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28.二度目の勇者、再び対峙する

「身分が高かろうと低かろうと。力があろうと無かろうと。絶望に沈む者には、確かな救いが必要なんだ!」


 風の魔術によって馬鹿げた推進力を得た一隻の船が、魔物に制圧された港町にたどり着いた。


 A級冒険者パーティーと物資だけを載せて来るはずの船上には、他の者たちの姿がある。


 中でも一番目立つのは、船首で大声を上げた男だった。


 そんな男の背中に、A級冒険者パーティーのリーダーが声をかけた。


「予定より遥かに短い船旅になりましたけど、正直聞いていた話とはまるで違っていて、始終おっかなびっくりしてましたよ……エリディウスさん」


 エリディウスと呼ばれ振り向いた男は、爽やかに笑いながら返した。


「よく言われるよ。だが、魔王との戦いを経て、僕は反省したんだ。力があるだけでは正義ではなく、心だけでは悪を討ち果たし得ないと」


 エリディウスはそう言いながら、握っていた古びたお守りをさすりと撫でた。ハルバーンが家令から手渡された物と、全く同じ形をしたお守りを。


「だからこそ、善なる行いこそが僕の贖罪となる。さぁ。いくぞ、みんな!」


 そう言い終えるとエリディウスは、勇者の証である証文を高々と掲げ上げた。すると、証明書に刻まれている紋章が大きく空に浮かびあがり、辺りを光で満たしていく。


 エリディウスは間髪いれずに、とうっ、と飛び出した。揺れる水面に薄い影が一瞬映ると、次の瞬間には鋭い一閃が港で待ち構えていた魔物を薙ぎ払った。


 そのまま勇者は逃げ惑う魔物たちを追っていくかに見えたが、何故か片足立ちになってその場で飛び跳ねる。


「あいたぁっ!……や、やってしまった。着地したときに、足、捻っちゃった!」

「……まったく、勇者様は本当にドジですねぇ。わざとかと何度も疑いましたが、今ではそんな気も置きませんよぉ」


 おっとりした声が、片足で飛び跳ねる勇者の隣で響き渡った。白を基調とした聖職者服を揺らす少女は、やれやれと頭を振りながら、その手で勇者を掴んだ。


 白い光がエリディウスを包むと、たちまち痛みが消え失せる。


「す、すまない。シュロミットには、いや君たちには支えてもらってばっかりだ。今回の急な行動にも、付き合わせてしまったしね」


 エリディウスは船上にいる仲間たちに頭を下げると、温かな失笑が溢れ出す。


 笑い声は敵だらけの港町に暢気に満ちていったが、彼らは北部の最激戦地域で魔族と戦っている精鋭たちだ。


 彼らの歩みを阻むことが出来るものは、ここには何一つとしてない。


 敵も、そして味方さえも――エリディウスという光に飲み込まれていく。


 しかしそれは、闇を鋭く切り裂く強い光ではない。誰もがその背中の後ろを追いかけたくなるような、温かで少しだけ儚い光だった。


「やっぱ、勇者って勝ち馬に乗るのは最高だな!エリディウスさん、このままロバウトも助けに行きましょう!」


 A級冒険者パーティーが、最後の魔物を両断したエリディウスにそう声をかける。


 たが勇者は、心底申し訳なさそうに顔をしょんぼりとさせながら言った。


「申し訳ない。僕たちはすぐにでも、北部に引き返さないといけない。あそこにも、僕たちを待つ人々がいるんだ」

「いっ!?マジっすか……」


 流石にA級冒険者パーティーのリーダーは肌で感じ取っていた。港町はともかく、そこからロバウトへ続く道の先には、比べ物にならないほどの強敵がいるのだと。


 しかしエリディウスは、隣に立つ少女シュロミットを掌で指して言った。


「大丈夫だ。シンリーゼ聖教国の聖女候補の一人たるシュロミットが、君たちの手助けをしてくれる」


 シュロミットはぴくりと眉を顰め、指でお金のマークを作って見せた。


