第七夜-1
【第七夜】刀堂青尉と兄貴たちの受難
朱将の携帯が鳴り出したのは、さてそろそろ寝ようかと、腰を上げたその瞬間だった。酷く焦った様子の良平が、いつもより『ッ』の勢い数割増しで現状を説明してくれた。
『朱将さんッ! 朱将さんッッッ!』
「良平か。どうした?」
『大変ッス! まッど・・・まッど、何でしたッけ?』
「グレムリンのことか?」
『そう! そうッス! そいつら、来たんス! 来たんスよッ!』
「何処にいる?」
『いつもの飛び台ッスッ! うあッ、もう始まッたッス! 数は5! 全員 男ッス!』
「分かった、すぐに行く。作戦通りにやれよ。」
『うッッすッ!』
気合の入った返事を最後に、通話が切れる。朱将は――ジャージで良かった。上着はどこだ? ――準備をしながら片手で西浦の携帯に繋いだ。
『――――ふぅーい、にーしうーらでぇーすぅ。』
「ばんわ。当直?」
『うーん、そーうだよぉー。どーしたんー?』
眠さの所為か、いつも以上に伸び伸びした口調の西浦。澤城さんがいたら問答無用でぶっ叩きそうだ。
「今、拓彌たちから連絡が来ました。マッド=グレムリンの連中が来たそうです。」
『・・・』おたまじゃくしでも無理に飲み込んだような間を置いて、西浦は覚醒した。『場所は?』
「パークウェイ麓の駐車場。」上着を洗濯物の山から掘り出しながら、間髪入れずに「それでですね西浦さん。stardust・factoryの奴ら、止めておいてくれませんか?」
『えー? それって結構めんどくさいんだけどー。』西浦の渋い顔が目に浮かぶ。
朱将は片手を立てて拝んだ。「そこをなんとか、頼みます。」
それが見えたわけではなかろうが、しばし悩んだ末に、西浦は承諾した。
『分かった、出来る限りのことはしてみるよー。その代わり、今度なんか奢ってねー。』
「今の時期は白菜っすね。ほうれん草とかもありますけど。」
『えー、まさかの素材ー?』
「料理にまでしましょうか?」
『わーお、お心遣いありがとー。んじゃ、朱将くんの手料理のために、いっちょ頑張るかなー。』
「理由きもいっすね。」
『作るっつったのそっちだろー。あはは。』けらけらと笑って、『じゃあ、お互いの健闘を祈るー。』と、西浦は通話を切った。
よし、根回し1は完了だ。次は、と――玄関を閉め、鍵を納屋に放り込み、バイクを引っ張り出してくる。仕事用のスーパーカブではなく、昔使っていた走り用のバイクである。――昨日の内に整備しといて正解だったな。さて、根回し2は、と。
2つ目の電話番号はなかなか繋がらず、朱将はバイクにまたがってやきもきする。
『――――はーい、どしたの朱兄?』
「出るのが遅ぇよ黄佐。まだ飲み会やってんのか?」
『んーん、今終わって、友達ん家行って二次会だっつってんの。あ、帰った方が良ければ帰るけど?』
「そうか。」
その口ぶりからして、あまり気が合わない連中に誘われたんだろうな、と察した朱将は、遠慮なく頼んだ。
「マッド=グレムリンが拓彌んとこに来たらしい。怪我人が出るだろうから、うちで処置してくれないか?」
『いいよー、喜んで!』即答だった。『あ、でも、うちでいいの? 青尉にばれちゃうよ?』
「・・・それはもういい。山瀬のくそ野郎にバラされた。」
『あっちゃー。んで、朱兄は青尉と一戦交えたってわけね?』
「なんで知ってっ――」――瞬間、鎌を掛けられた、と自分でも分かった。
電話口の向こうから呆れた空気が伝わってくる。『うわぁ、マジでやっちゃったんだ。気を付けろって言ったのに。で、何? 青尉、部屋とか籠っちゃったりしちゃってる?』
「お前はいつの間に能力者になったんだ・・・?」
『大当たり、ってわけね。』黄佐は溜め息のような苦笑をもらした。『じゃあ、しばらく放っといた方がいいよ。部屋から出てきても、向こうから何か言い出さない限り、こっちからは蒸し返さないで普段通りに接すること。で、朱兄はこれから、マッド=グレムリンとやらと喧嘩してくんでしょ? 拓彌さんたちも一緒なんだよね。いい、朱兄、絶対に大怪我しちゃダメだよ。朱兄が骨折でもしたら、青尉にも家計にも大打撃いっちゃうから。朱兄は強いから大丈夫だと思うけどさ。相手は能力者だけど、その前に同じ人間なんだって、話したよね?』
