【番外編3】能力者のいない夜
「ただいまぁ!」
青尉は、誰もいないと知りながら、大きな声で言った。家に着いたらまずそう言え、と教え込まれているからだった。
小学生には少し高い上がり框に腰かけて、学年帽を取り、靴を脱ぐ。黄佐のお下がりのくたくたなスニーカーを、手で綺麗に揃えて、「よしっ。」と満足げな独り言。
それから、ランドセルをリビングのソファに向かって放り投げた。クッションの上で1度だけ跳ねて、落ち着いたのを確認してから、青尉は洗面所に向かった。
「てっあらーいうっがいー。」
歌うように言いながら、しっかりと泡で手を洗って、うがいをして、綺麗なタオルで拭く。使ったタオルは洗濯機の中に放り込んで、踵を返し、台所へ。
「今日のお昼なににしよっかなー。」朱兄も黄ぃ兄もいないし、父さんもいないし・・・好きなものを好きなように食べていいってことだよね!「うーん、なににしよう! あ、カップラーメン? カップラーメン2つ? えっへへー、まようなー!」
覚えず笑顔になる。ただでさえ明日から夏休みで、わくわくしているというのに、その上今日のお昼は自由にできるなんて、最高だ。カップラーメンなんてなかなか食べられないからね! みんながいない時じゃないと! わくわくしながら台所に入って――
「あれ?」
青尉は食卓の上に“あってはならないもの”を見つけた。
「朱兄の弁当だ。・・・わすれてったんだ。」
青尉は考えた。――朱兄の弁当がここにあるっていうことは、朱兄は今、お弁当を持ってないってことだよね。ってことは、朱兄、お昼ぬき? ってこと?
それから青尉は、自分がお昼抜きで午後の授業を受けている様子を想像した。お腹ペコペコで、食べるものは何もなくて、でも授業は受けなくてはいけなくて――想像して、すごく悲しくなった。寂しくなった。さらに、朱将が空腹をこらえて、悲しそうな顔で『腹減ったなぁ・・・。』なんて言っているところを想像したら、余計に悲しくなってきてしまった。
「――うん。お弁当、とどけてあげなくちゃ!」
青尉はそう決意すると、朱将の大きな弁当箱を持って、家を飛び出した。もちろん、鍵はきちんと閉めていった。
☆1
朱将が通っているのは県立の農業高校だ。青尉は、道すがら畑にいるおじさんとか、交番のお兄さんとかに案内してもらいながら、どうにかそこにたどり着いた。
しかし、
「あー・・・門、閉まってるなぁ・・・。」
校門はしっかりと閉まっていて、青尉では開けられそうになかった。頑張れば乗り越えられそうだが、と思って、慌ててその考えを打ち消す。というのも、青尉はかつて、小学校の門を乗り越えて怒られたことがあるのだ。自分の学校でそうなのだから、朱将の高校でやったらもっと怒られてしまうに違いない。
「裏門って、開いてないかな?」
青尉は外壁に沿って歩いて行ってみることにした。
しばらく歩き、1度曲がって、少ししたところで石垣は生垣に変わった。それがずっとずっと続いている。裏門までは遠そうだ。学校の方からチャイムと思われる音が聞こえてきて、――あっ、もしかして、昼休みになったのかな? ――と青尉は思った。――急がないと!
パッと走り出した青尉だったが、
「わっ!」
驚きとともに立ち止まった。足元から猫が飛び出てきたからだ。猫は青尉の声にびくりと飛び退いて、少しの間だけ硬直し、即座に向こうの民家の方へと走り去っていった。
「あー、びっくりしたぁ。」
言ってから、青尉はふと、疑問に思った。――今の猫、どこから出てきたんだろう?
