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空白の時間

翌日、伶くんをまた迎えに行く。



伶くんが眠そうに目を擦りながら玄関から出て来た。うっすらと隈が出来ている。

青白い顔色で寝ていないのがよく分かる。




「おはよ、大丈夫?」

具合が悪そうな彼に問い掛けてみた。


「ん…気分悪い」

俺の胸板に頭を押し付けもたれかかる伶くん。


「学校行けそうか…?」

伶くんの背中をさすって尋ねる。


「多分大丈夫」

無理っぽかったら保健室行くし、と伶くんが言う。まあ休むよりはマシだろう。



俺は彼の歩幅に合わせ、ゆっくりゆっくり歩いた。そうでもしないと彼が倒れてしまいそうだったから。




そして学校。昨日のようにまた伶くんが吐いてしまわないか心配だ。

そんな風に思いを巡らせていると、教室からみなちゃんが顔を出した。


「二人とも、おはよー!」

いつもと同じ満面の笑みだ。


「はよーっす」

そう挨拶する俺の隣に、服の袖を掴んで小さくお辞儀をする伶くん。


彼の姿を見たクラスメートたちは一気にざわつく。そんな皆の反応に伶くんはかなりびくついているようだ。



俺は机に鞄を置き窓際で伶くんの様子を伺った。彼は相変わらず袖を握り締めたまま離そうとしない。微かに震えているようだ。


「おい尚、そいつ誰だ?」

友人の左藤恒誠が登校して来たようで、伶くんの存在に気付き話かけてくる。


「あ、こーちゃんおはよう」

質問には答えずにとりあえず挨拶を済ませた。


「朝から変な渾名で呼ぶんじゃねーよ馬鹿。それより質問に答えろっつーの」

恒誠は不機嫌そうに俺の頭を強く掻き回す。


「痛いって。答えるから止めろよ」

そう言って恒誠の腕を掴む。


恒誠からやっと離して貰えたものの、どうやって伶くんの事を説明しようか。

そんな風に考えていると、みなちゃんが来てくれた。



「おう左藤、おはよ」

恒誠の背中を軽く叩き、ニコニコ笑うみなちゃん。


「…おはようございます」

ムッと眉間に皺を寄せながら恒誠は挨拶した。


「こいつは門崎伶麻。苛めたら私がただじゃおかないから。あ、勿論お前らもな!」

クラス全員にそう叫ぶみなちゃんは何だか頼もしい。


「良かったな、伶くん」

そう言って俺は彼を見下ろしながら頭を撫でてやった。


「……うん」

伶くんは嬉しそうに頷く。




席替えをするという事を聞き、皆が喜んでいた。俺と伶くんはちゃんと隣になっていて、不満がある人が居るかも知れないから仲良い人たちで席を固めていた。

伶くんは窓際の席でその隣は俺。そして俺の前は恒誠だ。


授業中、伶くんはずっと机に伏せて眠ったままだった。眠いのかな、なんて考えながらも俺はぼーっと授業を受けていた。



そんなこんなであっという間に一日が過ぎた。もう今は既に放課後。

伶くんと二人並んで家路を歩く。


「今日はどうだった?」

隣で歩いている伶くんに質問してみる。


「……?」

何が、とでも言いたげに彼は俺を見上げた。


「いや、楽しかったかなーって思ってさ」

そう伶くんに微笑む。


「…別に、普通」

彼の態度が素っ気なくなったように感じる。


「そっか」

思わず苦笑してしまう。


伶くんにとって学校は怖くて嫌いな場所でしかないのかも知れない。そう考えたら少し悲しくなった。

…って事は伶くんに友達は居ないのだろうか。



……俺が友達になっても良いのか…?





