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3.二度目の勇者、旅立つ

「ハーイ、ハルバーンデンカ。ドウコウシャノ、アルディール、トイイマス」


 それは明らかに無理のある男の裏声だった。王子の話を聞いていた彼が精一杯努力した結果だった。


 王子はすぅと息を吸い込んで、それを青空へと放つ。それから声の方に振り向くことなく頭を振った。


「駄目だなぁ。ここで振り向いたら、そこに居るのはきっと良い歳した大人の男だろ?違うじゃん。もっとこう、夢を見たいわけよ。見せてくれよ、俺に」

「アタシ、オトコジャナイヨ。ホントヨ」

「本当に?美人でグラマラスで腕の立つお姉さん?」

「ホントヨ。ビ、ゲホッゲホッ!!ウエッ……ビジんな」


 ハルバーンはふっと笑んだ。仰ぎ見た朝焼けは未だ美しい。いっそのこと、幻だと思いたいくらいには。


「ああ、あんたの努力は十分伝わってきたヨ。はぁ……無理させたな」


 もう流石に美人でグラマラスで腕の立つお姉さんを諦めたハルバーンが振り向くと、そこには謹慎していた塔で一緒に酒を飲んで馬鹿騒ぎした衛兵が気まずそうに直立していた。


「申し訳ありません、ハルバーン殿下。一昨日の夜の事、自ら話して……こうなりました」

「ま、気楽な男の二人旅ってのも悪くないよな」

「旅が目的ではありませんよ、殿下。目的勇者のなんたるかを知ることですからね?」


 家令からの再確認をへいへいと呟きながらやり過ごした第四王子は、聳え立つ王城を一度見上げた。


 目が覚めて、自分が第四王子であると教えられてからおおよそ半年。その間、ハルバーンはあまりこの王城にはいなかった。街で享楽に耽り、街路や宿で夜を明かす。だから正直、思い入れなんてものは全くない。


 ただそれが、荘厳と聳え立つ王の権威の象徴なのだと、ふと感じたのだ。


 ――旅へと出る前に、最後に王城を仰いだ視線は長くは続かなかった。


 王城のように鎮座するよりも、動く方が多分自分の性に合っている。これまではこの高い場所でぐうたら胡坐を書いているだけだったが、この旅で自分とは何なのかを知ることが出来るかもしれない。


 何者かに、成れるのかもしれない。


 そう感じたハルバーンは鞍を軽く叩き、いよいよ旅立つために馬に向かって飛び上がった。


「あっ!ちょっ!」


 だが馬は飛び上がった彼をひらりと躱すと、荷物を載せたまま街路へとぱからぱからと駆け出していく。


「……殿下の馬に相応しいですね」


 途中で脚を止め、こちらを見ながら嘶く漆黒の馬を見つめながら、アルディールはそう皮肉を言った。


「この駄馬めが!私はベルグ・オリエット・クルザ・ハルバーン、王族であるぞ!」


 そう言いながらとんでもない勢いで走って馬へと突進し始めた王族の後ろを、アルディールは頭を抱えつつ、握った手綱に力を入れて追いかけ始める。


 そして彼らの足音は、城下の喧噪の中へと薄らいでいった。



 野宿や乾いた物ばかりの食事に対して、ハルバーンは不思議な懐かしさを覚えていた。興味深そうに野営道具の使い方を聞いた後は、自らそれを設置する。酒がないと聞かされ口を尖らせたことや、うんともすんとも言わない勇者の剣の柄を鍋を引っかける棒代わりにしたことは褒められないが、初めての野宿はとても平和に過ぎていた。


