第七夜-2
※注意※グロテスクな表現が入ります。苦手な方はご注意ください。
☆3
「いたぞっ、赤鬼だぁっ!」
鬼が住む山の麓で暮らす村人みたいな台詞だな、と朱将は言われるたびに思っていた。どうしてこんな状態になっているのだろう、とも。それでも、元凶は確かに自分から吹っ掛けた喧嘩にあるのだから、朱将は溜め息ひとつですべてを諦めるのだった。
「あれは、西商か・・・。」拳の固め具合を確認しつつ、呟く。「・・・って、何人いんだよ、あれ。」
道を埋め尽くすほどの数が大挙して押し寄せてくる。こうなると完全に数の暴力だ。さすがの朱将も少しだけ恐れを抱いて、唾を飲みこんだ――くせに、その口は弧を描くのである。芯から震え上がってくる高揚感――一般人にとっては単なる“恐怖”であるはずの感情――が堪らなく心地好い。
――あれぐらいの人数なら、行ける――
そう確信した、次の瞬間。
「―――――っ!」
気合のこもった叫び声が――おそらく、死ねとかくたばれとか、そういう言葉であったのだろう――背後から浴びせられ、衝撃が視界を千千に砕いた――――
朱将は久々に意識が遠退く感覚を味わっていた。どうやら少し、夢のようなものまで見ていたらしい。最後にこれを味わったのはいつだったか・・・あぁ、そうだ。高校の時だ。拓彌に背後から鉄パイプで殴られたんだった。あの頃は喧嘩ばっかししてたなぁ、懐かしい―――
「はんっ、ざまぁねぇな。」
高らかな嘲笑に、朱将は目を開いた。揺れ動いて光同士が結合し、何が何だか分からなくなっている星空が、徐々に輪郭を取り戻していく。朱将は何度か瞬きをして、手足とも無事に動くのを確認すると――右手は握ると鋭い痛みを発して覚醒を手伝った――ゆっくり起き上がった。後頭部が軋むように痛んだのでそちらに手をやると、生温くて重たい液体が指先を濡らした。
「俺の能力は体表硬化、ってやつだ。普通の人間にゃあぶち抜けねぇよ。死なねぇ前に諦めな。」
そう言って、こちらを馬鹿にするように舌を突き出して見せた片倉。その舌の先に埋め込まれたピアスが、これまた生意気にきらりと光を放った。
「・・・タンリム、っつうんだっけか。」
「あぁ?」
「いや、なんでもねぇ。」独り言のように言いながら、朱将は膝に手を置き、おもむろに立ち上がった。――ちょっとふらつくな。でも、おかげで余計な血が抜けて、頭が冷えた。余分な音が消えて、不要な景色も消えて、寒さも暑さも感じなくなる。理性が一歩後ろに引き、闘争心だけを燃やし出した身体が、自然と口角を持ち上げさせる。「・・・喧嘩ってのは、こうでなくっちゃな。」
「余裕だな、ただの一般人が。」
「その“ただの一般人”相手に、どんだけ時間かけてんだ?」
「・・・んだと?」剣呑な表情になる片倉。
「とっとと来いよ、能力者。」朱将は怯むどころか中指を立てた。「ぶちのめしてやる。」
片倉はしばし唖然として―――能力者になってからというもの、まともに挑発されたことなどなかったのだ―――それに、何なんだ、コイツの・・・これは、闘気? 鳥肌もんだな―――「はっはぁっ! いいぜ、死に晒せや、一般人っ!」
またも、先に動いたのは片倉だった。蹴りと拳、それにラリアットを織り交ぜて、間断なく攻めてくる。いくら大したスピードではないと言っても、ずっと避け続けるのは至難の技だ。それに、朱将には能力を打ち破れるほどの攻撃手段はない。
体力切れを狙ってんのか? 片倉はほくそ笑んだ。それなら俺の勝ちだ。俺の『代償』は筋肉痛だけ・・・それも、3時間連続で使った時だけだ。3時間もありゃ、1発くらいは当たる。んで、1発でも当てりゃあそれで終わりだ!
