第八夜-おまけ
第八夜と九夜の合間の話です。
服を換えて、辰生と柚姫を送っていった黄佐は、和室に布団を敷くのを手伝っていた。なにせこの大所帯だ。敷布団はどう考えても足りないが、全部を繋げて、1人分の陣地を狭くし、適当に寝れば、おそらく1室に全員入れるだろう。
俺か朱兄か、あるいは2人とも、ここにいた方がいいだろうし・・・ま、たまにはこういうのも良いかな。――などと思いつつ、指示を飛ばす。時間は夜9時を回った。辰生から、戦争回避が完了したことは車中で聞いたし、あと考えることがあるとしたら、それは明日の交渉のことだけである。――どうにかなりそうで良かった。俺の所為で全部がご破算とかになったら嫌だったしね。
後顧の憂いが無くなった黄佐が――その身に迫る危険を、絶体絶命の大ピンチを、予見出来なかったのは致し方ないことであろう。そして、たとえ予見できていたとしても、その危機は絶対不可避であった。
「よーし、これで大体揃ったかな? 全員寝れますよねー? あ、風呂は希望制で、どうしてもって人は一言言ってくれれば大丈夫なんで――」
「黄佐。」
和室の襖が静かに開き、穏やかな声が確かな目的をもって黄佐の言葉を遮った。
朱将だ。
「気が付いたのか。――良かった。」
黄佐は朱将のその声を聞き、その顔を見、固まった。いつになく穏やかで、優しい声は、柔らかな笑みとともに、黄佐に向けられていた。心から安堵し、慈愛に満ちた、菩薩のような態度――。
――黄佐は、唾を飲み込んで後退った。全身が粟立ち、冷や汗が噴き出て、すべての感覚器官と本能と理性が、圧倒的な危険を訴える。
黄佐は知っている――菩薩の裏の顔が、閻魔大王であることを。
心の底から怒っているときの朱兄は、嵐の前のように静かになることを。
朱将が和室に足を踏み入れた。
黄佐が1歩下がる。
朱将が詰め寄る。
それに合わせて、黄佐が大きく後退する。
やがてその背は壁に付き、ちょうど襖のある位置からずれていた黄佐は、退路をなくして、ただ眼前に迫る羅刹を見、絶望の味を噛み締めていた。
朱将は黄佐の目の前で止まり、おもむろに右手を持ち上げた。反射的に顔をガードした黄佐――しかし、その手は殴るのでなく、そっと肩の上に置かれたのである。
黄佐はぞっとした。――マジでガチで待って。これは俺死んだかもしれない。
恐る恐る朱将を窺えば、朱将はいまだ微笑みを絶やしていないのだ。それが黄佐には死を確信させた。
「良かった。・・・本当に、良かった。」
「あ・・・あの・・・朱、兄・・・。」
「万一お前が死にでもしたら、どうしようかと・・・無事で良かった、黄佐。」
「っ・・・。」
「本当に、元気になってくれて良かった。これで・・・――」朱将はまるで感極まったかのように間を置いて、次の瞬間、反射神経を超えた速度で黄佐の胸ぐらを掴んだ。「――これで、心置きなく説教ができる。」
仏が羅刹になる瞬間を、目の当たりにする機会などそうそう無いであろう。
笑みを消した朱将が踵を返す。
「いっ、嫌だ、ちょっ、ちょっと待っ――」黄佐は引きずられながら、声が裏返るのにも構わず、必死に命乞いをした。「――ご、ごめんなさいっ! ごめんなさい朱兄! 俺が、俺が悪かったですごめんなさいっ、ごめんなさいっっ! おっおね、お願い、お願いだから、どうか、話、を・・・っ!」
居間の中へ無造作に放り投げられて、黄佐は背中から床に倒れこんだ。
咳き込みながら上体を起こすと、朱将が静かに、居間の戸を閉めたところだった。
「――さて。」
朱将が腕を組んで仁王立ちをする。黄佐は自然と正座をして両手を床についていた。
「さっきからお前は、何に対して謝ってる。」
「俺の独断専行で勝手に計画を変更した挙句、失敗寸前の致命傷を負い、朱兄にも青尉にも迷惑及び精神的苦痛を与えたことに対してです!」
「あぁ、そうだな。まったく、まったくもって馬鹿な真似をしてくれたよお前は。俺があと数秒でも遅れていたら、どうなってたかは想像できるだろ。」朱将の叱り方は昔から変わらず、感情を捨てたような、淡々としたもので――心の逃げ場を残してくれない。「百歩譲って、お前の独断専行は許すとしても、だ。あんな大怪我を負うような立ち回りをしてんじゃねぇよ。お前が死にかけることで、青尉がどれだけ追い詰められたか、分かってるのか。」
黄佐はひたすらに深く俯く。この件に関して何か言い訳をするつもりは毛頭無かった。しかしそれでも、
「ユウレカの幹部の眼鏡、いただろ。顔中痣だらけになってた奴。」
碓氷のことを言っているのだとはすぐに分かった。確かに、顔中包帯とガーゼで覆われ、――いつこんなに怪我をしたんだろう。朱兄に殴られたのかな? ――と思っていた。
「あいつをあそこまで殴ったの、青尉だぞ。」
「えっ?」
この言葉には驚いた。思わず顔を上げる。朱将は至って真面目な顔で、冗談や嘘など微塵も混ぜていないのは明らかであった。
「青尉が、人に怪我させんのを嫌うのは知ってるだろ。敵だろうが何だろうが関係なく。その青尉が、相手が気絶してんのにも構わず、マウント取ったまま殴り続けたなんて、お前信じられるか。信じられないだろ。」
「っ・・・。」
