21.二度目の勇者、戦端を開く
響き渡った声にアラーディカは眉をひそめた。
クソ、などという幼稚な言葉に気分を害したわけではない。
どうしてこの声だけがやたら大きい男が、自分の名前を知っているのか疑問に思ったのだ。
「お前の目的は分かっている!エリディウスが守ったこの街を苦しめて、憂さ晴らしをしたいんだろう!?」
アラーディカの眉間に寄った皺は、一層深くなっている。
目的や動機まで露見しているとは、流石に予想外だった。
イルラールは爪を噛み締める若い魔族の肩越しに、城下に立ち並ぶ魔物たちを見遣った。
整然と隊列を組んでいた魔物たちが、今や微かに波打っている。
アラーディカの支配の力は、彼女の心の在りように左右される。
いま若い魔族の心に満ちているのは、エリディウスに対する憎悪のみ。
二百にも及ぶ魔物を支配出来ているのは、まさにこの憎悪のなせる業だった。
だが、憎悪に満たされた器にはもう、それ以外を受け止める隙間がない。
乱れ始めた隊列は、彼女の掻きむしりたくなるような心をはっきりと形にしている。
「そのくせエリディウス本人にやり返す度胸もなく、魔物を操り奸計を巡らすだけで、自ら手を出そうともしてこなかった!」
「……」
アラーディカは一つ大きく息を吸って吐きだした。
敵が自分の目的や動機、そして能力にあたりを付けていようが何も変わりはない。
圧倒的な戦力差で、圧倒的に叩きのめす。
ただ、それだけだ。
僅かに滲み出た揺らぎは、すでに静まっている。
魔物の隊列も再び組み直され、彼女は薄ら笑いを浮かべた。
「だが、朗報だ!お前に一つ教えてやろう!」
「追い詰められた獲物が動かせるのは精々、言葉を弄する口だけです。しかしその舌は必ず、手ずから引き抜いてやりますよ……!」
アラーディカは余裕綽々で次の言葉を待った。
だが。聞こえてきた内容は。
「エリディウスはこの街にいるぞ!」
瞬間、アラーディカの心から溢れたのは憎悪だけではなかった。
恐怖。
あの、虫を見るような目が。あの、寒々しいほどの力が。
支配の能力を持って生まれた者を、その根源から否定するような存在が。
頭の中で蘇る。
「良かったな。お前の本命は、ちゃんとここにいる!!」
目の前の若い魔族が息を呑んだのを認めて、イルラールはすぐに動いた。
「稚拙なこけおどしを……」
彼らが立つ漆黒の城の一部が溶けるように崩れると、帳が降りたような深い闇が老将の手元に集まり、新たに形を成す。
身の丈ほどもある大きな槍となった黒のそれを、老将は太い腕に力を滾らせ、空が劈くような勢いで投擲した。
高く放たれ、長く尾を引き。その漆黒の槍は、大声を上げていたハルバーンを正確に貫くために迫っていった。
「うおおぉぉ!?」
城壁に立っていたハルバーンの体が、高速で飛んで来た黒い何かによって吹き飛ばされ、地へと落ちる。
咄嗟に剣で逸らしたが、その勢いを完全には殺すことはできず、槍が肩を掠めて血が飛び散った。
「あんなに遠くから……この威力かよ!?」
宙で身を翻し、ハルバーンはぎりぎりで着地した。そのすぐ傍に、漆黒の槍が落ちてくる。それは深く地面に突き刺さると、影のように消えていった。
「やはりあの城を建てたのは、アラーディカとは別の魔族です!」
物見櫓から様子を窺っていたアルディールは、そう声を大にした。
更に、漆黒の槍が消えても、形の崩れた城が元に戻る様子がないのを見て取って呟いた。
「二の槍を放ってこない?出来ないのか?何か制限があるのか?分からない……」
分からないことは隅に追いやり、アルディールは大きく口を開いた。
「ですが、敵がハルバーン殿を始末しようと攻撃してきたことは明白です。エリディウスに言及すると同時に、魔物の動きが大きく乱れました。アラーディカの能力はセリカさんの推測から、そう外れていないかもしれません」
「これまで、彼女の事だけを追いかけてきま」
セリカの言葉は、高く鳴り響く角笛によって遮られた。
地鳴りが、再び統率を取り戻した魔物たちの雄叫びと共にやって来る。遂にアラーディカの怒りと共に、魔物の軍勢が進み始めた。
その威容に気圧された兵士たちは、肩を震わせる。
漆黒の武具を纏い、破壊と暴虐をもたらすためだけに突き進む魔物の軍勢。これ程までの数の魔物を一度に見たのは、エリディウスが街を救ったとき以来か。
いや、あの時よりも確実に多い。
兵士たちが恐怖に震えるのも、無理なからぬことだった。
「っ……敵が二手に分かれた。北門と南門を同時に攻めるつもりか」
敵の動向を見据えながら、アルディールが言った。
「なら、事前に立てた作戦の一つ通りに動くだけです」
