第一夜-3
☆6
「・・・本当に、大した反射神経ですね。」
「まったくだ。」
山瀬と佐久良の2人には、完全に不意を突かれた筈の青尉が、それでも一瞬速く僅かに飛び退いて、頭を守るように剣を持ち上げたのが見えていた。2人は素直に感心した。
「さすがに・・・」言いつつ、山瀬は土手を降り、力無く河川敷に横たわっている青尉に近付く。少し怯えているように見えるのは気の所為ではない。山瀬は事実、少々怯えていた―――ここまでやっても彼がぴんぴんしていたら、今後どうなるとしても、手の付けようが無くなるな。そうしたら本物の化け物だ・・・―――恐る恐る確認し、青尉が完全に意識を失っているのを確信すると、思わず溜め息が漏れた。「・・・耐えられないよな。いくら彼でも。」
「山瀬さん。早く行かないと・・・・・・あぁ、もう遅いですね。厄介な奴らのご到着ですよ。」
佐久良がうんざりした声音で山瀬に告げ、土手の上を見上げている。山瀬が振り返ると同時に、人を威圧するのが目的の高飛車な声が降ってきた。
「うちの生徒に何をしてくれるんだ、『stardust・factory』。」
山瀬は夜目に自信がある。声を発した人物に面識は無かったが、それが『賢老君主』の人間であることは分かった。知恵の象徴、梟を象ったブローチが胸元で光っている。でかい黒縁メガネが印象的な人だ―――杜本先生である。
杜本先生の半歩後ろに、神島先生ともう1人別の先生が付き従っている。彼らは皆、『賢老君主』の一員だ。
杜本先生は冷徹な眼差しで彼らを睨み見た。
「彼に用があるのなら、私たちに話を通してからにしてくれないと困るなぁ。ましてや、こんな無造作に傷付けてもらっちゃあ―――大事な、教え子なんでね。」
「そうでしたか。それは大変失礼しました。しかし、もう彼との話は済みましたので。」
「何を話した?」
「言うまでもなく、お分かりでしょう? 我々が何を言って、彼が何と答えたのか。」
山瀬が顎の先で青尉を示すと、杜本先生は不機嫌そうにしばし黙って、「・・・とっとと帰れ、星屑の小僧ども。」ドスの効いた声を上げた。
「これ以上その調子づいた顔を見てると、つい手が滑って潰しちまうかもしれん。」
「辞書は鈍器ですからね、いろんな意味で。―――では、さっさと退散することにいたします。行くぞ、佐久良。」
「はい。」
最後に皮肉を放って、山瀬は河川敷を上流の方へ歩きだした。佐久良がそれに追従して、2人はいくばくもしない内に闇の中へと消えた。
その背中が完全に見えなくなり、たっぷり10秒ほど数えてから、ようやく先生たちは動いた。土手を危なっかしく滑り降り、青尉に駆け寄る。真っ先に彼の肩に手を掛けたのは、神島先生だった。
「おい、刀堂、刀堂!」
神島先生が揺するのに合わせて、青尉の弛緩しきった身体はくたくたと揺れる。
完璧に意識を失っている青尉を見て、神島先生は顔色を蒼くした。手早く脈を取って、瞳孔を確認し、外傷を調べる―――気絶しているだけか。目立った外傷は無いようだ。―――安心して、神島先生は大きく息を吐いた。
そこに、青尉の荷物と自転車を連れた杜本先生が戻ってくる。
「神島先生、どうですか?」
「気絶しているだけのようです。大きな怪我は見当たりません。」
「なら良かった。―――とりあえず、保健室に連れていきましょう。」
「そうですね。」
杜本先生に賛同し、神島先生は青尉を背負った―――かなり苦労して。ガキとはいえ高1男子。それなりの身長と体重がある。明日は筋肉痛だな・・・せめて女子生徒だったら―――と一瞬考えて、慌てて補足する―――男子より軽くて助かったのに。
「跳野先生、お願いできますか。」
「はい、わかりました。」
跳野先生は若い女の先生だ。彼女は手に持っていた棒―――よく見るとそれは巨大なコンパスだった―――で彼らの周りに円を描くと、「では、跳びます!」と威勢良く宣言し、指先を弾いた。
円から白い光が揺らめきながら立ち上った。それが渦を巻きながら彼らを包み込み、彼らごと地面へ溶けるように吸い込まれていく。
視界が真っ白に閉ざされ、地面が消える。神島先生はこれが大嫌いだった。エレベーターの中で感じる一瞬の無重力を、何倍にも引き伸ばしたかのような不快感。初めて“乗った”ときは吐きそうになった。何度目かになる今でも、慣れたものではない。
目を瞑って浮遊感に耐えながら5秒ほど数え終わった頃、足元に感覚が復活した。目を開けるとそこは学校の敷地内だった。保健室の裏手の外通路である。まだ頭はふわふわとしていて、気持ち悪い。神島先生は青尉を落とさないように、両足できちんと踏ん張った。
西校舎の一階にある保健室には外から直接入れる引き戸があるのだが、夜の今、きっちりと閉められてしまっていた。杜本先生が悪足掻きをするようにドアを揺らしてぼやく。
「あぁ、保健室の鍵を持ってきておけば良かったなぁ。まさか刀堂がこんなことになるとは、まったく思ってなかったからな・・・職員室まで戻ってもいいけど・・・。」
「もう一回跳びましょうか?」跳野先生が提案した。彼女のテレポート能力では、屋外から屋外へは自由に行けるのだが、屋外から屋内へは視認できる範囲でしか跳べないのだ。「ここからなら室内にも入れますが―――」
「いえ、ここは俺が!」
神島先生は慌てて跳野先生を遮った。1日に2回もアレに乗るなんて、冗談じゃない!