「あの、さ」

足を止めて伶くんを真っ直ぐ見つめる。


「……何」相変わらず彼は目を合わせてはくれない。


「俺と友達になって?」

気付いたらそんな事を言っていた。


驚いた様子の伶くんは、固まってしまっている。


「あ、や、嫌だったら良いんだ!ごめん今の忘れて」

誤魔化すように彼の髪を掻き乱して歩き出す。






―――――ガシリ。



身体が後ろに引っ張られた。ばっと首だけ振り向くと、伶くんが俺の服を掴んでいた。

それはもう震えていて。こんな時に不謹慎だけど、可愛らしかった。


「…や、じゃない…から」

やっとの事で絞り出したような彼の声は小さく震えている。


「……本当?」

驚き過ぎてそれしか聞けなかった。


それを聞いて彼は大きく頷く。



凄く、嬉しかった。伶くんに認めて貰えたような気がした。


「友達……初めて出来た」

視線を落としてみると、伶くんが笑っていた。


こないだのあやふやな笑顔ではなく、きちんと口元が緩んでいて可愛らしい笑顔だった。




「……っ」

無意識の内に俺は伶くんを抱き締めていた。


「…尚…?」

キョトンとした声が聞こえる。


「俺が伶くんの友達一号な」

抱き締める腕に力が入ってしまう。


抱き締めてから改めて気付く。伶くんが凄く凄く細い。抱き締めた身体は骨が浮き出た箇所が多く、余裕で俺の身体に隠れてしまうほどに小さかった。


「あ」

抱き締めながら声を出したせいか、彼の身体が驚いたようにびくりと跳ねる。



「あのさ伶くん、晩飯。食ってかねー?俺んちで」

抱き締めていた身体を離し提案してみた。


「尚の、家…?」

パッと俺を見上げる伶くんの髪が分かれ、あの眼が覗く。


「うん。あ…大丈夫?無理だったらいいんだけど」

無理強いは良くないと思いそう付け加える。


「…行って良いの…?」

予想外の答えに提案した自分が驚いてしまう。


「当たり前。友達じゃん」

そう言ってすぐさま二人で俺の家に向かった。



------



「ただいまー」

つい笑みが零れてしまっている。


「おかえ…っうわ、誰!?」

俺を出迎える亜空が驚きの声を漏らす。


「友達。晩飯食ってくから」

驚く亜空に構わずに家に上がる。


伶くんも居る事だし、今日は自室で夕飯を食べる事にした。



「尚、夕飯持って来たよ」

父が俺の部屋にまで食事を持って来てくれた。


「ありがと」

一応礼を言っておく。


伶くんも軽くお辞儀していた。


「今日初めて来た子だね。…ゆっくりして良いからね」

そんな風に父は伶くんに微笑みかける。


「……はい」

彼はおどおどしながらもそう応えた。




この後伶くんと二人で食事をした。彼は少食で、痩せ細っている理由にも納得がいく。


「伶くんって細いよな。毎日ちゃんと食べてんの?」

そう言いながら彼の腰回りを触ってみる。


「…っつ…」

触れたら伶くんの身体がびくんと跳ねた。どうやらくすぐったかったみたいだ。


…しかし、そんな反応されたらもっとしたくなる。駄目と言われるてもっとやりたくなるのが性と言うものじゃなかろうか。


「伶くんの反応って、見てると面白いな」

そんな好奇心で再び腰元に触れてみた。


「くすぐった…、やっ…」

避けようとする伶くんはこそばがりなのか、過敏に反応する。それが俺を煽る。


避ける為に身体を捩った拍子に二人でベッドへ倒れ込む。丁度俺が伶くんを押し倒すような体制になってしまった。

少し気まずくなり、会話が無くなる。



長い前髪の隙間にあの綺麗な眼が覗いている。


ああ、何か…歯止め利かなくなりそう。やばいかも。伏せがちな彼の眼が俺から視線を反らそうとしている事を物語る。




「……尚…重い」

必死に眼を反らす伶くんの頬が微かに赤らんでいる。


「ごめん」

謝罪しながらも俺は退かない。


「…あの、えっと…」

困ったような表情を浮かべる彼が堪らなく可愛い。


何こいつ。可愛過ぎるんだけど…どうしたら良いの。襲って良いの、これ。