そこで、しゃがみこんで、猫が来た方を見てみると、なんと生垣に穴が開いているではないか。猫が通るような小さな穴だが、小学4年生の平均身長よりいくぶん小さい青尉なら、どうにか潜り抜けられそうである。
青尉は少しだけ考えて、――まぁいっか、行こう! ――地面に腹を付けると、匍匐前進の要領で生垣の下を通り抜けた。
「よっ・・・しょ、っと。うしっ!」
思っていたより楽に通ることができた。青尉は勢いよく立ち上がって、
ビリッ
「うぇっ?」
嫌な音に肩を跳ね上げ、振り返った。
「うあー・・・やっちゃった・・・。」
Tシャツの裾が木に引っかかっていたらしい。それに気付かず立ち上がったものだから、裾が横に裂けてしまっていた。
「これは・・・あとで、兄ちゃんにおこられるな・・・。」
青尉は後々のことを考えて少しだけ憂鬱になって、しかし気を取り直し、首尾よく潜入できたこと喜んだ。
「よしっ。とりあえず、はやく朱兄のところに行かなくっちゃ!」
☆2
遊んでいた猫は、飽きたのか、どこかに行ってしまった。
「・・・ま、猫らしーやな。」
真下浩輔は大きく欠伸をして、土の上にもかかわらず、その場に寝転がった。こっちもそろそろ飽きたところだったから、ちょうどいい。今は何時だろうか・・・あぁ、もう12時か。昼休みまではきたから、あと半日・・・もう1回寝よう。
浩輔がうつらうつらして、眠りに就きかけた、その時だった。
遠くからぱたぱたと小さな足音が聞こえてきた。夢と現の狭間で、浩輔の冷静な部分が、あの足音は明らかに高校生のものじゃない、と判断した。しかし、浩輔は目を開けなかった――ま、夢かな。高校にガキがいるはずないし・・・。
足音はどんどん近付いてきていた。軽快で小さな、弾むような走り方。それがふと、自分のかなり近くで、止まった。少しの空白の間を置いて、ぱた、と、今度は恐る恐る踏み出してみたような、ゆっくりとした音。それは少しずつ少しずつ近付いてきて――やがて、浩輔の顔の前あたりで再び止まった。
――覗き込まれている気配がする。浩輔はこの時点で、もはや寝てなどいられず、意識ははっきり覚醒していたのだが、なぜか目を開けられずにいた。――だって、目ぇ開けて何かいたら怖ぇじゃんっ! さすがに嫌だよ俺っ?
この学校にこんな怪談話ってあったっけ・・・とぼんやり考えながら、ひたすらに目を瞑り続けていた浩輔へ、ふと、
「――このお兄さん、具合わるいのかな・・・?」
小さな子供の声がかけられた。そして額に、温かい手がそっと触れてきて――瞬間、浩輔は目を開いた。
「わっ!」突然目を開けた浩輔に、子供は全身を跳ね上げて驚き、尻餅をついた。それから、「・・・あ、ごめんなさい・・・おこしちゃった?」
「いや、いいよ、別に。寝てなかったし。」どうやら幽霊の類ではないらしい、と分かった浩輔は、上半身をゆったりと起こした。「それより、お前、何?」
そう尋ねると、子供はきょとんと首を傾げた。黒曜石のように、真っ黒なのに煌めいている大きな瞳が、“意味が分からない”と言いたげに浩輔を見上げる。質問が雑すぎたのだろうか。浩輔は頭を掻いた。
「あー、だから――ここ、高校だぞ。お前、小学生だよな? なんで、ここにいるんだ?」
子供はにっこりと笑った。「あのね、おれ、朱兄にお弁当とどけにきたんだ!」
「あけにぃ・・・?」
胡乱げに聞き返すと、子供は「うん!」とはっきり頷いて、「あっ、そうだ。ねぇ、お兄さん、朱兄がどこにいるか、しらない? おれ、朱兄が何年何組か、しらなくって・・・あっ、うそ。何年かはしってるんだった。2年生だったっけ。」
「あー、名前は? お兄さんの。」
「刀堂朱将。」
その8音を聞いた瞬間、浩輔の顔が引きつった。子供が無邪気に告げたその名を、知らぬものなどこの学校にはいない。なにせその名は――高校2年にして学内をほぼ制覇し――西商を1人で相手取って圧勝し――『農高の赤鬼』と高らかに謳われる、まさにその人の本名だったのだから。
それを知ってか知らずか、子供はにこやかに、
「しってる?」
と。
浩輔は起き抜けの頭をフル稼働させ、考えた。――あの刀堂朱将を“あけにぃ”って呼ぶってことはこいつは朱将の弟ってことか? え、嘘だろおい、本当にこいつ、あの朱将と血ぃ繋がってんのか? ・・・まぁ、言われてみれば、目元とかちょっと似てるような気はしなくもないけど・・・いや、ちょっと、兄貴に対して弟、天使過ぎないか? っつーか朱将、弟とは2歳差だって言ってなかったっけ? 明らか違うじゃん。どう見ても小学生だし5つ以上は離れてるだろこれ。は? え、なに、どういうこと?
