6.二度目の勇者、依頼を受ける
「んん!?なんかエールが高くねぇか?王都ですら、これよりも安かったぞ?」
厩舎に馬を預け、行商人たちをロバウトの衛兵に、王族とは名乗らずに引き渡した後で、ハルバーンは重い重い溜息をつく。なんとなく酒場に入る気がしない彼だが、それでも窓からチラリと見えたエールの値段には思わず反応してしまったようだ。
「魔王が倒されてから、大体の物の値段は下がっているんですがね。何か、事情があるのかもしれません」
閑散とまではいかないが、王都からも港からも近い街の一つであり、交易が盛んな場所でもあることを考えれば確かに活気がなかった。
ハルバーンとアルディールが覗いた酒場にも、あまり客は入っていない。街に広がる夕暮れは、ただその寂寥感だけを深く残して沈んでいく。
「……街に入る前から街道の通行人が少ないとは思っていましたが、やはり何か問題を抱えているようですね」
「そりゃ、エールの値段が上がればそうなるだろ!酒は人生の活力だぜ?」
「同じ酒好きとしては頷くしかありませんが」
アルディールは、ふっと軽く笑む。
「それに加えて、何か知りたいことがあれば、まずは酒場でしょう」
従者が珍しく少しばかり瞳を輝かせたのを、ハルバーンは見て見ないふりをした。
酒場には数人の客がいたが、皆知り合いなのか一か所に固まって、しずしずと何かを話している最中だった。彼らの疲れた様子は、くだらない一日を皆で笑って飛ばし合うより、痛みを分けあっているようにも見えて、それがハルバーンにとっては不思議だった。
客に和気藹々とした雰囲気はなく、精悍な顔立ちをした酒場の主人は無表情でコップを拭いている。入って来た客にも、愛想よくする気はないようだった。
そんな酒場にしては少し重たい空気を、ハルバーンの声が一閃した。
「おっさん、エール二つ!」
酒場の主人の厳めしい顔が軽く空気の読めない客に向けられる。それから主人は持っていたコップをしまうと、低い声で言った。
「あんたら、王都から来たのか?」
「おおっ、どうして分かったんだ?」
主人は取り出した木のジョッキにエールを注ぎ、一拍おいてから答えた。
「そっちの道からしか、外からの客なんてほとんど来ねぇからさ」
アルディールは眉根を下げる。彼は王都以外の街を訪れたことがあまりなかったが、酒場の主人の言葉に違和感を覚えるくらいの知識はあった。
「そっちの道からしか?近くの港町や東のリックスワル、北のダーバルンから来る人もいるでしょう?」
「ああ。だが、数か月前から北と東の街道に大量の魔物が現れるようになってな。旅人どころか、商人さえほとんど顔を見せなくなっちまった」
コトン、と二人の前にジョッキが置かれる。黄金の液体がたぷりと揺れ、そこから甘い果実の様な香りが広がると、二人の頭から会話の内容が抜け落ちかけてしまう。
それでも欲望に一直線の第四王子とは違い、従者はなんとか理性を保った。
「巨大な悪がいなくなっても、やはり上手くいかないこともありますか」
「そうだなぁ。この街はその典型だ。冒険者や傭兵なんかは、魔王の死んだ後の空白地帯に出払っちまったし、食い扶持を求めて出て行った奴らもいる。陸路が安全になって、海路があんまり使われなくなったってのもある」
主人はカウンターに手をつきながら続ける。見た目や纏う雰囲気から受ける印象とは違って、かなり話したがり屋のようだ。
アルディールは酒場の主人を慮るようにしずしずと頷いて見せた。
「おまけに商人たちの中には、ロバウトは危険だと触れて回る輩もいるらしい。おかげで比較的安全なはずの、王都からの街道さえあまり使われなくなっちまった」
「じゃあ、その魔物の集団をぶっ潰せば問題なくなるんだな?」