「理由はおそらく、お前のことがあって、だ。詳しくは聞いてねぇけど・・・俺が青尉を止めた時、あいつ、“だってコイツ黄ぃ兄を”っつってたからな。――どう考えても、お前が撃たれた事か、あるいはわざと捕まった事が、原因だって思えるだろ。」
反論は出来なかった。その通りだと思う。黄佐は再び、深く俯く。
「それをお前、青尉に何て言った。」
「・・・何て、って?」
「青尉が怒って上に行くの、聞こえてたぞ。」
黄佐は喉を詰まらせた。――あれ、聞こえてたのか。
「なぁ。黄佐。・・・どうして、青尉をわざと怒らせた。」
当然の質問に、しかし黄佐は答えられなかった。山瀬にはああ言ったが、あんなものただの建前に過ぎない。――本気で怒っている朱将に言ったら、その瞬間死亡確定だ。
だから黄佐は口を開いて、
「・・・ごめんなさい。」
「それは理由じゃない。」
「ごめんなさい。」
「黄佐。」
「ごめんなさい。ごめんっ――」
髪を掴まれ乱暴に持ち上げられ、黄佐は口をつぐんだ。
朱将の目が――黒曜石のような、漆黒でありながら煌めく目が――底知れない怒りを内包した目が――黄佐を刺し貫く。
「聞かれたことに答えろ。黄佐――どうして、青尉をわざと怒らせた?」
「っ・・・――」
――答えられるわけがないだろ。だって、それはあまりに身勝手な理由で、あまりに利己的な理由で――青尉のためではなく自分のためだけを思っての行動で――自分のために青尉の心配を無下に扱ったわけで――そんなの、答えられるはずがない。
「黄佐。」
朱将の静かな催促に、黄佐はようよう口を開き、
「・・・だって――」答えたくない。「――・・・じゃあ、何て言えば良かったんだよ。自分が突っ走って? 自分の判断ミスで怪我をして? その所為で青尉を追い込んで? なのに青尉には泣くほど心配されて? ――全部、ぜんぶぜんぶぜんぶ、俺が悪かったのに、心配される価値なんて無いのに、俺が青尉を心配するべきなのに、逆に泣くほど心配されたらそんなのもう見てらんないだろ。どんな顔して何て言えば良いんだよ。平然と笑って、“ごめんな心配かけて、でもありがとう”なん、て――」話しながら、黄佐が自分の視界が歪んできていることに気が付いていた。けれど、もう止められない。話すことも――決壊することも。無様に声が震える。「――言えるわけないだろ・・・っ、俺は、そこまで、大人じゃない・・・っ。」
「・・・つまり、」
と、朱将は黄佐の髪を放して、
「お前は、自分の小せぇプライドのために、青尉を犠牲にしたってのか。」
「っ!」
黄佐は、鋭利な刃物で胸を突き刺された錯覚を覚えた。朱将の言う通りだった。
「少し頭冷やせ。んで、明日になったら、青尉にちゃんと言え。――分かったな。」
額を床にこすりつけて、黄佐は微動だにしなかった。
朱将は居間を出た。
☆
「大変だな、お兄さん?」
居間を出た途端、すぐそこに山瀬が立っていて、朱将は盛大に舌を打った。
「てめぇ・・・盗み聞きとはいい趣味してんなぁおい。」
「いやなに、」山瀬は平然と肩を竦めた。「家庭内暴力は立派な犯罪だからな。そういうことがあっては警察としては見過ごせないと。」
「はっ、よく言ったもんだ。」
朱将は一笑に付して、山瀬の前を通り過ぎた。
「――君は、どうしているんだい。」
意図の見えない質問に、朱将は立ち止まる。
「青尉くんは君と黄佐くんが、黄佐くんは君が、それぞれ心理的に支えているようだけれど。君自身は、どうしているんだ? 親御さんは随分と徹底した、放任主義のようだし。」
朱将は首だけで振り返り、山瀬を見た。
「そんなの、決まってんだろ。」はっきりと、告げる。「俺には、黄佐と青尉がいる。今回は、俺が説教役だったってだけで・・・役割なんざ、その都度変わるもんだ。てめぇにとやかく言われる筋合いはねぇよ。」
「まるで、組織のようだな。」
「はっ。」山瀬の感想を、朱将は鼻で笑った。「んな脆弱なもんと一緒にすんじゃねぇよ。俺たちは兄弟だぞ。――他の誰に理解されなくても、俺たちにとっての“兄弟”ってのはこうあるのが当然なんだ。昔からそうしてきたし、これからも、そうだ。」力強く言い切り、そして睨む。「――あまり、舐めてくれんなよ、山瀬。」
そう言って、今度こそ何にも邪魔されることなく、朱将は和室に入っていった。
和室と居間の中間地点で、山瀬は1人、床の冷たさに肩を震わせる。
「・・・何も知らないうちであれば、舐めてかかれたのにな。」ぽつりと、呟く。「ここまで知って・・・舐められるわけが無いだろう、刀堂兄弟。」
和室の賑やかさに消されてか、居間の方からは何も聞こえなかった。
山瀬はその場を後にした。
☆これにて完結と相成ります。ご愛読くださった方、本当にありがとうございました。
思えばいろんなことがありました。
途中で大幅に変更したり。
随分と長きにわたって連載をしなかったり。
それでも、ここまで読んでくださった方々へ、心からの感謝を申し上げます。
そして、すべてのきっかけをくれた我が恩師、友人C様へも、尽きることのない感謝を。
ここで一旦、刀堂兄弟とはお別れです。
いずれまた、彼らのお話をお届けできるように精進していきます。
――――能力者たちの夜は、まだ、始まったばかりだ。
ありがとうございました!☆




