18.二度目の勇者、酒場に連れていく
「マスター、この酒場で一番いい酒を頼む!」
「はいよ。水のビール割りだ」
セリカに八つ当たりされた翌朝。そう、朝っぱらからハルバーンは酒場に来ていた。
はきはきとした大男の第一声が冗談であることは、すでに店主には分かっている。だからハルバーンの前に、慰め程度にビールの入った木のジョッキを置いて、それから物珍しそうに周りを見渡している少女に話かけた。
「あんた……いや、お客さんは飲めるのかい?」
聖職者然としたいつもの白を基調とした服ではなく、黒い長衣を纏う銀髪の少女セリカが、躊躇うように口をもごもごと動かす。ハルバーンはそれを見て、小さな少女の背中を優しく叩いて言った。
「前に話したろ?彼女が、俺と一緒にダンジョンを攻略したセリカだ!」
背中に走った軽い衝撃に突き動かされるようにセリカがぺこりと頭を下げると、酒場の主人は口を丸めて頭を深く下げ返して見せた。
「そりゃ……ロバウトの人間としては、感謝してもしたりないな。安い言葉で悪いが、ありがとう」
「い、いえ!」
善意から動いたわけではない少女は、たどたどしく手を横に振った。
気が引けるし、何より感謝されることにどう反応していいのか分からなかったのだ。
だから恨めし気な眼でハルバーンを睨んだのだが、大男は何故かサムズアップをして見せてきた。
「でも、セリカは俺のように依頼を受けているわけじゃないんだ。それでも街を助けるために力を貸してくれているんだから、セリカには今の状況で出せる一番良い酒を飲んで欲しいんだ」
「そうだなぁ。勇者様のツケにしとくぜ」
「おう。何としてでも依頼を成功させて、報酬から支払う。前のエールの時と違って、これは考えなしの約束じゃないからな」
束の間みせた真剣な表情に、店主は肩を竦めて見せた。
そんな男同士のよく分からない寸劇が繰り広げられる中、セリカは革の財布を取り出しながら言った。
「いえ、当然お支払いしますよ?」
ほとんど無一文のハルバーンは、その財布の中で光った金貨を認めて、どこか罰が悪そうにビールを一口含んだ。
それを見た酒場の主人は、ふっと笑うとジョッキを取り出して口を開いた。
「いいんだよ、可愛らしいお嬢さん。男には、格好つけながら女性に奢りたい時があるもんさ。勇者様に奢らせてあげな」
「はぁ……?いいんでしょうか?」
セリカがしなしなになり始めていた勇者に問うと、彼は勢いよく首肯した。
「勿論!あ、でもマスター。セリカは酒を飲むの初めてだから、そこら辺もよろしくな」
「ったく、そういう大事なことは最初に言えっての」
大きなジョッキを下げて、少し小さなサイズのものを取り出しながら、酒場の主人は呆れの声を上げた。
物資不足のこの街に、水で薄められていない飲み物はほとんどない。
しかし主人が黄金の液体を注ぎ始めると、芳醇な甘酸っぱい香りが漂い始める。
他に客のいない寂しげな酒場にその場だけでも、温かな色が息づいたようだった。
「まともな状況だったら、もっといい酒が出せたんだが……悪いな、お嬢さん。でも、この果実酒なら、初めてでも飲みやすいはずだ」
「あ、ありがとうございます」
少しとろみのある液体を、セリカは覗き込んだ。
酒場に行こうぜ、とハルバーンに誘われるがままについて来てしまった少女だったが、その細い喉が微かに鳴った。
ジョッキを持ち上げ、軽く目を閉じながらゆっくりと口をつけると、それまでほとんど表情を変えなかった少女の顔が少しばかり綻んだ。
「凄い!果物の美味しいところだけを、集めたみたいだ……!」
あまり聞き慣れない感想と、何より軽く丸みを帯びた唇に、男二人も釣られて優し気な表情になる。
もっともセリカがその希少な表情を浮かべていた時間は、僅かだった。
すぐにそれを隠すように、表情を落ち着ける。
「酔っ払いを見て、どうして自制を出来ないのかと不思議に思ってきましたが、これは危険です。駄目です。お酒には、人を堕落させる魔力が宿っていますよ」
そんなことを言いながらも、さらに長くジョッキに口をつける。
飲み慣れていないせいか、酔って理性をなくすことを恐れてか、セリカはちびりちびりと味わっていく。
どこか用心しながらミルクを舐める野良猫のようで、ハルバーンは自分のジョッキはそっちのけで、彼女が飲み終わるのを待っていた。
しばし和やかな雰囲気が漂っていた酒場に、外の冷気が差し込んだ。気だるげに扉を開けて入ってきたその客は、目の下に濃いクマをつくったアルディールだった。
「おぉ!?一瞬、誰かと思ったぜ……大丈夫なのか?」
従者の主人であるハルバーンがその疲労具合に言及すると、アルディールは力なく笑って返した。
「食料や物資の備蓄の確認や、作戦の詳細を衛兵長や領主様と徹夜で練ってましてね。私はハルバーン殿のような力はありませんから、戦いの前にその分の苦労をしておかなければ……おや?」