誘ってんのかよ。そんな顔されたら理性保てなくなるじゃん。



そんな言葉を全て飲み込み、言葉にならない内に伶くんの胸元に頭を埋める。


「…尚、眠いの?」

んな訳あるか馬鹿。と頭で思うも口には出さない。


「んー…」

曖昧に答え彼を抱き寄せた。


「寝る?僕帰った方が良いのかな」

ほぼ独り言のように彼が尋ねてくる。


ああ、キスしたい。けどそんなのしたら多分、もう伶くんに会えなくなるような気がする。

だから俺はしないんだ。ていうか出来ねー。嫌がられるって分かってるから。



「尚、僕もう帰るよ。あんまり長居すると怒られるし」

伶くんを抱き締めているとそんな事を言い出した。


「…もう帰んの?」

起き上がって聞いてみる。


「うん、明日も学校だしね」

彼は起き上がりよれた制服を正す。


「じゃあ玄関まで送る」

もう少しだけでも一緒に居たくてそんな風に言う。これじゃ昨日と逆だ。




「わざわざありがとう」

伶くんが俺に向けて礼を言う。


「どーいたしまして」

俺は彼の頭をがしがしと撫でてみた。


「……っ」

何故か伶くんは固まってしまった。


「…どした?」

首を傾げ尋ねる。


「尚は……。…やっぱ何でもない、おやすみ」

何か言いかけて沈黙し、彼は急いで家に入ってしまう。


何だか分からないまま帰ってしまったから、少しもやもやする。




だけど今日は昨日より危なかったな。伶くん、無意識に誘って来るから困る。

理性保つのもギリギリだし、本当にそろそろやばいかもしんない。


可愛過ぎる。何だあの生き物。つか、あのこそばした時の反応でスイッチ入っちゃったな。変な声出すなっての。いやまあ、こそばした俺が悪かったんだけどさ。好奇心旺盛なお兄さんには抑えるのが難しいんですよ、はい。



「おーい、尚」

ふと気付けば父の顔。


「うっわあ!?」

驚いて身体が跳ね、壁に頭を打ち付けてしまう。


「大丈夫か?」

苦笑いの父は俺を心配してくれているようだ。


「…いってぇ…、んで何?」

薄く涙を浮かべながら尋ねてみた。まだ後頭部がジンと痛む。


「いや、さっき来てた子は何て名前なのかなあと思ってね」

父は笑みを俺に向け聞いてくる。


「門崎伶麻くん。向かい側の家の子」

痛みが無くなって来て、父の質問に答えた。


「最近引っ越して来たの、あの子だったんだな」

目を細めて優しげに笑う父。俺はこの人のこの笑い方が好きだ。


てか、引っ越して来た事知ってたんだな。俺は知りもしなかった。

無関心…なのかな。恒誠にも言われた事がある。




"お前、何か冷めてるよな"

って。

言う通りかもしれない。人と話してる時は楽しそうなのに、一人の時は凄く冷たい人に見えるんだとの事。


人に対しての執着というか…関心が余り無かった。昔からずっと。



ただ笑って、何も思ってなんかいなかった。だからきっと伶くんの事も助けられなかったんだろうな。

もし伶くんを想うのなら多分、助けたはずだから。最初は関心なんてこれっぽっちも無かった。


ああ、虐められてるな。可哀想に。それ位にしか思って無かった。

別に皆と一緒に虐めようとかも思わなかったし、助けようとも思わなかった。

……そう思えば俺って結構嫌な奴だったんだな。




鉛筆を拾ったのだってただの気紛れだった。たまたま視界に鉛筆が入って来たから拾って渡した。

眼を見て驚いた。綺麗だと思った。眼が 心が 奪われた。一目惚れだったんだろう。


この頃からずっと伶くん以上に心を惹くものは無かった。告白されて、知らない子でも何となく付き合って何となく別れて。

…うわあ…何て最低な奴なんだ、俺。



今になって改めて思う。


「俺ってひねくれてんのかな」

独り言を呟いてみた。勿論返事なんて無い。


そう思いはするものの、伶くんを今好きなのは事実な訳で。むしろ六年前より好きになってる…と、思う。



これが本物の恋ってやつなのか…?






