15.二度目の勇者、セリカの過去を知る
私の黒い腕を見て、アラーディカはまるで翼みたいだと言っていた。
籠の中に閉じ込められている私には皮肉に聞こえたけれど、彼女の眼には曇りがなかった。
それまで話し相手なんて出来たことがなかった私は、吃音混じりにたどたどしく口を開くしかなかったけれど。
彼女は笑って待ってくれた。
研究所のこと。実験体となっていること。一日が終わる時、とてもホッとすること。忌々しい黒い腕のこと。
とにかくずっと話していたくて、話題が、言葉が続く限り彼女に話していた。
彼女も、自分のことを話すより、私の話を聞きたがった。
私を研究している魔族も、アラーディカを邪険には扱えないようだった。彼女がいる時だけは、私も何もされなかった。
僅かな、安らぎの時間。
終わりは、憎らしい魔族の悲鳴と共に、唐突にやってきた。
痛みの中で目を覚ますと、初めて空というものを目にした。
そのどこまでも続きそうな青とは反対の、崩れた天井と煤けた壁、魔族たちの亡骸。
血塗れの体を起こし顔を横に向けた私は、遠くにアラーディカの姿を見た。生き残りを手にかけて、瓦礫の山を軽やかに蹴って、去って行くのが見えた。
彼女が魔族の内部抗争によって送られたスパイだと分かったのは、少し後のことだ。
あの時、彼女が私を見つけたら、どうしていたんだろう?
そんなことを考える意味はない。ただ、私が見た彼女は楽しそうに笑いながら同族の命を奪っていた。
一度も、私には目を向けなかった。
……どうして生き残ってしまったんだろう。今更、何のために生きれば良いんだろう?
いっそのこと死んでいれば、この空の青さに吐き気を覚える自分の醜さを知らずにすんだのに。
いや、このままここで倒れていれば、優しい死が迎え入れてくれるだろう。
そう考えながら目を瞑ると、ふと愚かな囁きが頭を過った。
――どうして私が、私だけが生き残ったんだろう?
止めろ、と呟いたけれど、その疑問は膨らんで遂には弾けなかった。
たまたま生き残っただけだ。特に意味なんてない。現に自分は怪我を負っている。
痛くて痛くて、どうしようもない。
でも。もしかして、もしかして、アラーディカは私だけを見逃したのかもしれない。
――だったら何で、私だけを見逃したんだろう?
生きる理由が何一つなかった私の、たった一つの憎悪と希望。
人間でも魔族でもない自分が存在を偽って、藻掻きながら、苦しみながら青空の下で生きる理由。
それは、あれから七年経った今でも激しく燃え盛っている。
「……そんな下らない話です」
セリカは窓の外からロバウトの街並みを見つめながら、静々と言葉を結んだ。
「あー……その……悪かった。下らなくなんかねぇよ!って言いたいけど、それをいう資格が俺にはないな」
「資格はなくても、その否定に救われる人はいると思います。ただ私は、希望も救いも見出せません」
私は性根が悪いんです、とセリカは微笑みながら言った。
誰かに話したかったわけでも、慰めて欲しいわけでもない。けれど再び外に目を向け空を見つめた少女は、少しだけ胸に渦巻く澱みがとれたような気がした。
「だから図々しいですがどうか、私のこの復讐に協力してください。何度も言いましたが、それがあなたのためにもなるはずです」
「ああ、そうだな。ただ少し休んで、その怪我を癒すべきだとは思う。それじゃあ、満足に復讐できないかもしれないぞ?」
ハルバーンはセリカのお腹を見て言った。傷口は、話している間も彼女を痛みで蝕んでいた。
「満足に復讐って……でも、そうですね。七年間、待ったんです。もう少し、我慢する事くらいは出来ます」
セリカはそう言うと、ベッドに腰を掛けた。それから汚れた服を見下ろし、小さく息を吐いてから言った。
「私は絶対に逃げませんし、一人で抜け駆けしたりもしません。ですから、私を看病する必要はありませんよ」
「いや、でもさぁ」
「あの……えっと、湯浴みをしたいのですが?女好きのハルバーンさん?」
「あ……ごめんごめん。すぐ、今すぐ女好きのハルバーンは出て行きます!」
自分よりもかなり小さい少女にぎろりと睨まれ、ハルバーンは逃げるように部屋から出て行った。
そんな情けない後ろ姿をセリカは、理解できない、というように見送っていた。
「ってわけなんだよ」
「あの、旦那。何でわざわざ牢に来て、あたしに凄い強いコボルトとやらの事を話すんですかねぇ?この前はエールの値段の話でしたし……」
ロバウトの牢屋に赴いたハルバーンは、自分を騙した元行商人にコボルトとの激戦を話した。
それを聞いた元行商人は、首を捻りながら不満げに返す。目の前の二人目の勇者が、どんな意図や思惑を持って自分に時々会いに来るのか、読めないのだ。
「毎回言ってますがねぇ。あたしはエリディウスが大っ嫌いですが、旦那のことだって嫌いですよ」
「分かってるよ。だから手土産も持ってきてるって。良いんだよな?」
ハルバーンが牢屋の衛兵にそう問うと、彼はゆっくりと頷いた。
「ロバウトの名物、クラーガムとかいう魚の燻製だ。本当はエールを持ってきたかったんだが、それは流石に無理だと言われちまったからな」
「……旦那、それ、近くの港町の名物です。ロバウトでも勝手に名物とか言って売ってますがね」
