4-5
「様子見るしかできないのが辛いわね」
「全くだ。――というか、なぜ私達は実践室にいるんだ?」
ふと気がついたように、そんな当たり前の疑問を凉が口にする。
なぜも何もなくないか?
「始めから実践室にいたじゃねえか」
「そうじゃなくて、移行して来ると分かっているなら、体だけでも保護しておくべきじゃないのか、という意味だ」
「凉ちゃん、精神と魂が還ってこない肉体は死体よ? 緊急時に構うようなものじゃないわ」
「!」
静かに、諭すように言った愛希さんの言葉に凉は息を飲んで凍りつく。あやめもやや目を伏せ、息を吐いた。
そうか、凉は見捨てられてた事に気付いてなかったか。
A・Aの状態での死は魂の死だ。
繋がっていないだけの脳死とは違い、『無くなる』のだ。
A・Aで死を迎えた瞬間、肉体も死ぬ。
アストラルでは、自分がどれだけ傷を負っているか分かりにくいので、そこも死亡率が高くなる原因でもある。
(残るって決めた時点で、多分見捨てられたんだな)
となると、やっぱり魔導騎士もこなかった可能性がある。
俺がそこまで持つとは考えていなかったかもしれないし、そうなればアッシャーに移行してしまった黒月の雫に対して、魔導騎士を派遣する意味は全くないからだ。
……って、ん?
「晴人?」
「どうした?」
「お前何でここにいるんだ」
今更気が付いたが、見捨てられてたなら救援として晴人が来るはずがない。優先的に逃がされる側のはずだ。
「それはまぁ、……だって、なぁ?」
――独断か。
半ば命令であっただろう指示に逆らって、独断で来てくれたのか。
「ありがとな」
照れて言葉を濁す晴人にそう言って、やっとだるさの抜けて来た体に力を入れ立ち上がってみた。
大丈夫そうだ。力が入る。
「行ける?」
「あぁ、行こう」
一応外からも中からも防護性の高い部屋とはいえ、黒月の雫に対して、期待できる程の効果があるとは思えない。
終わるまで立て籠るよりも、移動の危険性を考えても逃げた方が安全だろう。
まだ正常に動いてくれてる自動扉が開き、外へと出る。
(戦ってるのは……向こうでか)
どうやら音が響いてくるのは教室棟の方からだ。
離れているとは言っても所詮敷地内でしかないので、大きく響く音や振動がどこら辺から来るのか、大き過ぎて逆に分かりずらいのだが、それでも当たりをつける事はできた。
(……)
「蒼司? どうした、痛むのか」
「いや、大丈夫。けど悪いが先に行っててくれ」
「あのね、蒼司――」
俺の『先に行っててくれ』を先程と同じ意味にと判断したあやめから、呆れたような声を上げられたが、緩く首を振って否定した。
「そうじゃねェ。ただ、今どうなってるのか見ようと思って……」
「はァ!? 正気か!?」
「……正気だ、一応」
生身で行く危険さと愚かしさは、分かっているつもりだ。
だからこそ、俺一人で行きたい。
自分のせいでどうなっているのかを、知りたい。どうにもできないんだとしても、自戒のために。
「いいわ、行きましょう」
少し考えてからうなずいたあやめの言葉には、自分も行く、というニュアンスが含まっていて、俺はそれを断った。
「いや、これは別にA・Aとしての事じゃねえから」
むしろA・Aとしては逃げるべきだ。再びの災禍を防ぐ戦力として。
だから彼女達がA・Fとして俺に付き合う必要はない。
「そんな事言われるまでもないわ。大体、A・Fとしてなら、ここは貴方を止めるところなのよ?」
そう……そうだな。
「でも貴方が行きたいというのなら、いいわ。そう言ってるの。分かる?」
理解の鈍い俺にちょっと拗ねた様子であやめは言って、軽く睨んで来る。
……ちょっと可愛いからやめてくれ、それ。
「じゃあ行くか。ちょっと見てパッと帰ってくるだけな。そしたら逃げるからな。あー、こっちでも索敵使えりゃ楽なのに」
「いやいやいや! お前は逃げろよ!」
溜め息と共に、晴人も行く感じの事を言って、慌てて止めるがふ、とやや格好つけて演技過剰に笑って見せて。
「怒られる内容は一緒だぜ、兄弟」
「お前どんだけ一人駄目なんだよ」
日本人らしいけれどもな!