「…って俺は乙女か」

一人ツッコミをしてみて阿呆らしくなる。


伶くんが好き…か。俺があいつの事好きなの、誰にもバレてないよな?当たり前だが本人も含めて。


いつか告白してみようかな。…いやいや、でも振られるのとかまじ嫌だし。



気持ちは伝えないでおこう。


この日俺はそう決めた。





------



ピピピピ、ピピピピピピ。


煩い音で目が覚める。携帯のアラームだ。昨日、いろいろ考えていて寝てしまったらしい。

学校の支度を終え、伶くんの家に迎えに行く。



「……」

家の下に行くともう彼が待っていた。驚いて開いた口が塞がらない。


「…おはよ」

伶くんは俯いて挨拶する。


「お、はよ」

思わず言葉が詰まってしまう。


とりあえず二人で歩き出す。当たり前だが会話は無く、寝起きな為日差しが眩しい。





学校に着き、席に座る。


あー…やばい、眠い。つか今日寒くね?滅茶苦茶寒いんだが。


「…頭いてぇ…」

突然、ズキリと痛みが走る。


「大丈夫かよ」

後ろから声がして振り返ると恒誠が立っていた。


「ん、多分。…おはよ」

頭を押さえながら言う。


「おはよー。まあ無理はすんなよ」

苦笑して恒誠は俺に忠告する。


あ、もしかしたら昨日風呂上がりに髪ちゃんと乾かさなかったからか。冷えたとかかな。

だとしたら俺だっせー。自己管理ぐらい自分でしろっての。




「ちょっとトイレ行ってくる、わ…。……あれ?」

急に目の前がぐらぐら揺れる。普通に立っていられない。


「おい、尚!」

恒誠の声がぼんやりエコーして聞こえる。


それにぼやけてるけど伶くんが俺を見ている。あ、れ…?