従者にとって、酒場に主が居るのは珍しいことではなかったが、銀髪のサイドテールを揺らすセリカの姿は想定外だった。
アルディールはしげしげと彼女の後姿を眺め、それから酒場の主人の前に座った。
「また一人、酒の魅力に憑りつかれているようですね」
「……」
嫌いというわけではないが、この真面目で疑り深い男に苦手意識があるセリカは、気まずそうに沈黙した。
アルディールはハルバーンと同じく、ビールの風味が僅かについた水を頼んだ。それから、明らかに飲み慣れてなさそうな少女の様子を認めてツマミを一つ注文する。
「ですが真に酒が恐ろしいのは、ツマミと絶妙に合ってしまうことです。酒がツマミを進ませ、ツマミが酒を呷らせる。その真髄を、味わってもらうこととしましょう!」
「だいぶお疲れだな」
普段よりテンションが高めな従者に、主は苦笑いを浮かべた。
すぐにアルディールの前にジョッキが置かれる。それから酒場の主人は皿に魚の干物を並べると、三人の前に突き出した。
「悪いがこれくらいしか出せるものがなくてな」
「いえ、素晴らしいチョイスです。このちょっと生臭い塩辛さが……あぁ……酒と一緒に五臓六腑に染み渡る」
あの真面目な従者の緩んだ表情に、セリカは喉が勝手にごくりと鳴った。
「果実酒とはあまり合わないから、こっちの方がいいかもな」
そう言って店主はセリカの前にも、二人と同じ酒を差し出した。
三人で並んで干物を齧り、ビール風の水を流し込む。
ほのかな苦味と干物の辛味が混ざり合い、少しひりりと痺れる舌を酒が爽やかに撫でていく。
「お、こりゃいけるな。ちょっと干物の味が強いけど、香りしかないビールもどきとはむしろ合ってるな」
ハルバーンの言葉に、アルディールは深く頷いた。
「こんなちょっとした幸せこそが、私の生きる意味ってやつですよ。勇者のように、この街のために、というのは私の柄ではありません。人は、自分の器量にあった事のみを望むべきです。ですがこれでも、同じように小さな幸せのために生きている人の力になれればいいな、とは思っているんですよ」
これまでアルディールは、勇者として依頼を受けたハルバーンに従ってきた。
だが仕事から解放され、ちょっとばかりアルコールの入った従者は、初めて自分の想いを述べる。
「同じような……幸せ」
セリカはお酒と干物がお腹に溜まった温かな感触を、初めて確かめるようにそっと撫でた。
「それと、えー……従者ではなく私という個人で、しかもお酒の力がなければこんなことを正面から言えない私を許してください」
アルディールは立ち上ってセリカに向き直ると、すっと頭を下げた。
「セリカさん、ダンジョンであなたに命を救われました。ありがとうございます」
「え……っと?」
「従者アルディールは、今でもあなたの情報や言葉を鵜呑みには出来ません。しかし私個人は、感謝を忘れもしません。都合が良いと思うでしょうが、これは伝えさせてください」
「……はい」
不思議としんみりとした空気が、沈黙の中に沈んで溜まっていく。
それは打ち破るのはいつも、ハルバーンだ。
「いや、俺の方が感謝してるぞ!情報をくれたり、剣の鍛錬に付き合ってくれたり、ありがとなセリカ!」
「感謝の気持ちは競い合うためのものではないんですが……?」
「でも俺は感謝されると、鼻高々になるぜ?"ありがとう"は、多ければ、多いほどいいだろ!」
主と従者の寸劇は、通りからでも窓越しに目立っていたらしい。
今やロバウトでは有名になっているハルバーン目当てなのか、酒場に客が入って来る。
寝不足と、薄められた酒にさえも酔っ払ったアルディールはいつの間にかカウンターに突っ伏していたが、酒場はにわかに盛り上がっていく。
「にしても、セリカは全然酔いそうにないな。顔も赤くならないし、クソよわなアルディールと違って酒に強ぇんだな」
「お酒を飲んだことはありませんでしたが……消毒用として扱ってますから、耐性が付いているのかもしれませんね」
「消毒用のお酒?そんなのあるのか」
へぇ、と感心するような声を上げてから、ハルバーンが続ける。
「でもちょっと、大丈夫な範囲で軽く酔っ払ってるところも見てみたかったな」
アルディールを見ながらそう言ったハルバーンに、セリカは肩を竦めて見せた。
しかし。
「……でしたらまた、連れていってください」
顔を背けて躊躇いがちにそう返したのは、そのお酒のせいだったのかもしれない。
酒場を出た二人はその後、それぞれの仕事を始めた。
セリカは領主から怪我人の治療を要請されて診療所に出向き、ハルバーンは重い物資の運送へと駆り出される。
一日に、これほどまでの人と関わるのはセリカにとっては初めての経験だったが、それでも悪くはない一日だった。