それまでジョッキを傾けるだけで会話に参加しなかったハルバーンが、豪快に口を拭いながら突如そんな事を言った。アルコールが入って上機嫌になった彼は、続けて拳を突き上げている。
「あ、すみません。この人ちょっと妄想癖があるんですよ」
「良いから俺に任せて、安心して飲みたまへよ、従者君!」
ぐいっと肩を掴まれたアルディールは、もう逃れられないことを悟った。口に入ったエールはコクがあって美味しかったが、その酒が真面目な衛兵から意識を奪うまで五分と掛からなかったのだ。
「おーい、アルディールくーん。あ、駄目だこりゃ」
酔いつぶれた従者の頭がカウンターに落ちていくのを支える。それからハルバーンは、胡散臭いものを見るように顔をしかめる酒場の主人に真剣に言った。
「でもよ、マスター。俺は結構本気だぜ?エールは人生の活力だ!楽しく飲めるのが一番だろ?こいつをみんなと安く飲むために、何とかしたいって気持ちはあるんだ」
「ふっ……気持ちだけでも受け取っておくよ。だがまぁ、行き過ぎた客の喧噪に怒鳴りつけるようなことなんて、もうないって分かっているさ」
店主はふと寂し気に、空いたテーブルを見つめ。
「酔っぱらって見ちまった、夢だったんだろうな……」
滲んだ笑みは、泡が消えるように弾けていく。
ただハルバーンの記憶の中でだけは、泡沫とならずに強く残った。
「……よぉし、今日は俺のおごりだ!この街が再び賑わうことを願って、みんなで乾杯しようじゃねーか!」
酒場にいる客たちは怪訝な表情を浮かべたが、ハルバーンが従者に預けていた財布から取り出した金貨が輝きを見せると、"おごり"が嘘ではないと信じる気になったようだ。
そして酒場はにわかにお祭り騒ぎとなった。
「最後の三樽分だったが」
店主は久々に酒場を満たす陽気な空気に触れて、ぽつりと続けた。
「……まぁ、悪くはない使い方だったのかもな」
ただし、頼れる従者が眠りこけていたため、最後の金貨が失われたことに気付いた者は誰もいなかったのだが――ロバウトに久しぶりに訪れた賑わいは、深い夜に笑い声を満たしていった。
明くる日の午後。
一夜にして路銀のほとんどを失ってしまったハルバーンと少し不機嫌なアルディールは、領主の元へと向かっていた。
領主の館は見た目こそ石造りで壮観だったが、よくよく目を凝らせば管理が隅々まで行き届いているとは言えなかった。
近くに建てられた大きな倉庫はしばらく使われていないのか、扉に蜘蛛の巣が張っている。館の窓はひび割れているものもあり、庭の清掃も行き届いていない。強めに風が吹き付けると、どこかが軋むような音も聞こえて来る。
ぱっと見た外観ばかりが立派なこの館が、ロバウトの実態を体現しているようだ。
ハルバーンが従者から手渡された勇者の証明書を衛兵に提示すると、少しして館から小太りの男が小走りに出て来た。彼はニコニコと人の良い笑顔を見せ、それから体型に似合わない素早い動きで一礼する。
「私、国王様からロバウトを預かっております、カライジ・レンリィと申します。第四王子殿下に――」
そこでレンリィはハッとしたように口を一度噤み。
「新たな勇者様に館にお越しいただけるなど、光栄の至りでございます」
「ふっ。魔物のような馬に襲われ、資金は酒場の民に施し……ここまでの道のり、とても辛いものだった。しばし、この館を借りるぞ」
「ははぁっ!」
早速の勇者気取りに、隣の従者は無表情を崩さなかったが、その足取りは気だるげだ。
もっとも、数歩歩けばハルバーンのキリリとした歩調と表情は元に戻っていたが。
「このような粗末な館をお見せすることになってしまい、情けない限りです」
館の中を案内し、応接室へ二人を通した領主は自らゴブレットに水を注ぎ、恥ずかし気にえくぼを作る。だが応接室にあるクッションの置かれた長椅子の座り心地は、領主が謙遜するほど悪くはない。