「ふぁぁわぁ……。ふかふかのベッドよりも、固い土の上の方が性にあってんのかもな」


 明くる日、昨日と同じく馬に乗せて貰えずに街道を走るハルバーンが欠伸混じりにそう言った。


「殿下は夜のお店から追い出された後で、道端で眠りこけていたと聞いたことがあります」

「地面の方から誘ってきたんだ!」

「人間以外にはモテモテですね」


 漆黒の馬を見ながらアルディールが皮肉を言うと、ハルバーンは言ってろとばかりに肩を竦めた。


 道中は順調そのものだった。走って馬並みの速度を出せている男にすれ違う旅人や行商人は目を丸くするが、好奇の目はハルバーンにとって珍しいものではない。勇者の足跡を辿る旅とは言うものの、魔王が倒された世界には明らかな危険の影もなかった。


 今日中にロバウトに着きそうだな。太陽の位置を確認したアルディールがそう考えた矢先、それなりに先行していたハルバーンが何やら急に足を止めていることに気が付いた。


 アルディールがどうしたのかと向かうと、主人はぼろを纏った薄汚れた男と何やら話しているようだった。


「なにをやっているんですか?ハルバーン殿下」


 殿下という言葉を聞いた薄汚れた男はぎょっとし、それから揉み手を止めて二人の装備品や馬を値踏みするように見つめた。魔術への防御力もありそうな立派な皮鎧や綺麗な刺繍の入ったバック。体つきは健康そのもので、特にハルバーンと呼ばれた男は圧倒的な体格をしている。


 只者ではなさそうだ。いや、それ以上の何かをこの偉丈夫から感じる。


 男はこのチャンスに飛びつこうとしていた。


「殿下?おい、また貴族ごっこか?いくらそんなことをしても、俺たちは身分の高いものにはなれねぇさ」


 ハルバーンはそう言いながら、馬から降りた自らの従者に片目だけをつぶって見せた。この男の前では王族・貴族だと分かる言い方で呼ぶな、とその仕草は語っている。


「驚かせてすまねぇなぁ。さっきの話を聞かせてくれ」

「へ、へい。いや、でも確かに……いい装備と馬ですなぁ、旦那」

「だろ?あ、あの漆黒の馬ならお安くするぜ?」


 行商人は馬を見たが、その小さな瞳があまりにも威圧的だったのでさっと顔を逸らす。それから外套のポケットに手を入れまさぐるように手を動かしたが、何かが取り出されるようなことはなかった。


「けど、物を売りたいのはこっちなんですわぁ。旦那を呼び止めたのも、いい品があるからでしてね」


 地面に置いていたボロボロの鞄から一つの巾着袋を取り出した行商人は、それを軽く揺すりながら続ける。


「魔王が死んでから魔族はどこかに雲隠れしていますが、魔物はまだまだ元気です。街道を歩いているからって安心しちゃいけません。でも魔除けの聖水はそれなりに良い値段がしますから、旅人や冒険者の皆さんの懐は大変だ」


 行商人は、ひひひ、と笑って続けた。


「でもこの粉があれば安心だ。安くて、良く効く。おまけに長持ち!聖水なんて、この粉と比べたら体を洗う水みたいなもんですよ」

「魔よけの粉ってことか?面白れぇ、そんなのもあるのか!」

「……ハルバーンさん」


 怪しい。アルディールは短い言葉でそう伝えたが、当のハルバーンは面白そうなものを見る目をしていた。


 もっともその眼の輝きは男や品物ではなく、もっとその先の、ある予感に向けたものなのかもしれない。


「いいですか。路銀に余裕があるわけではないんですよ。あなたが必要なのは怪しい粉?それともビールやソーセージ?」

「むっ……!いや、でも、面白そうなことが起こりそうだし……」

「お金が無為に減るのは、何も面白くないですよ」


「うわぁあああぁぁあああああ!!」


 ハルバーンとアルディールの会話は、突如街道を外れた林の奥から劈くような叫び声が響き渡ってきたことで途切れた。


「っ!!あの声!?あいつに何が……!?」


 行商人はそう肩を震わせると、続いて祈るように手を組み合わせ、二人へと目を向けた。

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