「お兄さん? どうしたの?」
「あっ、はっ、いや――」意識して聞いてみれば、確かに朱将を幼くしたような声をしていた。それに“お兄さん”などと呼ばれて鳥肌が立ったことは言うまでもない。「――えーと、朱将、ね。うん、知ってる知ってる。そこに、行きたいんだったっけ?」
「そう!」子供は目を輝かせた。「お兄さん、朱兄の友達なの?」
その問いに浩輔はどう答えたらいいものか途轍もなく迷った。――違うんだけど、違うと言ったら傷つけそうだし、そうだと言ったら後々厄介なことになりそうなんだよなぁ困ったなぁ!
「えーと・・・ま、話はする、けど・・・友達では、ない、かな?」
たぶん・・・と、曖昧に語尾を濁して、子供の反応を見る。子供は「ふーん、そうなんだ。」と言ったきり、黙り込んでしまった。
浩輔はなぜか慌ててしまって、咄嗟に言った。
「――あー、俺、真下浩輔。お前は?」
「おれ? おれはね、刀堂青尉。」
「そっか、青尉くんな。うん――」ま、捕まったのが運の尽き、だよなぁ。浩輔は覚悟を決めて、立ち上がった。「――よし、それじゃあ、俺が朱将のところまで連れてってやるよ。」
「ほんとにっ?」青尉は飛び上がって喜んだ。「やった、ありがとう! えっと――こうすけお兄さん!」
物凄くくすぐったい呼称だ。浩輔は苦笑して、こそばゆい思いを我慢した。
☆3
「おーい、朱将いるー?」
教室の扉をがらりと開けると、すぐそばにいた男子生徒――確か、鈴本――が、慌てたように振り返って「しぃーっ!」と人差し指を立てた。
「なんだよ。」
「あのな、赤鬼は今さっきまで3年の呼び出し食らってて、その上今日は弁当忘れてきたってすっげー苛々してて、今はふて寝してんだよ。騒いで起こしでもしたら絶対ヤバいって・・・――って、真下・・・何、その子?」
鈴本はそこでようやく、浩輔の後ろに隠れるように立っていた青尉に気が付いたらしい。浩輔はあえて淡々とした口調を作って、「朱将の弟だってさ。」
「・・・えぇええっ!」鈴本はさっき自分が言ったことをすっかり忘れたように大声を上げた。「え、嘘、マジでっ? 赤鬼の弟っ? うっそだろ? はぁっ? え、似てな・・・くもない、か? えぇええええー?」
驚き冷めやらぬ様子の鈴本に、青尉はどうしたらいいのか分からなくなって、浩輔の方をちらちらと見上げた。
「あー・・・。」浩輔は少しだけ迷って――鈴本の話だと、めっちゃ不機嫌なまま寝てんのか・・・そこに突っ込ませていいもんか・・・――やがて、教室の奥の机を指差しながら、青尉の背中を押した。――まぁ、兄弟なら大丈夫だろ。「朱将なら、あそこにいるぞ。ほら。」
青尉は鈴本を避けるように首を伸ばして、「あっ、ほんとだ! 朱兄だ!」机に突っ伏した背中だけでそれを朱将だと断定した。それから、浩輔に向き直って「教室、入っていい?」
「いいよ。どうぞ。」
「ありがとう!」
言うなり、青尉は教室に飛び込んで、朱将に駆け寄った。
その時、教室中が謎の緊張感に満たされた――が、青尉はそれに気が付かない。自分が、飢餓状態のライオンの前に飛び出していったウサギのように見られている、と。
青尉は、弁当を朱将の隣の机の上に置いて、朱将の様子を窺った。「朱兄? 朱兄ー?」肩を叩き、頭を叩き、耳を引っ張っても、まったく応答がない。すぐに起きられる状態なら、この時点で反応があるのに。これは完全な熟睡状態だ。この状態の朱将を起こすには、方法は1つしかない。
青尉は周囲を見渡して、すぐ後ろにロッカーを発見すると、それによじ登った。目で朱将までの距離を測る――よし、行けるっ!