「そうか?この部屋なんて凄いと思うけどなぁ。良く分からないけど、高いものばかりだろ?」
「せめてお客人の前では領主らしく、と取り繕おうとした部屋でございます」
二つ分の容器に水を注ぎ終わった領主は、自らも椅子に座ると早速本題を切り出した。
「それで……本日、勇者として館にお越し下さった理由をお聞かせ頂けませんか?」
「ああ。魔物の大群が街道に出現するんで色々と大変らしいと聞いたんだけど、どんな感じなんだ?」
領主は手と手を組み合わせ、表情を曇らせる。
「お恥ずかしながら、後手に回っております。対魔王軍用の兵員や装備を削った隙を見事に突かれました」
「それって今から増やすことはできないの?」
ハルバーンの純粋な疑問と、レンリィは鉛のような息は対照的だった。窓から外を眺める領主の視線が少しの間だけ、鋭く光る。
「難しいですね。例え兵士を増やしても、魔物は数で負けるとみるやいなや、犠牲にも構わず退いて行くのです。そして、この件を解決できそうな名のある傭兵団や冒険者たちはいま、空白地帯に出向いているのです」
「……ですが、ここロバウトは王都からも近い王領内ですよね?王国に救援を求めていないのですか?」
衛兵でもあったアルディールがそう問うと、領主は更に困ったように肩を落とした。
「勿論、報告はしています。ですが王国軍も、他国の牽制や空白地帯での活動に忙しいようで……色よい返事は頂けていません」
領主は頭を抱えて、堪えるように続けた。
「……この街は、エリディウス殿が旅の最初に訪れた場所でした。街が襲われどうしようもない中を、彼が救って下さったのです」
だが平淡だった声が急に途切れると、合わさった手と手が震え始める。そしてようやく絞り出された声は、途切れ途切れだった。
「なのにその街が……荒廃していく様を、眺めることしか出来ていないのです。自分が無能と言うだけでは、エリディウス殿に、とても申し訳が立ちません」
そう言って最後に見せたやるせない表情は、彼が傾けたゴブレットによって隠れていく。これまでの穏やかな笑みは、諦観した人間が取り繕っていただけにすぎないのかもしれない。
ハルバーンは唇を噛み締めた。
彼にはやはり、勇者なんてものが何かは分からない。野盗や魔獣を相手にしてついた少しの自信も。路銀に困っているという現実的な問題も。"エリディウスが救ってくれた街"、だと聞いて小さく動いた心も。自分を勇者だと思うには足りなさすぎる。
そんな、ことではなく。彼はただ酒場で楽しく笑いあいたかった。昨夜酒場で見た店主や住人の暗い顔や、重たい街の空気が嫌だった。
記憶喪失で何も知らなかった自分でも、王都の酒場で知らない人々と馬鹿みたいに笑いあえたように。ロバウトの人々にもそうあって欲しかった。
どこまでも子供みたいな理由だ。しかし彼が勇者でなくとも、聞いた者にとっては一筋の光明となる時もある。
「なら、俺たちに任せてみてくれ。この街のために、そして美味いエールのために、俺たちなりに何とかして見せる。勿論、タダじゃないけどな!」
レンリィは大きく瞬いた。かつてこの街を救った勇者が、自信に溢れた調子で目の前の彼と同じようなことを言ったのだ。
彼から感じる意気込みや雰囲気は、エリディウスとは違う。それでも――レンリィは、今度こそ本当に感情から零れたような笑顔を見せた。
「……ええ、是非ともお願いします。当然私も協力は惜しみません。この街にどうかご助力を!」
それはあまり手立てがない中で、僅かな可能性に縋った手をたまたまハルバーンが掴んだだけなのだろう。
しかしそれこそが、ハルバーンが勇者となるために必要な最初の一歩なのかもしれない。
よろしければ、心のままに評価をお願い致します。