「マジかよ。騙されたぜ……中々美味いから、これを広めて、ロバウトが賑わえば良いと思ったんだがな」
袋に包んだ魚の燻製を差し入れながら、ハルバーンは自分の顔を手で覆った。
「ってかよく知ってるな?流石は行商人ってわけか」
「まぁ、一応その港町の出なんでね。あと、こんな燻製一つで賑わいはしませんよ」
元行商人は燻製を噛み千切って咀嚼する。久しぶりの味だったのか、彼は燻製を見つめながら、どこか懐かしそうに目を細めていた。
「しかし旦那の話を聞く限りじゃあ、ロバウトも故郷も、このままではどうにもならなさそうですなぁ。牢屋の中が一番安全かもしれませんぜ?旦那には感謝しないとなぁ」
「おう、感謝してくれよな。お礼として聞きたいことがあるんだけど」
嫌味にお礼をしろと返された元行商人は、額に青筋を浮かべながらハルバーンを睨んだ。
けれどその顔つきは、三日前にふらっとやって来た時と違って思いのほか真面目だった。
燻製を噛んだまましばし静止した後、元行商人は渋々といった感じに肩を竦めて続きを促した。
「エリディウスがこの街を救ったんだよな?」
「……ええ。あたしの故郷も、です。だからこそ、あたしはあいつを信じていたんですよ。その結果、利用されちゃあ世話ありませんがね」
「じゃあ俺に、この街を救えると思えるか?」
「はっ」
元行商人は小ばかにするように笑った。
「あたしは、あいつの強さを目の当たりにしたとき、世界があいつとそれ以外で分けられているって思い知らされました。……あいつのことは本当に大っ嫌いです。でもあいつが戦う姿だけは、未だに心の中からひと時も離れちゃくれません」
興奮したように牢屋の柵を握りしめ、彼は続ける。
「同じ勇者でも、エリディウスとあんたを比べる気にもなりません。人は太陽を見る時、手をかざすんです。その光の欠片すら、あんたには感じられませんね」
ハルバーンは、そうか、とだけ呟く。
苛立ちでもなく、嫉妬でもない。ただ勇者として依頼を受けた以上、それを成せる力が欲しいと思った。
口の中に残る燻製の味は、少し塩辛かった。
ハルバーンの舌に残るこの少しの苦みも、誰かにとっては故郷の味なのだ。
「まぁでも。街を守るためには、あんたやエリディウスを見返すような活躍をしないとな」
「まったく、駆け出しの冒険者だったころの自分を見ているようだ。青臭くって仕方ありませんぜ」
行商人は話を断ち切るようにひらひらと手を振った。
ハルバーンも悪意なくそれに応じて返したが、最後にふと頭に沸いて出た興味をぶつける。
セリカの話を聞いた後だったからかもしれない。
「そうだ。もしあんたに、エリディウスに仕返し出来るチャンスが巡ってきたら、その時はどうするんだ?」
行商人は呆れたように顔を背けて答えた。
「……どうもしませんよ。あんな奴に逆らう勇気なんて、もう、これっぽっちも残っちゃいませんから。あいつだって、あたしの事なんて覚えちゃいないでしょう」
その表情は最後まで見えず、彼は剥げかかった牢屋の床を見つめていた。
帰り際、ハルバーンは衛兵に呼び止められた。
「ハルバーン殿!私は、あの囚人の言葉が気に入りません」
突然そうはっきり言うと、透き通った声で更に続ける。
「確かにエリディウス殿はこの街を救って下さいました。しかしそれは、彼にとって暇つぶしのようなものだったと、少なくとも私の目にはそう見えました」
ハルバーンはどう反応して良いものか分からず、眉を顰めながら口を開いた。
「……いや、例え暇つぶしでも、救ったことに意味があるんじゃないのか?」
その言葉に同意するように、衛兵は首肯した。
「はい。当然、感謝しています。ですが、エリディウス殿が助力して下さったのは、襲撃の日にたまたま彼がこの街に居合わせていたからです」
何が言いたいのかイマイチ理解できない新米勇者は、頬を軽く掻いて返すしかない。
「どういうこと?」
「拙い言葉で申し訳ありません!つまり、少しでも魔族の襲撃のタイミングがずれていれば、エリディウス殿はわざわざこの街のために動いたりはしなかっただろう、と思うのです」
「なるほど?」
行商人からの話から聞いた限りでは、衛兵の言葉は正しいように思えた。
それでも結局彼が何を言いたいのか分からず、ハルバーンは首を傾ける。
そんな彼に、衛兵は直立しながら伝えた。
「私は、自分の意思でこの街を救おうとして下さるハルバーン殿こそが、勇者と呼ばれるに相応しいと思います。そして実際にあなたは、敵の拠点の一つを壊滅させました。私も同僚たちも、あなたに感謝し、そして尊敬しています」
堅苦しく、たどたどしく。だからこそ本音だと伝わるようで、ハルバーンは何だか照れくさくなってしまった。
いやいや、と謙遜するように、手を何度も横に振って見せる。
「あの囚人のように思っている者も、もしかしたら居るかもしれません。しかし、私のように考えている者たちもこの街にいるのだと、あなたに知ってほしかったのです!お引止めして、申し訳ありませんでした!」
綺麗に背を曲げ頭を下げると、衛兵はハルバーンのために外へと繋がる扉を開いた。
真正面から感謝をぶつけられる慣れなさと気恥ずかしさが、ハルバーンの歩みを軽くする。
どこか、誇らしい気持ちで一杯になった。




