世界が気遣いを覚えた結果、さらにうるさくなる
朝から嫌な予感はしていたが、今日は予感がやたら丁寧だった。
目が覚めた瞬間、天井がやけに高く感じる。実際には変わっていないはずなのに、空間そのものが俺を見下ろしている感覚がある。昨日までは神殿。今日は劇場だ。観客席まで用意されている気がする。
『――覚醒。新たな一日が始まる。』
『おはよー! ちゃんと寝られた? 寝顔、ちょっと疲れてたよ』
「実況で寝顔語るな」
声は相変わらず、容赦なく部屋中に響いている。いや、部屋だけじゃない。家全体だ。階下から物音がする。母親が起きている。
「……昼真?」
階段の下から、不安そうな声がした。
「何、今の声……テレビ?」
「違う! 俺の能力だ!」
『――家族、混乱。』
『びっくりするよね。でも安心して、お母さん。昼真くんは元気だよ』
「安心できるか!」
母親が階段の途中まで上がってきて、俺を見た。視線が俺じゃなく、俺の周囲を漂う光に向いている。昨日より明らかに派手だ。色が増えている。金だけじゃない。淡い青、柔らかい白、意味の分からない虹色。
「……あんた、光ってない?」
「光りたくて光ってるわけじゃない!」
『――否定。』
『うんうん、本人の意思じゃないんだよね。でもね、今日は昨日より安定してるよ』
「安定の基準が狂ってる!」
朝食の席につくと、さらに地獄だった。
箸を持つだけで演出が一段階上がる。湯気がやたら神々しく立ち上る。味噌汁が回転して見える。白米が輝いている。普通の朝食なのに、世界が全力で持ち上げに来る。
『――朝餉。重要な儀式。』
『ちゃんと食べるのえらいね。昨日は大変だったもんね』
「気遣いを覚えるな世界!」
母親は完全に言葉を失っていた。俺もだ。親に能力バレするのは想定していたが、こんな形じゃない。
家を出ると、通学路がざわついていた。人が多い。明らかに多い。カメラを構えている大人までいる。
「……なんで」
『――人々、集う。』
『昨日の光、遠くまで見えたみたいだよ。みんな気になっちゃうよね』
「気にならなくていい!」
俺が一歩踏み出すたびに、空気が反応する。風が吹き、光が揺れ、声が響く。しかも今日は、ナレーション同士が会話を始めている。
『――彼は戸惑っている。』
『そりゃそうだよ。注目されるの、苦手だもんね』
「俺の性格まで決めつけるな!」
学校に近づくにつれて、人の数が増えた。警備員まで出ている。校門前が完全にイベント会場だ。
「神代くん!」
鷹宮が走ってきた。生徒会長としての威厳は、もうほぼ残っていない。目の下の隈が限界を超えている。
「今日は……いや、今日もだが、対策を練った」
「聞きたくないけど聞く」
「制御はしない。刺激もしない。君はただ普通に過ごす」
『――決定。』
『うんうん、それが一番だよ』
「普通に過ごせてないんだよ現状が!」
教室に入ると、全員が一斉に拍手しそうな空気になった。誰も拍手はしていない。だが、期待と緊張が混ざった視線が突き刺さる。
澄斗が、小声で話しかけてきた。
「なあ、神代」
「何だ」
「昨日より声、優しくなってない?」
「やめろ」
『――友人、観察。』
『気づいちゃった? 今日はサポート重視なんだ』
「重視しなくていい!」
授業が始まったが、相変わらず成立しない。今日は実況に加えて、解説と応援が入る。
『――板書。』
『ここ、あとで復習しよっか』
『――集中。』
『今のところ、いい感じだね』
教室の空気が異様に和やかだ。和やかすぎる。世界が俺を通して、クラス全体を見守っている感じがする。最悪だ。
昼休みが近づくにつれて、演出がじわじわと強くなる。昨日学んだことがある。制御しようとすると爆発する。なら、何もしない。
俺は何も考えないようにした。
『――無為。』
『力抜けてるね。その調子だよ』
屋上に移動することになった。もう隔離が常態化している。
屋上に出た瞬間、空が反応した。雲が動く。光が集まる。だが、昨日ほどの爆発は起きない。抑え込んでいないからだ。
「……今日は、まだマシだな」
『――評価。』
『うん、昨日よりずっと穏やかだよ』
俺がベンチに座ると、空間が少し落ち着いた。聖歌隊は小さくハミングしているだけだ。オーケストラも控えめ。世界が気を使っている。余計なお世話だが。
だが、問題はそこじゃなかった。
俺が弁当箱を取り出した瞬間。
『――兆候。』
『あ、来るよ』
「来るな」
俺は止めようとしなかった。ただ蓋を開けた。
その瞬間、演出が跳ねた。
制御しなくても、期待されると跳ねるらしい。
光が広がる。音が厚みを増す。二人の声が、完全に掛け合いになる。
『――昼餉、開始。』
『今日のメニュー、気になるよね』
「実況とワイプ解説みたいなことするな!」
だが、昨日のような暴走はない。世界は盛り上がっているが、理性がある。理性を持つな世界。
俺が一口食べると、音が少し強まる。
二口目で、光が増す。
三口目で、歓声が混じる。
「……なあ」
俺は空に向かって言った。
「これ、俺が美味そうに食うほど、盛り上がる仕様か」
『――肯定。』
『だって、美味しいって気持ち、大事でしょ』
「応援の方向性が間違ってる!」
だが、悟った。
世界はもう止まらない。
抑えてもダメ。
無視してもダメ。
制御しようとすると爆発。
期待されると増幅。
残された選択肢は一つだけだった。
普通に、受け入れる。
俺は深呼吸して、弁当を食べ続けた。
『――受容。』
『そうそう、それでいいんだよ』
演出が、一定のレベルで安定した。
消えはしない。
だが、暴走もしない。
屋上の空に、柔らかい光が満ちる。音は荘厳だが、耳を壊すほどではない。二人の声は、俺の行動を見守るように流れている。
俺は理解した。
この能力は、制御するものじゃない。
抑圧するものでもない。
付き合うしかない。
世界が勝手に喋るなら、俺は俺で生きるだけだ。
『――結論。』
『昼真くん、ちゃんと前向いてるね』
前向きじゃない。
諦めてるだけだ。
だが、世界はそれを成長と呼ぶらしい。
今日も俺の昼飯は、世界規模で見守られている。
静かに食べたいという願いは、もうどこにもない。
代わりに、ひとつだけ確信した。
この世界は、俺を放っておかない。
しかも、やたら親切に。