「ああ、分かってる。」実を言うと朱将は、黄佐の言葉のほとんどを聞き流していたが、「怪我には気を付ける。んで、負ける気はない。」
『それでこそ朱兄だよ! じゃ、俺、今すぐ帰るから。じゃーねー。』
「ああ。」
通話を終える。本当、黄佐と話してると、母さんと話してる気になってくんだよな・・・最近ますます酷くなってきた――などと思いつつ、携帯をポケットにしまいこんで、バイクのエンジンを入れた。深夜の住宅街には相応しくない音が響き始め、朱将は凶悪に頬を吊り上げる―――久々だな、この感じ・・・燃えてきた。
朱将は、クラッチを切るとほぼ同時にアクセルを開け、無駄な音も動きもなく、闇夜に飛び込んだ。
同時刻。刀堂家の斜向かいにある小さなボロアパートの一室に、朱将を監視している男――成島がいた。朱将が動き出したのを見て、正確には感じ取って、食べかけのアンパン―――張り込みの基本はアンパンと牛乳である。そしてそれは、血糖値低下という『代償』を補うためのものでもあった―――を置き、電話を繋ぐ。
「あ、もしもし、山瀬さん? 対象に動きあり、です。バイクでどっか行きそうです。」
『追えるか?』
「おそらく。」
成島の脳内にはマップがあり、GPSのように捕捉対象の位置を示す赤い光が点滅している。効果範囲は半径200m以内。多少の移動なら効果を維持したまま、決して気付かれることなく尾行できる。
ところが、成島が部屋を出て車に乗り込んだその時だった。朱将が動き出した――とんでもない猛スピードで。
「えっ? 嘘! もう効果圏内抜けられたっ?」高速移動する赤い点はあっという間にマップから飛び出し、残像が彗星のように尾を引くのみである。成島は嘆いてハンドルに突っ伏した。「――あれは絶対、道交法違反してますって、山瀬さーん・・・。」
☆1
朱将と話し合って決めた作戦は、実にシンプルで明瞭かつ効果的なものだった。すなわち、人海戦術を駆使した先手必勝である。相手は卑怯な得物持ちだ、数で囲って遠慮なく叩きのめせ、と。先んずれば人を制す。能力者だって――能力を使わせる暇さえ与えなければ――ただの人間なのだ。能力者を弟に持つ朱将ならではのアドバイスである。
しかしそれでも―――
「ふぅ~うっ! やってくれたねェ、一般人のくせにさァ。」
「っ・・・。」
―――たった3人しか倒せないとは。単純計算で、能力者1人につき10人が必要になったことになる。拓彌は地面に氷で縫い付けられた状態で臍を噛んだ。どう考えたって反則だろ、瞬間移動とか、道路凍らすとかよぉっ!
「ねェえ、あんたがリーダー?」童顔の男が拓彌の腹に片足を乗せ、「ま、一般人にしちゃあ頑張った方だろゥけど。ちょォっと足りなかったねェ、ざァんねん。最初っから大人しく僕らの下に来ればよかったのに。無駄な怪我人が増えただけじゃん、これじゃあ。ね、名誉ある降伏って選択肢、分かってたでしょ?」
「はんっ、降伏に名誉もクソもあるか。・・・負けは負けだ。」
「あっそ。じゃあ」
「それにな、」――と、拓彌は、組み伏せられた者に持てる最大の睨みを利かせて――「こっちにゃまだ最終兵器が残ってんだよ。勝手に負かすな、アホんだら。」
「最終兵器?」胡散臭そうにそう言って、童顔男は嘲笑する。「こーいう場合のそーゆうのって、役立たずって相場が決まってんじゃん。っていうか、全滅してからじゃあ兵器の意味無いよねェ。」
「分かってねぇな、クソガキ。」
片頬を上げて嘲笑を返したが実を言うと、拓彌はもう限界に近かった。1月の深夜に後ろ半身を氷で覆われて半ば凍傷になっている状態とあれば、誰だって痛みに泣き叫びたくもなる。拓彌がそうならなかったのは――もはや痛みも感じないほど神経が麻痺していた、ということも理由の1つだが、それ以上に――まだ小さかったが、懐かしささえ覚える地響きを全身で聞き取っていたからである。その音はまるで氷を突き崩すように地面を震わせ、凍りつつあった拓彌の血までも再び滾らせた。
しかし、童顔男は地響きなどには気が付いていなかった。拓彌とはまた別の理由で、そんなこと気にならないほど血を滾らせていたからである。