反論を認めず、神島先生は杜本先生を押し退けるように扉に近寄り―――と言っても青尉を背負っているのでちょこちょこ歩きだったが―――鍵の部分に手を掛けた。
「よっ・・・と。」
金属のサッシに電流を流し、磁界を発生させ、内鍵を落とす。軽快な音を立てて鍵が開いた。ついでに扉もセルフ電動で開けて、一足先に中に入る―――早く、この背中の重荷を下ろしたいのだ。いい歳した、といっても20代後半の腰が限界を訴えている。
神島先生が青尉を適当なベッドに下ろす。跳野先生が電気と暖房を点けた。
「はぁ~・・・重かった・・。」
「お疲れさまでした神島先生。」
「どうも・・・。」
ようやく一息ついた神島先生は、腰を伸ばし、跳野先生が勧めてくれた椅子に座りこんだ。
「ちょっと、刀堂の家に電話してきます。」
杜本先生が携帯を片手に席を立った。冷えきった廊下に出ると、あまりの寒さに溜め息が出た。携帯電話のメモリーから―――こんなこともあろうかと、予め登録しておいたのだ―――青尉の家番号を呼び出し、躊躇う前に発信ボタンを押す。
幾つかの呼び出し音の後、『・・・はい、もしもし。』不機嫌そうな男の声が電話口に出た。
「もしもし、夜分遅くに申し訳ありません。県立東高校の杜本と申します。刀堂青尉くんのお宅で、お間違いありませんか?」
『あぁ・・・青尉の学校の。はいはい、いつもお世話になっております。ええと・・・すみません今、親父は家にいないのですが。』
「そうですか。貴方は、ご兄弟の方ですか?」
『はい、兄です。一応成人してますし、今現在この家の中では一番歳上なので、俺でよければご用件承りますが?』
杜本先生は思わず苦笑した―――丁寧なんだが少し喧嘩腰な口調・・・兄弟でそっくりだ。血は争えないとはよく言ったものだな・・・。
「わかりました。では、お兄さんにお話しします。―――青尉くんのことなのですが、つい先程、東川の河川敷で倒れているのを職員が発見しまして・・・。」
『っ・・・―――』息を吸い込む音が聞こえた。彼は少しの沈黙を挟み、『―――・・・あぁ』納得したような声で続けた。『もしかして、能力者関係の事ですか? 』
「はい。―――ご存知でしたら話が早い。青尉くんは、とある組織の者に襲われたようで・・・申し訳ありません。急いで駆け付けたのですが、一歩及ばず・・・。」
青尉の兄は、謝罪などどうでもいい、と言うように『それで、青尉は?』と鋭く質問した。
「目立った外傷はありませんが、意識が無い状態です。病院に連れていくべきかと思ったのですが、呼吸は安定していますし、軽い脳震盪だと思われますので、今は学校の保健室で休んでいてもらっています。ご要望とあれば、治癒系の能力者をお呼びしますが。」
『いえ、それには及びません。それをすると、先生がいるなんちゃかって組織に、借りを作ることになるんでしょう?』
「・・・・・・。」
杜本先生は咄嗟に否定できなかった。その計算をまったくしていなかったわけではないからだ。少なくとも、青尉の義理堅い性格からすれば、『賢老君主』に治療されたと知って知らん顔はできないだろう、とは思っていた。
『今すぐ迎えに行きますので』―――言うなり切れた電話口から、“余計なことはすんなよ。”と釘を刺されたように感じた杜本先生だった。―――さすがは刀堂の兄。抜け目無い。
つくづく、敵には回したくないなぁと思いながら、杜本先生は暖かい保健室へと戻った。




