14.二度目の勇者、街へと戻る
セリカが深い眠りについていてまるまる二日。
その間に、ロバウトにもたらされた小さな勝利の報告は、そこに住まう人々にとって久しぶりの朗報だった。
勿論、彼らに浮かれるほどの余裕はない。ただ、再び酒場にやってきたハルバーンは店主や住人達から好意的に迎えられた。彼は自分たちの功績を少しばかり自慢げに話した後で、住人たちからの希望を託された言葉の数々を背に、酒場から出て行った。
領主のレンリィも、アルディールの報告を受けて歓喜に手を震わせる。ダンジョンに集められていた物資の中で使える状態のものはそう多くなかったが、それでも困窮しつつあるロバウトにとっては貴重な物品もあった。
何より二日の間に、北の街道に現れた魔物はこれまでと比べ物にならないほど少なく、状況を打開する一歩目が間違いなく刻まれた。
「ぅ……ん……?」
セリカは微睡の中から目覚めると、まず周囲の様子を窺った。
一人で生きて来た彼女にとって、当たり前のように身についた癖だ。
だが、彼女の横で繰り広げられている光景に、小さな少女は絶句した。
「……っしゃ!」
自分の醜く黒い腕とハルバーンが仲良く、セリカを起こさないように静かに腕相撲をしていた。幻覚でも見ているのかと混乱する少女に対して、勝利を納めたハルバーンは笑い掛けながら小さく手を挙げた。
「お、よっす!体、大丈夫そうか?」
何をしてるんだ、こいつら?
少女は目を擦ってもう一度現実を確かめたが、それは無情にも変わらなかった。
「……色々と、大丈夫じゃない気がしています」
背中から伸びる手を軽く叩きながら、セリカはそう言った。
ずっとこの腕を隠して生きてきた少女は、自分の一部を他人のように睨んでいた。
「そいつ、かなりの負けず嫌いだな。何度も勝負を挑んできたぜ」
「はぁ、そうですか。……ん?この腕に、素の腕力だけで何度も勝ったんですか?」
「ああ。結構苦戦したけど、全勝だ」
もう、セリカは何もかもがおかしかった。
魔族の力が凝縮されたその腕に普通に勝っているハルバーンも、勝手に腕相撲をしている黒い腕も、正体を知られた相手と暢気に会話をしている自分も。
それを全部、まだ胡乱な頭のせいにした。
「……取り合えず、何か食べてから情報を話してもいいですか?」
お腹と背中がくっつきそうなセリカは、体をほぐしながら起きあがった。同時に額に当てられていた濡れた布切れが落ち、黒い腕がすっと萎まっていく。軽くハルバーンに手を振りながら、霧のように消えていく。
「おう。俺も腹減ってるから、一緒に食べようぜ」
「わざわざ監視しなくても、逃げませんよ」
「えぇ?飯を食いながら監視なんてしたくないぞ?」
セリカは鞄と杖を手に持ちながら、小さく息を吐き出した。
セリカの食事は、お腹がペコペコだったとしてもかなり豪快だった。小さな体躯のどこに入るのかと思うほど、出て来る料理を次々と口に運んでいく。パンを鷲掴みにし、半分に切ったベーコンエッグを軽々と飲み込む。
日に日に提供される食事が少なくなっているとはいえ、まるで食い溜めでもしているような勢いに、ハルバーンは思わず目を瞬かせた。
ただ宿の食事場に他の客が入ってくると急に所作を変え、同じ人物かと疑うほど流麗にゴブレットの中身を飲み干した。
「……アルディールさんは居ないんですね?」
辺りを警戒するように視線を彷徨わせながら、セリカはそう問いかけた。
「ここ二日間は、俺よりもあいつの方が忙しくしてるよ。領主の相談役みたいになっててさ。多分今も、そっちに行ってるんだろうな」
「そうですか」
軽く気配を探り、その言葉に嘘はなさそうだと思ったセリカは、口元を拭って視線を落とした。
アルディールがいないなら、今のうちに話した方がいい。
セリカは服のたわんだ部分をきゅっと掴むと、一息ついて話を始める。
「ダンジョンでは申し訳ありませんでした」
胸中のしこりを吐き出した相手に、少女はまず粛々と謝った。
「ハルバーンさんに、理不尽に、子供のように怒りをぶつけたことを後悔しています」
「いや、俺が悪かったんだ。人には人の触れられたくないもんや隠しておきたいもんがあるのに、俺は考えなしでそれに踏み込んじまったんだ」
ハルバーンがそう応じると分かっていたかのように、セリカは強かな笑みを浮かべて返した。
「これで、次の話ができますね?」
「お、おう。セリカが良いなら、俺にはないけど……切り替えが早いな?」
