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25.二度目の勇者、エリディウスと対峙する

 気が付くと、目の前には無数の財宝があった。


 金色の光が目に痛々しいほどに光り、見目麗しい宝玉や強力な武具がその中に埋ずもれている。


 並の者では、一掬い分すらも生涯手にすることが出来ない煌めきの中央には、これもまた見事な意匠のあつらえられた柱があり、ハルバーンは呆然とそれを見上げていた。


 ふと、空気が震えた。


「随分と呆けた間抜け面だな」


 ここが何処なのか。どういった状況なのか、ハルバーンは全く分からない。


 ついさっきまで魔族の老将と戦っていたはずだが、この財宝以外には何もない真っ白な場には、戦いの痕跡もない。


 ただ、再び発せられた声は苛立たし気だった。


「馬鹿め。貴様の、遥か頭上だ」

「はぁ……?なんだってんだ?」


 偉そうで高慢な物言いの前に、ハルバーンは本能的な不快感を覚えた。


 この世で最も相容れないものがあるとしたら、それはコボルトやイルラールといった剣を交えた相手ではない。


 この声の持ち主だと思った。


 けれど他にやることもなく、仕方なくハルバーンは上を向いた。目を凝らすと、その柱の先に何かが座っているのが見える。


「何やってんだ?」

「愚図を見下ろしてやっているんだが?」


 柱だと思っていたそれが、恐ろしく高い椅子だと気が付いたハルバーンが肩を竦める。


 そこに座っている相手の顔は見えなかったが、声と同じく不快なものであろうという確信めいた予感があった。


 その予感通りに、声は言い放った。


「記憶を失ったとしても、俺は俺だ。あんな雑魚魔族を相手に敗北を喫したのだから、そろそろ、その戯れにも飽きて来ただろう?」

「よく分からんが……あんたは記憶を失う前の俺ってことか?そんな高い所からじゃないと、自分とも話せないなんてな」

「話し合い?いいや、これは宣告だ。貴様は間抜けにも腹を貫かれ、死の淵に瀕している。死にたくなければ、さっさと俺を受け入れて、俺になれ」


 ――死の淵。


 思考と心が抑えきれない衝動の前に黒塗りにされ、求めるままに戦った。


 それからロバウトの方から大きな爆発音が聞こえ、一気にその衝動が冷めたところで。


 腹部を老将の槍で刺し貫かれ地面に倒れ込み、じわりと流れ出る血と傷口の熱い感触の中で微睡んだ。


 その時のことを思い出したハルバーンの四肢に、力が籠る。


「記憶を失う前の俺になったら、あの死に掛けの状態でもなんとかなるのか?」


 その問いかけに、頭上の声は鼻を鳴らして返した。


「当然だろう。肉体が魔力を使って、傷口や臓器の損傷をすぐに回復させる。自ら魔術や奇蹟を行使すれば、数秒で万全な状態に元通りだ。超越者ってのは、死すらも勝手に遠ざかるんだ」

「じゃあ、頼むから治してくれ。俺はまだ、あの魔族の足止めをしないといけないんだ」

「容易いな。俺になれば足止めどころか奴を、いやお前が救おうと思っている街を一人で助けることが出来る」


 欲しいものを欲しいと隠せない子供のように、声が分かりやすく上ずった。


 金銀財宝に優れた武具。高い身分に強大な力。声の主はその全てを持っていた。


 なのに冷笑的な相手が僅かに言葉に含ませたどうしようもない渇望を、ハルバーンは感じていた。


 だからこそ、首を横に振る。


「いや、出来ない。あんたになったら、俺はわざわざロバウトを助けに行こうなんて思わない。あの黒い衝動の中にあったのは、力を振るうことへの優越感だった。自分以外どうでもいいっていう、利己心だった」


 ハルバーンの否定に、頭上の輪郭が微かに揺れた。


 それは怒りを発露する前の、小さな呼吸音だった。


「はっ。聞き飽きた言葉だ。弱者は勝手に夢想した勇者と言う称号をそのまま信じ込む。そういった奴らが俺を目の当たりにした時に、吐き出す恨み言と似たようなことを言いやがって!」


 怒り。


 優越感よりも、利己心よりも、彼の根底で強く燃えていたのはその感情だった。


 自分以外の、あらゆるものに対する怒り。いや、記憶を無くした新しい自分に対しても。


「何が悪い?優れた者が、讃えられるのは当然のことだ。なのに、はっ!勇者、魔王、S級冒険者、聖女に天才。弱者はそう言った称号をわざわざ強者に与え、自分勝手な想像を押し付ける!」


 高き高き椅子が震える。


 ただの感情の発露にさえ、ハルバーンは圧倒されていた。


「勝手に持ち上げ、勝手に讃え、勝手に落胆する。己の想像の中で、理解するための枷をかけるように!どちらが傲慢だ!」


 同じ自分だとしても、彼とハルバーンの間にはこの天を貫きそうな椅子以上の差があった。


「そしてここが俺の檻だ!人間共も魔王も、上手くやりやがった。自分自身に枷をさせるとはな!確かに勇者が不要になった世界にとって、エリディウスは邪魔なだけのものだろう!」


