第四夜-3
予鈴が鳴った時、まともに息をしている奴は―――主催者である辰生を除いて―――誰1人としていなかった。
辰生だけがしれっとした顔で、のたうち回る連中を見下ろす。「なんだよ皆、なっさけねぇなぁ。」
橋谷がそれを睨む。「なんでお前は平然としてんだよ、辰生・・・。」
「残念だったな橋谷。俺もうこういうのは見慣れちゃってるし?」
「いつか絶対ぇ、ケツバットしてやる・・・。」
「おーう、ま、頑張れ? 楽しみにしてるよ、ははっ。」辰生は飄々と橋谷をあしらって、床に座り込んでいる青尉の方を見た。「おーい、少尉、大丈夫かー?」
「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・っ。」
「うっわぁ、虫の息だ!」
「誰の所為だよ・・・。」青尉は胡坐をかいたまま辰生を睨上げた。―――ものすごく楽しそうにしてやがるな辰生の野郎・・・くそっ。ふざけんなっての。こっちは怪我人だぞ? ったく・・・―――心の中で悪態をつく。
けれど、同時に感謝もしていた。今や教室の中はすっかり普段通りで、青尉が入って来た時の異様な空気は欠片も残っていない。狙ってやったのか、ただ単に遊びたかっただけなのか、辰生の真意は分からない。が、どちらにせよ、青尉は言わなければならないと思った。
1人の最強の味方は、千の敵を退ける。味方がいるというのは、何て心強いのだろうか。
青尉は大きく息を吐いてから、傍らに立つ辰生を見上げた。無表情で気恥ずかしさを押し隠し、心の底から言う。
「黙ってて悪かった。あと・・・いろいろ、ありがとう。」
辰生はにやりと笑った―――少尉って変に大胆なくせにどっか小心者で、無駄に礼儀正しいというか、律義なんだよなー。もっと気楽に生きればいいのに。まぁでも、これで元通り、かな。良かった良かった。―――能力者の件で一時はムカついた辰生だったが、冷静になってみればそんなに感情的になるまでもなかった。能力者だろうが何だろうが青尉は青尉だし、友達に能力者がいるとか最高だ! と今なら思える。
辰生は自分の席に座り直し、腕と足を組んで偉そうに言った。
「ふむ、そうだな・・・鈴美庵の饅頭で手を打ってやろうか。あそこの饅頭うめぇのよ! 今度奢れ。」
「いいよ。いくつでも奢ってやる。」
「お? 言ったな? その言葉忘れんなよ少尉。」
「いくつ食うつもりだよ。にしてもお前、和菓子好きなんだな。」
「あれ、知らなかったのか? 大っっっ好きだぜ! この世で一番、和菓子が好きだ! 愛してる!」
「へぇー、初めて知った。」
「あー、言わなかったっけか? ―――ま、友人とはいえ、知らないことの1つや2つや3つや4つ、普通はあるもんだよな!」
さらっと言われたことに責められているような気がして、青尉は返す言葉を見失って黙った。その青尉を気にしないで、辰生が続ける。
「だからあんまり気にすんなよ。知らないことを知ることに意味があんだからさ。」
臭いセリフを吐いたと思ったのか、辰生は目線を彼方にやって、畳み掛けるように続けた。「ま、知らない内にリア充になられたらさすがにキレるけどな!」
「・・・なんだそれ。」
ようやく反応を返し、ようやく席に着いた青尉は窓の外を見た。晴れている冬空は透き通った水色で、小さな人間たちのくだらない争いなどには無関心な冷たい表情をしている。
つれない態度の青空に、青尉は柔らかく微笑みかけた。
「あ、そーだ、少尉?」
「ん?」
「お前、その怪我じゃあ部活行けねぇだろ? 明日・・・あ、明日って授業あったっけか?」
脈絡のない辰生の問いに、青尉は記憶を掘り返す。この高校、足りない授業数を“公開授業”という名目で土曜の午前を利用し補うことがあるのだが、明日は―――「あー、うん、確かあった、かな。」
「じゃあ、明後日だな。日曜日さぁ、暇だったら遊びに行かねぇ?」
「え? あー、いいけど・・・。なんでまた。」
「いやぁ・・・ははっ。」
笑って説明を拒む辰生に、青尉は何となくやりたい事を察し、追及するのを止めた。
「分かった、いいよ。どこ行く?」
「とりあえず、適当なところで鉢合わせしようぜ。」
「鉢合わせ? 待ち合わせじゃなく?」
「駅前のどこか、ってだけ指定して、あとは偶然に頼るってのどうよ。」
「面倒くさいから却下。」
「えー、なんだよ冷てぇなぁ。」拗ねた口ぶりでそう言って、辰生は少しだけ考えた。「・・・あ、じゃあ、さっきの約束果たしてくれ。鈴美庵で待ち合わせしよう。」
「あぁ、分かった。」
ちょうど青尉が頷いたその時に本鈴が鳴り、教科担任が入ってきた。
☆3
五体満足の有り難みを噛み締めながら午後の授業を終え、放課後。
「お前も大変だなぁ。」と苦笑する辰生に見送られ、青尉は教室を出た。遠い職員室へ足早に向かう。本日2度目の職員室。入った途端、生徒たちよりは遠慮しているが、生徒たちより粘着質な視線が青尉に絡み付いた。丹田に力を込めて、足を進める。