「せーのっ、えいっ!」
そして青尉は思い切り飛び上がって――朱将の背中の上に着地した。
ドンッ
「んぐっ!」
朱将は呻き声を上げて目を開いた。小さいとはいえ決して軽くない物体に物理エネルギーが加算されているのだ、いかな朱将とはいえ痛くないはずがない。(教室のあちこちから小さな悲鳴が上がった。)
青尉はそのまま、朱将の背中に張り付いて、顔を覗き込んだ。
「朱兄? 目ぇ覚めた?」
「・・・あーおーいー?」
地獄の底から這い上がってきたような低い声が、地鳴りのごとく轟いた。そして次の瞬間、
「っと。」
朱将が肘鉄を繰り出したが、青尉は一瞬早く朱将の背を蹴って離脱していたため、それは空を切った。
危なげなく着地した青尉の前に、朱将が仁王立ちする。
「青尉っ!」怒号が落ちた。「寝てる人間の上に飛び乗んなって何度言ったら分かるっ!」
普通の人ならば迷わず土下座して謝るような迫力に(事実、教室内の他生徒たちは3歩ほど退いた)、しかし青尉は怯むことなく食ってかかった。
「だって、それぐらいやんないと朱兄おきないじゃん!」
「それとこれとは話が別だ、ろっ!」
言いながら放たれた回し蹴りを、青尉は華麗なバックステップで躱した。蹴りはロッカーに当たって、豪快な音を立てた。
「危ねぇからやんな、っつってんだよ! 次やったら殴るって俺は言ったよなっ!」
「なぐってないじゃん、けってんじゃん!」
即座に上げ足を取った青尉の頭を朱将は鷲掴みにした。青尉の小さな頭は朱将の手のひらにすっぽりと納まった。
「ごたごた言うな。」
「いてっ、いてててて、いたいいたいいたいっ! 身長ちぢんじゃう!」
「言うべきことがあるだろ、あぁ?」
「ごめんなさいっ! もうしませんっ!」
「よし。」朱将は青尉を解放して、それからようやく、「――あれ、お前、なんでここにいんの? 学校はどうした?」
青尉はほっぺたを膨らませて、弁当箱を指差した。「学校は午前中で終わり! 朱兄、弁当おいてったから、とどけにきたの!」
朱将は指差された方を見て、確かにそこに、忘れてきたはずの弁当箱があることを確認すると、青尉に向き直った。一瞬だけ、怒って悪かったかな、と思い、いやそれとこれとは話が別だ、と思い直す。それから、ゆっくりとしゃがんで、いまだ頬を膨らませてぶそくれている青尉の頭を優しく撫でた。
「ありがとな、青尉。よく1人でここまで来れたな。」
すると青尉はころっと機嫌を直して笑った。
「へへっ。らくしょうだったよっ!」
「そうか。んじゃ、有難くいただくとするかな。」
朱将が弁当を片手に椅子に座ると、青尉が駆け寄ってきて、当然のようにその膝の上に座った。
「青尉、暑い。」と、朱将は形式的に文句を言ったが、重ねて文句を言おうとも、無理にどかそうとせず、そのまま弁当の蓋を開けたのだった。「いただきます。」