 言動の節々から予感はあったが、決定的な一言によってハルバーンは理解してしまった。


 自分がかつて、エリディウスであったことを。


 これは過去の自分の怒りの遺言。魔王を殺した勇者の、傲慢な嘆きなのだと。


「……そうだ。悪いがあんたは、大人しくしててくれ」

「あ?」


 エリディウスは自分に蓋をする、死に掛けの新しい勇者を見下ろした。


 空気が自ら沈み込みような重圧に、白い世界が震える。ハルバーンも思わず肩膝をつき、けれど彼を真っすぐ見上げた。


「老いぼれた上位魔族ごときに後れを取った奴が、何を偉そうに宣うんだ?俺の力の端くれを借りて、やっと追い詰めただけの無能が?記憶を無くして、何も知らずに一人で立てやしない赤子が、息巻くんじゃねぇぞ!?」

「ああ。俺には力がないし、何も知らない。痛いほど聞いたり、知ったことだ。過去の自分にすら言われるなんてな」


 両目を閉じて息を吐く。しかし瞼を上げて見えた双眸には、強い覚悟があった。


「あんたのように勇者の称号を当然のように受け入れて、好き勝手することさえも出来やしない」


 そう言うとハルバーンは、全身に力を入れて立ち上がった。分厚い鋼鉄の壁のようなプレッシャーの中を突き進み、黄金の山を蹴散らすように掻き分けて、椅子の根元に到る。


 それから固く握った拳を振り上げると、それを椅子に打ち下ろした。


 鈍い衝撃。椅子は小さく揺れたが、倒れる様子は微塵もない。


「……何をしている?」

「俺とあんたは違い過ぎる」


 もう一発。椅子に打撃をぶち込んだが、拳の痛みがただ増すだけだ。


「魔王を滅ぼした勇者と、街一つ犠牲もなしに救えない力のない人間だ」


 己の無力さを確かめるように再び、もう一発。


「溢れかえるほどの金を手にしてきた英雄と、明日の路銀にすら困っている考えなしだ」


 ハルバーンは、自分が立っていた場所を振り返る。黄金の光に囲まれたこの場所と違い、そこには誰もが欲するような価値のある輝きはない。


 廃れた酒場の主人の寂し気な笑い顔や、アルディールのいつもの諫めるような表情。領主の悲嘆に暮れる言葉や決死隊の最期の絶望の顔、セリカの怒りと小さな笑顔。


 そういった他の人間の残響が、微かに木霊しているだけだ。


 王から渡された路銀も、ロバウトの酒場の客にエールを奢るために使ってしまった。金貨一枚すらありはしない。


「でもな、エリディウス」


 少し不思議そうに、ハルバーンは言った。


「何でここには誰も居ないんだ?何でこんなに価値のあるもんばっかりで、自分を囲っているんだ?」


 何度も何度も椅子を殴りつけ、べったりと血が付着する。その頂点に座る勇者は嗤って答えた。


「持たぬ奴ほど金を馬鹿にするが、そんな奴らの目の前に大金をぶら下げて見ろ。光に集まる虫よりも、浅ましい光景が見られるぞ。そして真に金を求めない輩は大抵、その代わりに己の思想や我を他者に押し付けようとする」


 そうしてさらに続ける。


「それに、誰もいないだと?馬鹿馬鹿しい。善意?期待?希望?他人の喜ぶ顔?他人がお前に良い顔をするのは、お前を利用するためだ」

「嘘つけ。(エリディウス)は、そんなんで傷つくような奴じゃねーだろ。そんなことを気にする奴じゃないだろ」

「赤子が他者を定義しようとするな。泣き脅しが通じるとも思うなよ」

「思ってないさ。それがきっと、俺だったんだ」


 鈍い音に、小さな破砕音が混じった。


 骨が砕ける音と、そして堅固な椅子に僅かな亀裂が入る音。


 激痛と共に赤い雫が滴り落ちても、尚も繰り出される両腕は衰えない。


「エリディウスの功績は本当に凄いものだった。王城から出てたった一週間とちょっとで、あんたの名前を嫌なほど聞いたよ。人から、仲間から、敵からでさえも。偉業を褒める奴も、憧れる奴も、吐き捨てる奴も執着を持つ奴もいた」


 両腕が使えなくなり、今度は肩で体当たりをくらわせる。


 亀裂は今や大きくなり、ぱらりと欠片が舞い落ちた。


 それさえもエリディウスの心の中には残らずに、消えていく。


「でもそいつらの顔や声の一つも、お前の心の中には無いんだな」


 エリディウスに全てを委ねれば、もしかしたら全てが瞬きの間に解決するのかもしれない。


 けれどその心に、自分が大切に思う人々は残るだろうか?


