1.お姫様走って登場
朝の通勤ラッシュだった。
駅からちょっと出た人ごみの中、制服を着た女子高生が走っていた。
緑と青のチェックのスカートがひらひらと揺れる。
ラッシュの中で走っている者は大して珍しくもない。むしろ普通の事で、大抵のものは目を留めないはずである。
しかし、急いでいない者の大多数は、振り返って彼女を見て不思議そうな顔をする。夢見心地の顔と言ったほうが正しいだろうか。
……彼女は、ラッシュにそぐわない程に美しかった。
肩より少し下まで流れる艶やかな黒髪が、特別にあつらえた飾りのように、ほっそりとした貴族的な美貌を縁取っていた。物憂げに微笑んだら、どんな芸術品に描かれる美女よりも美しいだろう、と思われる顔だった。
今は、走ることに集中している為か、顔がしかめられていてもったいない。
時々、少女は後ろを振り返りながら走っていた。誰かに追われているのかもしれない、と容易に推測できる仕草である。
そんな美しい少女を助けようと、暇を持て余していた近くの男が、声をかけようとすると、すれ違いざまに、
「構わないで!」
と高い声で叫ばれた。
男は心を読まれたようで怖くなり、後退さりする。
走っていきながら、少女がその大きな澄んだ瞳を緩ませて微笑む。
「ごめん。ありがと、おじさん」
男は美しすぎる少女から微笑まれ、赤くなってその場に立ち尽くした。
……どのくらいその場に立っていただろう。
しばらくすると、ダークスーツを着た男達が走ってきて辺りを見回した。
ぼけっとそのまま立っていた男にその内の一人が声をかけてくる。
「おい、ここに制服を着た綺麗な女の子が来ただろう。どっちへ行った」
制服を着た女の子は一杯居るが、スーツを着た男はためらいもなく抽象的な表現を口にした。
「あっちでした」
人をゴミとでも思っているのではないだろうか、と疑ってしまう不躾な視線に苛立ち、男はとっさに違う方向を指す。
多分、この男達が言っているのはあの綺麗な女の子だろう。
唐突に、男は、あの女の子を守らなければならないと思った。自分はこの前とうとう失業して、もう定年間際だった故にもう職もない。こんなところでぶらぶらしている。ほとんど何もない人間だけれど、こんな得体のしれない連中に協力するほど酷い人間ではない。
「嘘を吐くとお前の為にならないぞ」
スーツの男は、映画でしか聞いた事のない陳腐な台詞を、失業者の男に投げつける。
「そう言われてもどうしたらいいやら、私がここで嘘をつく理由なんてありません」
「まぁ、それもそうなのだが……」
男達は集まって何やら言葉を交わしていたが、そうしている時間が惜しい事に気付いたのか、男が教えた嘘の道に向かって走り出していった。
失業者の男は自分の嘘がうまくいった事に安心し、スーツの男達が戻ってこない内に、と職安に向かう事にした。




