笑んでみせ、パーカーの袖で額に浮かんだ汗を拭った。
『第十二……室』とドアにかかっている札の肝心な所は読めない。
「開けるぞ。また撃ってくるかもしれないから、壁に隠れろよ……せーの」
先に息切れから回復した友宏が、おもむろに扉を足で強く蹴った。
かろうじてかかっていた汚れた窓ガラスが割れ、鉄製のドアが油の切れた軋んだ音を立てて室内に向かって開いた。
司がそっとドアの陰から窺うと、目を疑うような光景が広がっていた。
「ゆ、雪ちゃん!」
司は、何もかも忘れて飛び出そうとしたが、同じ壁の陰に隠れていた間宮がとっさに抱きとめる。飛んできた弾の風圧が司のすぐ横を掠めた。
しかし、司と同じく友宏も間宮も他の護衛の者達も顔色を変えて中の光景を見た。
――巨大な木で作られた十字に両手首を釘で打たれた雪が張り付けられていた。
気を失っているのか、項垂れていて髪に隠れて美しい顔はほとんど見えない。釘からぽつりぽつりと滴る血が、傷がまだ新しい事を知らせていた。ジーパンを履いた細い足は太い鎖で食い込むほどきつく木に縛られている。
教会のように天井の高い他のどの部屋よりも広い室内には、最奥に磔にされた雪とその両サイドに雪を追っていた男達がまるで礼拝のように並んでいた。
皆、酷く冷えた目をして、司の方を見詰めて、銃を構えている。
雪の傍らにはもっとも低い温度の目をしたあの陰鬱な男が立っている。
片手に銃を持ち、雪に古びた槍を構えていた。いつものように口だけで笑うのではなく、幸せで仕方ないとでもいうように穏かな微笑を浮かべている。
「かの有名な自称救世主であり生贄は、手の平ではなく手首に釘を打たれました。手の平では体重を支えられませんからね。大勢のものに見送られて無残に死ねば、多くの罪が浄化されるでしょう。生贄の尊い命が神に捧げられる。罪の浄化の瞬間は、処刑者の至福のひと時です」
「やめてください! あなた達は雪ちゃんに作られた存在なんだ。こんな事をする必要はない。何かの間違いだ」
早く雪を十字から下ろしたい一心で、司は半ば悲鳴のような言葉を紡ぐ。
工場のコンクリの壁に司の焦って上擦った声が反響した。
無邪気で明るい少女が、どうして『生贄』なんかになってこんな無残な目に遭わなくてはならないのか、司にはどうしても分からなかった。頭に血が上った今は、そんな犠牲を必要とする世界なんて罪に押しつぶされてしまえば良いとさえ思えてくるのだった。
「私達、処刑者は気の遠くなる昔から生贄を捧げてきました。こんな女に作られたなどと愚弄は止していただきましょうか。では、参列者も揃った事ですし、始めましょう」
処刑者は片眉をあげて、気分を害したとでもいうように微笑むのをやめた。
そして、雪に向かって錆びた槍を構える。