何だこれ、気持ち悪い。




あ…駄目だ眠い。こんな時に睡魔とか…。


伶くん一人にしちゃ…駄目だ。でもみなちゃん居るし大丈夫かな。…何か何も考えらんなくなってきた。


もう…無理、かも。




この時はあんな事が起こるなんて予想もしていなかった。もしも俺に何もなければ、起こってなかったかも知れない。





-------




目を覚ますと、白いものがあった。何これ。つかどこだ、ここ。


ぼーっとしてると見知った顔が俺を覗き込む。恒誠だ。



「…気が付いた」

本当に心配そうな顔で俺を見ている。


「……ここどこ?」

まだ少し頭が痛い。額に冷えピタが貼ってあるみたいだ。


「保健室。お前倒れたの覚えてねーの?風邪だってよ」

恒誠に頭を撫でられる。大きな手は何だかひんやりしていて心地良い。


「…あ、そうだ。伶くんは?」姿が無いので部屋中見回して気付く。伶くんが居ない。


「………」

何故か分からないが恒誠が黙り込んでしまう。


「……おい、恒誠?」

彼の腕を掴み名を呼ぶ。


何でこいつは黙ってんだよ。伶くんは一体どこだ。




少し間を置き恒誠はやっと答えた。



「帰った」

目を反らして答える。


「…何かあったのか?」

恒誠の腕を掴む手に力が入ってしまう。


「……っ」

何だか辛そうな表情を浮かべる彼に、これ以上聞く事は出来なかった。


まだ少し頭痛はあったものの、薬を飲んで学校から家へ向かった。自分の家ではなく、伶くんの家に。



------



「…っはあ」

走った為に息が切れる。普段ならこんな事、無いはずなのに。


いつも朝押すみたいに伶くんの家のインターホンを鳴らしてみた。

返答が無い。インターホンにも出ない。




「伶くん、居ねーの?俺、尚だけどっ…」

切れ切れの息遣いで居るかも分からない彼に呼びかける。


きっと何か学校であったんだ。何も無ければ恒誠があんな反応する訳ない。


部屋の中でガタリと物音がした。



「…っ伶くん!」

玄関の扉に手を付き名を呼んだ。


「……な…お…」

震えた声が微かに聞こえた。


「何か…あったのか?」

ぐすぐすと泣く声がする。そんな伶くんに俺はゆっくり問う。


「帰っ、て」

啜り泣く声と共にそう聞こえる。


「何で。出て来て伶くん、ちゃんと顔見て話が聞きたい」

そんな風に彼に呼び掛けた。


今まで聞いた事の無い声だった。泣くのを必死に堪えているのが分かる。




「帰ってよ…っお願いだから…!!」

悲痛な叫び声が聞こえた。


伶くんに嫌われるのは絶対に嫌だ。でも、こんな状態で放っておくのはもっと嫌だ。

そんな理由で俺は家に帰らなかった。


「帰らない。…出て来なくて良いから話してくれ、頼む」

祈るように彼に頼んでみた。


「……わ、かった」

俺の願いが聞いたようで、伶くんはゆっくり話し出した。



------



これは俺が倒れた後の事だ。どこで伶くんが来ている事を聞きつけたのか知らないが他クラスから生徒が数人やって来たらしい。

その中に居た者、藤原耀太。彼は俺も知っている。伶くんを虐めていた張本人なのだから、知らない訳がない。


「あれ、もしかして伶くん?」

どくん。心臓が跳ねた。


「お前、伶くんだよな。相変わらず根暗だねぇ…前髪長っ。キモいんだけど」

一方的に喋り、罵声が浴びせられる。


「なあ前髪、切れば?あ、そうだ。俺が切ってやんよ」

伶くんは周りの人たちに押さえつけられて動けなくなった。





ハサミをどこからか持って来て、ジョキジョキジョキジョキ…音を立てて髪が切られる。


「あぁあああぁああぁぁあぁああぁあ…っ!!」

叫んだ。狂ったように大声で。


「あははっ、久しぶりにその声聞くなあ…懐かしい」

嬉しそうに彼は笑った。


まだ彼は叫び続ける。


「…もっと泣けよ」

そして殴って、蹴って。滅茶苦茶にした。


「おい、先生来た!」

誰かがそう叫んだ。


「まじ?逃げようぜ」

耀太たちはハサミを捨てて逃げ出した。


その後保健室に運ばれ手当てしてもらい、早退したそうだ。









「…何だ、それ…」

俺はそう言うだけで精一杯だった。何も言えなかった。


「あはは…別にいいんだよ」

力無く笑う伶くんの声。


「ごめん伶くん、前言撤回。顔見たいから出て来て」

耀太への怒りを抑えつつ彼に呼び掛ける。


「尚になら良いか…どうせ知ってるし」

少ししてから扉が開かれた。




そこには俺が想像していた以上に酷い有り様の伶くんが立っていた。