青尉は足をぶらぶらさせて、「えー、この部屋、すずしいからいいじゃん。エアコンっていいよなー。」
「まぁな。」
「なんでうちにはないの?」
「母さんが嫌いだったから。それにエアコンなんて、無くたって死にゃしねぇし。」
「まぁな。」と、青尉は朱将を真似して言った。それからふと、頭上にある兄の顔を見て、「あっ、朱兄、けがしてる! またケンカしたの?」
「んー・・・。」
朱将は口の中に物があるのをいいことに、何も答えなかった。
青尉が唇を尖らせる。
「ケンカばっかしちゃだめだよ。黄ぃ兄もおこるよ。」
「うーん、俺はしたくないんだけどな。」
このセリフには教室中の誰もが目を剥き――嘘つけ! お前嬉々として喧嘩してんじゃねぇか! ――と思った。
「じゃあ、なんですんの?」
「売られた喧嘩は買わねぇと駄目だから。」
その言葉に、青尉は目をしぱしぱさせた。「――え、ケンカって売り物なのっ?」
「っ。」朱将は思わず噴き出した。「うーん、まぁ・・・その辺じゃ売ってねぇけどな。」
「そうなんだー・・・しらなかった。」感心したように言ってから、ぼそりと「売られたら買わなきゃいけないなんて、たちのわるいセールスみたいだね。」
言い得て妙である。「ははっ。」朱将はくしゃりと笑って「あははっ、そうだな。青尉の言う通りだ。性質の悪いセールス、なぁ、あはははははっ。」
何がそんなにおかしかったのか、青尉にはよく分からなかったが、朱将がただ笑っているというだけでなんだか楽しくなってきて、つられて笑った。「あはははははっ!」
――同じ教室内の他生徒たちが、異質なものを見る目で彼ら兄弟を見ていたことは、言うまでもない。
「・・・兄弟ってすげぇな。」
浩輔がぼそりと呟いた。
☆4
結局、朱将が食べ終わるまで、青尉は膝の上に居続けた。
朱将が「ごちそうさまでした。」と手を合わせると、青尉は膝からぴょんと飛び降りた。
「おれもはらへった! 帰るね!」
と、背を向けた青尉の服の裾が破れている。それを見逃す朱将ではなく、
「青尉? お前、その服どうした?」
「え? あー・・・。」青尉は呼び止められて振り返った。「――じつは、学校に入るのに、いけがきの下をくぐってきたんだけど、その時にひっかけちゃったみたいで・・・。」
「ちょっと来い。」と手招いて、机を叩く。「ほら、ここに座れ。」
「え、いいの?」
「今だけ許す。普段は駄目だからな。」
「分かった。」
青尉が小学校のものより数段高い机の上によじ登って、ぺたんと座る。朱将はロッカーの中から、持って帰るのが面倒でずっと置きっぱなしにしていた裁縫道具を取り出した。――まさかこんな風に役立つ時が来るなんてな・・・ってかこれ、どうやって縫おう?
