第一夜-2
☆4
黄昏はすぐに過ぎ去って、何もかもを飲み込む夜がやってくる。
サッカー部での練習を終えた青尉は、寒空の下に駆け出した。
住宅街のすぐ真横を流れる川の土手の上、何の障害物もない真っ直ぐな道。街灯一本も無い暗い道だが、青尉は好んで使っていた―――人を拒むような冷たい雰囲気が落ち着くのだ。道はそれなりに広く、川幅もそれなりに広い。土手は緩やかな坂で、短い芝生に覆われている。
きもちいつもより強めにペダルを踏み込む。昨夜のこともあるから、できる限り早く家に着きたい。体力には自信のある青尉だが、2夜連続での面倒事は勘弁してほしいのだ―――昨日のような、夜中まで続いた追いかけっこは。
冬の夜は濃く重く乗し掛かってきて、知らず知らずの内にスピードを緩めてしまっていたらしい。いや、本当はそんなことはないのだが、結局青尉は捕まってしまった。
家と家との路地の前を通った時、一瞬、闇の中で異常な存在感を示すものが見えたのだ。
何だろう? と思った青尉の頭が次の瞬間、何かヤバイ、に切り替わり、咄嗟に川の方へハンドルを切った―――ナイフが後輪を掠めてコンクリートに突き刺さった。
青尉は自転車から飛び降りた。可哀想に、主を失った自転車と荷物は緩やかな斜面を泣きながら滑り落ちていく―――スマン、後で必ず迎えに来るから。河川敷に無事着陸したのを見届けて、青尉は土手の上に戻った。
コンクリートからナイフがひとりでに抜けて、ふわふわと浮かび上がり、刃先が青尉を見定めた―――サイコキネシスか? それとも、テレキネシスか? まぁ、どちらでもいい。どちらにせよ、物を自由に動かせるのだということに変わりはない。
ナイフが飛ぶ。青尉の顔面を狙ったそれを、彼はあっさりと避け、走り出した。
敵の姿が見えない。青尉は辺りをきょろきょろと見回し―――背後から足を狙って迫ってきたナイフをジャンプして躱す―――狙いの正確さから言って、この場所が見える位置にいるのは間違いないはずだが。
青尉は、浮かんでいるナイフを最初に見つけた路地を覗いてみたが、そこには何もなかった。
「っ、とっ!」
あわや目ん玉貫かれん、というところでどうにか青尉は凶刃を仰け反って躱し、たたらを踏んだ。
ナイフが青尉の周りを飛び回っている。いつの間にかそれは数を3本に増やしていた。高速で動く凶器に、進路と退路を塞がれる―――まるで、俺をこの場に足止めすることが目的みたいじゃないか―――青尉は自らの想像に寒気を感じた。
そして彼がポケットに手を突っ込むと同時―――ナイフが一瞬強い光を放ち、爆発した。
☆5
夜の閑静な住宅街に爆音が響き渡った。コンクリートが砕けて塵となり、舞い上がる。何より悲惨だったのは、現場の目と鼻の先に建っている一般住宅だ。表の塀が完全に崩れ、家の外壁が黒く焦げてしまった。音にびっくりした住人が窓から顔を出し、しかしそこに能力者がいることを知ると、諦めの表情で顔を引っ込めた―――一応、警察に連絡して、今日は早く寝よう。能力者が関わる出来事はぜんぶ悪夢だ。
さて、住民らの安寧を犯した張本人たちは、砂埃の一歩外でそれが収まるのを待っていた。
「油断するなよ。」
「はい。」
返事をした方が長いコートの内からナイフを数本取り出し、頭上に浮かべた。
