プロローグ
がらり、と教室の戸を開けて入った途端、すでに登校していたクラスメイトたちから視線を一斉に向けられた。数瞬値踏みするような視線を受けた後、ややあって解放される。
そういう空気だろうな、という想像はしていたので、別に驚きはない。教室を横切って黒板を見て、割り振られた番号に従って席に付く。
「よ」
席に着くと、前の席から体を捻って声をかけられた。クラスにはまだ男子生徒は彼一人で、俺がきた事に表情が明らかにほっとしていた。
今は世界的に男女比が片寄っていて、男性の数が少なくなっているのだが、この学校は更にその対比数が顕著だ。理由は、女生徒よりも入学条件が厳しいため。
「俺は久坂晴人だ。A・Aは『ジン』お前は?」
「椎堂蒼司。A・Aは『イフリート』」
「へー、じゃあ火系か。仲良くなれそーな気ィするわ」
に、と笑って言った久坂の台詞は、事実かどうかはともかく、そうしておくのは必要な事だろう。少なくとも在学中は。
ここは国立東京魔導騎士育成高等学校。語呂が悪い上違和感もあるが、冗談で付けられた名前ではない。
世界は科学により『魔術』の分野を切り拓いた。
その劇的な変化が訪れたのは十五年前。とある研究チームが意志を現実世界に反映させる、という研究をしていたらしい。
そしてそれは、その後の歴史で始まりの日と呼ばれる事になったその日に、成功を見てしまった。
意志の世界=アストラルと名付けられたそこと、肉体世界=アッシャーと呼び分けられた二つの世界は密接に繋がってリンクしている。
より研究が進み、アストラルに人が己の意志を丸々持って行き、アストラル世界での活動が可能になった時、それが始めて発見された。
アストラルには光源がなく、世界は漆黒。その空には月が七つ浮かんでいて、その月から黒い雫が地に向かって滴り落ちている。
雫は地に溜まり、一定の体積が集まると液体から固形へと姿を変え、異形のモノが生み出されているのが発見された。
初めてそれを目の当たりにした時、研究者たちは本能的に恐怖を覚えたらしい。そして事態はそこから再び急変する。
アストラルの研究が始まって一年経たないうちに、月の雫で出来た異形のモノが、アッシャーに具現化してきたのだ。
果たして人がアストラルに踏み込んだ故の変化なのか、元々現れる直前だったのか、それは今でも分からない。
確かなのは『それ』はアッシャーの生物にとって有害であるという事だ。
アッシャーに現れた『それ』は純粋にアストラルのモノだけに、物質的な何かで傷を付ける事ができなかった。唯一有効だったのが、まだ研究段階である『意志の力』を現実に反映させるその技術。
多くの犠牲を払ったが、消滅させる事には成功した。
二度同じ被害を出さない様に考えだされたのは、アストラル内部でとにかく片をつけよう、という単純な発想。
意志の力をアッシャーへと具現化する技術はまだ未熟だが、アストラルへ意志を丸々介在させる技術はすでにできあがっていた。
『黒月の雫』と名付けられた、人類の害敵と戦う意志の形。それを総称してAnima・Arma――A・Aという。
しかしそれが可能として、戦えるだけの意志力、また攻撃的思考を形にできる者がどれほどいるか。
ここはA・Aを戦えるであろうレベルまで持っていける者を集めて、育てるための軍事施設なのだ。
だから、いずれ共に戦うかもしれない相手と反目する理由は何一つないのである。お互い。
「あぁ、宜しく」
ゆえに俺はそう言ってうなずいた。
と、丁度その時チャイムが鳴って、ざわめきが少し静まった教室内に、ヒールの足音が微かに聞こえてきた。
ガラリ、と扉を開けて入ってきた女性教諭が、良く通る声で第一声を発した。
「静かに。出席番号順に席に着け。HRを始める」
高校入学新学期、一日目の始まりだった。