「派手に破いたな、まったく・・・。後で黄佐がうるさいぞ。」
「えぇー、朱兄、どうにかしてよ。」
「無理。」
「黄ぃ兄にばれないようにぬって!」
「そんなん出来るわけねぇだろ。――動くなよ。動いたら刺すからな。」
恫喝じみた不親切な忠告に、青尉は素直に従った。背筋を伸ばして動きを止める。
――と、
「や、青尉くん。」
「あ、こうすけお兄さん。」青尉は咄嗟に飛び降りようとして、すんでのところで思いとどまった。――危ない、さされるところだった。
「さっきはありがとう。」
「どーいたしまして。」浩輔は朱将の前の席に、後ろ向きに座った。「ここね、俺の席なんだよ。」
「朱兄と同じクラスなの?」
「そうそう。」浩輔はにこにこと笑って、「ね、朱将って、家だといつもそんな感じ?」
青尉は、浩輔の言う“そんな感じ”というのがどんな感じなのか、いまいち理解できなかったが、頷いた。「うん。朱兄は、料理もうまいし、ぬいものも上手なんだよ。」
「へぇー、そうなんだぁ、知らなかったなぁ!」
わざとらしい声を上げた浩輔を、朱将が針よりも鋭く睨みつけた。
「浩輔、お前ちょっと黙れ。」
「えぇ、いいじゃん別にー。朱将はちょっとぐらいポジティブキャンペーンをするべきだと思うよ、俺?」
「ぽじてぃ・・・きゃん、ぺーん?」
「そーそー、ポジティブキャンペーン。」聞きなれない単語に青尉が興味を持ったのを良いことに、浩輔は素早く話の相手を切り替えた。「朱将ってば、この通り、いつも喧嘩ばっかしてるし、顔中怪我だらけだしってことで、皆から怖がられちゃってんの。だから友達なんて1人もいないし、まともに話すのは俺ぐらいのもんでさぁ。」
「浩輔っ!」朱将が斬りつけるように言った。
が、浩輔は平然と「なにー?」笑って返した。――いや、もう、青尉くんと喋ってる時の朱将を見ちゃった今となっては、迫力なんて半減するよなぁ。
その上、
「朱兄、友達いないの?」
などと青尉に聞かれた瞬間の朱将のバツの悪そうな顔と言ったら。
「っ・・・っっ・・・っ!」
口を押えて必死に笑いをかみ殺し、肩を小刻みに震わせる浩輔に、「浩輔、お前、後で殴るから覚悟しとけよ。」朱将は非情な死刑宣告を下した。
そんなことは全く歯牙にもかけず、
「ねぇ、朱兄、本当に友達いないの?」
繰り返し尋ねる青尉に、朱将は溜め息をついて、半ば自棄を起こした。「いなくてもいいんだよ、別に。んなもん。」と、突き放すように言う。
「そっか・・・。」青尉はどこか遠い目になって、やがて少し寂しそうに笑った。「朱兄にもいないんだったら、いいや。おれと同じだね。」
「待て。」今のは聞き捨てならん・・・! ――朱将は剣呑な光を目に宿した。「青尉、待て、おい、お前・・・お前、友達いないのか?」
「うん。」
「え、お前ほら、3年生の時よく遊んでた子いたじゃん。なんだっけ・・・賢太くん? そいつはどうしたんだよ。」
「賢太くんとはクラスちがっちゃったから・・・それに、賢太くんには友達たくさんいるんだよ。いつ見ても、みんなといっしょに遊んでるから・・・おれは、いいかなって。」
いいかなって何がいいんだよっ? 何もよくねぇよっ? ――と朱将は思ったが、口にするより先に青尉が言葉を続ける。
「それに、朱兄にも友達いないんでしょ? だったら、おそろいだから、それでいい。」青尉は動くなと言われたことを忘れて、ふらふらと横に揺れながら、「・・・まぁ、ちょっとだけさびしいけど。でも、おれには、朱兄と黄ぃ兄がいるもんね。」
朱将は針を持ったまま硬直した。さしもの浩輔ですら、――やべぇ地雷踏んだっぽい・・・――と静かに冷や汗を垂らした。
「・・・青尉。」沈黙の空間を断ち切ったのは、朱将だった。
「ん? なに?」
「悪い。さっきのは嘘だ。」
「さっきの? って?」
「友達ならいる。――なぁ、浩輔?」
