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4.二度目の勇者、騙される

「あの声、粉の材料を取りに行っていたあいつのものだ!」


 行商人は悲痛な声でそう言い、薄汚れた衣服を地に付け頭を伏した。


「強そうなお二方、どうかお願いします!あたしに手を貸しちゃくれませんか?」

「いいぜ」


 あまりにもあっさり頷いたハルバーンに、アルディールも薄汚い男も唖然とした。善意なのか興味なのか、それとも他の何かか。そのあっからかんとした様子からは窺い知ることは出来ない。


「ハルバーンさん、もう少し考えましょうよ。これは何かの罠かもしれませんよ?タイミングがよすぎます」

「まぁ確かにぃ……怪しいよなぁ。これが何かの罠だったら、命を落とすことだってある。うん、滅茶苦茶危険だ」


 牧場で野盗を見つけた時にはさっさと逃げようとしたハルバーンが、うんうんと大仰に頷きながら従者に同意する。今の彼には、その時になかった小さな自信が芽生えていたのだ。


「でも野盗たちを倒した時に思ったんだよな。俺って凄ぇ強いかもしんねぇ、って」

「えぇ……」

「それに悲鳴が本当なら、今すぐ探しに行かないと間に合わないかもしれないだろ?ほら、いくぞ!」


 従者の背中を軽く叩いて発破をかける。疑念を抱えたアルディールも、王子にそう言われてはどうにも出来ない。溜息をついた彼は、革の鞘からロングソードをすらりと抜き放ち、その刃を行商人に見せつけた。


 行商人はその意味から顔を逸らすように、またしても深く頭を下げて礼を述べる。


「お二方、ありがとうございます!良ければこの粉を使ってください。本当に魔よけの効果がありますから!」


 小さな袋の紐をほどき、行商人はその中身を全部自分に振りかけると、似たような袋を二人に手渡した。


 二人の反応は対照的だ。能天気な第四王子は受け取って早速粉を使い、従者はそれをベルトに引っかける。ただ目的だけは同じだと告げるように、二人そろって叫び声の方へと、林の奥へと駆け出した。


 街道から少し離れただけで深緑が濃く、静けさが深くなる。微かに草木が擦れる音は動物のものか、一陣の風のものか。やたら激しい息遣いだけは行商人のものではあったが、ハルバーンの胸中も負けないくらいに騒がしかった。


 勇者の資格なんて必要ない。日常の中に唐突に訪れるこんな冒険こそが、自分が生きる場所なのだと失った記憶が訴えるようだ。


 王都で酒と女に溺れた日々とは違う。自らの意志で剣を握り前へ進む。それのみがこの刹那の高揚感をもたらしてくれる。


「あの高い木です!いつもあそこらへんで、材料を採取しているんです!」


 木々の隙間をぬうように行商人が顔を上げた。その先には、大地の栄養を一心に集めたような太く高い一本の木がある。だがその辺りから漂う気配は、大木の力強さが霞むほどに禍々しかった。


「本当にあそこに突っ込むんですか?ハルバーンさん?」

「……や、やっぱ止めとこうかな……」


 王国から第二の勇者に任命された男の意志は割と軟弱だった。心がどれだけ昂ろうと、死の予感の前には理性が囁くことがある。全身がさっと冷めて、足が動かないことがある。ハルバーンが迷ったまま鞘から解き放った勇者の剣は、頼りないただの鉄の塊でしかなかった。


「!……木の陰に隠れて下さい。少し先に魔獣がいます」


 衛兵としてそれなりに経験を積んで来たアルディールが声を抑えてそう言うと、ハルバーンと行商人は素直に指示に従った。木の陰から前方を覗き込んでみると、大木が聳え立つ開けたその場所に数匹の狼の様な魔獣がうろついている。初めてではなかったが、野放しの危険な存在を実際に目の当たりにしたハルバーンは、剣を握りしめていた手の力を少しだけ抜く。


 無駄な力みは命取りなのだと、体が知っているようだった。


「なんかあいつら、やたらと鼻をひくつかせてないか?あの辺りから旨そうな匂いでもすんのか?」

「叫んだ人があの辺りに居るのか……風下にいる魔獣に我々の匂いが届いたのかもしれません。用心を。にしても、ここから魔獣の鼻の動きなんてよく見えますね」

「自分の匂いを嗅がれている瞬間なんて、見たくもねぇがな。ばっちり香水を付けてくりゃよかった」

「正直、逃げるべきだと思います。相手は複数で、私たちには遠距離から敵を倒す手段がありません。こちらの存在に気付かれているのなら不意もつけません」

「そうかもな……」


 近くに叫んだ人間の気配はない。魔獣たちも、開けたその場所をうろうろとしているだけで獲物を追いかけているような様子がない。ハルバーンが撤退と言う意外にも冷静な判断を下そうとしたその時、選ばれたものには運命の方から襲い来るのだと言うような殺気が彼を襲った。


 走った悪寒が、反射的にハルバーンに剣を振るわせる。剣が空を裂いた音より僅かに早く、他の魔獣たちよりも一回り大きなそいつは身を翻し、地へとその身を降ろした。


 銀色の毛皮を靡かせるその魔獣は、そうして一つ大きく吠える。


「っ!他の奴らよりデケェ……群れのリーダーか!?」

「やられた!魔術で気配を殺していたのか!?くそっ……手下の魔獣も来た!」

「ま、魔術なんて魔獣が使えるのかよ!?」

「そのレベルの魔獣ってことです!とにかく、活路を!」


 アルディールは周囲を一瞥し、舌打ちした。いつの間にか行商人の姿が無くなっている。


 何か裏があるのか――地面に投げ捨てられた空っぽの聖水だけが、ころころと転がっていく。


「活路っても、俺には自分を守るために剣を振り回すことしか出来ないんだけど!?」

「振り回すって……」


 二人目の勇者と認定された男の、自分を必死に守るためだけの太刀筋は確かに素人同然だった。構えも隙だらけで、型もない。ただ鉄の塊をやたらめったら振り回しているだけだ。