「もう、愛想や仮面を被って話す意味もありませんから。必要なことを、交渉しあいましょう」
セリカにペースを握られている気はしたが、信頼とは一歩引いた妥協点に、ハルバーンはとりあえず同意した。
どちらにしても、黒幕の情報は必要だ。実際に、彼女が案内したダンジョンを潰したことで、ロバウトの状況は上向いている。
少しして、客がまた誰もいなくなったところでセリカから話し始めた。
「ロバウトの騒動の黒幕は、アラーディカという魔族です。かつてこの街を襲い、エリディウスによって殺されたと思われていた魔族です」
「……エリディウスが完全な仕事をしておけば、今ロバウトが困っているような事態にはならなかったってことか」
ハルバーンは頬杖をつきながら唸った。
先輩勇者と会ったことはないが、彼の行いの結果がまた、自分の身に降りかかるような気がしていた。
「そうかもしれませんね。ロバウトの皆さんには悪いですが、私はその不始末に感謝していますけど」
「悪い顔してんなぁ」
何となくそっちの方がらしい、と感じてハルバーンがそう言った。
「それさえも愛らしく見える容姿だけは、持っていて良かったと思います」
「確かにな」
端整な面持ちを邪悪な笑顔で満たした少女は、軽くムッとした表情になった後で、咳ばらいをしてから続けた。
「コボルトの記憶から、そのアラーディカの居場所と、もう一つの拠点の場所を掴みました」
「あの時、黒い手で記憶を確かめていたってことか?便利だな」
かなりグロテスクな光景だったけど、とは流石のハルバーンも付け加えなかった。
「魔物や魔族相手にしか使えませんし、色々な制限もあります。とにかく、アラーディカを倒すことが、勇者殿と私の共通の目的だと思いますがどうでしょう?」
「そのアラーディカがロバウトの問題を引き起こしている元凶なら、そうだな」
頷きつつも腕を組んで、んー……と考えながらハルバーンはしばし黙った。
自分勝手だと自覚していながらも、快諾が得られると予想していただけに、セリカにとってその沈黙は重いものだった。
「俺はベルグ・オリエット・クルザ・ハルバーン。ベルグ王国の第四王子で、二人目の勇者だ」
「…………はい?」
「歳は多分二十一。半年前に記憶喪失になって、その前のことをほとんど何も覚えちゃいない。酒と食事と女が好きで、今まではそれさえあれば良いと思ってたけど、最近はそうじゃないって思う事ばかりだ」
何を、言ってるんだ?
今更改めて自己紹介をされたセリカは、困惑しながらハルバーンを見つめる。
何せ話の流れが無茶苦茶だ。あんまり人に聞かせてはいけない事ばかりを、いつも通りの声で続けている。
「……いくら考えても、これ以上のことは何も出て来ねぇ。後は空っぽなのが、俺の全部だ。だから何も考えずに、馬鹿なことばかりをしちまうんだろうな」
束の間見せた寂しげな、悔しげな表情が、セリカには印象的に映った。
「俺の空っぽの代わりに、セリカは重いもんを持ってんだと思う。全部を話てくれってわけじゃないんだ。ただ自分のことを、話せることだけを、聞かせて欲しい」
「私のことなんて、誰も聞きたいと思いませんよ」
「俺が聞きたい」
短く、真っすぐに求められて、セリカは物を隠して怒られている子供のように周りを見る。
アラーディカを倒すという共通の目的だけあればいいのに、何で自分のことを聞きたがるのか、少女には分からなかった。
「……何一つ、面白い話じゃありませんよ」
それでも、打算のためにセリカは宿の個室を指さした。
「ここでは聞かれますから、個室で話させて下さい
」
すでに見られてしまった黒い腕が、ほんの少しだけ彼女の肩の荷を軽くしていた。
窓の先にはいつも、私を実験台にしている魔族たちの姿があった。
その研究対象だった私の生まれは狂気のの研究の産物だった。人として生を授かり、魔族の胎の中で赤子となって生まれ出た。
そんな狂った研究の成果物として、白い壁の中に閉じ込められているのが、幼い頃の私の全てだった。
背中から伸びる黒い腕は、魔族としての力を。持って生まれた神聖力は、人間として神から与えられた力を。相反する二つの力は結局どちらも、魔族を満足させることは出来なかったようだ。
罵倒に罵声、暴力に絶食。けれど死ぬことだけは許されず、私は実験体として強引な生を与え続けられた。
そんな中で、窓越しに話しかけてくれる存在が現れた。
アラーディカ。今では口ずさむだけで胸が燃え盛る、忌々しいあいつの名だ。