「おぉらぁっ!」
半ば適当に腕を振り回す。硬化した腕は金属バットよりずっと硬い。それに遠心力が加わって、威力は数割増しとなり、頭蓋骨ですら砕ける必殺のラリアットになる。
それを朱将は真っ向から受け止めた。右腕でガードをしつつ、両足で踏ん張りを利かせてタックルを仕掛けるような体勢になり、同時に左の掌底を迫りくる腕に合わせて放つ。とんでもない衝撃が右腕を中心に猛威を振るった。大きく振れたサンドバッグに衝突した気分だ。それでも、掌底は少しだけラリアットの威力を削ぎ、どうにか骨折は免れることができたようだった。
完全に受け切った朱将に、片倉の動きが止まる。
隙を逃さず朱将は攻勢に転じる。さっきふと思い付いたことを試したいのだ。片倉は自身の能力を“体表硬化”と言った。ならば―――朱将は左手を伸ばして、片倉の拳を掴むと、その親指の爪を躊躇いなく引き剥がした。
片倉の血相が変わった。「いっ・・・うごぁぁぁあああっ!」
朱将は目論見――“体表”の硬化なら、体表、つまり皮膚以外は柔いんじゃないか? という発想――が成功したことに満足げに目を細めつつ、一気に雌雄を決しにかかる。
「この野郎ぉっ!」
逆上した片倉の大振りの一撃を躱して背後を取る。追いかけるように再び振り回された腕を今度は潜り抜けて、踏み込む。
「ふっ!」
刃を研ぐように息を吐いて、気合を乗せた左フック。とはいえ、その手が形作るのは拳ではなく平手だ。狙いは耳―――正確に言うと、鼓膜。
パァンッ、と、壁を殴った時と同じ感触の中に、完璧に鼓膜を破った手応えを得る。空気圧による鼓膜の損傷は三半規管にも影響を及ぼし、片倉は強い耳鳴りと眩暈に襲われた。バランスを崩した巨体がぐらりと傾ぐ。そこに朱将が容赦なく蹴りを入れると、片倉は呆気なく転倒した。集中が切れたのか、その体表は一般人と変わらない硬さに戻っていた。
朱将は、仰向けに転がって呻いている片倉の鳩尾に右膝を落として、左足で片腕を押さえ、動きを制限した。それから顎を掴み――もう能力が作用してないことを承知した上で――片倉の口の中に手を突っ込んだ。
「もがっ?」
「随分安っぽいピアスだな。」と、舌の先に埋め込まれているピアスを指先でいじる。「なぁ、ところで・・・舌べろって、体表じゃねぇよな。」
「っ・・・!」
唐突に片倉は途轍もない恐怖に囚われて目を見開いた。朱将がしようとしていることを察したのだ。
「ふあっ、あへ、まっへふれ・・・!」ピアスごと舌を引っこ抜かれる―――片倉は生まれて初めて全力で命乞いをした。「はのむ、はっ、やへ、はめてふれ・・・っ!」
朱将は取り乱す片倉を前にして、ニコリと笑った。
朱将の気迫は闘気なんて小洒落たものではない――鬼気だ。赤鬼の名は伊達じゃない。後頭部から伝ってきた血が頬を流れ、一層その名を彩っている。
「やへて、ふえ・・・―――」
朱将は勢いよく手を引き抜いた。
☆4
引き抜いた手を返す刀で振り落とすと、片倉は沈黙した。気絶はしていないようだが、鼻血を垂れ流すままにし、放心状態に陥っている。ともすれば、ピアスごと舌を引っこ抜かれた、と思い込んでいるかもしれない。さすがの朱将も、能力が切れた一般人を相手にそこまでのことはしない―――必要だったらやっていたが。
朱将は立ち上がると、心底嫌そうに涎まみれになった手をズボンで擦った。
氷漬けから解放された拓彌が、引き気味に朱将に近寄ってきた。
「お疲れ、朱将ー・・・。相っ変わらず、お前って容赦ねぇよな。」
「当然だろ。敵ぶちのめすのに容赦なんかしてどうすんだよ。」
「そりゃそうだけどよ。」怖ぇ怖ぇ、と拓彌は肩をすくめた。「こっちの撤退は完了した。んで、さっき良平から連絡があった。サツがこっち向かって来てるってよ。」
「・・・んじゃ、拓彌、コイツ連れて、先に俺ん家行っとけ。」
「足がねぇよ。」
「俺んの使っていい。」
「お前はどうやって帰ってくんだよ。」
「澤城のじじいに送ってもらう。急げ、サツはともかく、サツにくっ付いてる能力者どもに捕まったら厄介だぞ。」
拓彌は少し黙って、やがて頷いた。「分かった。気ぃ付けろよ。」
「おう。」
倒れたままの片倉に蹴りを入れつつ無理やりバイクに乗せた拓彌が、片手を上げたのを最後に夜の向こうへ消える。
朱将はそこで初めて大きく息を吐いた。緊張から弛緩へ。真っ白になって溶けていく息を見上げながら、全身から力を抜く。すると、右手と後頭部がじわじわと痛んできた。続いて、朱将は丹田を意識して息を吸った。弛緩から緊張へ。俺にはもう1ラウンド残っている。
1分も経っていないほど後、赤いランプを煌々と光らせた車が数台、立て続けに入ってきて、朱将を取り囲んだ。朱将は、パトカーから真っ先に降りてきた長身の男を見据えて言った。