「くそ・・・ガキ? あんた今、ガキっつった? 僕のこと?」
「はぁ? おめぇ以外に誰がいるってぇんだよ、ガぁキ。」
「・・・。」2度も“ガキ”と呼ばれた彼はのっぺりとした能面のような顔になった。そして、容赦なく拓彌の腹の上に両足で飛び乗った。
いくら小柄といえども1人の男の体重。拓彌は「うぐっ!」と無様な声を上げて、轢き潰されたカエルに想いを馳せた。
「ねェー、片倉さァん。1人っくらい殺っちゃっても問題ないっすよねェ。」
片倉と呼ばれたその人は、この集団のリーダーである。売店の前のステップに腰掛け呑気に煙草をふかしたまま、「ん? んー、いいんでねぇの。」と適当なGOサインを出した。
「うっし、お許しが出たんでェ・・・」真っ白だった能面が、鬼へと鮮やかな早変わりを見せた。「・・・全身凍結、いっちゃいましょうかァ。」
あらゆるものを凍り付かせる男の手が、拓彌を餌食にせんと迫りくる。人間って凍ったら死ぬのか? そりゃ死ぬよなぁ、ほとんど水分なんだもんなぁ・・・―――などと拓彌は思いながら、死神と形容するには小さすぎる手を睨んだ。
その時、ヘッドライトの光が2人の間を引き裂いた。
☆2
勝負というものは一瞬だ。すべてが一瞬で決まる世界だから、不思議とあらゆる判断も無意識下で刹那の内に行われる。倒れている人間と――拓彌だ――その上に乗っている小さいの――誰だ? 敵か――を一瞬で認識し、朱将は車体を傾けた。巧みな体重移動でドリフトを行い、最低限の動きで方向を調整すると、フルスロットルで拓彌のすぐ傍を駆け抜ける。頭頂部の数ミリ上を高速回転するタイヤが焦がし、拓彌が「ひぃっ・・・!」と引き攣った呻き声を上げたが、朱将には聞こえなかった。すれ違いざまに上の小さいのを片手で乱暴に引っ掴んで――「ひぎゃっ!」と敵は悲鳴を上げた――もう一度、今度はさっきと反対方向にドリフトをかける。描いた弧の頂点で振り回していた敵から手を放すと、慣性の法則、自然の摂理に従って、別段朱将が何をするまでもなく、敵は吹っ飛ばされていった。ガードレールか何かにぶつかった音を最後に、暗闇から帰ってくるのは沈黙のみとなる。これぐらいのことをしても死にはしない、とは、経験則である―――その基準は『一般的』とは言いにくいが。
とにもかくにも早々に敵を1人片付け、朱将は徐行運転に切り替えた。
「おーい、拓彌、大丈夫かー?」
拓彌は氷に自由を奪われたまま震えていた――怒りに、わなわなと。
「ぁああーけまさぁああああああっ! ってっめ、ふっざけんなよっ?! こんなっ、こんっ・・・このっ、ど阿呆ぉっ! 俺を殺す気かぁオラァッ!」
「そんだけ騒げんだったら問題ないな。」
「てめぇ後でマジでぶん殴っから覚悟しとけよ。」
「返り討ちにしていいならいつでも来い。で――」と、朱将は売店の方でかったるそうに立ち上がった巨漢を見遣った。「――あれが、最後か。」
「あぁ。・・・気を付けろよ朱将。」拓彌はどうにか頭だけを持ち上げて、朱将を見た。「アイツ、金属バットで殴ったらバットが折れたし、単車で突っ込んだヤツぁ逆に撥ね飛ばされたからよ。」
「へぇ、なんだそれ。面白ぇ。」
「いやお前、面白ぇってレベルじゃあ――」――ねぇよ、と言いかけて、拓彌は口をつぐんだ。
朱将が繰り返し「・・・面白ぇ。」と呟く。
拓彌はぞっとした。朱将は真っ直ぐ前を見て、笑っていた。――いや、これを“笑う”と言っていいのだろうか? 顔の状態だけを並べれば――唇の両端を吊り上げて、目を弧状に細めて、歯を剥き出しにしている――それは確かに“笑う”という行為である。しかし、拓彌にはソレが闇夜で血を啜る鬼のように見えた。
赤鬼――――その二つ名を付けたのは誰だったろうか。
「拓彌。」
朱将が静かに口を開いたので、拓彌は柄にもなくびくりと肩を震わせた。
「怪我人と敵ども全員連れて、俺ん家に行け。黄佐が詰めてる。看てもらっておけ。」
「おっ、おう・・・。」
「敵はきちんと拘束しとけよ。・・・アイツは、俺がやる。」
拓彌は無言で目を逸らした――言われなくっても、今のお前に加勢なんてする気にもなんねぇよ!