 ハルバーンは頭を振る。


 絶対に残らない。


 世界を救ったはずの勇者の心の中には、誰一人として存在し得なかった。


 ただ一人。自分以外には。


「何故他者を必要とする?奴らに必要とされないと、胸を張る事すらできないのか?だからお前は弱いんだ」

「そうだ。俺は弱い。だから俺には、他の人間が必要なんだ。だからこそ俺は、他の人間に必要とされたいんだ」


 何もないハルバーンの空白を埋めるように。彼の中にある人々の声が更に大きく反響する。


 王城で怠惰に過ごしていただけでは得られなかった。弱いままでも、何かまず一歩を踏み出さなければ感じれなかったものたち。


「勇者じゃなくてもいい。弱くても良い。ただ、俺が俺であるために、やるべきことをやりたいだけだ」


 何が足りなかったのか。エリディウスが振り返ることは決してない。


 何が足りていたのか。何者よりも優れた勇者には理解が出来ない。


「……こんな意味のない、生産性もない対話を続けることに何の意味がある!?お前が助かる方法はたった一つだ!だから――」

「今はあんただって同じはずだ。俺に必要とされなければ、何もできないんだろ?だから――」

「「俺を!」」

「「受け入れろ!/受け入れない!」」


 激しい衝突と同時に、椅子が崩れ落ちる。その瓦礫に埋もれながら、ハルバーンは必死に這い出した。


 息を吐き出し後ろを振り返ると、自分と違う顔の人間が、全く動じる様子を見せずに瓦礫の上で胡坐をかいていた。


「は?え?」


 腕を組んだまま、ハルバーンが狼狽える素振りにもピクリともせず、ただ残酷に微笑んだ。


「まぁ、何も知らない赤子には道理も通じないか。とはいえ、(エリディウス)を受け入れないと言ったのなら、金輪際手を貸す気はない。例え命を奪われそうになってもだ。弱者のまま、利用されて死ね」


 椅子そのものが世界を支える支柱であったかのように、白い世界が崩れていくと、そこから死の闇が差し込んでくる。


 その闇を見上げながら、エリディウスは口を開いた。


「一つだけ忠告しておこう。お前の考えは甘すぎる。人に何度も騙され、利用され、いつか俺以下の存在に成り果てるだろう」


 ありふれた不吉な予言。けれどハルバーンは、小さく頷いて返した。


「俺一人だったら、そうかもな。でも、俺が馬鹿をやりゃ諫めてくれる従者が居るし、俺の無知に怒りで返してくれたやつもいる。それに俺も、騙され利用されるだけの人間にはなりたくない」


 闇に浸食され、光はもうハルバーンとエリディウスが座ったそこにしかない。


 意識が朦朧としていく。それでも最後にハルバーンは言い残した。


「それでもただ、これから知って行きたいんだ。人の事を、世界の事を、そして勇者エリディウスのことを」


 そういって黒の中に飲み込まれていくハルバーンを見ながら、エリディウスは瞼を落とした。


「最後まで何一つ、理解出来なかったな。だからこその呪いというわけか」


 エリディウスが纏う光を前にして、浸食が怯えるように止まる。


 だから男はいつまでもその中で一人、残されていた。




 ハルバーンが目を開けたとき、そこには鉄の匂いと土の感触があった。


 だがすぐに腹部に激痛が走り、思わず呻いてしまう。


「んぎぃぃぃいいい!!」

「……生きていたのか」


 腹に開いたはずの穴は何故か塞がっていたが、それでもハルバーンの有り様は死人とほとんど変わらない。だが老将もまた、息も絶え絶えであった。


 余力が全くないわけではない。ただイルラールは、自分の存在価値が消え失せたように感じていた。


 エリディウスを感じた眼前の男にはもう、その面影はない。戦場で何度も耳にするような爆発音が、老将が恥を抱えて生きて来た意味全てを奪ってしまったのだ。


「……ふぅ。すでに骸と思い、その首を取らなかったことを詫びよう。死に際の戦士よ。苦痛を背負う必要はもうない」


 イルラールが槍を振り上げ、地に伏すハルバーンの首を断ち切ろうとしたが。


 その瞬間、空に神々しい光が差し込んだ。


「――エリディウスの紋章……!?」


 青空に刻まれた紋章を見て、老将は槍を振り下ろそうとした手を止めた。


 一分、いや一秒でも早くその紋章が打ち上げられた場所に行かなくてはならない。


 エリディウスがそこにいるはずなのだから。


 敗北者であるハルバーンを残して、イルラールが歩み始める。


 その背中に、ありったけの力を入れて叫んだ。


「待てよ!!」


 痺れる足で何とか立ち上がったハルバーンは、挑発するように勇者の剣を、イルラールの背中に向けて突き示した。

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