見える範囲で腕と片目に包帯がぐるぐる巻きにされていて、口元には血が滲んでいた。

そして何より、あの長かった前髪が切られてガタガタになっていたのだ。

片目に包帯が巻いてあってとても見にくそうだ。俺が好きなあの翠色の眼が傷付けられた。



「眼…どうしたの」

包帯の上から軽く触れる。


「…ハサミ捨てられた拍子に目元掠っただけ。血が沢山出てたからって美奈子先生が大袈裟に包帯巻きすぎたんだよ」

無表情で彼は言う。眼に輝きは無く、何だかぼんやりしている。


「……っ」

とうとう耐えられなくなり伶くんを抱き寄せた。


彼はいつものようには驚かず、ただただぼーっと俺に抱き締められているだけだった。

それはまるで人形のみたいに。動かず何も感じないかのようだった。




「ごめん…っ俺のせいだ…」

抱き締める力が強くなってしまう。


「尚のせいなんかじゃないよ」

彼は"無"で受け答えしているんだと思う、多分。


「俺が倒れさえしなきゃこんな事にならなかったかも知れないのに…!!」

自分に凄く腹が立つ。


俺が倒れたから伶くんを守れなかった。俺のせいで伶くんは傷付けられたんだ。…にしてもやり過ぎだろ。誰も止めなかったのかよ。



「…帰ってよ、尚」

彼はそう言い俺の身体を押し返して背を向ける。


「嫌だ、帰らない」

伶くんをもう一度引き寄せて再び抱き締めた。


「……っ帰れよ。僕は汚い、こんなの尚に見られたくないよ」

徐々に泣きじゃくり出してしまう伶くん。


それでも俺は彼を離さなかった。それはきっと、今離したらもう二度と会えなくなるような気がしたから。




------



「凄く怖かった。でも、頑張らないと、強くならないと…ってっ思った」

抱き締める俺の腕を掴みながら伶くんは気持ちを言い出す。


「俺を呼べば良かっただろ…いくら風邪だったとしても伶くんが呼べば助けに行く」

まあ、無理なのは頭で分かってはいる。


「眼、皆に見られた。尚だけにしか…見せないつもりだっ、たのに…っ」

ついに彼は啜り泣き出してしまった。


抱き締める腕に力が入ってしまう。


「あ、ぐ…っう…え」

途中からほぼ何を言っているのか分からなくなる。


それでも俺は伶くんを抱き締め続けた。強く強く、崩れてしまわないように。



「ごめん…伶くん。助けてやれなくて」

耳元でそんな風に囁く。


「……っ、うぅ」

彼は未だに泣きじゃくっているが構わず俺は続けた。


「謝って済むとは思ってない。俺のせいだし。伶くんを守れなかったのは俺の責任だから」

言いながら胸が苦しくなる。


「次は絶対守る。独りになんかしたりしない…っ」

伶くんにそう誓う。


こんなに傷だらけでぐちゃぐちゃになって、俺はどうすればまたあの伶くんの笑顔を見れるんだ。

ふとある事に気付く。今、伶くんの翠色の眼は見えない。それでもこんなに愛しく思うという事はやっぱり…眼だけが好きって訳じゃないって事だよな。





伶くんが好きだ。やっぱ好きなんだ、俺。こいつの事が大好き。

好きで好きで堪らない。なのにどうしてここまで苦しいんだ。


「伶くん」

勝手に口が名を呟く。


「な、に…?」

振り向く彼はやはり泣いていて、見た瞬間に余計苦しくなった。


「……っ」

もう駄目だ、気持ちを抑えられない。






そう思ったらもう、伶くんにキスをしてしまっていた。想いは留まる所を知らない。


「……あ…」

伶くんは驚いたのか涙が止まっていた。


「…ごめん」

思わず謝罪の言葉を言う。


「何、今の」

目を見開いてまま尋ねられる。


「ちゅーしたの」

俺と伶くんが、と付け加えた。


一気に彼の顔が真っ赤に染め上げられた。同時に身体も熱を帯びる。



「…っ何でこんな時にからかうの」

伶くんの握った自分の手がプルプルと震えている。


「からかったつもりなんかないんだけど」

耳元でそう囁いてみた。


「嘘つかないでよ」

彼はそっぽを向き俺と眼を合わせようとしない。


「嘘なんかついてねーよ」

そう言い彼の首筋にキスを落とす。


「…うあ…っ」

ピクリと身体を跳ねさせ、小さく喘ぐ伶くん。


やっぱり可愛い。そんな反応されたら駄目だと思っていても尚更弄りたくなってしまう。




「…そういや昨日のあれ、何」

抱き締めながら昨日の彼の言葉を思い出し尋ねてみた。


「昨日のあれ…?」

どうやら伶くんは忘れているようだ。


「俺はどうとか言いかけただろ?あれ、何て言おうとしたの」


「……っ、そんなの忘れた」