 エリディウスも苦笑しながら同じ仕草を返すと、彼女の不満げな表情はすぐに霧散し、柔らかく綻んだ。


「それに、この先で強敵と戦っている者たちが居る。その中にはきっと、あの人も……」

「あの人?」


 エリディウスが答える前に、林から二人の人影が現れた。


 靄に阻まれアラーディカとセリカを見失った元密偵と女戦士は、状況を打開できる存在と会うことを優先したのだ。


 彼らから情報を貰ったエリディウスだが、その意志が変わることはなかった。


 ただ今一度明滅を繰り返すお守りを見つめ――そして何かを振り切るように踵を返し、船へと乗り込む。


「シュロミット。申し訳ないけれど、ここは頼んだよ」


 聖女候補は、数ヶ月共に最前線で戦い抜いた勇者を見つめた。


 その視線は、自分を見ているようで見ていない。言葉さえも、もっと先の、別の何かにかけているようだった。


「寄付を頂けるのですから、神の代理としてその信仰に報いましょう。ですが……ううん、ちょびっとだけ、癪ですねぇ」

「うっ。そう言われても、もう手持ちがない……」

「そこまでがめついと思われているのは、もっと癪ですよぉ。私が欲しいのは信徒と信徒候補からの賞賛であって、お金はそれを生み出すための資源の一つに過ぎません」

「結局、がめついのでは……?」


 口を挟んだA級冒険者パーティーのリーダーは、ぐるんと勢いよく向けられた聖女候補の表情を見て真っ青になり、一歩後ずさった。


 聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべる美しい容姿が、すぐに他のA級冒険者パーティーのメンバーを虜にする。だがリーダーだけが認めた何かは、彼を呆然とさせ続けていた。


 シュロミットは一度咳ばらいをし、それから続ける。


「とにかく、請け負いました。勇者様のために、人々のために、何より私自身のために善行を成すとしましょう。ほら、行きますよ、A級冒険者パーティーの皆さん?」


 一度だけ振り返って来たシュロミットに、エリディウスは手を振って返す。


 鋭さを増した瞳はすでに、北部へと向けられている。


 魔法によってもたらされた風が吹き荒れた。加速する船の先頭に立つ勇者は、もう一度も港町を振り返らなかった。





「戦士よ……これ以上、剣を交わす意味はない。勝利にも敗北にも等しく学びはあるが、生があってのものだ。死へと向かう者の背中に剣を向けても、その切っ先からは何も得られんぞ」


 港町を見つめるイルラールは、僅かに立ち止まってそう言った。


 勇者の剣の切っ先は、金属の静かな光沢だけを放っている。溢れ出ていた闇はなく、光すらもない。

 ただ武器として、ハルバーンはそれを老将の背中に向け続けていた。


「何だ、それ……ロバウトを襲って来ておいて、偉そうなことを言ってんじゃねぇよ!!」

「我々と人族は不俱戴天の関係だ。北部では、我々の生き残りが人族によって追い詰められている。だが……そうだな。自らの死出のために、槍をふるっていることは認めよう」


 イルラールは止まらない。骸のように重い肉体を、前へと進め続ける。


「そしてエリディウス(死神)が来た。ならばもう、お前と戦う理由が私にはない。お前には、あるのか?」

「っ――!」


 一瞬、僅かにハルバーンは立ち止まった。


 目の前の上級魔族によって穴を開けられたはずの腹には、傷一つない。何が起こったのか彼には分からなかったが、軽く触れたそこから伝わるのは、確かな憎悪だった。


 ――死ぬのならせめて、弱者だとちゃんと理解して死ね。


 そんな残酷な嘲笑が聞こえて来た気がした。


「……確かにな。あんたが勝手に死にに行くってんなら、俺に戦う理由はないのかもな」


 そうだ、戦う理由はない。あいつの自殺に、自分の命を賭す必要がどこにある?