てめぇ察しろよ、でなけりゃ殺す――と雄弁に語る心底嫌そうな目を見て、強い罪悪感も手伝い、浩輔はがくがくと満面の笑みを浮かべて頷いた。
「そう! そうだよ! ごめんね青尉くん! 実は俺は朱将の友達なんだぁ!」
「でも、さっき、友達じゃないって・・・。」
「いやぁ! あのねぇ! えっと――」浩輔は今までで最も速く脳みそを回転させた。何か言い訳、何か良いワケ!「――そう! 俺らくらいの年齢になると、友達に“友達”って言うのがちょっと恥ずかしいお年頃になっちゃうんだよ! 俺も朱将も照れちゃってさぁ、あっはっは!」
「そういうことだから――」と、縫い終えた朱将は糸を切って、針をしまい、青尉の頭に手を置いた。「――まぁ無理にとは言わねぇけど、別にいなくてもいいもんだけど、最初っから諦めんな。寂しいって思うなら尚更。な?」
青尉はのけ反って朱将を見た。
「うん、分かった。」
「よし、じゃあそろそろ帰れ。お前、昼飯まだだろ。」
「そうだった!」青尉は机から飛び降りた。「何食べようかまよってるんだ! 何がいいかな?」
「白米にしろ、白米。朝のが残ってるだろ。」
「えー、おれカップラーメンにしようと思ってたのに。」
「迷ってねぇじゃん。」
「えへへっ。」
青尉はへらりと笑って、「じゃあね、朱兄! こうすけお兄さんも! バイバイ!」手を振りながら教室を駆け出ていった。
「気を付けて帰れよ!」
朱将がその小さな背中へ声をかけたのを最後に――教室には、静寂が戻ってきた。
そして――
「・・・浩輔?」
「ごめんなさい!」
朱将の静かな呼びかけに、浩輔は一も二もなく頭を下げた。「すいませんっした! さっきのは俺が悪かったです! いやもう本当・・・本っ当に俺が悪かったです! ごめんなさい! どうか命だけは!」
「いや、いいよ別に・・・。」朱将は諦めたように頬杖をついて、深く溜め息をついた。「・・・そっか・・・青尉・・・友達・・・友達、なぁ・・・。」
朱将がぼそぼそと呟いているのを聞いて、浩輔は顔を上げた。
「・・・なんでお前がショック受けてんの?」
「だって・・・だって!」朱将は額に手を当てて俯いた。「おかしいだろ! あんなに明るくて優しい青尉に友達がいないなんて・・・絶対におかしい!」
おかしい、おかしいと連呼する朱将を前に、浩輔は苦笑して――これはポジティブキャンペーンの成功か、ネガティブキャンペーンの成功か・・・微妙な線だな、うん。
「いやぁ、あの鬼の朱将がブラコンだったとは・・・。」
「はぁ?」
聞こえないように呟いたつもりだったのをしっかり聞き取られていて、浩輔はびくりと肩を震わせた。ヤバイ、怒られる、殺される!
しかし大方の予想を裏切って、朱将は堂々と宣言した。
「何とでも言え。青尉以上に良い弟なんてこの世のどこにもいねぇんだからよ。」
「あ・・・さいですか・・・。」
「なんだよその顔。なんか文句あんのか。」
「いえ・・・何も・・・。」
やっぱりネガティブキャンペーンになったらしい。――浩輔はそう確信した。
☆5
「ただいま。」
「あぁ、おかえり朱兄。」
朱将がリビングに上がると、黄佐が中学の制服のまま、ソファーにだらしなく寝転んで、本を読んでいた。その腹の上に青尉が頭を乗っけて、すっかり眠りこけている。いかな本の虫の黄佐であっても、青尉に構えと言われたら逆らえない。散々遊び倒して、疲れて寝たのを機に、それからようやく読み始めたのであろう。まだ数ページしか読めていないのが窺えた。
「青尉が高校まで弁当届けに行ったんだってね。」
「おう。」
「朱兄に友達がいたー、ってずっと言ってたよ。すっげぇ嬉しそうに。」
「・・・あっそ。」実は友達じゃない、と言ったら青尉は落ち込むだろうか。
「実は友達じゃないんでしょ。」
黄佐がさらりと核心を突いてきて、朱将は顔をひきつらせた。