明らかにばればれの嘘をつく彼に何だか腹が立った。


俺の方を向かせ、頭を押さえて無理矢理キスする。伶くんは驚いて目を大きく見開いている。




「ちゃんと言わないと何度もちゅーし続けるけど、いいの?」

俺はついそんな意地悪を言ってしまう。


「言うっ…言うからもう止めてよ…」

伶くんが涙を溜めて俺の事を見上げ訴えかけてくる。


その真っ赤な顔が凄く可愛らしくてもっと虐めたくなってしまう。…って、何を考えているんだ俺は。




「…尚は……恒誠って人の事が好きなんだよね?」

俯きながらそう問い掛ける伶くん。


「……はあ?」こいつは一体何を言い出すんだ。


「だってあんなに仲良さそうに喋ってたし。好き、なんだろなあって…」

小さな声でぽつりぽつりと言葉が紡がれる。


「そりゃあ恒誠の事は好きだけど、友達としてしか見てねーよ!!」

つい声を荒げてしまう。


「……っごめん、なさい」

今にも泣きそうな伶くんが謝る。消え入りそうな声だ。


「…何勘違いしてんだよ。馬鹿じゃねーの、お前」

そう言って彼を抱き寄せてみた。


俺が好きなのはお前なんだよ。そう思いながら必死に言葉を留める。

キスしておいて何だが、好きだと伝えるのはさすがに恥ずかしい。



ふと伶くんの身体に巻いてある包帯が緩んでいる事に気付く。


「包帯、結び直さねーの?緩んでるけど」

緩んだ包帯の端を掴み伶くんに指摘する。


「あ…後で自分でやるから大丈夫」

ばっと腕を振り払われてしまう。


「俺に結び直させて」

耳元でそう囁いてねだるように言った。


「…っや、だ」

息が耳に掛かった事で彼は身体をびくりとさせる。


拒まれた事により腹が立ち、伶くんの身体を抱き上げる。そしてそのまま彼の家へと強制連行した。



------



家に入るまでずっと彼は暴れていた。足をじたばたしたり、俺の背中を叩いたり。地味に痛かったけどそんな事は気にしなかった。

家の中は薄暗く、相手の顔が見えるか見えないか程度だった。


「ほら、腕出して」

ソファーに座り手を差し伸べて言う。


「…やだってば。しつこい」

小さくなって床にしゃがみ込んだ彼はなかなか腕を出さない。


「そんなにやだ?」

俺がそう尋ねると伶くんは小さい頷きで答えた。


どうしてそこまで嫌がるんだ。包帯結び直そうとしてるだけなのに。

そんなに見られたくないもの、なのか…?俺は別に見ても平気だけど。


何だかむかついて来たから伶くんの腕を強引に掴みソファーに押し倒す。




「嫌だっ…やめてってば…!!」

伶くんの叫び声に思わず吃驚して動きを止めた。


「何でそこまで嫌がんの」

彼の腕を掴む手に力が入ってしまう。


「いいからやめてよ…もう僕に触んないで」

よく見ると彼は泣きそうな顔をしていた。俺を少し睨み、辛そうな表情だった。


「…っ俺に触られるのがそんなに嫌かよ」

何だか胸が凄く痛む。


そう言うと伶くんは驚いたように俺の事を見上げて来た。



「ちがっ…」

泣き出しそうな顔が俺に向けられる。


「…無理させてごめん。安心しろ、俺は帰るから」

彼の上から退き、玄関へと向かう。


こんな事でムキになるなんて馬鹿だ。そんなのは自分でも分かってるんだ。

ああ、絶対嫌われたな。


そんな考えを巡らせながら靴を履こうとした、その時。





後ろから服を掴まれる。


「……何」

驚くも振り向かずに問う。


「嫌じゃ、ない…」

震える声が言葉を紡いでいる。


「だったら何であんなに拒否んの、俺の事」

そうだ。嫌じゃなかったら拒む理由なんてないはずだ。


「見られたく、なかったから。…きっと尚が見たら軽蔑する」

彼が俺の服を掴む手は小さく震えていた。


「…んな訳あるか。俺はお前の全てを受け入れる」

両腕を掴み取り、後ろを向いて告げる。


「でも…っ」

涙を沢山溜めて彼は潤んだ眼を俺に向けて来る。


「絶対に大丈夫。…だから見せてみろ」

そう言って伶くんの眼を見つめた。


彼は小さく頷き大人しくソファーへと座る。



ソファーに座った伶くんの前に跪き、まずは腕の包帯を解く。するりと音を立てて包帯が床に落ちた。予想外の事に彼の腕を見て言葉を失う。






痣や切り傷の瘡蓋、焼き痕のようなものが腕に沢山刻まれていた。


「…これ、どうしたの」

それを聞くのが精一杯だった。


「藤原くんからのと親からと……後は自分でやったりした」

伶くんが笑顔を繕い俺を見ている。


耀太のは知ってるけど親って…何だよそれ…。しかも自分でって…自傷って事だよな。