 勝てないと思っていても突っ込むなんて、馬鹿げている。一度退いて、勝つための方法を検討した方がいい。


 アルディールなら、そう言うだろう。


 だったらセリカたちの助力に向かった方が、良いに決まっている。そうするべきだ。


 ……そうする、べきだ――!?


「はぁっ……?ふざけんなよ……!!」


 一段と低い声がハルバーン自身の腹の底から吐き出され、己の中に反響する。


 この年老いた魔族が言葉通りエリディウスの元に向かう保証はない。


 こいつに殺された決死隊(なかま)の死に報いなければいけない。


 ――違う。


 街を、そこに住む人たちを守ると約束したんだ。


 彼らの前で、胸を張って酒を共に分かち合いたい。


 ――違う。


 ここで逃げれば、あの放蕩ばかりしていた自分に戻ってしまうかもしれない。


 何も分からないまま、何も出来ないまま空虚に毎日を過ごしたくない。


 ――違う。


 一つの確固とした決意じゃない。


 全部だ。


 これまでの全部が、今の自分だ。


 いや、それだけじゃない。


「自分に恥じた生き方で、勇者を名乗れるか!いや」


 すでに、ハルバーンの足は進み始めていた。言葉よりも早く。己の本心を言葉に出すよりも早く。


「勇者なんてクソどうでもいい!ここで逃げたら俺が、俺でいられねぇんだよ!!」


 ハルバーンは剣を構えて走り出した。


「あんただって……そうなんだろ!だから、エリディウス(死)を求めて彷徨ってんだろ!」

「……そうだな」


 イルラールは立ち止まった。


 老将は港町の方角を今一度見据える。エリディウスの紋章が打ち上がったそこからは、あるはずの気配が漂ってこない。


 戦場をただの殺戮の場へと変えた、あの忘れることが出来ない気配が。


 浅ましくも逃げ帰ったその日から、求め続けていた最期が。


 今一度仰ぎ見た空にはもう、紋章の残光はどこにもなかった。


「……戦士よ。今一度問おう。名は、何という?」

「ハルバーンだ。あんたは?」


 元八将にして上級魔族イルラールは振り返った。


 影の鎧で覆われていない剥きだしの体には、数多の戦傷がある。老いは肉体から全盛期の精強さを奪っていたが、見ただけで分かるほど鍛え抜かれていた。


 老将は僅かな影から生涯握り続けて来た槍を作り出し、ゆったりと構えた。


「ハルバーン、か。私はイルラール」


 イルラールは掌を開くと、その上に小さな影を作りだした。


 一閃、跳ねた影がハルバーンの頬を掠める。


 生じたかすり傷から、たらりと血が零れ落ちた。


「すぐには塞がらないようだな。どうやってあれ程の傷を治したのかは知れんが、次はそうはいかん。お前が倒れ次第、まず首を刎ねる」


 実演するようにふるわれた槍は、地を深く抉り取った。


「それにハルバーン。今のお前からは、私を圧倒したあの力が感じられない。だが再び剣を交えれば、戦士に戻ると期待しても良いのか?」

「あれはもう使わない。いや、使えない」

「ほう?」


 それでもなお、剣を構えるのか。


 老将の顰めた白い眉が威圧的にそう問い正す。


「それに何度も戦士戦士って、ちょっと煩いんだよ。お眼鏡に叶った戦士しか、相手にしたくないってのか?」

「いや。覚悟あるものならば、等しく尊ぶべき敵だ」


 交わる視線が、互いの呼吸のために少し外れた。


 イルラールは取り戻した影で身を覆った。しかしそれは今までのように鎧を成さず、肉体に纏わりついて行く。


 歳月を取り戻すように――影を纏って黒く肥大した体から、数倍の威圧感が解き放たれた。


 ハルバーンは――ハルバーンはひたすら考えていた。


 これまでのイルラールとの会話を、この老将がどのような経験をし、何を望んでいるのかを。


「行くぞ、ハルバーンよ!」

「ああ、イルラール!」


 二人の死線が、再度交わった。

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