22.二度目の勇者、元魔将と対峙する
イルラールは、魔物の規律が乱れたのを見るやいなや、自らが編んだ影の城から飛び降りた。
戦場に生き、戦い続けた上位魔族を地が歓迎するように、悲鳴を上げるように小さく揺れて迎え入れる。
「奴らを威圧するために建てたこの城は、もはやただの目立つシンボルでしかなくなりました。アラーディカ。窮鼠の歯がどれだけ鋭く肉を裂くのか、貴女も直に見るべきでしょう」
「……はい。もとより兵もいない、張りぼての城でしたからね」
アラーディカも白い翼を背に広げ、ふわりと舞い落ちる。その身を、彼女の護衛でもある強力な魔物が恭しく受け止める。
瞬間、城がどろりと崩れると、溶け落ちた濃い影が老将の回りに集まって渦を巻き始めた。
目標の街から飛び出して、こちらに突貫してくる敵を迎え撃つために彼は、一歩、また一歩と自ら近づいていく。
しかし老将はまた、戦場に身を置いても心が少しも動かないこの瞬間に、複雑な感情を抱いてもいた。
敵を屠る感触も。戦術で翻弄する快感も。苦境を己の力で切り開いてきた矜持も。
エリディウスと対峙したその日に全て奪われてしまった。
いや、自ら手放したのだ。
影が、人の形を成し始める。
元よりこの戦場において、兵士はただイルラールのみ。
城の代わりに得た影の兵士たちは、老将の意思を体現する幻影にすぎない。
彼の死線は、まだ彼方――
「っくそ!何だ!?目立って鬱陶しいな!」
ハルバーンはズボンが強く光り始めたのを見て、ポケットをまさぐった。
手が掴んだのは、城を旅立つ時に持たされていたお守りだった。古びたそれはピカピカと明滅し、何かを知らせるように戦場で存在を主張している。
ハルバーンはそれを、自らを決して乗せようとはしない漆黒の馬の荷物袋に放り投げ、剣を抜き放った。
大多数が南門へと移動していたが、中には粉に惹かれずに役割を全うし続ける魔物も居る。
特に石の棍棒を持ったトロールたちは、決死隊の行く手を阻むように行く手に立ち塞がると、得物を振り上げた。
「決死隊を援護せよ!」
背後で衛兵長の大声が飛び、トロールたちに火矢が浴びせ掛けられる。
仕留めるためではなく、気を逸らすために降り注ぐ攻撃を鬱陶しがるように、数体のトロールが身を捩った。
分厚い脂肪に覆われた大型の魔物を殺すには、ここしかない。
事前に打ち合わせていた通り、先頭を行くハルバーンは足に力を籠めて地を蹴り、高々と舞い上がった。
「くらえっ!」
剣の軌道に合わせて首元が鋭く開き、そこから夥しい血が噴き出して宙を染める。
十数人程度の決死隊は、いずれも腕に覚えのある者たちだ。続けて数人がハルバーンと合わせるように飛ぶと、隙を見せたトロールたちが地に伏していく。
セリカの黒い腕から繰り出された強烈な一撃をくらった一体は、浮き上がって絶命の血を吐き出した。
もっとも、全てが上手くいったわけではない。
倒れたトロールによって運悪く道を塞がれた数人が足を止められ、残りのトロールに囲まれてしまう。
「っ……!くそがっあああ!!」
ハルバーンは振り返ったが、彼らの最後の抵抗の声が短く轟くと、再び前を向いた。
これが戦場で、自分も一瞬のうちに同じようになるかもしれない。
後悔も悲しみも、自分の無力さも奥歯で噛み締めて、更に強くハルバーンは地を蹴った。
「何人残っている!?」
決死隊の一人が、槍で鎧の隙間を刺し貫きながら、そう聞いた。
「十一人と一匹です!」
最後尾にいるセリカが、黒い手で魔物の頭蓋を砕きながら素早く返す。
十一人と一匹。
そのほとんどが、街道の先で待ち構える老将を認めて肩を落とした。
作戦はこの上なく上手く決まった。決死隊の進攻を阻む魔物は少数だ。
あの魔族と彼を囲む影の軍勢さえいなければ、敵の首領を討ち取る作戦の成功率は格段に跳ね上がるのに――小数人が突破することさえ難しそうだ。
その老将がゆっくりと手を挙げ、決死隊を指し示した。
力強くも、脅威的でもない動作。
ただその緩やかな数秒だけで、決死隊のほとんどが死を予感した。
「矢が来るぞ!」
ハルバーンの大声に素早く反応したセリカが奇蹟で結界を貼り、続いて魔術師がその周りに風の障壁を張り巡らせる。
老将が形作った影の弓兵が重い沈黙の中で弓を引き、決死隊に向けて漆黒の矢を振り注がせた。
風の障壁が矢の軌道を逸らす。勢いを失った矢が、結界に弾かれて霧散した。それでも貫通してきた数多の矢を、ハルバーンや決死隊の皆が全力で薙ぎ払う。
何とか凌ぎ切った。激しい吐息の中に漏れ出た僅かで小さな安堵。
刹那、その隙を突くように老将の強弓が唸り、釘付けになっていた決死隊に放たれる。
ハルバーンは矢をいなそうと体を右に向けたが、すでにそれは幾人かの命を、空間ごと削るように奪っていた。
「……うむ」
イルラールは古傷だらけの手から消えていく黒い弓矢を見つめ、不満気に言葉を漏らした。
エリディウスに敗北を喫したその日から衰えていく身体能力も、変化能力も、すでに彼は受け入れている。
だからこそ隙を見抜き、効果的に一撃を加えたのだ。
――ならば、何故。敵の先陣を切る、一番手ごわそうな大男を狙わなかったのか?