「よお、山瀬。重役出勤ご苦労。」
山瀬は朱将を睨んだ。「・・・マッド=グレムリンの連中をどこへやった?」
「さぁ、知らねぇな。」と、肩をすくめた。「そんなことよりお前、俺の弟に余計なこと吹き込んでくれたみてぇじゃねぇか。」
「余計なこと? 君が自分から言い出せなくて困っていたのを、助けてやっただけだろう。」
「ふんっ、よく言うぜ。」
「・・・どうやった。」
「何を。」
「能力者たちを、どうやって倒した。」
「・・・ははっ。」朱将は一笑して、山瀬の目の前にまで迫った。真正面から睨み上げる。いつかと同じ構図だったが、力関係はまったくの正反対。「お前は確か言ったな――能力者は能力者にしか倒せない、って。」
「・・・。」
「ふざけんのも大概にしろ。一般人をあんましなめんな。」血塗れの拳の底で、山瀬の胸のど真ん中を押す―――本当は顔面をぶん殴りたかったが、さすがに公務執行妨害を取られそうだったし、そこまでするまでもなく勝敗は決している。睨み、凄み、腹からどすをきかせた声で、低く低く刺すように告げる。「てめぇらは能力手に入れて、神か化け物にでもなったつもりか? 思い上がんな。てめぇらは人間だよ、間違いなくな。」
一方的に言い切って、朱将は山瀬の脇を抜けた。――ふぅ、満足満足。言いたいことはすべて言った。
山瀬は白いワイシャツにべっとりと付けられた血の染みを見下ろし――はぁ、血の染みは落ちにくいというのに・・・――溜め息をつくと、顔だけを朱将の方に向けた。
「・・・それは、弟くんに言うべき言葉じゃないのか。」
「ちっ、」舌打ちひとつで朱将はぴたりと立ち止って、半身で振り返り親指を下に向けた。「俺は、お前のそういうところが大っ嫌いだ。」
「光栄だね。」
「うるせぇ。」
「私も、君のことは嫌いだよ。まったく思い通りになってくれないからな。苛々する。」
「人を思い通りにしようとか、何様のつもりだ。イライラしてんのはこっちの方だ。」
「弟くんは君とは違うね。青尉くんの方が、ずっと扱いやすい。」と、山瀬はわざと挑発して言った。
朱将は寸の間黙って、「・・・だろうな。」
山瀬は少なからず驚いた。「・・・意外だな。てっきり激昂するとばかり思っていたのだけれど。ことごとく上手くいってくれないね、君は。」
「青尉は優しいんだ。てめぇみたいな悪人をぶちのめすのにも、躊躇うくらいにな。」
「・・・優しさは甘さだ。それはやがて、彼自身を殺すぞ。」
「そうならねぇように俺らがいるんだろうが。」吐き捨てるように即答して、「黙って見てろ、デカブツ。そんなに“心配”」―これは皮肉だ―「してくれなくても、青尉は上手くやっていく。」と、朱将は背を向けた。第2ラウンドも無事終了だ。沈黙に殉ずる山瀬を置き去りに、包囲網のような能力者たちの群れを抜けて―――「あ、そうだ、山瀬。」
「・・・なんだ。」
「お前最近、俺に監視かなんか付けたりしてねぇよな?」
「えっ?」山瀬は咄嗟に素っ頓狂な声を上げてしまった。それからすぐに平静を取り戻して「――付けるわけがないだろう、犯罪者でもない一般人相手に。・・・どうしてそんなことを?」
「別に。ただ、3日前くらいから誰かに見られてるみてぇな感覚があったから。」それは首筋の産毛を引っ張られているような、あるいは静電気がピリピリと走るような感覚だ。本能的に得てしまうこの感覚は危険信号と同じで、山や自然と付き合うには重要なセンスだ。
山瀬は鼻で笑った。「ストーカーか何かじゃないか? 大方、女に恨みでも買ったのだろう。」
「恨み買えるほど女と付き合いねぇよ。それに、そんなんだったらすぐに特定できるっての。」
ったく・・・―――などと言いながら、今度こそ去っていく朱将の背中を見つつ、山瀬は冷や汗が流れるのを感じていた。――彼は本当に能力者じゃないんだよな? なぜ分かった? ただの勘だと言うには鋭すぎるだろう・・・!
刀堂兄弟は何かがおかしい。山瀬は確信した。一番上は一般人とは思えない強さ。一番下は最強の能力者。真ん中の彼とはほとんど接したことがないが、彼も同じ調子だとするならば―――本格的に、敵とするか味方とするか、考えなくてはならないな、と思った。
山瀬の心中など察せられるわけもなく――察しようとすることすらあるまい――朱将は素早く澤城を見つけ出していた。「あ、いた。澤城さん、ウチまで送ってってくれ。」
「あぁ? 朱将てめぇ、パトカーをタクシーと勘違いしてんじゃねぇだろうな。」
「してねぇよ。してたら金払わなきゃなんねぇじゃんか。」
「余計に性質悪ぃじゃねぇかてめぇコラッ! あぁこら勝手に乗り込むなよオイ! ったく・・・」