ロバウトの全戦力は、残留を余儀なくされた冒険者と、ろくに訓練を受けたこともない志願兵を合わせてもおおよそ二百人。魔物の総数とほぼ同じではあるが、戦力差はかけ離れている。
城壁と門はそれなりに強固とは言っても、大型の魔物が相手では心もとない。
それでも僅かな希望を賭して、それぞれがそれぞれの役割で動き始めた。
「慄くな!一匹でも多く道連れにするために、怒りを灯せ!敵の絶命の呻きこそが、我らに捧げられる最期の餞だ!弓を構えろ!」
北門で衛兵長の檄が飛ぶ。城壁に弓を持って待機していた兵士たちは、その声にはっと顔を上げた。
同時に、数人しかいない魔術師が杖を掲げると、兵士たちの体が赤く光って弓を引く力が増していく。
「放てっ!!」
矢の雨、と言えるほど一度に放たれた矢の数は多くはなかったが、降り注ぐ鋭利な鏃が魔物に襲い来る。
「……ちっ!固いな」
衛兵長はその様子を見ながら舌打ちをした。魔物たちが纏う漆黒の鎧は、鏃を弾いてしまう。偶然防具の隙間を貫かれた小型の魔物が数匹地に伏したが、思ったような損害は与えられなかった。
「矢の備蓄も少ない。もう少し引き付けて狙うしかない、か……」
だが魔物の軍勢の中には、弓を持った遠距離部隊も見受けられる。彼らの前には、黒い盾を持った中型の魔物たちが城壁代わりに並んでいる。
こちらも胸壁で身を守れると言っても、近付ければ近付けるほど、互いの死傷者は増えていくだろう。
しかし、他に手段はない。
衛兵長は自らの弓を撫でながら、向かって来る魔物を待ち構えた。
北門の城壁下では、決死隊が最後の準備を整えていた。
「うっわぁ……錆びていたとはいえ、剣を軽々と折りやがったよ」
突撃の合図を待つ決死隊は、セリカの背中から生える深い闇が形になったような異形の腕の力に驚愕していた。
奇蹟で編んでいる、と誤魔化しているものの、それをそのまま信じる者はほとんどいないだろう。
それ以上触れないようにと線を引いた、得体の知れない力が好意的に受け入れられることはほとんどない。
「けど姉ちゃんには悪いが、やっぱ正直不気味だぜ。こんな限界ぎりぎりの戦じゃなきゃ、進んで肩を並べたいとは思えねぇな」
そう、正直に言葉にする者もいる。その腕を見て、決死隊への志願を取りやめた者もいる。
言葉にしなくても、心の内に嫌悪を留めている者もいるだろう。
しかし、戦場で咄嗟にこの黒い腕を出すよりは、事前に見せておいた方が良いとセリカは判断したのだ。
そこにどんな思いがあったのか、ハルバーンには想像することしか出来ない。
ただ、奇異な者に対する視線を受け止めている、彼女の決断を尊重するだけだ。
それに。
「あんたのその力は怪しいけど、あたしが生き残れる確率が少しでも上がるなら歓迎だね」
打算でも、受け入れてくれる者もいる。
「自慢だが、俺はその腕と腕相撲して勝ったけどな」
理解しようとし、そうし続けてくれるハルバーンがいる。
それで十分なのかもしれない、とセリカは思った。
人も魔族も、醜いも綺麗もない。
他人からどう思われようと、関係ない。
何として生まれたかより、何のために歩み続けるかが己の意味を決める。
記憶喪失のハルバーンが、ここに残ると決めたように。
セリカが薄く笑うと、黒い手はアラーディカの居る方向に向かって中指を突きたてた。
同じころ、南門では弓が不得意な兵士や志願兵が集まって、作業を続けていた。
領主であるレンリィも、敵が取りつくまでは彼らに混じって汗を流している。
城門の内側には家具で作られた障壁や、丸太で組んだバリケードが並べられている。
どれだけ効果があるかは分からないが、ここに集まる百数名の兵員たちの主な役目は時間を稼ぐことなのだ。
――ここは今から死地になる。
アルディールは、ベルトに引っ掛けた小さな一つの袋を見つめた。
自分たちを騙そうとした行商人が持っていた、魔を引きつける粉を、命を賭して使う日が来るとは。
だが、北門で備えている決死隊の負担を引き受けるのは、これしかない。
たった数日前の事が、アルディールにはとても遠い記憶に思えた。
北門に集まっていた魔物たちが、急に南門へと移動し始めた。
いま出来る限りの準備を整え終えたアルディールが、粉を全て南門に降りかけたのだ。
支配の力を打ち破れるかは賭けだったが、それは良くも悪くも強烈に効果を発揮した。
同時に、北門が一縷の望みを願うように、その分厚い扉を開き始めた。
狙うは、敵の首領であるアラーディカ、それのみ。
そうして、その門からまず最初に飛び出たのは。
「ヒィヒィィインン!!」
魔物をも蹴り殺す馬だった。