自分たちが獲物としている輩のしぶとさは嫌と言うほど聞かされている。油断しては返り討ちに遭う。結果も見ずに安心することはできない。
風に流され埃が消えていく。
その様を、青尉は上から見下ろしていた。ようやく、敵の姿が見えた―――小さい方がナイフ使い、でかい方が爆発系の能力者か。おそらく、金属が媒体なのだろう・・・面倒だな。
青尉は電線の上から、2人に向けて飛び降りた。胃を絞られたような感覚にも、悲しいかなもう慣れっこだ。
落ちながら左手でシャーシン―――市販のシャープペンの芯だ。何かの隠語でも、特別な物でもない―――のケースを開ける。蓋がくるくる回転するタイプの物だ。青尉の愛用品。固さは3H。ぴったり3本だけ出して、右手に乗せ、変形させる。
落ちてくる青尉に気付いて、チビの方がナイフに指令を与えた。すなわち彼を刺し殺せ、と。そうして飛来したナイフ達だったが、命令は遂行できぬまま、青尉の振るった剣に砕かれ儚くも散った。―――数多ある破片の内の数十個が光を放つ。
爆発する。先程より媒体が小さい所為か、威力は弱い。しかし、まともに受けたら致命傷は免れ得ない。
なので青尉はまともに受けなかった。
爆発を予期していた青尉は、ナイフを砕いた時点で対策に動いていたのだ。素早くポケットから別のシャーシンケース、今度は4Bのものを取り出して、自分の周りにばら蒔く―――変形。アメーバのようにぬるりと広がったシャーシン―――だった物―――が、破片を全て飲み込んだ。真っ黒い球体に包まれた瞬間に破片が爆発したが、球体は完全に衝撃を吸収し、罅1つ入らない。
―――青尉の能力は《シャーシンの変形》だ。
一見すると地味なように思えるこの能力だが、青尉はそれを見事に使いこなし、一騎当千と言わしめるまでの実力を身に付けていた。要はどんなものも使いようなのだ。道具の良し悪しに関わらず、使い手の力が全てを左右する。どんな名刀も使い手が悪ければただの鈍ら。反対に、達人は紙一枚でどんなものでも切り裂ける。つまりは、そういうこと。
危うげなく着地した青尉は、近くにいたでかい方に斬りかかった。しかし相手も素人ではない。青尉の動きに反応して、でか物はバックステップ。広がった合間にチビの方が素早くナイフを滑り込ませた。破砕音がして、再びナイフが砕け散る。そして爆発。
へぇ、なかなかチームワークいいなぁ―――青尉はさっき使ってそのままだった4Bシャーシンのアメーバを利用し爆発を完璧に防ぎながら、呑気にもそう思った。
4Bは衝撃には強いが、柔らかいためすぐに磨耗して消えてしまう。盾にしていたアメーバは、最初の半分の面積になっていた。対する3H―――剣にして青尉が握っているやつ―――は、斬れ味がよく持久性もあるのだが、衝撃に弱く割れやすい。ナイフを何本も砕いた衝撃で、一部が欠けてしまっていた。まぁ、所詮はシャーシンである。ありがたいのはコストが低いことだ―――少なくとも、ナイフよりは。
青尉はポケットの中を弄りながら、敵方を見遣った。―――昨日俺を追いかけてきた奴らとは違うみたいだ。チビな方は女らしい。ざんばらな短髪に猫みたいな吊り目。でかい方は男だ。身長190はあるだろうか。胸元の星のワッペンは所属を表しているのだろう・・・星が散らばった模様。どこの組織だ?