朱将は最初から返事など求めていなかった。もとより、命令には承諾しか返せないものだ――たとえ、命令しているという自覚がなくとも。
ストリートファイトにゴングは無い。
巨漢の―片倉という名前の―男と、朱将は、ほぼ同じペースで互いの距離を詰めていった。彼我の距離が縮まるほどに、まるで磁石の同極を無理に近付けているかのように、緊張が高まっていく。
「ぅおらぁっ!」
先に沈黙を破ったのは片倉だった。あまりにも無造作に放たれた前蹴りは朱将の太腿の辺りを狙っていたが、朱将はそれをあっさり見切って躱す。攻撃のスピードは巨体に見合って鈍重だった――重いかどうかは受けてないからまだ分からないが、体格から推測すると体重は100キロに近いだろう。とすれば、軽いということはあり得ない。
そもそものガードも硬そうだし、能力のこともある―――朱将は一歩を大き目に踏み込んで懐に潜り込むと、相手の鳩尾へ正確に拳を叩き込んだ。過去の喧嘩や農作業によって鍛えられて、かなりごつくなっている朱将の拳。プロボクサーのような鋭さはないが、この距離からこの威力でぶち込めば大概の奴は悶絶する。
しかし、片倉はニタリと笑って拳を受けた。
「っ・・・!」対する朱将は息を飲んだ。衝突した瞬間、まるでレンガか何かを殴ったかのような感触がして、拳が裂けたのだ。明らかに硬さで負けている。朱将は咄嗟に飛び退いた。
「っ、らぁっ!」
誰もいなくなった空間を片倉の膝蹴りが切り裂く。
どうやら、“そういう能力”であるらしい―――そう判断して朱将は戦法を切り替えた。
威力はありそうだが、如何せん遅い片倉の右ストレートを左手で往なして、そこを起点に絡め取る。この体格の奴が相手だ、全力で行こう―――両腕を使って片倉の右腕を抱き込み、地面を蹴って一気に全体重を掛ける。相手の腹の辺りに右膝を、喉仏に左足を引っかけて頭を下に、思い切り―――飛びつき腕十字だ―――投げ倒す。
「うおわっ?」
おそらく、人生で投げられたことなどろくに無かったのだろう。片倉は一瞬で回転し空を仰ぐ格好になった視界に驚きの声を上げた。そして為す術もなく、道路にひびが入ってもおかしくないほど豪快に背中を打ち付け、夜空に硬質な音を響かせた。
打撃が効かねぇんだったら極め技だ―――朱将は素早く手首を捩じり上げた。タイミングも流れもばっちりで、完全に極まったはずだった。が、そこで違和感に気付く―――なんだコイツの腕。鉄パイプみてぇな・・・―――
「俺を投げれんのは凄ぇけどよ、残念だったな。」
関節技というものは、関節の可動域を締め上げ、本来の動きとは逆方向に捩じり、靭帯を損傷させるのが目的である。怪我をさせるまではいかなくとも、完全に極まった時の痛みは尋常なものでなく、殺さず、傷つけず、相手を戦闘不能へ追いやるには最適の技であるのだが。
朱将が全力で締めようともびくともせず、片倉は余裕の表情を浮かべて言った。
「皮膚が鋼鉄だったら、意味ねぇよなぁ?」
そもそも“締め上げる”ことが出来ない身体の人間相手に、どうして関節技が極まろうか。
朱将は動揺して離脱が一瞬遅れた。その隙に片倉が朱将の顔を掴む。そして、「よっと。」などという気の抜けた声で――まるで、ベッドから起き上がるために反動を付けるように気軽に――朱将を道路に叩き付けた。