 技術も何もないただの力押し。なのに魔獣は悲鳴を上げながら、理不尽にも切り伏せられていく。勇者が腕力だけで振るう一太刀は、素早く、鋭く。魔獣たちの動きを予測しているわけでもないのに反応だけで、血飛沫を飛び散らせていく。


「……殿下は、それでいいのかもしれません」

「お、マジで!?やっぱ剣の才能があんのかなぁ?」


 軽口を叩いたハルバーンだが、その両目は魔獣たちのリーダーから一時も離れない。


「私が自信を無くすくらいには」


 ハルバーンばかりを狙う狼のような魔獣たちの行動に疑問を持ちながら、アルディールには苦笑いを浮かべる余裕があった。


 すでにリーダーらしき魔獣を除いて残りは三体。熟練の冒険者や傭兵でもここまで短時間で数を減らすことは出来やしない。それはハルバーン自身の破壊的な攻撃力も理由だが、何と言っても魔獣たちが無謀にも彼だけに襲い掛かるからだ。


 魔獣はそれなりに賢い。ここまで一方的に力量差を見せつけられれば、逃走を図るはずなのだ。


「殿下、やはりこれは罠だったのかもしれません」

「流石の俺でもそれは何となく、分かるぜ!」


 斬るのではなく叩くように剣を振るって魔獣の頭を潰し、一体。その隙をついて側面から飛び掛かった魔獣の横腹をアルディールが突き刺してまた一体。獲物は自分たちであると剣で示され続けても、魔獣のリーダーの殺気に衰えはない。


 二人から同時に一撃を喰らって、ついにリーダーを残して魔獣が全滅する。リーダーが彼ただ一匹となるまでハルバーンへと襲い掛からなかったのは、本能が何かに必死に抗っていたからかもしれない。


 けれどすでに自身の命以外の何もかもを失い。そして最後に残ったそれさえもついに捧げるように、魔獣のリーダーが咆哮して地を蹴った。


「何でここまで俺を狙うのか知らねーけど、ならそんな悲壮な顔をするなよ。殺してやるから、最期に全力で来いよ!」


 その言葉に応えるように一つ高く魔獣が声を上げると、その周囲に四つ、小さな茶色の魔法陣が浮かび上がった。その中心で鋭利な土の杭が形成されると、再びの声と共に土の杭と魔獣が一斉にハルバーンに飛来した。


「そこまでやれとは言ってねぇよ!?」


 記憶喪失になってから初めて攻撃魔術を目の当たりしたハルバーンは驚きながらそう言ったが、すでに剣は振り上げられている。


 それは初めて構えの様なものをハルバーンが意識した瞬間だった。


「勇者様。全部その剣で吹き飛ばせばいいんですよ」


 従者のその言葉に突き動かされたように全力で勇者の剣を振り下ろす。その腕力から生まれた圧倒的な風圧が、土の杭と魔獣のリーダーを吹き飛ばし、木の幹に打ち付けられた魔獣は血を吐いて地面に倒れ込んだ。


「……比喩ではなく、本当に吹き飛ばすとは思いませんでしたよ」

「俺も出来るとは思わなかった。なんていうか、自分でも信じられないくらい俺って強いんだな」

「事実なのが質が悪いですよ。第四王子殿下が才知と人徳に優れていらっしゃることは私も聞いておりました。記憶喪失で失ったものもあれば、得るものもあると言うことですね」

「へへ、まぁな。……いや、どういう意味だそれ?」


 大木が立つ開けた場所で地面を見つめて歩き回る従者の背中に、ハルバーンは文句を言った。従者が地面に何を求めているのか主人には分からない。だから彼は最後になるまで立ち向かわず、けれど結局逃げずに襲い掛かってきた魔獣のリーダーへと近づき、その冷たい瞼をそっと手で閉じた。


「殿下!やはりありました」

「は?何がだ?」


 王族を手招きする従者の無礼さにもうある程度慣れてしまった第四王子は、素直にアルディールの元へと向かい、彼が見つめる先を眺めた。地面には土とは違った緑色の粒が光っていて、二人はそれに見覚えがあった。


「これは、あの粉か?」

「ええ。逃げた行商人が売りつけようとしていたあの粉でしょう」

「え?何でこんなところに?かき集めたら、また使えるかなぁ?」


 突拍子もないことを言う主人を、アルディールは半ば呆れながら見る。それから彼はベルトに引っ掛けていた袋の紐を解き、中身の粉を半分ほど地面に振り撒く。


「ここから離れて、様子を見ますよ」

「あ?おう……?」


 開けた場所から見えないように木の陰に身を隠す。間もなく少量振り撒いた粉の元に、魔獣が鼻をひくつかせてながら寄って来た。


「やはりこの粉は、魔獣を寄せるもののようです。魔獣が叫び声の近くに都合よくいたのも、殿下一人が狙われたのも、それが原因でしょう。少量でさえ、凄い効果です」

「うへぇ……ん?いやいや、でもあの行商人は自分にも掛けてたぞ?」

「信頼させるために、私たちの目の前で偽物を使ったんでしょうね。タイミングよく叫び声が上がったのは、また別の仕掛けなのでしょうが……」


 王子の呆れた表情は、そこまですんのかよと語っていた。だが従者の次の言葉を聞いて、しっかりと頷くのだった。


「犯人はおそらく私たちの死体を確認しに戻ってきます。私たちも、準備をしましょう」

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