2日前と同じように、杜本先生と神島先生が青尉を待っていた。副校長の姿は見えなかった。
「来たか、刀堂。・・・まぁ、座れ。」
杜本先生に簡素な丸椅子を勧められ、腕を庇いながらそこに座る。
「さて、と・・・―――何から話したらいいもんか。」
迷いを見せる杜本先生に、青尉は、知りませんよ、と言う代わりに肩をすくめた。左腕が鈍く痛んだ。
「・・・昨日は災難だったな。身体の具合はどうだ?」
「見ての通りです。左腕と肋骨の骨折、それから打撲に切り傷。それだけです。」
はきはきと答える青尉は、あまり応えていない様子。杜本先生は意外な思いを持った。―――辛い勝利に、不躾な注目。思春期にはツラいかと思ったんだが・・・大丈夫そうだな。やっぱりコイツは強い。強すぎるほどだ。―――ガキらしくない、と少しムカつく杜本先生だった。
「そうか。で、これからどうするんだ?」
「どうする、とは?」
「これでもう独り身ではいられなくなったぞ。この県に支部を持たない7大組織の『GPU』日本支部や『ユウレカ』なんかが、一部隊率いて進入してきている。うちにも問い合わせがたくさん来てるし・・・」杜本先生は一瞬口ごもった。「・・・『賢老君主』の本部も、お前に興味を示して、増援を寄越すと連絡があった。」
青尉は目を細めた。「・・・だから、『賢老君主』に入れ、と?」
「君の身の安全は保障する。他の輩どもに手出しはさせないぞ。」杜本先生は2日前と同じ台詞を返し、新たに付け足した。「君だけじゃない、君の周りの人たちも、だ。」
「聞き飽きましたよ、その文句。」冷たく言い放ち、太腿の上に頬杖を突いた青尉。それからわざと、ゆっくり言い聞かせるような口調で言った。「『stardust・factory』の山瀬さんにも同じことを散々言われました。」
「何っ?!」杜本先生は大声を上げて腰を浮かせた。周りの目が一瞬集まり、すぐに離れていった。「星屑の野郎が接触してきたのか?!」
「はい、昨日の事件の直後に。わざわざ家にまで来てくれましたよ。」
「それで! 何の話をした?!」
「今先生が言ったのとほぼ同じ内容を聞かされました。」
「それで?」
「それで・・・『stardust・factory』に入れ、と。」
「で?」
「・・・で?」
短すぎる問いに内容を推し量れず、青尉は眉をひそめて聞き返した。
杜本先生は腰を落ち着けて、丁寧に言い直した。
「お前は何て答えたんだ? 刀堂。」
「・・・・・・。」
青尉は山瀬のことを思い出し、口をつぐんだ。山瀬に言われたことについて、昨日1日中ずっと考えていたが、結局答えは出ないままであった。組織に入るか入らないか・・・入るならどの組織か・・・入らないならどうやって、自分と大切な人達の身を守るか・・・そもそも、どうして組織に入りたくないと思うのか。そして、能力を手にした者として、どうするべきなのか・・・―――
「刀堂。」
業を煮やした杜本先生が返答を急かした。青尉は斜め下の方へ俯いて、小さな声で言う。
「・・・別に・・・組織に入る気はさらさらありませんし・・・。」
弱々しい声音は職員室の小さなざわめきに紛れて、消え去ってしまいそうだった。口をへの字に曲げて俯く彼はまるで泣き出す直前の子供のようで、杜本先生はここで初めて、無理をしていたのか、と悟った。
青尉は能力者である前に1人の生徒である。返すべき最良の言葉が見つからず、杜本先生は「そう、か・・・。」とだけ言って頷いた。
続いて訪れた沈黙に、青尉ははたと我に返って、―――先公どもに醜態を晒してどうする! あぁ、俺の馬鹿! 少しは考えてから喋れよ! ってか気弱になってんじゃねえよ! ―――頬を薄く朱に染めた。
「あ、いや、だから、その、俺は・・・。」
狼狽える青尉を見るのは初めてである。杜本先生は非常に愉快な気持ちになってきて、にやにや笑いを口元に浮かべた。
「いやぁ、そっかそっか、刀堂もまだまだ、ちゃんとガキだったんだなぁ。迷うことの1つや2つ、あるはずだよな。いいと思うぜ、その初々しさ。思春期らしくて。」
「っ・・・。」
「まぁ〜、何つーの? 先生で良ければ、相談に乗るぜ? 悩める思春期の青年くん。」
「結構です!」青尉は鼻っ柱に噛みつくように言って、勢い良く席を立った。「話はそれだけっすね? じゃあ、失礼します。」
律儀に頭を下げて背を向ける。
その小さな背中に、杜本先生は声を掛けた。
「刀堂。」
青尉は立ち止まって、振り返るのを少し躊躇った。しかし無下にすることもできず、渋々半身だけでそちらを向く。
「・・・何すか?」
「―――それはそれとして、たまには大人を頼れよ。組織とか何とかに関係なく、な。」
柔らかく笑い、真摯な声音で言った杜本先生の隣で、神島先生も頷いている。
青尉は子供扱いされているように感じて唇を微かに尖らせたが、大人になりたがる理性は無視することを許さず、妥協策として彼は、黙ったまま深々と頭を下げて踵を返したのだった。