敵方の2人もまた、距離を取って青尉を見ていた。女の方はすぐ能力を使えるよう、集中するのに必死の形相だ。男の方が冷静に青尉を観察している。―――噂に違わない強さだな。彼のあの能力に制限は無いのだろうか。いくつも扱っていたが・・・いや、能力も能力だが、それより運動神経が素晴らしい。特に、動体視力と反射速度。私たち2人がかりの攻撃を難なく躱すとは。簡単にはいかないと、知ってはいたが・・・。
「やはり、」男があまりにも突然に口を開いたので、青尉は少し動揺して剣先を持ち上げた。「君は必要な力だ。我々にとって―――」と男は言葉を切って、「―――我々の“目的”にとって。」
青尉は顔を歪めた。でたよこの人権を無視した自己中な言い草。俺はこういう奴らは大っ嫌いだ。―――その瞬間、青尉は彼らを敵に認定した。いや、有無を言わさず襲ってきた時点で敵なことは分かっているのだが、彼の中に少しだけ残っていた遠慮や配慮といったものが消え去ったのだ。
青尉は剣にシャーシンを補充しながら無愛想に言った。
「だから、何?」
男は身長差の所為か、見下ろすような目付きで青尉を見た。その目に青尉はさらに苛っとする―――なんだか、見下されているみたいだ。
「私の名は山瀬。彼女は佐久良だ。突然の無礼を許してほしい。君とは良い関係を築いていきたいと思っている・・・改めてよろしく、刀堂くん。」
あらゆる点で今更だと思ったが、青尉は黙っていた。
山瀬、と名乗った男は、意外なほど柔らかな良い声で続ける。
「我々は『stardust・factory』という組織に属している。知っているか?」
『stardust・factory』―――その名を青尉は思い出した。確か1ヶ月ほど前になるか、それは突如として世に現れた新興組織である。現れるや否や、日本で権威を振るっていた7つの巨大組織の内1つを完全に潰し、その地位に取って変わったことで一躍有名になった。超新星と言うべき集団なのである―――と、いつだったか辰生が、それはそれは楽しそうに語っていた。
青尉は全力で嫌そうな顔になった―――3ヶ月間放置していたトイレの掃除を命じつけられた時のような。
「その、有名な、スターダスト・ファクトリーさんが、俺に、何の用があるって?」
「分かっている上で聞いているのだろう? 我々は君を勧誘に来たのだ。」
「断る!」―――青尉は即答した。そのまま、有無も言わさぬ口調で捲し立てる―――「悪いけど他を当たってくれ。俺はあんたらに協力するつもりはないし、今のところ、いや今後ずっと、どこの組織にも入らない。何を言われようと無理なものは無理、嫌なものは嫌だ! それが用ならとっとと帰ってくれ。二夜連続で面倒事に巻き込まれて、こっちは最っ高に機嫌が悪ぃんだ。でもって“仲間にならないなら他の組織に取られる前に殺しとく”とかって、んなくだらねぇこと言うんだったら、マジで斬り刻む!」
「では君は、知りたくないのか? ―――君があらゆる組織に狙われる理由を。」
青尉の全力の脅しをいとも簡単に受け流して、山瀬は淡々と言葉を繋げた。
不覚にも青尉は戸惑った。今もしも攻撃されていたら、きっと避けられなかったことだろう。―――俺が狙われる理由、だって? そんなの・・・そんなの、知りたいなんて・・・―――青尉は奥歯を噛み締めて、山瀬を睨み直した。相手のペースに乗せられてはいけない。情報は確かに重要だが、身を売ってまで得たい物でもない。
「・・・その様子を見ると、靡いてはくれないようだな。―――ならば残念だが、ここは一旦引くことにしよう。・・・邪魔者どもも来ているようだしな。」
山瀬が残念そうな光をその目に浮かべて、拍子抜けなほどあっさりと踵を返す。それに合わせて、佐久良と言った女の方もナイフを仕舞った。
え? なにそれ? いや、あっさり終わってくれるのは願ったり叶ったりなんだけど・・・―――戸惑い、混乱して、思わず緊張を緩めてしまった青尉。その彼を、山瀬は不意に首だけで振り返って見た。
「刀堂くん、君はいずれ、組織に入るよ。君はまだ“本当の理由”を分かっていない。君のその能力は、君が思っている以上に希少なものだ。実力的にもそうだが、それを差し引いても、簡単には捨て置けないほどの価値がある。君はこれから、もっと大きな争いに巻き込まれるだろう―――まぁ、自覚するのはそれからでも遅くあるまい。」
山瀬は薄く笑った。その笑みは青尉に寒気を与え、思考判断を凍り付かせる。だからだろう、
「ただ、実力の差だけは今すぐ自覚しておいてもらおう。」
続いたその言葉の意味を、青尉は咄嗟に理解できなかった。しかし、理解できるだけの猶予も与えられず、足元で唐突に―――本当に、直前に光るとかそういう予兆も無く―――起こった爆発に吹き飛ばされて、意識を刈り取られた。