……仕方ない。
俺だって戦線に飛び込もうってつもりじゃないし。……少し、見るだけだから。
「じゃあ、行こう」
自分のしでかした事態を、確かめに。
――近い。
爆音が大きくなり、振動の衝撃が重くなる。もう本当に近い。
「どうやら出現は一年C組だったようだな」
「……あぁ」
移行の様子を見せてから、実際に移行して来るまで若干時間は稼げたはずだが、本当の所、どれだけ稼げていたのかは時間の感覚が正確だったとは思えないから分からない。
ここに黒月の雫がいるという事は、残って応戦している人がいるという事だ。せめて、応戦している人だけであってくれ。
出現場所となった教室は隣のB・D組と横の壁が崩されて、一繋ぎの大部屋になってしまっている。
全く良くはないが、見通しの良くなったB組にこそりと紛れ込み、瓦礫と化した壁や、天井の一部の影から様子を窺う。
まず真っ先に目に入ったのは、半透明の魔力壁が教室の半分程で部屋を二つに分断している光景だ。
アッシャーに意志力を具現化するという現象を、俺は今初めて見た。本当にアストラルで発動させる魔術と大差ないんだな。
魔力壁の半分から窓側に、人間――教師達が陣取って応戦している。
生徒は……いない。
負傷して動けなかったりという人も、今の所はいない。良かった。
「空裂弾構成完了しました!」
「撃ぇッ!」
窓最奥に設えられた巨大な機械に、二、三人がコードで繋がった末端器具を頭に装着して繋がっている。
ヴヴヴンン、と明らかに負担の掛かり過ぎな音を発して機体本体が震え、風属性下位中級の、圧縮した風圧弾を発動させ打ち出した。着弾と共に破裂し、衝撃波を生むという魔術だ。
――しかし威力はあまりなさそうだ。
俺が撃った時の威力と比べて、二、三割の力程度しかなさそうに見える。晴人と比べたら一割に満たないんじゃないだろうか。
「……あれは無理だぞ……」
おそらくこの光景を見るのは俺と同じで初めてだろう、蒼白になって晴人は呻く。あれが限界だとしたら、確かに無理だ。何回やろうがどうにもなるまい。
弱っている、いないに関わらず、あれではノスフェラトゥの防御力を貫通できない。
「もういいでしょう? 行こう」
「いくら不完全だって言っても、あれが限界なのか? あれじゃあゴブリンだって倒せるかどうか怪しいぞ」
「倒せないよ。見ての通り、注意を引いて時間を稼ぐだけのものだから。時間を稼いで、黒月の雫がアストラルへ還るのを待つの。時間差はあるけど絶対に還るの。なぜかはやっぱり分からないけど」
淡々として答える愛希さんに表情はない。
……そんな希望のない話、聞いた事がなかった。
けど初耳だったのはむしろ俺と晴人だけだったようで、A・Fの皆は沈痛な表情こそしたものの、驚きはない。
「……今までで最長、どれぐらいだ?」
「さぁ。私が知ってる中では一日。それ以降は記録する人がいなくなって、近付けもしなくなったから正確な所は分からない。――さぁ、行こう」
方法など何もない。
ただ絶望的な時間を凌ぎ切る、凌ぎ切れない事もある。それでも待つしかない。
そう告げて俺の腕を引いた愛希さんに、意識が横に逸れたまま、引っ張られてふらりと立ち上がる。
その俺の目の前で、ぱん、と物凄く軽い音を立てて魔力壁が破られた。
(あ……っ!)
元々、壁の役割を果たせていたかどうかは怪しい。けれどそれは間違いなく、命を守ってくれる物の一つだった。例え紙の盾程の安心しかなくても。
「まずい。攻撃してくるぞ。早く逃げよう!」
「あ、あぁ……」
そう、逃げるしかない。こちら側では、何も。
(っ!)
立ち上がってやや広くなった視界の中に、見知った担任の姿を見つけた。
擦れ違った気のする、どこかのクラスの担任もいた。
一科目教わっている先生もいた。
全く知らない先生もいた。
「――っ!」
殺されるのだ、そう思った。
いずれ(いつか?)アストラルへ還るんだとしても、今、彼女達は間違いなく殺されてしまう。
今、ようやく本当に思い知った、気がした。
(俺は一体何をした)
アストラルでしか有効打を打てないと知っていて、みすみす取り逃がして――……!