愚かで愛しい
これより本編始まります。
日が昇り始めた。一日が始まる。
ゆっくりと昇り始めた陽は、丁寧に塗り替えるように暗く沈んだ森を淡く照らしていった。
影に巣食っていた暗闇はゆるりと溶けて馴染んでいく。
余り大きいわけではないけれど、けれどしっかりとした木の枝の上。小さな影はそこに座って昇っていく陽を愛おしげに眺めていた。
ふわりと、光がその人影を照らした。
可哀想なほど痩せ細った小柄な体。
肩にかかるかかからないかという程度のちょっと荒れた茶色の髪。
キラキラと輝く左右で色の違う目。右目はキラキラとした髪と同じ色の瞳。けれど左は少し淀んで光を映さない少しくすんだ錆びた赤。
幼くて、少女か少年かすらも定かでない目ばかり大きな顔。
「今日も一日が始まるねー。今日もずっと綺麗」
子供らしい高い、確かに少女の声で彼女は軽やかに言った。
ぶらぶらと足を揺らすと、足に繋がれた鎖がじゃらじゃらと音を鳴らした。
よっ、と少女は座っていた木の枝から飛び降りようとする。
しかしちょっと突き出ていたらしい他の枝に足の鎖を取られて無様に転んでしまう。
ありゃー、と、それだけ言って、一人にこにこと笑ったままの少女は引っかかった鎖を枝から外した。
「よし、今日の蛇さんはどんなかな!」
にっこりと、笑って少女はもう明るくなった森を駆け出した。
柔らかい森の地面を蹴って、足の鎖をジャラジャラと鳴らして。
♦︎
朝日が照らし出したのはちょっとだけ豪華な、けれど質素な部屋。中には二人の人影。
「いよいよ明日か……蛇が目覚めてしまうかも知れぬのは」
少し、髪に白いものが混じり始めた初老の男性が何処か辛そうに言った。
「……眠りを望み、目覚めを請わなければ目覚めることはないと言われています」
彼の向かいに座った、彼より少し年若い青年が返事をする。
「……それに、もし目覚めたところで、何の問題が?所詮御伽噺。確かに森の奥には眠ったままの蛇がいます。けれど到底世界を呑めるとはおもえません」
青年は冷静なままに淡々と言葉を重ねた。
それに初老の男性はわかっている、というように俯く。
俯いたまま、溜息を吐いた。
この村を守らなくてはならない、という責任をその両肩に重たく載せて。
青年はただそれを見ていた。
ただ、ぼんやりと
ーーーこいつ早死にしそうだなぁ。
そう思っていた。
♦︎
「今日も蛇さん綺麗ねー。キラキラしてるよー」
森の中、少し高く丘のようになっている場所の一番高いところに置かれた石。
平たく、鏡のように磨かれてキラキラと光を弾く黒い大きなその上にそれはあった。
煌めく鱗。
塒を巻いる、白い、蛇。
まるで死んでいるかのようにピクリともしないその蛇は其処で、ただ静かに眠っていた。
「あのねぇ、今日はねぇ、朝日、綺麗だったよ。昨日は雨だったからさ、少し心配だったよー。でも綺麗に晴れて」
少女はその、眠ったままの蛇に話しかけた。
石の横に座り込んで、にこにこと笑う。
「昨日はねぇ、でもちゃんと夕日が綺麗だったよ。だから晴れたのね」
返事はない。
それでも少女は嬉しそうに。
あとねぇ、と、続けた。
「今日の夜はねぇ、流れ星なんだって!晴れて欲しいな!きっと綺麗だよ」
そしてちょっと伺うように蛇を覗くと
「だからさ、夜も来ていいかな」
そう言った。
♦︎
キラキラと、星が瞬く空を見上げて少女は
「きらきらねー。ここからだと綺麗に見えるんだね」
そう、眠ったまま動かない蛇に話しかけた。
当然のごとく返事などない。
「蛇さんはー、どうしてここでずっと寝てるのかなー」
誰に問いかけるでもなく、けれど大きく響いた小さな問いかけ。けれど答えなんて帰ってくるはずもなく溶けて広がる。
それでも少女は嬉しそうにくすくすと笑った。
「ねー蛇さん。ずーっと、蛇さんの近く、いるからね。蛇さんが干からびてヘンテコになっちゃってもずっと一緒にいるからねー?蛇さんがー生きてー死ぬまで。全部ぜーんぶ、見届けたいんだぁ!」
まるで愛を叫ぶかのように。けれど甘さなんて欠片もなく。
何処か可笑しく思える程、盲目的に。壊れてしまったかのように。
けれど本当に、幸せそうに。
少女は笑った。
ーーーきらり
一筋の光が真っ暗で煌めく空を駆けた。
そして、それを追いかけるように幾つもの光が空に光の筋を描く。
「わ、ぁ!」
少女は目を輝かせた。
そして、煌めくそれに、届くはずもないのに手を伸ばした。
何度も何度も。届かないとわかってながら。それでも光をかき集めるように手を伸ばす。
きらきらと、くるくると。
もうとっくに光を失っていた筈の左目にも微かな光を映して。
そしてまるで踊るかのようにくるくると。
「ねぇ蛇さん!蛇さんは見てるかな?凄くね、凄いんだよ!」
少女は甲高く笑って、はたりと回ることと笑うことをやめた。
「あ、そうだ、蛇さんあのねー?」
少し離れてしまった眠ったままの蛇の元に少女はとてとてと近づく。
蛇はきらきらと光を反射して白く淡く、光っているように見えた。
「流れ星にねー?願い事すると、叶うんだってー」
そして蛇のすぐ横に座り込むと、何か祈るかのように手を握り合わせて目を閉じた。
「だから、ね」
ーーー蛇さんが、起きてくれると嬉しいな。
「それで、お話、したいなぁ」
小さく小さく、でも確かに。そう呟いた。
感想等いただけると泣いて喜びます。
誤字脱字等、見つけたら教えてくださいお願いします