老将は自らを訝しみながら、輪郭が揺れる漆黒の騎兵たちを突撃させた。
大地を激しく蹴り上げる蹄の音に続いて、剣と盾を構えた兵士たちが進み始める。
「我らが神よ!」
セリカが人の手で握り締める杖を地に叩き付け、黒い手で祈りを捧げた。
「我らが現に請いし奇蹟を捧げたまへ!信仰と共に供儀となりし神兵たちよ、その借り受けし神威を現世で揮え!<<神兵招聘>>!!」
黒と白、魔と聖。数こそ少ないが、影の軍団と対なる眩い光に包まれた大盾を構えた兵士たちが、奇蹟を唱えた少女を護衛するように浮かび上がった。
他の数人も同じく、老将こそが最大の戦力だと再確認すると、各々の切り札を惜しみなく切った。
影の騎兵を、決死隊が放った風と焔の魔術が飲み込む。大地が抉れ、炎が燃え上がる。それさえも踏破した騎兵たちに、ハルバーンが進み出た。
狙って突き出された騎兵の槍の穂先が、ハルバーンの後ろ髪を掠める。彼は体を沈めて、すれ違い様に馬の形をした影の足を切断した。
セリカの神兵たちが、落馬した影を踏みつける。彼らは魔術の攻撃を抜けて来る騎兵を迎え撃つために、盾と足をがっしりと地面に付けて、身を丸めた。
魔術の炎に覆われた騎兵の足が、次々に止められていく。見ていた老将が弓を引く手を思わず止めたのは、ハルバーンの力を認めたわけでもなく、決死隊から隙を窺えなかったわけでもなかった。
「あの剣は……エリディウスの!?」
老将の体が硬直したのは一瞬だった。すぐに吐きだされた息には小さな熱が籠っている。
「いや……人間どもの希望たる勇者の剣か。エリディウスが居るのに、何故別の者の手に……?」
この面白味のない戦において、イルラールは常に冷めていた。己の勘に従い、まだ年若い魔族に手を貸してはいるものの、これまでそれは本意とは言えなかった。
戦士としてエリディウスと一合交え、戦場で培ってきた全てをみっともなく投げ出して逃げたその日から、心は渇いたように動かない。
だが。
勇者の剣を握る男に目を止めたその一瞬、老いた体に熱い血潮が通った気がした。
「もはや、戦場で一戦士として振舞うことはないと思っていたが」
イルラールの命に従い決死隊との乱戦を繰り広げている影の兵士たちが、城と同じように崩れていく。
命のやり取りの場は、一瞬で空虚な平野へと変わった。
いや、変わったのは老将の方だった。
イルラールの力そのものである影が主に纏わりつく。
曖昧な輪郭で揺蕩っていた影が、歓喜するかのように波打つ。
やがてそれは、彼の腕と一体化するように大きな槍の形を取った。
「失礼したな、戦士たちよ。兵士ではなく戦士を相手にするには、今の私の兵士たちでは力不足であった。剣戟の歓喜は、痺れる腕からでしか得られぬもの。この老兵の気の迷いに、付き合って貰うぞ」
見るからに重々しい鎧を身に着けた体が、地を滑る。
戦場の空気が彼を迎え入れるように、鳴動した。
「!?はやっ……!?」
声が上がると共に、戦士の一人が両断される。
遅れて、黒い残光が僅かに決死隊の目に焼き付いた。
防御のために盾を構える間もない。
両断された戦士が、自らが絶命した事にも気が付かないうちに、イルラールは反応出来ていない魔術師の前にいた。
鎧の一部を鋭利な棘へと変じて突き出すと、魔術師は詠唱の一言も喉から出せずに、折れた杖と一緒に死へと倒れていく。
そんな混迷の中でただ一人、新しき勇者は剣を振り下ろす。
「思ったよりも嬉しきものだな、新しき勇者よ。私の動きに、貴様はついてきたのだな」
ハルバーンの重い一撃を背中に作り出した漆黒の盾で受け、飛び散る火花の中で老将は笑んだ。