「なんでお前はいつもいつも、見てきたように・・・。」
「だって、顔にそう書いてあるもん。青尉の手前、友達だって言わざるを得なくなったってところかな? どう? 当たり?」
朱将は苦々しい顔つきで溜め息をついた。それを見て黄佐が皮肉っぽく笑う。「やっぱり、大正解か。」それから本に視線を戻して、「まぁいいんじゃない? どこからが友達かーなんて、別に決まってないんだから。よく話すってだけで友達って言っても、ばちは当たらないと思うよ。」
「・・・お前はその嫌味っぽい喋り方、どうにかしたらどうだ。」
「いいの。俺、“トモダチ”にはこんな喋り方しないし。」
コイツの言う“友達”は“どうでもいいやつ”って意味なんだろうな――と朱将は思ったが、何も言わなかった。
すやすやと眠る青尉を見る。穏やかな寝顔には一片の憂いも見られないが、青尉は青尉で戦っているのだろう。――その戦場には、家族であろうと決して立ち入れない。立ち入れるならば臆さず躊躇わず飛び込み蹂躙してくれるのだが――。
「・・・黄佐、夕飯、何がいい?」
「うーん・・・はんぺんフライ。確かあったよね? はんぺん。」
「あった気がする。揚げ物か・・・暑いし、めんどくせぇな・・・。」
などと言いながら、朱将は台所に向かい、揚げ物の準備を始めた。正直、黄佐の提案は非常に魅力的だと感じた。言われた瞬間に食べたくなったのだから、ちょうど食べたいと思っていたのだろう。こういう時に兄弟の血筋というものを感じる。
流し台に、カップラーメンのごみが1つと、使った跡がある青尉の茶碗が置かれていて――あぁ、俺が言った通り、白米もちゃんと食べたんだな。偉いぞ――と朱将は思った。
やがて、からっと揚がるはんぺんの良い匂いが立ち込めて、その匂いに青尉が目を覚ました。ソファーからひょっこりと顔を出し、
「あっ、朱兄、おかえり!」
「おう、ただいま。」
「今日の夕飯なに?」
「はんぺんフライ。」
「マジでっ? やったぁ!」
食べたかったんだぁと黄佐に向かって言っているのが聞こえる。黄佐が、俺が提案したんだよ、などと偉そうに言う。ふんぞり返っているのが見えるようだ。誰が作ってると思ってんだよ、と朱将は心の中で吠えた。
平和な夜は、ずっとずっと続いていく――今のところは。
☆おしまい
☆あとがき
我が親愛なる友人C様からのリクエスト「信号機トリオの幼少期が気になります」お送りいたしました! リクエスト(っていうか私の方から何かないかと要求して無理やり頂戴したのですが)ありがとうございました!
刀堂三兄弟のことをすごく自然に「信号機トリオ」って呼ばれて、私も特に違和感覚えなかったのですが、これちょっとダサい呼ばれ方ですよね。まぁ最初に「信号戦隊」とかって呼び出したの私ですし、何も言えませんが。
友人C様には「どれくらいの年代がいい?」「ほのぼの系、血みどろ系、どっちがいい?」などと細かいところまで指定させてしまって申し訳なさが少々。「小学校高学年~中学生くらい」「ほのぼの系で」とご希望いただきましたが、その通りに書けただろうかとやや不安が残ります。小4って高学年? 私の小学校では『中学年』という括りに入れられていたから細かく言ったら高学年ではないんでしょうけど、どうか見逃してください。ほのぼの系・・・? ・・・とりあえず、血みどろではないので許してください。
黄ぃ兄が現在より尖っている感・・・出てましたかね? 中3という難しいお年頃なので。出番少なくてごめんね黄ぃ兄。
朱兄は現在より大っぴらに青尉びいきです。途中から、「あれ? こいつお父さんだっけ?」って思いながら書いていました。
青尉くんは可愛いです。天使です。ただそれだけが言いたい。
以上、リクエスト番外編その3でした! ありがとうございました!