「気持ち悪い、よね…分かってる。だから見せたくなかった、尚だけには」

ぐっと自分の腕を握り締める伶くん。


「そんなの思ってねーよ」

握り締める伶くんの腕を掴む。


「…え?」

驚いたように彼は俺の顔を見ようとする。


顔を見られるより先に俺が抱き寄せた。今までに無い位、強く強く。伶くんが離れてしまわないように抱き締めた。

そうでもしないと泣きそうな俺の顔が見られてしまうような気がしたからだ。




「尚…っ苦しい」

胸板をどんどんと叩く彼を離してやった。


「それを見て俺がお前を嫌いになると思ったのか?…なる訳無いじゃん」

伶くんの顔を押さえてそんな風に伝えてみる。


「でも、気持ち悪いでしょ?」

彼が眼を反らして言う。


「気持ち悪くなんかない」

真剣に目を見て俺はそう言った。


「けど、僕は…っ」

じわじわと眼に涙が溜まって行く彼を黙って見詰める。


俺はその腕を掴んでキスを落とした。勿論両腕に。



「何、してんの」

伶くんは目を見張らせ俺を見下ろしている。


「…もし気持ち悪かったらこんな事出来る訳ないだろ」

彼と視線を絡ませながら言う。


「…っ…!!」

伏せがちにして必死に目を反らそうとする伶くん。



「伶麻」

名前を呼んでみる。渾名ではなく、本名で。


「は…い」

ほんのり赤い顔が凄く可愛らしい。


「全部見たい。脱いで」

服の上から首筋をなぞり、そう呼び掛けた。


「…脱がせれば」

一気に真っ赤な顔になる彼をとても可愛いと思う。


伶くんから許可を得た事だし、ゆっくり服を脱がせ下着姿にした。白く細い身体が露わになる。

骨の浮き出た薄っぺらい身体は本当に痩せていてあちこち傷だらけだ。背中、腹、腕、足。夥しい数の傷跡が刻み込まれていた。



「…んんっ」

腹に口付けると伶くんが声を漏らす。


「くすぐったい?」

クスリと笑んで彼に尋ねると小さな頷きが返った来た。


「あ、…っは」

腰から背中にかけてゆっくり舌を這わせる。その間伶くんの身体は震え、声を必死に抑えているのが丸分かりだ。


俺は一体何をしているんだろう。伶くんに事情を聞きに来ただけのつもりだったのに、今はこうして彼に愛撫している。

だってこいつが可愛過ぎるから、どうしても歯止めが利かなくなってしまう。無意識に煽って本当に狡い。


「や…やめっ…」

無性に自分に腹が立ち、当て付けに伶くんの首筋を甘噛みしていた。


「…お前さあ、誘ってんの?」

ソファーへと押し付けてそう問い掛ける。


「そんなつもりじゃ…」

慌てる伶くんはやはり虐めたくなってしまう。


というか、無防備過ぎだろ。普通友達だからって裸なんて見せるか?…俺なら見せない。

あの恒誠にだって見せた事は無い位だ。一番の友人とはいえ裸を見せるとなると話は別だ。




「…ふう」

大きく溜息を吐き、彼の上から起き上がる。


「……?」

こいつの場合、ただの馬鹿…なのか?どうなんだろう。


「包帯、巻き直すから貸せ」

手を出して要求し包帯を巻き始めた。

何とかギリギリの所で理性を保てたみたいだ。



包帯を巻き直し、服をちゃんと着せてからもう一度彼の前に跪く。


「ここも包帯巻き直していい?」

片目を包帯の上から触って尋ねてみる。


「別にいいよ」

彼は抵抗する事なく大人しくしていた。


言われてからゆっくり包帯を解いて行き、目元が露わになる。

目の真下に切り傷のようなものがあり、それは深く刻まれてあった。




いたたまれない気持ちになって思わず伶くんを引き寄せた。抱き締める間際、彼は泣き出しそうな顔で俯いていたから。

あんまり辛そうにしているからこっちまで胸が痛んでしまう。


好きな人が目の前でこんな表情を浮かべているんだ。俺にそうせずにはいられなかった。


「伶くんの事、全部教えて」

気付けばそんな事を口走ってしまっている。


「……」

彼は俺の言葉に返事をしてはくれない。


「伶麻、お願い」

抱き締めたまま懇願する。


「…尚はずるい。こんな時だけ名前で呼ばないでよ…」

背中に腕が回されたと思ったらそんな風に言われた。


「ならずっと名前で呼んでもいいの?」

頭を撫でながら尋ねると彼は小さく頷く。


この日から彼の呼び方は"伶くん"ではなく"伶麻"になった。



全てではないだろうが、少しずつ伶麻は過去の事を話す気になったらしい。

ゆっくりと話し始めてくれた。


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